北 米 地 域

1 池田総理大臣大平外務大臣ケネディ大統領の葬儀に列席

(1) 一九六三年十一月二十二日テキサス州ダラスで暗殺されたケネディ大統領の葬儀は、十一月二十五日首府ワシントンでとり行なわれた。

前日来、国会議事堂中央広間に安置され、一般国民の告別を受けた大統領の遺体は、二十五日年前、葬儀参列者につき添われて、聖マシューズ寺院に移され、葬儀がとり行なわれた後、アーリントン国立墓地に埋葬された。

葬儀には、世界九十一カ国の元首、政府首脳、大使等、並びに、五国際機関および法王庁の代表が列席したが、わが国からは、池田総理が大平外務大臣を同道、参列した。

(2) 葬儀の後、池田総理と大平外務大臣は、二十五日午後ジョンソン新大統領と、また、二十六日午前ラスク国務長官とそれぞれ会見し、日米両国間の緊密な協力関係の維持、強化、および、ケネディ大統領の急死により延期を余儀なくされた日米貿易経済合同委員会の早期開催等につき意見の一致を見た。

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2 日米科学委員会の開催

「科学協力に関する日米委員会」の第三回会合は、一九六三年五月二十一日から二十四日まで東京で開かれた。日本側からは兼重寛九郎委員代表以下十四名、米国側からはケリー委員代表以下十一名が参加した。

本会合では、従来より継続されている五つの専門分科会すなわち(1)人物交流、(2)科学技術に関する情報、資料の交換、(3)太平洋に関する学術調査、(4)太平洋地域の動植物地理学および生態学、(5)がん研究の報告と勧告を検討するとともに、あらたに「科学教育」とハリケーン及び台風の研究」の二分野を共同研究の対象としてとりあげることを決定し、両国政府に各種具体的共同研究計画とともに勧告した。また「太平洋に関する学術調査」は「太平洋地域の地球科学」、また「がん研究」は「医学」とそれぞれ専門分科会名を改称した。

各専門分科会は、共同研究のためゼミナール、会議等を計画、実施しているが、その主なものとして、「霊長類の分野の計画会議」が一九六四年二月京都において、「がん化学療法スクリーニング会議」がホノルルにおいて、「地震予知に関する一連の会議」が東京・長野・京都において、「台風・ハリケーンに関する会議」がマイアミとシカゴにおいて、「北太平洋海洋表層熱構造計画会議」が東京においてそれぞれ同年三月に開催された。

また「科学教育合同パネル会議」がワシントンにおいて、「機械ほんやく会議」が東京において、それぞれ同年四月に開催されることとなっている。

なお、本委員会第四回会合は、一九六四年六月二十三日より二十六日までの四日間ワシントンにおいて開催されることとなっている。

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3 大平外務大臣の訪米

(1) 大平外務大臣は、利子平衡税問題につき日本政府の立場を申入れるため、一九六三年七月三十一日より八月六日まで米国を訪れた。(一九〇頁参照)

(2) 大平外務大臣は、一九六三年九月十七日よりニューヨークで開かれた第十八回国連総会に出席のため、九月十五日から二十二日まで渡米したが、滞米中、(1)ニューヨークにおいて、十七日ピアソン・カナダ首相に表敬し、十八日には、マーチン・カナダ外相と昼食を共にして懇談した。(九月二十五日からオタワにおいて開かれる第二回日加閣僚委員会に出席する予定であったが池田総理大臣の東南アジア訪問との関係で、出席し得ないこととなったため)(2)十九日には、ワシントンでラスク国務長官と会見し、国際情勢一般、及び日米関係について意見を交換した。

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4 日米安全保障協議委員会の開催

日米安全保障条約に基いて日米間の安全保障上の連絡協議の一機関として設けられた安全保障協議委員会は、これまで三回会合を行なってきたが、第四回会合が一九六三年十月十日外務省で開かれた。日本側からは大平外務大臣および福田防衛庁長官、米側からはライシャワー大使およびフェルト太平洋司令官が出席し、大平大臣が議長となった。

