アジア(西アジアを除く)地域

1 第六次日韓全面会談

(1) 第六次会談の従来の経緯

一九六一年五月十六日の韓国軍部クーデターによって中止されていた日韓会談は、同年十月二十日、第六次全面会談として、日本側杉道助首席代表、韓国側ぺ-義煥(ペー・ウイホワン)首席代表との間で再開され、請求権問題については一九六二年末までに大筋の合意が成立、一九六三年に入ってから交渉の焦点は日本側の最も関心を抱いている漁業問題に移ることとなった。(以上の詳細は「わが外交の近況」第七号八五頁以下参照)

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(2) 漁業問題討議の進捗

一九六二年十月五日以降、杉・ペ-両首席代表間の予備交渉の下部機構として漁業関係会合を開き、同年十二月五日には、双方から具体的協定案が提示されたが、この時の韓国側協定案は、わが方の期待に反し、従来よりの韓国側の考え方を基礎とした極めて柔軟性の乏しいものであったため、日本側は、韓国側がこのような提案にこだわっている限り、漁業交渉の速かな進展は到底望み得ないとして、韓国側がその立場を全面的に再検討するよう強く要請した。

その後、漁業関係会合では、一九六三年二月から四月にかけて資源および漁業実態に関する論議、さらに、四月から六月にかけて日韓間の漁業協力問題に関する意見交換が行なわれたが、たまたま韓国国内において民政移管問題をめぐって政局の動揺があり、また、六月に入って李ライン海域における日本漁船拿捕事件が続発したこと等のため、交渉の速度は鈍りがちであった。

ついで、七月に入り、同月末金溶植外務部長官が来日して大平外務大臣と会談することとなった事情を背景として、七月五日の漁業関係会合において、韓国側より新たな漁業協定案の提示があった。しかし、この新提案も、一九六二年十二月五日の提案に比し幾分の弾力性がみられるものの、日本側がかねて主張してきた国際慣行に合致した漁業専管水域という考え方に殆んど考慮を払っていない内容であったため、日本側よりこの点を強く指摘するとともに、韓国側が漁業専管水域十二カイリという原則を呑むならば、日本側としても、専管水域の外側における共同規制措置や漁業協力問題について種々協議に応ずる用意があるとの立場を明らかにした。

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(3) 大平・金溶植外相会談

大平外務大臣と金溶植(キム・ヨンシク)韓国外務部長官との会談は七月二十六日と三十日の二回にわたり開かれ、その殆んどの時間を漁業問題に関する意見交換に費やした。しかしながら、日本側が先ず専管水域の幅員につき合意を成立せしめ、その上で専管水域の外側の規制や漁業協力について話し合うとの態度を持したのに対し、韓国側は専管水域の外側の規制や漁業協力について討議を尽し、その上で専管水域の幅員についても話し合いたいと主張したため、結局、この外相会談において漁業問題解決に関する原則的な意見一致をみるまでには至らなかった。外相会談終了後共同コミュニケが発表されたが、その中には「日韓両国は両国漁民の利益に合致した合理的な漁業協定を締結することにより日韓間の漁業問題を早期かつ円満に解決することに同意した」、「韓国側より関係水域における漁業資源の保存のための適切な規制措置を講ずる必要性を主張したのに対し、日本側より、同措置が両国に公平に適用され、かつ実施可能である限り、これを採用する用意がある旨答えた」こと、および、「日本側は韓国側の要請に応え韓国漁業の発展のため各般の漁業協力を行なう用意があることを明らかにし、このため今後さらに具体的な協議を続けることとなった」との内容が含まれていた。

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(4) 法的地位問題討議の進展

一九六二年十月五日以降、予備交渉の下部機構として法的地位関係会合を開き、一九六四年三月十日までに、五十二回の会合を開いて、在日韓国人の法的地位問題の討議を継続した。わが方としては、在日韓国人の特殊事情を考えると同時に、国際慣行にも照らし、さらに、将来日本国内に政治的社会的禍根を生じないよう配慮しつつ、日韓双方の納得できる合理的な協定を締結すべく努力してきた。その結果、主要な問題点につき双方の立場は大幅に接近し、一九六四年一月末には日本側より協定草案を提示したので、その後の討議は協定条文作成の段階に入っている。

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(5) 漁業問題討議の続行

七月末の大平・金外相会談終了後、韓国においては、十月十五日の大統領選挙、十一月二十六日の国会議員選挙を控えて政局は大きく動き、他方日本においても十月二十三日の衆議院解散、十一月二十一日の総選挙があり、これにともない、日韓双方とも会談を表立って進めることは困難な状態となった。しかし、両国の政局が一段落した後に漁業問題の早期解決が日程に上ることは明らかであったので、八月以降一九六四年一月にかけて、日本側和田(水産庁漁政部長)代表、韓国側金命年(キム・ミョンニョン)代表間の非公式会合という形で、主として専管水域外の共同規制措置に関し専門的技術的見地からの検討が続けられた。この間、十月二十二日には、和田代表よりそれまでの意見交換の内容をおり込んだ試案が提示され、これに対し、金代表よりは、十一月二十九日、和田代表の試案に対する対案が提示された。これらの非公式討議を通じて、共同規制区域や同区域内における規制措置につき、部分的には意見のほぼ一致したものもあったが、重要点について彼我の懸隔はなおかなり大きいものがあった。

