北米との貿易問題

 

1 対米貿易の現状

わが国の対米貿易は、一九五九年にいたり輸出が大幅に伸張したため、為替実績で輸出一〇億六千五百万ドル(前年比四七%増)、輸入九億五千三百万ドル(前年比九%増)と、戦後はじめて日本側の出超を記録した。しかしこの輸出増大の傾向は、一九六〇年に入ってからは次第に弱まり、ことに同年下期は米国の景気後退の影響をうけ、年間為替実績で一一億六千万ドルと前年に比し九%増にとどまったのに対し、輸入は大幅な増大傾向をみせ、年間実績で一三億六千三百万ドルと前年に比し四三%増となったので、再び日本側の輸入超過となった。

この傾向は一九六一年に入ってからも続き、輸出が依然停滞したのに反して、輸入は日本国内における旺盛な設備投資の影響などにより大幅に増加したため、年間為替実績では輸出は一一億二千四百万ドルで前年比三%減(通関実績では一〇億五千一百万ドルで前年比三%減)となったのに対し、輸入は一九億七千八百万ドルで前年比四四%増(通関実績では二〇億七千九百万ドルで前年比三四%増)となったので、前年よりもはるかに大幅な日本側の入超を記録した。

これを品目別にみると、輸出では魚介類、人絹織物、ミシン、ラジオ、光学機械などが増加したが、絹織物、スフ織物、衣類、玩具、合板、陶磁器、鉄鋼などが減少し、輸入では小麦が減少したほかは各品目とも増加し、なかでも綿花、鉄鋼くず、石炭、原皮類、大豆、機械などの増加が著しかった。

今後の対米貿易は、米国景気の上昇傾向により、ある程度の輸出増大が期待される。

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2 米国における対日輸入制限運動

(1) 一九六一年の米国における輸入制限運動は、綿製品賦課金問題をはじめ、各種の動きがみられたが、幸い同年中に実際に輸入制限措置がとられたものはなかった。(しかし、本年三月に至り、わが国を主要輸出国とするウィルトン・カーペットと板ガラスの二品目につき関税引上げの措置がとられた)。

(2) まず議会における動きをみると、昨年の第八七議会第一会期では、「低賃銀国からの商品に対する輸入制限法案」(キーティング法案)のほか、えび、貝類、合板などに対する輸入制限法案が提出されたが、いずれも成立するに至らず、本年の第二会期に継続して審議されることになった。

(3) つぎにエスケープ・クローズ調査やダンピング調査など、行政機関の手続による輸入制限の動きをみると、一九六一年、関税委員会によるエスケープ・クローズ調査の対象となったわが対米輸出品目には、プラスチック・レインコート、野球グローブおよびミット、テニス・ラケット、モザイク・タイル、スフ綿(レーヨン・ステープル・ファイバー)、板ガラス、ロールド・ガラス、ウィルトン・カーペット、洋傘、洋傘骨などがあったが、これらのうち関税引上げの勧告がなされたのは、野球グローブ・ミット、モザイク・タイル、板ガラス、およびウィルトン・カーペットの四品目であった。

これら四品目については、大統領の命令により、さらに再調査が実施され、それにもとづく再調査報告が提出されて、大統領の最終決定がまたれていたが、一九六二年三月十九日大統領は、野球グローブ・ミットおよびモザイク・タイルの二品目については国内産業に重大な被害なしとして関税委員会の勧告を却下した。

しかしウィルトン・カーペットおよび板ガラスの二品目については勧告どおりの関税引上げの措置をとった(その結果、ウィルトン・カーペットは二一%から四〇%、また、板ガラスはカテゴリーによって異るが、八○%増の関税引上げとなる)。

アンティ・ダンピング法違反容疑にかかる財務省の調査については、一九六一年は真空管、ミート・サモミターおよびレーヨン・ステープル・ファイバーの各品目がそれぞれ調査をうけたが、調査の結果、いずれもダンピングの事実はないと判定された。現在調査中のものは、レーヨン・ラベル、白色セメントおよび電解マンガンの三件である。

(4) その他の主な輸入制限の動きとしては、国防条項(互恵通商協定法第八条)による調査と農業調整法第二二条による調査とがある。国防条項によるOCDMの調査(輸入が米国の安全を害するほど多量に行なわれるときには、申請により民間国防動員局長官は右の事実を確認するため調査を行ない、大統領は同長官の報告に基づき輸入を制限することができる)については、トランジスター製品が一九五九年十月以来、また、綿、毛、絹などの繊維製品が一九六一年六月以来、それぞれ調査をうけている(農業調整法第二二条関係については別項参照)。

(5) なお、一九六〇年二月にはじまった米国既製服労働組合の日本製既製服に対するボイコット問題は、一九六一年四月のポトフスキー労組会長のボイコット撤回声明によって一応解決した。

(6) 以上のように、一九六一年は実際に輸入制限措置がとられたものは一件もなかったが(ただし、本年三月に、ウィルトン・カーペットおよび板ガラスについて輸入制限措置のとられたことは前述のとおり)、これをもって米国における輸入制限運動が弱まってきたとみることはできない。かえって米国の輸入制限運動は、次のような傾向によりその激しさを加えつつあるといえるのである。すなわち、

(イ) 米議会内の活動を中心とする保護貿易派の勢力は、例えばデント小委員会(輸出入の雇用に及ぼす影響を調査する小委員会)の活動にみられるように、最近は一段と強力になりつつあること、

(ロ) これまで米国政府の自由貿易政策を支持してきた労働組合の内部でも、最近は保護貿易的な色彩を強めてきているものがあり、ことに昨年のシカゴ地区労働組合の日本製電子機器に対するボイコット問題や前述の日本製既製服に対するボイコット問題にみられるように、直接行動に出ようとするものもあること、

