低開発国援助問題
一九六三年の低開発国援助をめぐる国際的動向のなかで目立つ点は、先進自由諸国間の国際協調が一層強化されたこと、および低開発国側からの援助要請が国際舞台においていよいよ強まってきたことである。
すなわち、低開発諸国の開発計画の実施が進展するにつれて、輸入需要の増大、慢性的外貨不足、対外債務の累績等の悪循環が徐々に顕在化し、低開発諸国の対外債務は、過去五年間に倍加して一九六二年には年額二五億ドルに達したといわれる。この結果、低開発諸国は先進国に対して、援助条件の大幅な緩和とともに、低開発国産品の輸入増大を強く求めるに至った。このようにして、「貿易と援助」という問題が大きくとりあげられるようになり、ガットにおける実行計画の採択となり、さらに国連貿易開発会議の開催にまで事態が進行するに至った。
このような状況のもとで、わが国を含む先進自由諸国は、共同援助努力強化のため、DACを通ずる協調活動を積極的に進めてきた。また、国際開発金融機関についても、世銀の融資業務拡充の方向が打ち出され、さらに国際開発協会(IDA)の資本金増額等の動きがみられたほか、世銀主催の対インド、パキスタン援助国会議、国別協議グループ等を通ずる援助調整の活動がさらに拡大された。
このような国際的動きが指向するところは、援助の量的質的強化であり、とくにその中心的課題は援助条件の緩和であった。また、ノン・プロジェクト援助の拡大、援助方式の多様化および低開発国側の自助努力強化の必要性が強調され、民間投資の役割が一層重視されるに至ったことも注目された。
各国の援助実績についてみると、先進自由諸国が直接あるいは国際機関を通じて低開発国援助に支出した資金の額は、一九六二年には八四億ドルであった。そのうち米国の援助額は四五・二億ドルで過半を占め、次いでフランス、英国、ドイツ、日本(二・八億ドルで第五番目)、イタリアの順になっている。他方、ソ連圏諸国は先進自由諸国に対抗して、最近では年間一〇億ドルをこえる援助供与の約束をするに至ったが、そのうち実際に支出された額はごく僅かに過ぎなかったと推定されている。
ちなみに、一九五四年から六二年末までにソ連圏諸国は、二八カ国に対して総額約五一億ドルの援助を約束したが、実際に支出した額は約四分の一の一四億ドル程度とみられている。これに対応する先進自由諸国側の支出実績(一九五六年~一九六二年)は、二国間政府べースの援助額が約三〇〇億ドル、これに民間ベースの経済協力および国際機関に対する拠出を加え、総額五四〇億ドルであり、自由諸国側の援助が圧倒的な比重を占めている。
このような世界の動きのなかで、わが国は低開発国援助が世界の安定と繁栄に不可欠であるとの認識に立ち、とくにわが国自身の安全と繁栄に直接の関連をもつアジアの低開発諸国に最重点をおいて、経済協力を進めてきた。一九六三年(歴年)中に、わが国が賠償、技術協力、円借款、輸出信用、民間投資等の形で低開発諸国に供与した資金の総額は二億六千五百万ドルであった。一九六三年には、一九六二年に比して、政府べースの直接借款は著増したにもかかわらず、民間輸出信用が激減したため、総額において一千七百万ドルの減少となった。前記二億六千五百万ドルの総額の中約七割はアジア諸国向けであった。
一九六三年に、わが国は資金協力の面では、前に述べたような国際協調を軸として、インド、パキスタンに対し新たな円借款を供与し、インドネシアに対し緊急援助を行ない、またビルマとの間に無償経済技術協力協定を締結した。
さらに国内的措置としては、輸銀、基金による投融資業務の弾力化および拡充をはかるとともに、民間投融資促進のための税制上の優遇措置等をとった。
技術協力の実績は、一九六二年の三・六百万ドルから六三年には四・四百万ドルに増え、研修員の受入れ、専門家の派遣、海外技術訓練センターの設置、開発調査実施等の面での協力が拡大強化された。技術協力の分野においても重点はアジア諸国に向けられた。
このように、わが国は一九六三年においても、ひきつづき援助努力を行なってきた。今後開放経済体制のもとでさらに経済成長を達成してゆかなければならないわが国としては、社会資本の充実、産業構造の再編成等なお解決を要する多くの問題をかかえていることはいうまでもないが、他方、アジアの一国として戦前数十年間に目ざましい近代化をとげ、さらに最近数年間に記録的な経済成長をなしとげてきたわが国に対する低開発諸国の期待と要請は非常に大きく、とくに、国連貿易開発会議を契機として、わが国をはじめ先進諸国に対する協力要請は今後ますます強力かつ具体的となるものと予想される。