韓国側は、一九六三年十二月十七日、二年七カ月振りに民政移管が実現し、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の下に新政治体制が樹立されるや、なるべく早い機会に高級政治会談を開き、漁業問題をはじめとする重要諸懸案につき大局的見地に立っての政治的打開を図り、日韓会談の妥結、日韓国交の早期正常化を是非とも実現したいとの意向を表明した。これに対し、日本側としても、諸懸案が合理的内容をもって解決する限り、日韓会談の早期妥結にはもとより賛成なる旨明らかにする一方、そのためには目下会談の焦点となっている漁業交渉を早急にまとめる必要があるが、問題の専門的技術的性格に鑑み、先ず問題点を事務レベルにおいて十分煮詰める必要があり、それをせずに直ちに高級会談を開いても満足すべき結果は到底期待し得ないと考える旨応酬した。

ここにおいて、日本側後宮外務省アジア局長、卜部・和田両代表、韓国側崔世ファン(チェ・セホワン)、金命年両代表、李圭星(イ・ギュソン)参事官の六者による会談を開き、専門的見地に政治的配慮も加えて討議を行なった。この六者会談は、二月三日から三月七日までの間、前後十回にわたり開かれたが、必ずしも所期の目的を果すに至らなかった。

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(6) 赤城・元容ソク農相会談

二月下旬に至り、韓国側は、重ねて、早急に漁業高級会談を開くとともに、これまでの予備会談を正式会談に切りかえ他の諸懸案の討議も煮詰めたいと申し入れてきた。これに対し、日本側は、漁業高級会談開催までに事務レベルの話合いを一段と促進するとの了解の下に、漁業閣僚会談の開催に同意した。

かくて、日本側赤城農林大臣、韓国側元容ソク(ウオン・ヨンソク)農林部長官の間の漁業閣僚会談が三月十日より開かれ、四月六日までに十二回の会合を重ねた。(なお、日韓正式会談の顔合せのための本会議も三月十二日開催された。)

漁業閣僚会談に臨むに当り、日本側は、これまでの話合いにおいて、漁業問題の解決は、(イ)国際慣行を尊重したものであること、(ロ)魚族資源の最大の持続的生産性を確保する見地に立つこと、(ハ)公平にして実施可能な規制方式をとること、(ニ)これまでの操業実態を尊重すること等の原則については日韓間に意見の一致があるので、これらの原則を当該海域の地理的条件、漁業の実情等について如何に具体化するかに関し双方の納得できる合意を成立させることがこの会談の課題であるとの態度を持した。

この会談において、赤城大臣および元長官は、従来の事務レベルの討議の成果を基礎として、これまであまり立ち入った話合いが行なわれていなかった問題点、例えば、済州島周辺の専管水域を決定するための基線の引き方、共同規制区域における漁業種類別の出漁隻数、漁業協力の性格等について、忌憚のない意見を交換、少なからぬ成果を収めたが、漁業問題全般についての大筋の合意成立までには至らなかった。

元長官は、四月六日の第十二回会談の席上、本国政府と打合せのためいったん帰国したいとの意向を表明、九日帰国したので、ここに漁業閣僚会談は一時休会に入った。

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2 周鴻慶事件

(1) 一九六三年九月六日、当時東京で開催中の世界油圧化機械見本市参観等のため来日した中共油圧機器訪日代表団員周鴻慶は、十月七日帰国直前に一行の宿舎を脱出し、ソ連大使館に逃亡したが、翌十月八日同人は不法残留容疑者として政府当局に収容されるに至った。

本件は訪日中の中共代表団員が代表団一行を離脱・逃亡したケースとしては最初のものであり、内外の注目を集めるに至ったが、政府は本件処理に当っては従来同種のケースについて執ってきたと同様、終始一貫して不法残留者に対する措置として国内法規の事務的、且つ厳正なる適用により公正な解決をはかることに努力した。

(2) 周鴻慶は政府当局の取調べに対し、本邦在留あるいは台湾渡航を希望する等その意思を転々と変えたが、結局十月二十四日入国管理局における最終審理の段階で中共に帰還する意思を確定的に表明するに至った。

ところで、わが国出入国管理令によれば、不法残留者は原則として本人の国籍または市民権の属する国に向け退去強制の処分を受けるが、同令の下においても、本人が希望する場合には、引続き本邦に在留することも全く不可能な訳ではなく、また台湾にせよ、その他の第三国にせよ、本人が希望する地への出国も可能であり、関係当局が審理に当り、このことを十分本人に認知せしめたことは云うまでもない。

しかるに周は右のとおり、十月二十四日中共帰還意思を確定的に表明し、本邦在留を請求する権利を放棄したため同月二十六日同人に対し、国外退去命令が発せられた次第である。

(3) しかしながら、前述のとおり同人が入管収容の初期の段階において再三意思を変更したことは事実であり、またこれが各方面に本人の真意が何処にあったかという疑問を投げかけたことを考慮し、政府としては、本人の意思確認になお慎重を期し内外の誤解を一掃するため、同人を仮放免に付し暫時本人の意向を見守ることとした。しかしながら、その後も一貫して同人の中共帰還意思に変更が認められず、結局一月一日に至り、同人は中共向け退去出国した次第である。