(ハ) 従来、自由貿易的勢力が比較的強いとみられていた南部地方においても、近年は自由貿易政策に対する批判的な傾向がめばえ、例えば一九六一年九月の第二七回南部諸州知事会議での輸入制限に関する決議採択にみられるように、保護主義的な動きが活発化してきていること、

などである。さらに、これらの傾向に加え、一九六二年は貿易拡大法案が米議会で審議されることになっているので、議会内外の保守勢力および輸入制限論者は、この機会を利用して、同法のねらいとする大統領に大巾な関税引下げ権限を与えることに反対するのみならず、積極的に各種の輸入制限条項の新設を提案するものとみられている。

政府としては、このような輸入制限運動の活発化を防ぎ、長期的な対米輸出振興をはかるために、輸出秩序の整備強化に努めるとともに、他方、在外公館を通じて米国政府と意見の交換を行ない、また、米議会、業界、団体等との接触や米国市場の調査、対米啓発などを行なわしめている。

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3 綿製品をめぐる日・米貿易問題

わが国は一九五七年より綿製品の対米輸出につき自主規制を行なってきた。その結果米国の綿製品の輸入は一時安定し、米国業界により輸入制限運動もほとんど行なわれることはなかった。

しかるにわが国が自主規制をしている間に香港等の諸国がその間げきをぬって対米輸出を急増せしめたので、米国業界による輸入制限運動は一九六〇年(米国の綿製品輸入が最高に達した年)頃には極めて強力に展開された。この年に大統領選挙が行なわれたが、たまたまケネディ民主党候補は繊維産業の一中心地たるマサチューセッツ州出身であり、また最近繊維産業の中心地となった南部は民主党の地盤であったので、繊維産業を輸入から保護すべき国内政治上の要請が加わってきた。

このためケネディ大統領は就任以来繊維問題については積極的に対策を講ずべく閣僚級の繊維対策委員会を設置して対策を検討せしめていた。その結果同委員会の結論に基づき一九六一年五月二日大統領は繊維対策七項目を発表して、繊維産業の特別な保護を行なうことにふみ切った。

この繊維対策の第六項は国務省が国際的取極により繊維の輸入を規制するよう努力すべきことを述べているが、国務省はこれに基づいて一九六一年七月ガット主催の下に綿製品の関係輸出国および輸入国の参加を求め、とりあえず一九六一年十月に始まる一年間の輸入を一定レベル(米国の一九六一会計年度)に抑えんとする短期取極の締結に成功した。

わが国としては一九五七年から自主規制しており、とくに米国内で問題を起していないのであるから、この問題は香港その他の諸国の輸出の急増のため生じたわけで、いわばわが国は巻きぞいを食ったことになる。よって、従来のわが国の秩序ある輸出の実績にも鑑み、わが国として前述のレベル(一九六〇年のわが国の対米輸出実績に比し約一〇%低く、わが国の輸出実績も六〇年の枠に比し約八六%にすぎなかった)に制限されることは、衡平の原則からみて公正な待遇をうけることにはならないので、一九六一年八月東京において米国政府と折衝した結果、わが国の過去の自主規制をある程度加味した二国間取極を一九六二年の輸出枠につき結ぶこととなった。このような背景で成立したのが日米綿製品取極である。

日米綿製品取極は、一九六二年の輸出枠を二七五百万平方ヤードにすることを規定しているが、これは一九六〇年枠(二四七・二百万平方ヤード)に比し一一・二%の増加であり、また他国が短期取極に基づき、規制される米国一九六一会計年度のレベルに比し四三・二%の増加となっている。このようにわが国としては他国に比しある程度有利な取極を締結することができたわけである。

米国は前述のとおり短期取極の締結に成功したが、その期限はあくまで一年に限定されているので、一九六一年秋から長期取極の締結のために各国の協力を要請していた。わが国も綿製品貿易の秩序ある発展という大局的見地から長期取極に協力の態度をとるに至った(長期取極については別項参照)。

このような情勢の下に一九六一年十一月二十一日ケネディ大統領は綿製品の輸入に対する賦課金(ポンド当り八・五セント)の実施の可否につき関税委員会に調査を命じた。

これは繊維対策第四項に基づく措置であると考えられるが、もし賦課金が課せられればわが国の対米輸出に極めて重大な影響を及ぼすことになる。わが国としては自主規制、短期取極等を通じてつねに米側に協力的態度をとってきたが、賦課金はこのような態度に報ゆる所以ではないとして、直接米国政府に対し善処方申し入れるとともに、他方ガット・国際綿花諮問委員会等の国際的な場においても諸国の同調を得て米国に対し善処方申し入れている。また長期取極の会議の際にも、もし米国が賦課金を実施すればわが国として取極を受諾することはほとんど不可能である旨明らかにしている。

賦課金問題に関する関税委員会の公聴会は一九六二年二月十三日から約十日間開催され、わが国業界もその代理人を通じてその意見を強く開陳した。関税委員会の結論は五月頃には大統領に提出される予定であるが、本問題の帰趨はわが綿製品の対米輸出にとり極めて大きな影響を与えずにはおかないと思われる。

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4 米国海事法改正法の成立

(1) ボナー米下院議員が一九六一年の米議会に提出した米海事法改正案は、同年九月二十五日議会を通過し、十月三日大統領によって署名された。この改正法は、国際航路安定のための手段である二重運賃制(同盟船のみを利用する荷主または荷受主に対しては、普通運賃よりも一割程度低い運賃を適用する制度)を一定の条件のもとに合法化するとともに一他方、海運活動ことに海運同盟の活動に対しては規制を強化することを目的としている。

