通商航海条約および通商に関する条約関係
わが国とインドネシア共和国との間の友好通商条約は、一九六一年七月一日東京において池田総理大臣およびスカルノ大統領立会のもと、小坂外務大臣とスバンドリオ外相の間で署名調印が行なわれた。
交渉の経緯
一九五八年四月十五日に締結された日本・インドネシア平和条約の第三条において日・イ両国は「貿易・海運・航空その他の経済関係を安定したかつ友好的な基礎の上に置くために、条約または協定を締結するための交渉をできる限りすみやかに開始すべきこと」を約していたところ、一九六〇年九月スカルノ大統領訪日の際、池田総理大臣との会談において、通商航海条約締結交渉開始につき意見が一致し、引続き、同年十一月二十一日小坂外務大臣よりたまたまコロンボ会議に出席のため訪日中であったスバンドリオ外相にわが方草案を手交したところ、イ側は同草案の早急検討を約した。その後イ側の検討がほぼ終了したのをまって一九六一年四月一日より五月中旬にかけてイ側と予備折衝を行ない、ついで、六月中旬スバンドリオ外相を全権とするイ側交渉団を東京に迎えて交渉を続行した結果、漸く妥結に達し、七月一日東京において本条約の署名調印をみたものである。
条約の内容
この条約は、本文十二カ条および付属議定書、交換公文からなっているが、本文は入国・滞在、内国課税、出訴権、財産権、事業および職業活動、身体の保護、公用収用、為替管理、関税・輸出入制限等両国間の通商関係の維持発展に不可欠な事項に関し、原則として無条件最恵国待遇の許与を骨子としている。また付属議定書においては、隣接諸国に与える利益の最恵国待遇からの除外、会社の定義、著作権、工業所有権の除外を規定し、交換公文では、貿易、海運協力、ならびに、貿易および経済協力に関する合同協議会設置について規定している。
条約の意義
本条約は、戦後わが国が締結した通商に関する条約ないし協定のうちインド、マラヤ、パキスタン、フィリピンに次ぐものであるが、インドネシアにとっては独立後外国と締結する最初の通商条約なので、その点日・イ国交上意義深いものがある。
日・イ間の経済関係は、貿易、経済協力、賠償を通じて年々その規模を拡大し、相互の紐帯が強化されているが、本条約の発効により両国の経済関係は、今後さらに長期かつ安定した法的基礎の上に置かれることとなり、その一層円滑な進展が期待される。
なお本条約の批准については、日本側は一九六一年十月三十一日第三十九国会の承認を得たが、イ側は、各般の国内事情のため批准手続はまだ完了していない。
交渉の経緯
わが国とアルゼンティンとの間には、戦前に締結された修好通商航海条約が戦後復活されていたが、この条約はIMF・ガット等の関連規定を欠いており、また戦後の両国間の通商関係の拡大発展に伴い、必要な諸般の待遇保障を充実する必要があった。このため一九六一年四月から東京において、新しい友好通商航海条約締結のための交渉を行なってきたが、同年十二月フロンディシ・アルゼンティン大統領の来日を契機として、諸懸案の最終的解決をみるに至り、同月二十日小坂外務大臣とカルカノ外務大臣との間で、日本・アルゼンティン友好通商航海条約が署名された。
条約の内容
この条約は、本文十五カ条および付属議定書からなり、有効期間は五カ年であるが、その後も締約国の一方から廃棄通告が行なわれない限り、さらに効力を存続することになっている。
条約の主な内容は、入国に関する最恵国待遇、滞在居住に関する内国民待遇および最恵国待遇、身体の保護、財産の公用収用、裁判権、課税に対する内国民待遇および最恵国待遇、法人への参加、事業活動、自由職業等の遂行に関する最恵国待遇、関税、為替管理に関する最恵国待遇、海運に関する最恵国待遇および部分的な内国民待遇等で、また商事仲裁、技術交流についても規定している。
条約の意義
この条約は、わが国が戦後ラ米諸国と締結した友好通商航海条約としては最初のもので各般の基本的な待遇事項を網羅している。今回の条約締結により、両国間の通商および経済協力が安定した基礎の上に今後ますます発展するものと期待される。
一九六〇年十二月十八日署名された本条約は、所定の手続を経て一九六一年八月二十日発効した。(第五号、一六八頁参照)
交渉の経緯