なお、同人が入管に収容されている間、政府は本人の意向を尊重しながら中国大使館員を含め、関係者に平等に周氏との面会の許可を与えたのである。

(4) 以上のとおり、政府としては本件処理に当っては関係法令の公正妥当な適用と、基本的人権の尊重とを念頭に入れて行動した次第であるが、この間中華民国が本件に異常な関心を示したことにかんがみ、本件処理については、通常の外交チャンネルを通じて同国政府に対し必要な説明を行なうとともに、担当局長を派遣して説明に当らせる等同国の理解を得るのに万全の努力を払った次第である。

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3 わが国によるカンボディアにおけるヴィエトナムの利益代表引受

カンボディア政府は、ヴィエトナムとの国境侵犯事件、ヴィエトナム政府による南ヴィエトナム在住カンボディア人および仏教徒に対する弾圧を理由として、一九六三年八月二十七日ヴィエトナム政府との政治関係(経済・交通関係を除く)を断絶した。

この結果、両国間に相互に設置されていた代表部は閉鎖されることとなり、ヴィエトナム政府はわが方に対し、カンボディアにおけるヴィエトナム政府の利益(領事事務を含む)代表を依頼してきた。

わが方としては、東南アジア諸国間の紛争解決のためできる限り協力し、もってこれら諸国の健全な発展に資することは、わが国の対アジア外交の基本的な考え方であるとの観点から、その一助として九月十四日利益代表引受の方針を決定し、他方、わが国が利益代表国となることに対するカンボディア政府の同意を取りつけの上、九月二十日ヴィエトナム政府に対し利益代表を引受ける旨回答し、関係事務を開始した。

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4 ヴィエトナム新政権の承認

一九六三年十一月一日ヴィエトナムにおいて、ヴィエトナム軍部による政変が発生し、ゴー・ディン・ディエム大統領は死亡した。

政変を推進した革命軍事評議会は、十一月二日憲法の適用を停止し、次いで四日臨時憲章をもって憲法改正が行われるまで行政および立法権は同評議会が掌握し(但し行政権は首相を長とする臨時政府に委任される)また元首の権限は同評議会議長によって執行される旨を布告し、同日グエン・ゴック・トー前副大統領を首相とする臨時政府が組織された。

十一月五日ヴィエナトム新政府は、わが国に対し革命軍事評議会は、ゴー政権の解消とともに臨時憲章を制定し、この臨時憲章に基いて、臨時政府が組織されたことを通知し、新政府は既存の国際諸条約および協定を尊重し、外国人の安全および財産を保障する旨を約束するとともに、日本との既存の関係が継続され、かつ一層強化されることを希望する旨を申し越した。

わが国は、同月八日新政府を承認した。

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5 日本・インドネシア航空協定に基づく交渉

日本およびインドネシア航空当局代表団は一九六二年一月に署名された日・「イ」航空協定に基く交渉を、一九六三年十一月十一日から同月十五日まで東京で行い、この結果、ガルーダ・インドネシア航空はバンコック・香港経由ジャカルタ-東京路線の運航を週二便行うこととなった。

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6 バリー島向け救援物資の寄贈

日本政府は、一九六三年三月中旬、二回にわたって起ったインドネシアのバリー島のアグン火山の噴火によって罹災した島民を救助するため、百万円相当の医薬品を四月初め日航機でジャカルタに空輸し、古内駐インドネシア大使からインドネシア政府に寄贈した。

さらに、財団法人日本・インドネシア協会その他関係民間団体も約三百二十万円相当の各種救援物資を古内大使の手を経て、インドネシア政府に寄贈した。

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7 マレイシアの対日補償要求問題

(一) 一九六二年二月、シンガポールで、一建築現場より多数の遺骨が発掘されたのを契機として、戦時中の中国人集団殺害事件について、中華総商会(中国系住民の商工会議所)を中心にわが国に補償を要求する動きが起り、シンガポール政府に対し、わが国に補償を要求するよう働きかけた。

わが方は、マレイシアについての賠償問題は桑港平和条約により既に解決済みと考えており、本問題についても賠償的性格を帯びた要求には応ぜられないが、シンガポールとの友好関係の維持発展を願う立場から、戦争中の日本軍の行為に対する償いのジェスチャーとして適当な措置をとる用意はある旨を明らかにした。

かかる立場より、同年五月来日したシンガポールのリー首相との間に話し合いを行ない、シンガポールに公園を建設することによりこの問題を解決することに努力する旨の合意が成立した。しかし、同首相は公園建設では補償を要求する中華総商会を納得させることができなかったとして、一九六三年三月に病院等公共の福祉のための施設の建設を希望してきた。

これに対し、わが方は前述の立場から、必ずしも公園案にとらわれず、解決に努力してきたが、シンガポール中華総商会側は、殺害事件のほかに戦時中の五、〇〇〇万マラヤドルの献金等を挙げ、これに見合う金額の支払いを要求し、同年八月二十五日には民衆大会を開くに至った。

右民衆大会において、(イ)五、〇〇〇万マラヤドルの要求貫徹。(ロ)そのための対日非協力運動の展開。(ハ)日本人のシンガポール入国阻止。等の決議を行ない、九月十六日よりL/Cの開設が事実上停止し、また九月二十三日より二十七日まで五日間、シンガポール港で日本船の接岸禁止、荷役拒否を行ない、またシンガポール空港では日航機へのサービス拒否も行なわれた。

この間、マラヤ各地の中華総商会はシンガポールの動きに呼応して八月下旬、対日補償要求に関する大会を開催し、戦時中の殺害に対する補償として一億一千万マラヤドル(約一三二億円)を要求するに至った。