(2) 改正法の当初の原案は、二重運賃制を合法化するについても過当な制限を設けるほか、運賃率の決定について新たな規制を加え、また、海運業者に対し、米国外に所在する文書を含めて米海事委員会が要求する文書を提出すべき義務を課すなど、きわめて規制的色彩の強いものであった。

すなわち、

(イ) 元来、二重運賃制は、同盟の盟外船対策として広く認められた国際慣行であり、盟外船の進出を排除することによって航路の安定をはかることを目的とするが、改正法案は、「盟外船を排除することを意図し、または排除するおそれのある二重運賃制は、承認されない」と規定して、事実上この制度の実施をきわめて困難にしていた。

また、

(ロ) 国際海運の運賃率は国際的な性格をもつもので、一国の商業上の理由によって決めらるべきものでないが、改正案によれば、米海事委員会は運賃率の設定について規制を加え、同盟運賃が米国の通商を阻害する程度に高いかまたは低いと判断された場合には、その運賃を不許可となしうる旨が定められていた。

さらに、

(ハ) 海事法二一条による文書提出命令の効力が米国外に所在する文書にまで及ぶか否かの点が、従来諸外国との間で争われてきたため、改正法案では、米海事委員会が海運業者に対して要求する文書は「その所在のいかんを問わず」提出せねばならない旨の規定が追加された。

(3) 以上のように国際海運活動を一方的に規制する内容をもった改正法案に対しては、米国内外の海運界はもとより、わが国や西欧海運各国の政府も挙って反対したため、法案のその後の審議過程において、(イ)二重運賃制の合法化についての「盟外船排除の禁止」規定、および(ロ)海事委員会が要求する文書は、「その所在のいかんを問わず」提出せねばならない旨の条項が削除されるなどの修正が行なわれ、最初の原案に比べれば相当の改善が認められるようになった(もっとも、実際問題としては、各国の反対にもかかわらず、米国は今でも海外にある文書の提出を求めているので、わが国としても依然この米国の措置には反対し続けている)。

(4) しかし、国際海運慣行に反するものとして諸外国が最も強く反対した運賃規制に関する条項は多少の修正を経た程度で存置されたので、わが国はじめ英国その他の海運諸国は再度強硬な抗議を行なったが、それにもかかわらず、改正案はかかる条項を含んだまま成立するに至った。

(5) この改正法の成立がわが海運界に及ぼす影響については、日米間の往航航路に二重運賃制の採用が可能となったことは大きな利益であるが、他方、運賃規制によって国際海運活動の円滑な運営が阻害されるおそれが生じたことは遺憾と言わねばならない。

よって、日本政府としては、今後は米国政府に本法の運用について慎重な考慮を期待するとともに、その実施ぶりのいかんによっては、なんらかの対策を講ずべき必要があると考えられる。

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5 日米貿易経済合同委員会の開催

近年において日米両国間の貿易の拡大およびその他経済関係の緊密化が見られたが、このような日米貿易経済関係をさらに緊密化し、また両国の経済閣僚が相互に直面する諸問題につき、理解を深め、今後の経済貿易問題に関する政策の決定を行なうに際し、これに資することを目的として、両国政府の経済閣僚(日本側は外務・大蔵・農林・通産・労働・経企の各大臣、米側は国務・財務・農務・内務・商務・労働の各長官)よりなる日米貿易経済合同委員会を設置したい旨の提案が、一九六一年六月池田総理大臣が訪米した際、米国政府より行なわれた。このような委員会を設け相互に意見および情報を交換することは今後両国の経済貿易関係の緊密化にとり極めて望ましいので、右の米側提案に対しわが国も賛意を表した結果、交換公文により委員会の設置を正式に合意した。

日米貿易経済合同委員会の第一回会議は一九六一年十一月二日から四日までの三日間前記の各大臣(ディロン財務長官のみ欠席のためファウラー次官が出席)の出席を得て箱根で行なわれた。

第一回委員会は議題として次の八つを取り上げた。

一、日米経済の概況と見透し

二、日米両国の財政金融および国際収支事情

三、日米両国における賃金体系および労働の生産性の問題

四、日米間の貿易の拡大と経済関係の促進

五、日米両国と世界の他の地域との経済通商関係の促進

六、低開発国との経済協力

七、一次産品価格安定のための諸提案とその価格の交易条件に及ぼす影響

八、その他

以上の議題につき有益な討議が行なわれた結果、見解の調整が行なわれ、かつ相互の諸問題につき理解が深められた。

委員会は、このように相互の理解を深め今後の両国関係の緊密化に寄与したが、両国の有力閣僚が一堂に会して両国の直面する諸問題につき討議したことは日米国交史上かつてない企てであり、ここにその歴史に新しい一頁をしるすことになったといえる。

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6 対加貿易の現状

わが国の対加貿易は、戦後年々入超を続けており、一九六〇年に至り輸入が小麦および工業原材料を中心として大巾に伸張したため、入超額は通関実績で八四万ドルに達したが、一九六一年に入ってもかかる入超傾向はさらに顕著となり、輸入は為替統計で二億一千五百万ドル、通関実績では二億六千六百万ドル(前年比二八%増)に及んだのに対し、輸出は逆に為替統計で一億二百万ドル、通関実績では一億一千七百万ドル(前年比二%減)にとどまり、入超額は一億四千九百万ドルに達した。

輸入の主たる商品は、大宗を占める小麦のほか、亜麻仁種、鉄鉱石、石綿、アルミニューム、石炭、銅、亜鉛等の工業原材料品であり、これら原材料品はわが国の旺盛な国内帯要に応じて増大の一途を辿っている。他方これに反し、輸出の主たる商品は、繊維・雑貨等の軽工業製品であり、このうち輸出総額の約三分の一がカナダ側の要請によりわが国において輸出自主規制を行なっており、これら軽工業製品の伸張は抑えられ、また重工業製品の進出もはかばかしくなく、対加輸出は頭打ちの状態になってきている。