この会合では日本および極東の安全に関する国際情勢、およびわが国防衛上の諸問題につき意見の交換が行なわれた。

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5 在日米軍の配置調整計画

一九六三年十二月三十一日在府中米第五空軍司令部より在日米軍の配置調整計画が発表され、また同日右に関する日米両国政府共同発表が外務省および在日米大使館により行なわれた。さらに六四年一月三十日第五空軍司令部より配置調整計画の一部追加が発表された。

これら発表を綜合するとおよそ次の通り。

(1) 今回の配置調整は日本政府との協議の上決定されたものであるが、

(2) その動機はわが国の防衛能力が改善されたこと、米国としても全世界的責任の遂行のため、その力を最も有効に使用する必要があること、および高性能戦闘機F一〇五、三飛行隊をすでにわが国に配置していることなどにある。

(3) これら配置調整により、日米安全保障条約に基く米軍の責任遂行上の能力はなんら減少するものではない。

(4) 配置調整の内容次の通り

(イ) 在板付F一〇五サンダー・ジェット戦闘機三飛行隊(七五機)を横田基地へ移駐する。同じくF一〇二要撃戦闘機一飛行隊(二〇機)を米本国へ撤収する。これらの異動により将来板付基地はその機能を縮少する。

(ロ) 在横田B五七爆撃機三飛行隊(五四機)を米本土へ撤収する。F一〇五の移駐に関連して有効なる地上消音装置を横田基地に設置する。

(ハ) 在三沢F一〇〇戦術戦闘機二飛行隊(五〇機)を従来の常駐制より輪番交代制に改める。

(ニ) 在立川C一二四輸送機一飛行隊(一六機)を米本土に帰還させる。

以上の配置変更のうち、(イ)および(ロ)は一九六四年夏頃までに、(ニ)は六四年秋までに夫々完了する予定である。

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6 地対空誘導弾部隊の設置

政府は、わが国防空能力の強化を図るため、第二次防衛力整備計画で地対空誘導弾(ナイキおよびホーク)部隊四個大隊の設置を予定しているが、そのうちナイキ一個大隊用装備品については、さきに米国政府より無償供与を受けたので、残るナイキ一個大隊とホーク二個大隊用の装備品を日米相互防衛援助協定に基づき米国政府より供与を受けるため交渉を行なっていたが、六三年四月二十六日、大平外務大臣とライシャワー在日米大使との間に書簡の交換を行ない、さらに同年五月十日、この交換書簡に基づく細目取極が志賀防衛庁長官とワージントン在日米軍事援助顧問団長との間で締結された。

これら交換書簡および細目取極に基づいて、米国政府はナイキおよびホーク部隊用装備品等を経費分担方式によって日本政府に提供し、またわが国はこの経費の一部として三、四七七万一、六一四ドルに相当する円貨を米国政府に支払うことになった。

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7 米国要人の来日

(1) ラスク国務長官

ラスク国務長官は、第三回日米貿易経済合同委員会に出席のためホッジス商務長官、ワーツ労働長官およびその他の米側代表とともに、一九六四年一月二十五日来日、二十九日まで滞在した(日米合同委の項一九五頁参照)。同長官は、一月二十八日池田総理と、及び二十五日大平外務大臣と、それぞれ個別に会談した。

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(2) ケネディ司法長官

ケネディ司法長官は、マレイシア問題につきスカルノ大統領と話合うため、一九六四年一月十六日来日し、十八日まで滞在した(マレイシア問題の項九六頁参照)。同長官は、十七日に池田総理および大平外務大臣とそれぞれ個別に会談した。

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(3) バーンズ・ハワイ州知事夫妻

バーンズ・ハワイ州知事夫妻は、一九六三年十二月二日来日し、十六日まで滞在した。同夫妻は十一日天皇の拝謁をたまわった。

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