(二) 右の如き情況で、シンガポールにおいては話し合いに必要な冷静な雰囲気がなく、且つ、上記のとおりシンガポールの動きに刺戟されてマレイシア全体に対日補償の動きが活発化したため、わが方では、九月十六日マレイシア成立以後、本件をマレイシア政府との間に取り上げることを考慮していた。マラヤ政府も九月十四日、マレイシア成立の後、この問題について日本政府と話し合いを行なう用意がある旨を明らかにした。

さらに、ラーマン首相は九月二十六日、シンガポールの代表と会談した際、本件円満解決のため、対日ボイコットを停止するよう要請し、この結果、ボイコットも終熄をみるに至った。

(三) よって、わが方は直ちにマレイシア中央政府とシンガポール問題解決のため話し合いに入り、早急にこの問題の妥結を計る方針をたて、現地の大隈大使を補佐するため、十月二十三日後宮アジア局長を現地に派遣し、二十四日より十一月一日までマレイシア政府との間に話し合いを行なった。

この話し合いでは、日本のとるべき措置の方法および規模についての合意に達することはできなかったが、それぞれの立場についての理解が深められたので、今後も誠意をもって同政府との間に話し合いを続け、遠からず円満解決に至るものと思われる。

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8 マレイシア成立式典(特派大使派遣)

マレイシアは、一九五七年に独立したマラヤ連邦を中核に、これに英領のシンガポール、北ボルネオ及びサラワクを加え、一九六三年九月十六日成立した。わが国はマラヤ連邦政府の招待に応え、マレイシア成立の式典に際し、特派大使として綾部運輸大臣を派遣して同式典に参加せしめ、祝意を表明した。

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9 日本・マレイシア航空協定交渉

わが国は、英国との間に航空協定を締結しており、これに基づき日本航空はシンガポールに乗り入れていた。しかるに、一九六三年九月マレイシアが成立し、シンガポールがマレイシアの一州となったのを契機に、同年十月マレイシア政府はわが国に対し新たに日・マ航空協定締結方申し入れ越した。

右交渉は一九六四年二月上旬クアラ・ランプールにおいて行なわれた。本交渉においては、協定本文については双方の合意をみた。しかし、マレイシア側は、自国航空企業保護の目的から、我国の航空企業に与えられるべき運輸権に重要な制限(シンガポール、またはクアラ・ランプールと、第三国間の貨客積取り権の制限)を加えることを要求したため、交渉は一時中断され、双方の都合の良い時期に再開されることとなった。

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10 インドの対日戦前クレームの解決

インド政府は、日印平和条約第八条(a)の後段の規定に基づいて、日華事変中に生じたインド国民の身体および財産上の損害につき、昭和二十八年よりわが方に補償請求を提起していた。爾来、日印両国政府間で本件に関する交渉が行なわれていたが、昭和三十八年十二月、わが国政府が九〇〇万円をインド政府に支払うことにより、日印平和条約第八条(a)の規定する戦前請求権を最終的に解決することに双方合意をみた。

よって、十二月十四日、外務省において大平外務大臣とメロトラ駐日インド大使との間に、これに関する取極の署名が行なわれ、即日発効した。これによって両国間に長年にわたり懸案となっていた本問題がここに円満解決をみるに至った。

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11 パキスタン国際航空(PIA)の中共経由本邦乗入れ問題

(1) 現行の日パ航空協定(一九六二年七月締結)においては、パキスタン国際航空(PIA)は、香港、マニラ経由東京乗入れが認められているが、パキスタンは一九六三年八月広東および上海を経由して東京に乗り入れができるよう前記航空協定付属書の改訂方をわが方に申し入れてきた。なお、パキスタン・中共航空協定は同年八月二十九日カラチにおいて署名され、即日発効し、PIAは広東および上海への運航権を獲得したものである。

(2) 右付属書改訂問題に関する日パ両国航空当局間の協議は、同年十一月四日から九日まで東京で行なわれたが、協議を通じてPIAの中共経由本邦乗入れに伴なう航空技術上の諸問題については、双方の見解はほぼ一致したが、わが方としては、わが国と中共との関係の現状、その他諸般の情勢上直ちにパキスタン側の申し入れに応ずることは時期尚早と考える旨先方に説明し、結局双方の合意に達し得なかった。

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12 賠償などの実施

賠償およびこれに準ずる経済協力の実施は、ビルマについては約九カ年、フィリピン約七カ年半、インドネシア約六カ年、ヴィエトナム約四カ年、ラオス約五カ年、カンボディア約四カ年半を経過し、一九六四年一月末現在の支払総額は約一、六八九億円で、履行率は四六・〇パーセントに達している。このほか、一九六二年五月に発効したタイとの間の特別円問題新協定に基づく第一回および第二回の各一〇億円計二〇億円の支払いが、それぞれ一九六二年および一九六三年の五月に行なわれた。これら賠償などの供与は、受入れ国の戦後の復興および経済開発や民生安定に貢献しているばかりでなく、これを通じて、わが国の重機械や建設技術などの真価が認められ、これら諸国と日本との間の経済交流の基盤がかためられつつあるといえよう。

一九六三年の賠償およびこれに準ずる経済協力の実施は、ほぼ順調に行なわれた。しかし、フィリピンについて前年に引き続き、賠償による調達は停滞模様であった。しかし前年停滞していたラオス、カンボディアに対する経済協力は、一九六三年に入ってかなりの進捗をみた。