従って、今後わが国として対加輸出の拡大をはかるためには、輸出商品の多様化をはかり、とくに重工業製品の輸出に一段の努力をはらう必要があろう。

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7 カナダにおける対日輸入制限運動

(一) わが国・対加輸出品に対するカナダ側の輸入制限運動は、景気後退による失業が増大の事情もあり、一層激化してきており、わが国の商品の進出により影響をうけたカナダ国内産業は、カナダ政府にはたらきかけてわが方の輸出規制を要求し、その結果これまで綿織物、繊維二次製品、金属洋食器、合板およびゴム靴が日加両国政府間の交渉の対象となってきていたが、とくに昨年においては、前記の品目のほかに新規にナイロン織物、ディシュタオル、婦人用ドレス手袋、人造繊維リボン、ポリエステルボタン、ビニール・レインコート、トランジスター・ラジオおよび真空管が協議の対象に加えられた。

昨年の両国政府間交渉は、新規に交渉の対象品目が増加したうえ、カナダの景気後退、さらに深刻化した失業増加の問題があり、彼我の主張の懸隔は甚だしく、難航を極め、五月十五日に至りようやく妥結するに至った。なお、本年の規制数量枠については、昨年十一月からオタワにおいて交渉中である。

カナダは、わが国がカナダ側の規制要求に応じないときは、任意評価権(輸入が国内産業に被害を与え、または与える虞れがある場合、当該輸入品の関税賦課の価額を任意に高額に評価しうる制度)を発動するとの態度をとっているが、わが国としては、秩序ある輸出の実施につとめ、任意評価権の発動を回避し、話合いにより問題の解決をはかりたい考えである。

(二) 最近わが国の対加輸出品のなかで、ダンピング容疑による公正市場価格の調査を受ける商品が増加している。この調査は、在京加大使館の調査官がわが国において直接に国内販売価格、または生産費等の調査を行なうこととなっているが、最近六〇年十月から六一年末までにカナダ国税省が調査を行なうこととしたものは、トランジスター・ラジオ、野球グローブ、ベアリング、カメラ、ゴム底布靴等二十四品目にのぼっている。

わが国としても数量的に秩序ある輸出取引の確立をはかるとともに、価格的にも安定した輸出取引の実現に努める必要があろう。

(三) カナダ関税委員会は、一九六〇年十月オタワにおいて釘の関税率変更に関し公聴会を開催し、昨年三月ワイヤー釘(税番四三〇C)の関税率を従来の一〇〇ポンド当り五五セントから一ドルに引上げることを勧告し、その結果六月二十三日よりこの勧告どおり関税率が引上げられた。

(四) その他、カナダ政府は、一九六一年度予算において、ラジオ受信機、ラジオ・テレビジョン受信用真空管およびシガレット・ライターの物品税について、最低税率を設定することにより低価格品の税率引上げを実施した。

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ラテン・アメリカとの貿易問題

 

1 日本・アルゼンティン動物衛生協定締結

南アメリカからの偶蹄類(牛、豚、羊)の生肉の輸入は、家畜伝染病予防法により禁止されているが、アルゼンティン政府は、同国の重要輸出品である食肉の新市場をわが国に開拓することを希望し、一九六一年六月わが国との間に動物衛生に関する協定の締結を申し入れてきた。政府は、防疫関係専門家をアルゼンティンに派遣し、口蹄疫およびその防疫対策等について実情を視察させるとともに、動物衛生の問題について、現行法のわく内で可能な方法を検討してきたが、一九六一年十二月、フロンディシ・アルゼンティン大統領来日の機会に、同月二十日両国全権委員である小坂外務大臣とカルカノ外相との間で、日本・アルゼンティン動物衛生協定が署名され、三つの付属書簡が交換された。

この協定は、家畜伝染病の発生についての情報および資料の交換、専門家、研修生の交換、輸入畜産物に対する検査証書の互認、獣医師の資格互認についての行政面での協力を約している。

この協定は、アルゼンティンよりの食肉の買付をコミットするものではないが、アルゼンティン産食肉の新市場をわが国に開拓する第一歩ともなりうるので、本協定の締結は、両国間通商関係の増進に資するものと期待される。

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2 対ブラジル資金援助

一九六一年五月パリで開催された対伯債権国会議の決議の線に沿って、ブラジルの外貨不足に伴う対日債務弁済の困難を救済するためのわが国の資金援助に関し、またブラジルのインフレ昂進に伴うウジミナス製鉄所の建設のためのわが国の追加資金援助に関し、日本政府代表とブラジル政府代表との間で、一九六一年十月二十六日から東京で討議が行なわれた。討議の結果、ブラジルの対日中期商業債務の再融資の目的で、またウジミナス建設計画の資金援助として、わが国はブラジルに八十二億円の資金援助を与えるとの了解が一九六二年一月二十六日成立した。同時に別途ウジミナス当事者間の合意により、ウジミナスの資本金を三十二億クルゼイロから百八十億クルゼイロへ増資すること、および日本側はその四十パーセントを分担することについての了解も併せて成立した。

この結果、わが国がブラジルに供与する外貨総額は約百五十三億円になり、これは約四千二百四十万米ドルに相当する。右援助の一部として一九六二年中にブラジルに与えられる六十三億円の借款は、一九六七年三月から五カ年間に十一回の半年賦で償還される(借款取極の詳細は、輸銀と伯国開発銀行の間で締結される借款協定に規定される)。なお、一九六三年および一九六四年のウジミナス資金計画については、本年末に再検討することとなっている。