わが国とペルーとの間には、かつて一九二四年九月に署名され一九三〇年二月発効し、実施されていた修好通商航海条約があったが、一九三五年十月ペルー側の通告により廃棄されたままになっていた。両国間の経済貿易関係は本質的に相互補完的であるが、戦後両国間の基本的な通商関係を律するものとしては、わが国が占領下にあった当時SCAPとペルー政府との間に締結された貿易取極が一九五二年四月の交換書簡により単純延長したものがあるに過ぎなかった。この取極めは両国間の経済貿易関係を律するものとしては充分でなかったので、一九六一年五月におけるペルー国プラード大統領の訪日を機として新たに通商協定を締結するため、同年三月からリマにおいて交渉を開始した。しかるに未解決の諸点を残したまま大統領の訪日となり、東京において同大統領に随行のペルー側代表団との間に交渉を続行した結果、漸く双方の意見の一致をみ、一九六一年五月十五日プラード大統領および池田総理大臣臨席のもとに、小坂外務大臣とペルー側ヒルペック特派大使との間において通商協定および付属議定書の署名ならびに関係書簡の交換が行なわれた。
協定の内容
この協定は、本文九カ条および付属議定書からなり、関税・為替管理・輸出入規則・出入国・旅行および滞在・事業活動・公用収用等に対する最恵国待遇を約している。
海運条項については別途交換書簡でその交渉を行なう旨約している。
この協定は、両締約国の国会の承認を経て批准書の交換が行なわれ次第発効することになっているが、同批准書の交換は一九六一年十二月十八日リマにおいてこれを了した。
協定の意義
この協定により、わが国とペルーとの通商および経済協力の安定した基礎が設けられたわけで、これを契機として両国の経済関係が一層緊密化されるものと期待される。
一九六〇年四月二十二日署名された本協定は一九六一年七月二十日発効した(第五号一六九頁参照)。
一九五七年七月署名された日本と豪州との間の通商協定の当初の有効期間は、一九六〇年七月五日までであり、その後はいわゆる自動延長条項によりいずれか一方が三カ月の予告で廃棄の通告を出さない限り引き続き効力を有しうることとなっている。
両国は、一九六〇年十月協定を改訂するため東京で交渉を行なったが、同交渉においては、両者の見解にかなりのへだたりがあったため、意見の一致を見るに至らず、ために一応、現行協定を翌年の再交渉まで延長することとして、交渉を終了せしめた。
しかし、一九六一年中に予定されていた改訂交渉は、豪側の国内事情もあって開催することができなくなった。したがって、両国間の関係は、いずれか一方が廃棄通告を出せば三カ月で協定を廃止し得るという不安定な状態となることとなった。
このため、豪側は、一九六一年十月貿易省のウェスタマン次官が来日し、わが方と話し合いを行なった。その結果、現行の協定を一九六二年中に再交渉を行なうこととし、それまで延長することについて両者間で了解に達した。
その内容は、正式に書簡として十月二十日在豪太田大使と豪州のメンジス外相との間で交換された。
わが国とエル・サルヴァドルとの間の貿易は、わが方が同国より棉花の買付けを行なっているため大体毎年わが国の入超となっているが、無協定状態のため、わが国は関税上不利な待遇を受けている。よってわが方は機会ある毎にエル・サルヴァドル側に通商協定締結交渉の申入れを行なってきており、一九六〇年四月同国モレノ外務次官が特派大使として訪日の際にも同様の要請を行なった。その後も引続き折衝の結果先方もわが方の申入れに応ずることとなり、一九六一年十二月十八日エル・サルヴァドル側草案をわが方に提示してきたので、一九六二年二月二日在日エル・サルヴァドル国ベネケ公使との間に交渉を開始し、現在継続中である。
一九六〇年十二月九日東京において署名された日比友好通商航海条約(交渉経緯、内容ならびにその意義については、第五号、第一六七頁参照)に関しては、わが方は、一九六一年三月第三十八通常国会にその承認を求めたが審議未了となったので、引続き第三十九国会に再上程し、十月三十一日国会の承認をえた。
比側批准については、ガルシア前大統領は、何分フィリピンにとり独立後初めての本格的友好通商航海条約であるので充分時間をかけて一般国民に本条約の趣旨の周知徹底を図り、一九六一年十一月の比国総選挙終了後一九六二年の通常国会に、承認を求めるものと予測されていたが、総選挙の結果、マカパガル大統領ペラエス副大統領(共に自由党)の当選をみ、政権の交替が行なわれた。マカパガル新政権は、一九六二年一月二十六日・専問委員会に日・比友好通商航海条約の検討を命じた旨明かにした。