各受入れ国別の賠償およびこれに準ずる経済協力の実施状況の概要は、つぎのとおりである。

(1) ビ ル マ

ビルマに対する賠償および経済協力協定(一九五五年四月十六日発効)の実施は、一九六二年十月一日から、第八年度に入っている。賠償総額七二〇億円のうち、一九六四年一月末現在の契約認証額は約六四三億円、支払済額は約六三八億円で、賠償総額に対する履行率は、八八・六パーセントとなっている。

この賠償供与の内容を品目別に見ると、もっとも大きいものは、初年度から建設に着手されたバルーチァン水力発電所計画関係の機材および役務で、この計画に対する契約認証額は一〇三億円におよんでいる。このほかの認証額を品目別にみると、鉄道車輛・自動車類・自転車類・船舶などの運搬用機器類一七八億円、農業・土木・繊維関係などの一般機械類六五億円、電気機器類五七億円、プラント類一四億円、鋼材その他金属製品一〇五億円、魚罐詰七億円、検査・輸送・技術者派遣などの役務一〇億円などが主なもので、この中には、ビルマ鉄道復興計画関係の資材約八○億円が含まれている。

このように今までのビルマ向け賠償の特徴は、バルーチァン発電所計画およびビルマ鉄道復興計画の二大計画のほか、多岐の事業にわたって供与されてきたことであり、さらに、他の受入れ国に比し、消費財供与の比率が高い(第一年度から第八年度但し一九六四年一月末現在までの平均約二二・三パーセント)ことであった。しかし、ビルマ政府は、一九六二年になってから家庭用電気器具・自動車・農業用ポンプおよび耕うん機の組立工場を、わが国の賠償によりそれぞれ設立することとし、同年中頃からこれに必要な賠償の調達を開始した。これは、長期契約により、わが国の製造業者から部品・機材の供給ならびに技術の指導を受けて行なうものである。

よって、ビルマ賠償は、従来のバルーチァン発電所計画、ビルマ鉄道復興計画の二大計画のほか、これら三種の組立工場設立計画を中心として実施されることとなり、すでにこれらの組立工場の建設は着々とすすみ、技術者の派遣、機材の送付も行なわれている。これらに対する賠償契約は別記品目別認証額とは別に電気器具工場関係約一九・一億円、自動車工場関係約二一・四億円、ポンプ等組立工場関係約六・一億円が認証されている。

前記の賠償および経済協定による生産物および役務の供与期間は、一九六五年四月十五日に満了することとなっているが、同年四月十六日からは、一九六三年三月二十九日に調印された経済および技術協力協定による生産物および役務の供与が開始されることとなっており、現在の賠償および経済協力協定の下で実施されている各種の長期事業計画は、新しい経済および技術協力協定に引き継がれ、引き続き推進されることとなるものと見られる。

新しい経済および技術協力協定は一九六三年一〇月二十五日に発効したが、この協定によりわが国はビルマに対し、一九六五年四月十六日から十二年間に五〇四億円に相当する生産物および役務を無償で供与することとなっている。

賠償及び経済協力協定によれば、わが国はビルマに対し、合弁事業の形で、十年間に五、〇〇〇万ドルの経済協力を行なうこととなっているが、ビルマでは、社会主義経済を実施しているなどの事情もあり、日本側業者との合弁交渉は難航していた。しかしながら、一九六二年三月成立した革命政府は、合弁方式をやめ、借款方式によるわが国との経済協力を希望している模様である。すでに、わが国から鉄鉱調査団および天然ガス調査団が派遣されたほか、現在までに、肥料・綿紡績・竹パルプ製紙・セメント・精糖などの工場設立などの話合いが行なわれている。

すでに成立した合弁事業としては、万年筆製造、海洋漁業があり、技術協力としては、真珠養殖、百貨店の経営指導があるが、最近のビルマ政府の企業国有化政策にもとづき、真珠養殖および海洋漁業は国有化されるに至った。

なお、前記の経済および技術協力協定と同時に行なわれた経済開発借款に関する交換公文において、わが国は、一〇八億円までの民間ベースの借款が、協定発効の日から六年間に、ビルマに供与されることを容易にし、かつ、促進することを約しており、この交換公文による借款が、前記の各種工場などの設立に寄与することが期待される。

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(2) フィリピン

フィリピンに対する賠償協定(一九五六年七月二十三日発効)は、一九六三年七月から第八年度に入ったが、マカパガル大統領が行なった前政権の賠償に対する政策の再検討などにより、第六年度後半にひきつづき、賠償調達は余り進捗していないが、一九六三年九月、池田総理の訪比を契機として調達が促進される機運が見られる。賠償総額一、九八〇億円のうち一九六四年一月末現在の契約認証額は四八六億円、契約認証を要しない沈船引揚などの費用を含めた支払済額は五〇七億円であって、賠償総額に対する履行率は二五・六パーセントとなっている。

この認証額を品目別にみると、船舶二〇三億円、航空機一一億円、鉄道車輛一一億円、自動車類二三億円、機械類・電気機器類三〇億円、セメント工場・製紙工場などのプラント類一三四億円、鋼材・送電線材料など三五億円、役務九億円などが主なものである。フィリピンに対する賠償の供与で注目されるのは、調達の大部分を占めるものが船舶や各種プラント類などの資本財であり、賠償によって供与された物資が、同国の海運をはじめとする各種産業の育成に大きな役割を果している点である。