以上によって、わが国最大の海外投資であり、ブラジル政府もまた、その遂行に多くの努力を払っている日・伯合弁事業としてのウジミナス建設計画は、順調に遂行されることが期待され、両国間に存在する伝統的友好関係および緊密な経済連繋がさらに増進されることと期待される。

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欧州との貿易問題

 

1 欧州における対日輸入制限運動

欧州諸国のうち、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル等の南欧諸国は、西独、スウェーデン、デンマーク、ベネルックス等の北欧ないし中欧の諸国に比してかなり厳しい対日輸人制限を行なっているが、これは各国政府も、さることながら、その背後にあって、わが国輸出品と競合関係にある国内業界が対日輸入の自由化反対を強く主張しているためであり、かかる業界の動きは多くの場合、わが国の産業、経済、貿易ないし社会の実情を正確に認識しておらず、また日本産品の競争力について過大の不安を抱いていることに基因するものと思われるので、これら諸国と政府間交渉を通じ、わが国との通商貿易関係の是正に努める一方(貿易支払取極関係の項参照)民間業界の人的交流の促進を図ってきた。また主として西独を中心として北欧および中欧諸国向けに経済貿易に関する終発活動を通じて欧州諸国における対日輸入制限の緩和に努力してきたが、一九六二年度より新たにフランスを中心とし、EECの一部ならびにイタリア、スペイン、ポルトガル等の諸国に対し、フランス語による啓発活動を行なうこととなり、活動規模の拡大をみるに至った。

また英国は従来フランスと並んで欧州諸国中対日輸入について最も差別的制限の厳しい国であったが、毎年の貿易取極改訂交渉により逐次対日輸入制限の緩和を行なってきている。しかし英国における対日自由化が進むにつれて、英国産業界の反対運動も激化する傾向にある。これの民間の対日輸入緩和反対は、わが国産業および経済全般に関する認識の不足ないし誤解に基づくところが大きいと思われるので、一九六一年度以降ロンドンを中心として輸入制限運動対策のため、日・英貿易およびわが国経済に関する啓発活動の組織的強化を図り、着実な効果を収めつつある(日英政府間交渉の進展については貿易支払取極関係参照)。

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2 日・墺貿易の正常化

一九六一年十一月二十七日ジュネーヴにおいてガット会議出席中の藤山大臣と、ボック通商復興大臣との間に日・填通商関係正常化について話合いが行なわれ、その結果、一九六二年三月頃政府間の貿易交渉を行なうことおよび、右に先立ち同交渉促進の見地より両国の業界会談を開催することについて了解が成立した(業界会談については下記3参照)。

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3 業 界 会 談

 (1) 日・独陶磁器業界会談

一九六〇年の日・独貿易協定交渉の際、わが方の対独陶磁器輸出に関し、独側から政府間の交渉以外に両国間関係業界の会談開催につきわが方の協力を求めてきたので、わが方もこれに同意し、日本側関係業界に対し日・独業界会談実現方につき斡旋した。その結果、まず一九六一年五月、ゼルトマン博士を団長とする西独陶磁器業界代表団一行十二名が来日、約二週間滞在中名古屋において業界会談を行ない、独向け輸出陶磁器の図柄の問題等について意見交換を行ない、一部の原則的な了解に達したほか、ドイツ代表団のわが方陶磁器工場見学等両国業界の接触により多大の成果をあげた。

次いで同年九月、わが方陶業界では曾根団長以下七名の代表者よりなる代表団を欧州諸国に派遣、ドイツにおいてはゼルプで業界会談を行ない、前回名古屋におげる業界会談において残された問題についてさらに意見の交換を行なったほか、ドイツ陶磁器工場の見学などにより、両国業界の接触を深めた。

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(2) 日独繊維業界会談

ドイツ政府は、過般行なわれた陶磁器業界会談の成果にもかんがみ(前記(一)参照)さらに非自由化品目たる繊維製品の対日輸入問題について日・独業界の会談開催を要望した。よって一九六二年二月ジュネーヴで開催された繊維国際会議に出席したわが方繊維業界代表者が、繊維国際会議終了後、同地でドイツ側業界代表と会談することとなった。

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(3) 日・墺業界会談

日・墺貿易正常化に関する藤山大臣とボック通商復興大臣との間の了解に基づき(前記日・墺貿易正常化の項参照)わが方ではオーストリア経済界の重鎮マイヤーグントホーフ氏ほか有力者数名をわが国に招待し、経済関係各界と接触会談せしめるほか産業施設を視察せしめ、もって対日認識を新たならしめることが、今後の日・墺通商関係の発展に極めて有効であるとの見地から、一九六一年末以来在オーストリア内田大使を通じ折衝を続けてきた。その結果マイヤーグントオーフ氏ほか六名の業界代表者が一九六二年四月中旬来日することに決定した。

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4 欧州経済共同体(EEC)との関係

(後述、対外啓発活動関係の2、貿易経済関係要人の来日(6)EEC委員会対外関係担当ジャン・レイ委員の来日の項参照)

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アジアおよび大洋州との貿易問題

 

1 東南アジアからの外米輸入問題

わが国の米の生産高は、毎年豊作を続けており、このため外米輸入の依存度は急激に低下している。一九六一米穀年度(一九六〇年十一月~一九六一年十月)においても、前年度の史上最高の産米記録に近い豊作を示したため、外米輸入交渉は、困難な局面に逢着した。わが方としては、国内の需給上の必要と対外通商上の要請を調整しつつ、買付量が国内需給計画を上廻る場合には、仲介貿易によって第三国に売却処理するとの方針の下に買付交渉を行なった。この結果、一九六一米穀年度における外米輸入交渉は、一九六〇米穀年度の契約量二十九万九千五百トン(ただし、この数字は一九五九年度日華貿易計画に基づく台湾米の契約数量十五万トンを含む)に対し、左記のとおり七万九千トンを買付けることにより円満妥結をみた(第五号参照)。

