中南米の情勢
ここ一年間における中南米地域の政治、経済には、かなりの動きがみられた。
政治的には、一九六三年中にグァテマラ、エクアドル、ドミニカ、ホンデュラスで軍事革命による政権の交代が行なわれ、さらに一九六四年には四月初めに、かねて政情不安を伝えられていたブラジルでも軍部、州知事による反乱が起り、左翼的なグラール大統領が亡命し、新大統領が選出されるに至った。このようにして、中南米地域で軍部の勢力下に立つ国が増大することとなった。
国際政治面では、キューバをめぐる米ソの対立も、その後在キューバ・ソ連軍事要員の引き揚げによる減少もあり、緊迫感は薄れるに至った。米国はひきつづきキューバの隔離孤立化政策の推進をはかっており、中南米諸国は一般に米国を支持し協力しているが、英国、フランス、カナダ、スペインなどの国は必ずしも米国に同調せず、自由陣営内の対キューバ政策には足並みが揃わない傾向がある。
一九六四年一月のパナマ運河紛争も、一時は世界の関心を集めた事件であった。運河地帯の主権の問題は、米国とパナマとの間の長年の懸案であるが、ついに一月九日運河地帯でパナマ国旗が掲揚されなかった事件が端緒となって、米国の運河地帯警察とパナマ民衆とが衝突し、死傷者約五百名が出るところまで発展し、情勢は一時緊張した。しかし米州機構のあっせんが奏功し、事件の処理と今後の交渉方針に関する米国、パナマ間の話し合いも、三カ月の難航の後に、一応平和的解決の目途がつくに至った。
フランスのドゴール大統領のメキシコ訪問も、中南米の国際政治上の新しい動きとして注目された。中共承認を断行して世界に衝撃を与えた同大統領は、一九六四年三月中旬メキシコを訪れて大歓迎を受けた。この訪問はフランスの対中南米外交攻勢の一環とみられたため、内外の関心を集めた。
一九六三年十一月二十七日の国連総会本会議で成立したラテン・アメリカ核非武装地帯設置決議も注目すべき動きであった。従来中南米諸国は核実験の停止や軍縮には常に関心を示し、六三年十月に発効した部分核禁条約にはキューバを除く中南米十九カ国はいずれも参加しているが、今回の決議は、とくに従来より軍縮問題に熱意を示してきているメキシコ、ブラジル、チリ、ボリヴィア、エクアドルなどが中心となって積極的活動を行ない、十一月の国連総会にラ米十カ国で共同提案し、これを成立せしめたものであった。
経済面においては、一九六三年度には、一般に中南米諸国の主要輸出品である一次産品の市況が不振であったため、その輸出および生産が伸びなかったのに反して、工業化のための資本財や一般消費財の輸入は余り削減されなかったため、国際収支は軟調であった。
中南米の社会的、経済的進歩の増進を目的とする「進歩のための同盟」については、各国の長期経済開発計画の作成が順調でないため、発足以来二年余をへたにかかわらず経済開発の面で実行にうつされたものは少なく、当初期待されたほどの成果はあげていない。しかし、社会開発の面では、米国政府資金、全米銀行、世界銀行等国際機関の資金が「進歩のための同盟」を通じ徐々に注入されており、中南米諸国も教育施設、公衆衛生、上下水道設備、農業金融などの改善のために努力しているので、次第に成績が上がってきている。
市場拡大と工業化の推進を目的として一九六一年に発足したラ米の二つの経済統合は、まず順調な歩みを続けている。中米共同市場は懸案のコスタ・リカの加盟を実現して、域内貿易増加、外貨節約、工業開発に実をあげ、ラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA)も種々解決を要すべき問題はあるけれども、第三回関税譲許交渉を了して、域内貿易の伸びにかなり目立った効果がみられた。
最後に、中南米は邦人移住地として特別に関心が持たれる地域であるが、第二次大戦後、政府の渡航費貸付をうけて渡航し、同地域に移住した日本人はすでに五六、二三三名に達している。
中南米諸国は、その国土開発と工業育成を重要国策として推進しており、それに必要な労働力の一部はこれを外国からの移住者に求めてきたが、最近特にブラジルは、技術または資金を持たない単なる労働力を敬遠し、国内では容易に求め難いような種類の有能な移住者のみを受け入れようとする傾向が強まっている。また、いわゆるICEM(欧州移住政府間委員会)を構成する欧州送出国側でも、ラ米開発協力の路線を打ち出し、計画的に優秀な移住者を送り出す体制を整えつつある。わが国も昭和三十七年十二月の海外移住審議会答申以来、国民が海外においてその潜在能力を発揮し、その国の経済発展に協力するという新しい理念にもとづく海外移住推進の施策を進めるよう諸般の体制を整備中である。