つぎに、日比両国間の経済開発借款に関する交換公文によれば、わが国がフィリピンに対する経済協力として、二〇年間に二億五、〇〇〇万ドルの借款を民間で商業的に、与えることについて、両国政府はこれを容易にし、促進する措置をとることになっている。

この交換公文が発効して以来、主として延払い輸出の形で、数多くの民間借款がフィリピンに供与されているが、このうちこの交換公文の経済開発借款に該当する額については、いまだフィリピン側との間で意見の一致をみていない。

また、フィリピンに対しては、賠償を引当てとする借款が供与されているが、これは一九五九年九月の両国間の交換公文によってマリキナ多目的ダム建設計画および電気通信網拡充計画に対して、一九六一年十月の交換公文によってマニラ鉄道延長計画に対してそれぞれ与えられることになっている。このうち、電気通信網拡充計画については、一九六一年十月フィリピン電気通信局と日本電気との間に成立した約六五〇万ドルの契約の実施がおくれていたが、一九六三年一月から実施の段階に入った。マニラ鉄道延長計画(五八〇万ドル)については、一九六三年三月、マニラ鉄道と木下産商および伊藤忠商事との間に契約が成立し、同年計画実施の運びとなった。また、マリキナ計画(三、五五〇万ドル)については、入札は行なわれたが、入札の結果にフィリピン側が満足せず、現在入札方法の再検討が行なわれている。この計画については、フィリピン内部にまだ種々の議論が行なわれているようであり、実施までにはかなりの時間がかかることとなろう。

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(3) インドネシア

インドネシアに対する賠償協定(一九五八年四月十五日発効)の実施は、一九六三年四月から第六年度に入っている。賠償総額八〇三億八八〇万円のうち、一九六四年一月末現在における契約認証額は四三九億円、支払い済額は教育訓練計画などを含めて四〇二億円であり、賠償総額に対する履行率は五〇・〇パーセントとなっている。

この認証額を品目別に見ると、船舶七八億円、鉄道車輛五億円、自動車類四七億円、土木農耕用機械・繊維機械などの機械類および設備計六五億円、製紙工場三五億円、合板工場五億円、綿紡績工場三一億円、乾電池工場四億円、鋼材およびレール類二三億円、肥料七億円、パルプおよび繊維製品一一億円、コーラン(経典)六・五億円、ブランタス河計画などの河川多目的開発計画五三億円、ムシ河橋梁関係費一五億円、役務一四億円などが主なものである。

インドネシアに対する賠償供与について注目されるものに、賠償第三年度から始められた教育訓練計画がある。この計画によれば、留学生については、五年間にわたって毎年約一〇〇名、合計約五〇〇名を受け入れ、まず一年間国際学友会において日本語その他の基礎科目を修学させたのち、国立または私立大学に在学させて造船・電気工学・電気通信・鉱業・冶金・航海・漁業・農業・繊維・銀行業・商業・医学などの各分野の教育をほどこし、また研修生については、七年間にわたり毎年約二五〇名、合計約一、七五〇名を最高二年半の期間わが国に滞在させ、海外技術協力事業団の斡旋によって造船・海運・漁業・農業・繊維・観光業・手工業・銀行業務など多岐にわたる分野で技術訓練を行なう。一九六四年一月末現在の在日インドネシア学生数は、三六九名、研修生は計二〇七名である。

一九五九年十月両国政府の間で、賠償を引当てとする借款に関する交換公文が行なわれたが、これに基づく船舶(二、〇〇〇万ドル)一六隻の供与については、全部の引渡しを完了し、ホテル(八〇〇万ドル)については、一九六二年七月ジャカルタに「ホテル・インドネシア」の建設を完成した。

つづいて一九六二年四月六日、第二次賠償引当借款についての合意が成立した。これによって、七三五万ドル(巡視艇十隻)および一、四〇〇万ドル(ジャワ島のジョクジャカルタ、ペラブハンラツおよびバリ島サヌールの三箇所にホテルを建設)の借款が供与されることになり、さらに同年八月二十一日、第三次賠償引当借款として、六二五万ドル(ムシ河橋梁)、八五〇万ドル(竹パルプによる製紙工場)および六六〇万ドル(スラバヤ港のドック式造船所建設)の供与が合意された。最後に一九六三年六月一、一〇〇万ドル(ジャカルタに一四階建百貨店の建設)の供与が第四次賠償引当借款として合意された。

つぎに、インドネシアについてもフィリピンの場合と同様、経済開発借款に関する交換公文があり、二〇年間に四億ドルのクレディットを民間で商業的に供与することについて、両国政府はこれを容易にし、促進することになっている。この交換公文が発効してからインドネシアに対し行なった借款の供与としては、前記の賠償引当借款計八、一七〇万ドル、インドネシア国営石油会社「プルミナ」に対する北スマトラ油田復旧、開発のための資材および技術の供与(一〇年間に約一八〇億円を供与し、石油生産が所定の量に達した時、それ以上の生産分の一部で返済されるもので、一九六三年九月までの供与実績は、約六五億円である。)ならびにチラチャップ国営紡績工場の設備能力拡張のための資材と技術約二八二万ドルの供与などがある。

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(4) ヴィエトナム

ヴィエトナムに対する賠償協定(一九六〇年一月十二日発効)の実施は、一九六四年一月十二日から第五年度に入っている。賠償総額一四〇億四、〇〇〇万円のうち、一九六四年一月末現在における認証額は一二五億円、支払済額は使節団経費を含めて一二一億円に達し、賠償総額に対する履行率は八六・二パーセントとなっている。