普 通 外 米

ビ ル マ    一万トン(うち四千トンは仲介輸出分)

タ   イ    三万二千トン

ヴィエトナム   七千トン

カンボディア   なし

          小計 四万九千トン

準 内 地 米

台   湾    三万トン

韓   国    なし

          小計 三万トン

           合計 七万九千トン

なお、一九六二米穀年度の買付交渉については、タイ・ビルマ等の諸国の米の売れ行きは盛況で、これら諸国は通商外交上わが国が米を買付けることは望ましいとする基本的態度は堅持しながらも、例年のようにわが国に対し強く買付を要求するということはなかった。しかし、価格・品質等の条件については各国共それぞれの提案を固執して譲らなかったため交渉は意外に難航した。一九六二年三月末現在における買付状況は次のとおりである。

交渉妥結のもの

ビ ル マ(二万トン-普通外米)

タ   イ(六万トン- 〃  )

台   湾(五万トン-準内地米)

交渉中のもの

韓国およびカンボディア

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2 日 韓 貿 易

 (1) 日韓清算勘定残高問題の経緯

(イ) 日韓貿易は、米国のAID資金による韓国向け輸出および円貨建エスクロ信用状を利用する求償貿易等特別な場合を除き、一九五〇年六月二日に署名された日・韓貿易協定および金融協定に基づいて米ドル建清算勘定を通じて決済されるのを原則としているが、朝鮮事変の影響もあって、日本側の清算勘定上の貸越残高は、一九五三年頃から急増し、一九五四年には約四、七〇〇万ドルに達した。しかし韓国側は、一九五三年七月分以降のものについては勘定残高の現金決済を履行せず、他方において対日輸入権制度を実施したため、その後同勘定に四千万ドル余にのぼる金額が、いわゆる対韓焦付債権として残された。一九六一年二月二日に韓国政府が貿易為替管理制度改正の一環として、前記の対日輸入権制度を廃止した機会に、両国交渉の結果、四月二十二日に「日韓清算勘定残高の決済等に関する書簡」が交換された。(第五号一九七頁参照)

(ロ) 右交換書簡において、韓国政府は、一九六一年一月末日現在の清算勘定残高四、五七二万九千ドルを確認し、その早期決済に妥当な考慮を払うとともに、二月一日以降新規に発生する債務を現金により決済することを約しており、その後韓国側はこの取極にしたがって現金決済を履行している。一九六一年二月分より十二月分までの韓国側現金支払額は、累計一、二五四万九千ドルにのぼっている。両国政府は、さらに前記書簡において、できるだけ早い機会に清算勘定を廃止して全面的に現金決済方式に移行するため、現行金融協定を終了せしめることに同意している。

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 (2) 韓国産品買付問題

なお、日本政府は、右書簡において、韓国産品の輸入増大のため、その権限の範囲内で適当な措置を講ずることを約している。現在韓国側が日本側に対し、新規もしくは増加買付を要請している韓国産品は、米をはじめとする農産物、牛、豚等の畜産物、のり、鮮魚等の水産物、タングステン、無煙炭等の鉱産物であるが、金額にすると年間約三、○○○万ドルに達するものとみられる。日本側としても対韓輸入増大のためできる限りの努力を払ってはいるが、韓国側の要請品目の中には、日本の同種産品と競合し需給上買付困難なもの、また日本国内で市場性の乏しいものも含まれており、早急な解決は困難な事情にある。

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3 日本・インドネシア第三次米綿委託加工取極の締結

一九六〇年十一月五日米国とインドネシアとの間に締結された余剰農産物協定に基づいて、インドネシアが自国通貨で購入する米綿(三四○万ドル)のうち、二〇〇万ドルをわが国からインドネシアに輸出する綿糸の原綿代として引当てる(加工賃はインドネシアがスターリング貨で支払う)米綿委託加工取引のための第三次取極交渉は、一九六〇年十一月よりジャカルタでインドネシア政府との間で行なわれていたが、その取引の条件および方式に関し両国政府間に最終的に意見が一致し、一九六一年五月九日黄田大使とスイート外務次官の間で回収極の署名が行なわれた。

この取極に基づいて、わが国の綿糸輸出額は、約五七〇万ドルに達し、インドネシア向繊維品輸出増大に寄与するところがあった。

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4 日本・ビルマ第二次米綿委託加工協定の推移

一九五八年十一月十九日、日緬間に締結された第二次米綿委託加工協定に基づき、わが方は綿糸布合計約一、三二○万ドルを輸出したが、ビルマ側の手違いにより、原綿代約一一一万ドルが未払いとなっていた。ビルマ側は一九六〇年十月右のうち五〇万ドルを現金で返済したのみで、残額の約六一万ドルについてはなお未払いとなっていたところ、一九六一年六月ビルマ側は漸く、右残額に相当する米綿をもって決済したので、わが方の第二次ビルマ米綿委託加工取引は事実上終了をみるに至った。