この認証額を品目別にみると、ダニム発電所建設工事五一億円、発電機器一七億円、水圧鉄管一一億円、サイゴン変電所機器四億円、調査設計監督および検査役務八億円が主なものであり、ダニム計画関係はすでに大部分契約の認証を終った。

ヴィエトナムに対する賠償の供与について注目されることは、総額の大部分と、これにともなって合意された借款協定に基づく二七億円の輸銀借款とがダニム水力発電所計画にあてられていることである。輸銀借款の対象となる送電線および変圧器なども全額契約が締結された。賠償による消費財の供与も軌道にのっており、二七億円の契約を終っている。

ダニム・ダムおよび発電所建設工事は、一九六一年四月一日の起工式以来順調に進み、本年はじめには第一期工事が完工したが、一月十五日には、現地において盛大な竣工式が行なわれ、わが国から、ヴィエトナム賠償問題解決に主役を演じた植村甲午郎経団連副会長が政府を代表して式に参列した。ダニム発電所は、今回の第一期完工により八万キロ・ワット、第二期工事が終る一九六五年には合計一六万キロ・ワットの発電を行なう予定である。

なお、ダニム計画以外には、沈船引揚、鉄鋼工場およびボール紙工場の建設などに九億円があてられることになっている。

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(5) ラ オ ス

ラオスとの経済・技術協力協定(一九五九年一月二十三日発効)により、わが国は、ラオスに対し、経済開発を援助することを目的として二年間に一〇億円の援助を無償で供与することとなっている。援助期間は、当初二年間であったが、一九六一年、一九六二年および一九六三年の三回にわたり合計三年間の期間延長が合意された。援助計画の中心をなす首都ヴィエンチァンの上水道建設は、所要現地通貨の調達困難、同国国内の政情不安などの理由から実施が遅れていたが、海外経済協力基金の融資決定によって現地通貨の問題が解決され、一九六三年の一月以来工事はきわめて順調に行なわれている。

またヴィエンチァン新発電所建設計画も重要であって、建設工事はこれまた順調に進み本年一月に、予定工期よりはるかに早く完工した。ラオスの首都ヴィエンチァン市の電気と水道はこのようにわが国の援助により供給されることとなった。

一九六四年一月末現在における契約認証額は、九億九、六〇〇万円、支払済額は、九億六、三〇〇万円で、総額に対する履行率は、九六・四パーセントとなっている。認証された計画の中には、上記ヴィエンチァン上水道の設計建設およびヴィエンチァン新発電所建設のほか、ナムグム河ダム調査、予備設計、ナムグム河などの三つの橋梁建設のための調査などがある。

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(6) カンボディア

カンボディアとの経済・技術協力協定(一九五九年七月六日発効)により、わが国はカンボディアに対し、両国間の友好関係を強化し、相互の経済協力を拡大するために、三年間に一五億円の援助を無償で供与することになっている。

対カンボディア経済・技術協力計画の大宗である農業技術センター、畜産センターおよび農村医療センターの設置、運営が、当初三年の援助期間内に見込めなくなったので、一九六二年七月さらに二年間の期間延長を行なった。一九六四年一月末現在の契約認証額は一一億二、一〇〇万円、支払済額は一一億一、三〇〇万円であり、総額に対する履行率は、七四・二パーセントとなっている。

この認証額の内容は、首都プノンペン上水道建設四億七、五〇〇万円、トンレ・サップ橋梁建設用資材三億五〇〇万円、三センターの設計二、九〇〇万円、その建設二億五、二〇〇万円などとなっている。このうち、プノンペン上水道はすでに竣工した。トンレ・サップ架橋用資材も引渡しを完了し、同橋梁は近く竣工する予定である。

農業技術センター、畜産センターおよび農村医療センターの建設については、当初の尨大な規模を予算内に縮少するため、再三調整が行われて手間取っていたが、一九六三年二号工事が開始され、順調に進捗しており、本年三月ごろには完成の予定である。三センターの建設工事が完了すれば、わが国から農業、畜産関係の技術者や医師などが派遣され、現地で技術指導および医療に当ることとなる。

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13 池田総理大臣の東南アジア諸国訪問

池田内閣総理大臣は、夫人ならびに黄田外務審議官などの随員をともない、一九六三年九月二十三日より十月六日まで、フィリピン、インドネシア、オーストラリアおよびニュー・ジーランドの各国を訪問した。

池田総理の訪問先各国における動静および会談の内容は、それぞれの訪問先で発表された共同声明に明らかにされているが、その概要を示せば、つぎのとおりである。

(1) フィリピン

(イ) 動  静

池田総理大臣は、九月二十三日から同月二十六日まで、フィリピン共和国を訪問した。

池田総理は、同国滞在中、マカパガル大統領と三回にわたる公式会談を行ったほか、ペラエス副大統領、マルコス上院議長、ヴィリアレアル下院議長、ベンソン最高裁長官と会見した。

また、池田総理は、ホセ・リサール記念碑および無名戦士碑の参拝、国立フィリピン大学農学部視察等を行った。

(ロ) 会談内容の概要

日・比両首脳は世界平和と国際安全の維持を共通の目標とすることに同意し、政治、経済および文化の各分野における両国間の協力関係が発展することを一致して希望した。また両者はともに全面的核兵器実験禁止協定締結の必要性を強調した。さらにマフィリンドの問題、二国間経済協力の促進並びに日比友好通商航海条約批准問題解決に至るまでの暫定措置について意見の交換が行われた。

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(2) インドネシア

(イ) 動  静

つぎに池田総理大臣は、九月二十六日から同二十八日までインドネシアを訪問し、スカルノ大統領兼首相ほか政府首脳と二回会談を行った。

また、池田総理大臣は、同国滞在中、カリバタ独立志士の墓に参拝したほか、ボゴールの熱帯植物園を参観した。

(ロ) 会談内容の概要

日・イ両首脳は平和の維持が不可欠であることにつき意見の一致を見、部分的核実験停止条約の成立を歓迎し、一般的かつ完全な軍縮協定と全面的核兵器実験禁止協定の早期締結の必要性ならびに国連機構の改善につき同意した。さらに、双方はマレイシア紛争の平和的解決につき討議し、また、わが国はその能力に応じて、経済技術協力を拡大する用意がある旨を表明し、同時に両国間の貿易増進に関して意見を交換した。

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14 要人の来日

(1) スカルノ・インドネシア大統領

スカルノ・インドネシア共和国大統領は、レイメナ第一副首席大臣、スバンドリオ第二副首席大臣・外務大臣ら随員三〇名を帯同して一九六三年五月二十三日来日、六月二日まで滞在した。

同大統領は、滞日中池田総理大臣、大平外務大臣等わが国政府首脳と会見し、日・「イ」両国間の親善友好関係の増進、経済協力の促進ならびにマレイシア問題につき話し合いを行った。

なお、同大統領および主要随員は、滞日中天皇陛下より宮中茶会に招待された。

同大統領は、滞日中インドネシアの東京オリンピック参加問題につき川島国務大臣ほかオリンピック関係者と会談した。さらに、同大統領は、石油問題につき、ワイアット米大統領特使をはじめ、在インドネシア三大外国石油会社代表らと会談を行った。

同大統領は、一九六四年一月十五日にも、フィリピンおよびカンボディア訪問後、スバンドリオ第一副首相・外務大臣、スマルノ大蔵大臣、ヤニ陸軍大臣ら随員六十一名を帯同して来日、同月二十日まで滞在した。

同大統領は、滞日中、天皇陛下と親しく交歓したほか、池田総理大臣と主としてマレイシア紛争の平和的解決につき会談した。

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(2) ラーマン・マラヤ首相

ラーマン・マラヤ首相は、マレイシア問題につきスカルノ大統領と会談するためコー・カイボー無任所大臣ら随員約十一名を帯同し、五月三十日来日、六月五日まで滞在した。ラーマン首相は、この間天皇陛下に謁見を賜わったほか池田総理大臣および大平外務大臣と会見し、日・「マ」両国間の親善友好関係の増進およびマレイシア問題につき話し合った。

ラーマン首相は、大平外務大臣公邸で二回にわたり、マレイシア結成問題につきスカルノ大統領と会談を行った。

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(3) ケネディ米司法長官

ロバート・ケネディ米司法長官は一九六四年一月十六日来日し、同月十八日まで滞日した。

同長官は、滞日中天皇陛下より謁見を賜わったほか、池田総理大臣および大平外務大臣と会談した。

同長官は、この間スカルノ大統領とマレイシア紛争の平和的解決方式につき二回にわたり会談した。

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(4) ロムロ国立フィリピン大学総長

フィリピン共和国のカルロス・P・ロムロ国立フィリピン大学総長は、夫人同伴、随員一名とともに、一九六三年四月八日外務省の招客として来日、同月十三日離日した。

同総長は、滞日中、皇太子・同妃両殿下を訪問したほか大平外務大臣を表敬訪問した。また、同総長は、日本大学および上智大学において名誉学位を授与された。

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(5) フィリピン共和国のペラエス副大統領兼外務大臣

フィリピン共和国のエマヌエル・ペラエス副大統領兼外務大臣は、フランス(SEATO閣僚会議出席のため)、米国等諸国訪問よりの帰途、夫人同伴随員一名とともに、一九六三年四月二十九日、非公式に来日、五月二日、離日した。

同副大統領は、滞日中、天皇・皇后両陛下より謁見を賜わり、また皇太子殿下ならびに池田総理を表敬訪問し、また、わが国のモデル農家を視察した。

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(6) フィリピン共和国のアデボソ経済調整庁長官

フィリピン共和国のエレウテリオ・アデボソ経済調整庁長官は、随員一名を帯同の上、一九六三年十一月十八日、非公式に来日し、同月二十五日、離日した。

同長官は、滞日中、航空、鉄鋼、造船、電力、鉄道等を管轄する本邦政府当局者を表敬訪問の上、意見の交換を行った。

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(7) インドネシア共和国のスカルノ警察大臣

インドネシア共和国スカルノ・ジョヨネゴロ警察司令官・国務大臣は、外務省および警察庁の招客として、夫人および副官を伴ない、一九六三年八月八日から同月十四日までの間、わが国を訪問した。

同大臣夫妻は、わが国滞在中、大平外務大臣を儀礼訪問したのを始め早川国家公安委員長、江口警察庁長官および原警視総監とそれぞれ両国警察関係諸問題につき一般的な意見の交換を行ったほか、わが国警察関係諸施設の視察および箱根遊覧を行った。

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