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5 ニュー・ジーランドの対日ガット三十五条援用撤回

わが国とニュー・ジーランドとの貿易は、一九五八年に締結された両国間通商協定の円滑な運用によって輸出入とも年々拡大しているが、ニュー・ジーランドは依然ガット三十五条をわが国に対して援用し、わが国とガット関係に入ることを拒否してきた。しかるに一九六二年二月末第十八回エカフェ総会出席のため来日したマーシャル同国副総理とわが政府との間に貿易拡大について討議が行なわれた結果、ニュー・ジーランドは日本に対するガット三十五条援用を速やかに撤回することとなり、三月九日付で小坂外務大臣と同副総理の間にこの旨の公文が交換された。この交換公文は、ニュー・ジーランドがガット三十五条の対日援用を撤回することを明らかにするとともに、特定商品の輸出が輸入国の産業に重大な損害を与え、または与えるおそれがある場合には原則として協議により解決すること、および事前協議を行なう時間のない場合にはガットの規約に則して輸入制限措置をとり得ることを規定している。また別途の交換公文では、両国間の完全なガット関係の確立とともに両政府はなるべく早く関税交渉を開始すること、またその際ニュー・ジーランド側は羊肉について日本側の現行関税率の据置きを要請し、日本側はそれに見合う代償としてとくに魚介かん詰等に対するニュー・ジーランド側の関税率据置きを要請し、相互にこれら要請に応じあうことを認めている。なお、両国間に完全なガット関係が成立することに照応して現行通商協定を改正する議定書の署名も行なわれた。

ニュー・ジーランドのガット三十五条援用撤回は、今後の両国間貿易の拡大ならびに友好親善関係の緊密化に寄与するものであることはもとより、他の三十五条援用国、とくに英連邦内諸国に及ぼす影響も少くないと思われる。

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中近東との貿易問題

 

1 対日輸入制限と一次産品買付問題

中近東地域においては、国内産業の未確立、経済開発計画の推進、外貨事情の悪化等の理由から、輸入制限、為替管理、関税等により輸入の抑制を図っている国が多いが、就中イラン、イラクおよびレバノンは、対日貿易の不均衡、国内産業への脅威等の理由で、とくにわが国に対し差別的な輸入制限措置をとっている。

わが国の対中近東貿易の発展を期するためには、かかる制限の撤廃を図る必要があるので、一九六一年においても、国別の事情に応じ、貿易協定交渉、一次産品買付促進、経済技術協力等により事態の改善に努めた。

当面とくに農産物、鉱産物等一次産品の買付増大は、中近東諸国の最大の要望事項であり、わが国の買付量が少ないことが各国の対日輸入制限の主たる理由となっているので、今後対日輸入制限撤廃の方向に進むための方策の一つとして、これをさらに促進することが要請されている。とくにイラン、イラクについては、前述の対日輸入制限状況等からいっても、緊急性を有するものといえる。問題は、これら諸国の産品が、わが国の需要に合致しないか、品質、価格において国際競争力のないものが多いところにあり、上記両国については、わが業界は、輸出入調整を実施して、割高産品の買付を促進する措置をとっているが、なお先方の要求には十分応じがたい状況にある。

(1) イ ラ ン

戦後わが国の対イラン輸出は順調に伸び、年間約五、○○○万ドルの規模に達したが、他方イランよりの輸入については、イランがその貿易為替管理制度下にないとの理由で貿易統計から除外している国際石油合弁会社よりの石油買付のほかは、イラン産品が、わが国の需要に合致しないかまたは他国産品に比し割高なため、棉花・羊毛等年間約四〇〇万ドル程度を輸入するに過ぎず、両国間の貿易は、わが国の一方的出超となっている。

イラン側は、これを不満とし、一九五九年十月、綿織物、毛織物、化繊織物、陶磁器、鉄鋼資材、プラント部品の六品目を除く全品目の対日輸入を原則として禁止し、対日輸出との、バーターによる場合のみ輸入を認めることとした。この措置が、一九六〇年十月、貿易取極成立とともに撤廃された後、わが国は回収極において一、二〇〇万ドルのイラン産品買付努力目標を設定した関係もあり、業界の自主的な輸出入調整の実施により極力買付促進に努めたが、一九六一年に至り、主要イラン輸出品である乾ぶどう、原綿、羊毛等が相次いで自由化されたことが原因し、同協定年度間におけるわが国の輸入は輸入目標を大きく下廻る三三〇万ドル余にしか達せず、同取極の期限到来と同時に、イラン側は前記対日制限を復活した。

なお、わが方は一日も早く両国間の貿易関係を正常化するため、目下新貿易取極の締結につきイラン側と交渉中である(貿易支払取極関係の項参照)。

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(2) イ ラ ク

イラクは国際石油資本たるイラク石油会社により売られる同国産の石油の輸出を同国の貿易為替管理制度下にないとの理由から、貿易収支から除外しているので、同国より石油以外のものの買付はほとんど行なっていない。わが国との貿易を極端な片貿易とみなしている。同国は、とくに一九五八年、石油に次ぐイラクの主要輸出品たるデーツ(なつめやしの実)の買付を強くわが国に要求し、その十分な買付が行なわれないことを不満として対日ライセンスの発給を停止した。

わが国業界は翌年デーツ買付に努力し、レーヨン織物・自転車・ゴムタイヤ、チューブ・扇風機・すべての機械類・ガラス製品・陶磁器等二十数品目については対日輸入制限の解除を見るにいたったが、政府も一九六一年六月工業原料用デーツの輸入関税を引下げる等の努力を行なった。かかるわが方の努力にもかかわらず、イラク側はさらに同年八月に至って食用デーツ輸入制限撤廃等を強硬に要求するとともに、デーツ買付のため本邦業界の実施している輸出入調整に不満を表明してきたので、現在食用デーツに対してわが国の需要のきわめて少い実情およびデーツ買付のためにわが業界の現体制が必要な所以を詳細に説明する等先方の説得に努めている。

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(3) レ バ ノ ン

レバノンは、現在輸入制度の面では自由化されているが、関税面ではわが国に対してのみ繊維製品等三六品目について差別的高関税を課している。この差別関税の沿革を辿れば、一九四一年わが国が国際連盟の非加盟国であることを理由に、適用されたものであるが、その後一九五七年五月に撤廃された。しかし、わずか一ヶ月後国内工業保護を理由に一部品目を除き再び復活された。しかし差別品目中には国産できないものも含まれており、きわめて不合理な差別待遇であるので、わが方よりその撤廃を要請している。レバノン政府も本件を検討中であるが、国産できる品目についてはなお差別を残したい意向を有している模様であり、今後とも先方の説得に努めるとともに、他方経済技術協力等貿易環境の改善に資するわが方の努力を積極化するよう努めている。

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(4) アフガニスタン

アフガニスタンの主要産品は乾果物、羊毛等である。これらはわが国の需要に合わないか他国の産品に比して割高なため、両国の貿易は、わが国の極端な出超となっているが、アフガニスタン政府は、一九六〇年以来、同国に対する出超の著しい国からの繊維品および茶の輸入については、乾果物とのバーターの場合のみ認めるという制限措置をとったので、わが国の輸出はとくに大きな打撃をこうむった。このため政府は、業界の協力を得て、同年十月中近東向け一次産品買付調査団を派遣して、乾果物買付増大の可能性につき調査を行ない、その結果に基づいて、乾ぶどう)の買付を実施し、また技術協力の面で小規模工業技術センターの設立を約する(技術協力の項参照)等の措置をとったので、アフガニスタン政府は輸入制限を緩和するに至った。しかし一九六一年一月実施された乾ぶどう)の自由化のためアフガニスタンに対する片貿易は、現在一層甚しくなってきているので(一九六一年の実績は日本の輸出額七〇〇万ドル余、輸入九〇〇〇ドル)同国産品の買付を業界に強く慫慂する等の努力を行なっている。

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2 日本・アラブ連合貿易実績検討会議開催

わが国とアラブ連合(エジプト州)との貿易関係は、一九五八年十一月締結され、その後引続き毎年更新されている日本・アラブ連合貿易取極によって規制されているが、この取極の規定に基づいて、年間の両国貿易実績の検討を行なうため、ハムディ経済次官補を団長とするアラブ連合側代表団を迎えて十月二十五日より同月三十一日の間東京において会合を行なった。

本会議において両国代表は、本取極年度における貿易実績の検討を行なって、最近の両国貿易は減少傾向にあり、貿易の拡大を図る必要があるとの認識について意見の一致を見るとともに、貿易拡大を阻害している要因について具体的かつ卒直に意見の交換を行なった。

またわが方よりは、貿易自由化に伴ってアラブ連合の対日輸出は主としてアラブ連合側の輸出努力に依存することとなったことを説明し、アラブ連合が最近行なった一連の貿易体制の変革が両国貿易に及ぼすべき影響について説明を求めた。アラブ連合側よりは同国における棉花輸出の国営化および単一輸出価格制の採用、輸入商社の統合および指定等の新貿易制度を説明するとともに、同国が外貨不足に対処するためバイラテラルな貿易バランスの達成を望むものであるとの見解を明らかにした。

アラブ連合側は、今後の両国貿易拡大の構想としてとくに両国中央銀行相互間のクレディット・ファシリティーの設定および、輸出入努力目標の設定を提案してきたが、わが方としては貿易・為替自由化政策のもとではそのいずれをも制度的に行ない難い旨を説明した。

結局、両国代表は、両国貿易の発展のために、それぞれの貿易制度の範囲内において、両国の輸出入業者が将来の貿易の発展に信頼をもち得るような環境の育成に努力する必要があることに意見の一致を見た。

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共産圏との貿易状況

 

わが国は貿易立国を国是としており、相手国が共産主義国であれ取引が政治的要因を交えず、コマーシャル・ベーシスによって行なわれるかぎり、原則としてこれとの貿易関係を促進していくことを対共産圏貿易における基本方針としている。このラインに沿って政府と関係業界は数年来努力しており、共産圏貿易の実績は年々向上している。

すなわち、通関統計によると一九六一年度の対共産圏貿易は輸出一億三〇万ドル、輸入二億一、七一一万ドル、合計三億二、〇二一万ドルに達しており、これを一九六〇年度と比較すれば輸出二、九七四万ドル、輸入九、二一九万ドル、総額において一億二、一九三万ドルそれぞれ増加を示している。

共産圏のうち主要な国はいうまでもなく、ソ連および中共である。対ソ貿易の近年の伸張はとくに目覚しく、一九六〇年度輸出五、九九七万ドル、輸入八、七〇二万ドルに対し、一九六一年度は輸出六、五三六万ドル、輸入一億四、五四一万ドルとなっている。

これは日ソ両国が地理的に近接していること、一九六〇年三月には長期(三カ年)貿易協定が締結されたこと、わが方が一昨年夏モスクワで大規模な日本産業見本市を開催し好評を博したのに対応し、一九六一年夏東京でソ連が商工業見本市を開催した上、これの開会式にミコヤン第一副首相を派遣し、対日貿易に関する積極的熱意を見せていること、彼我貿易関係者、各種調査団、視察団等の往復が頻繁に行なわれていること等々に基づくものと見られる。

他方、中共貿易は一九五八年五月以来中断していたところ、一九六〇年秋頃から再開の動きとなり、現在ではいわゆる変則的な友好商社取引の枠内で行なわれている。

一九六一年の実績は輸出一、六六七万ドル、輸入三、○八八万ドルで、一九六〇年の輸出二七二万ドル、輸入二、〇七三万ドルに比べある程度伸びてきているが、戦後中共貿易の最高潮であった一九五六年の輸出六、七三四万ドル、輸入八、三六五万ドル、計一億五、〇九九万ドルに比べるといぜん著るしく少ない。

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