五 最近における通商貿易上の諸問題

 

 

通 商 の 振 興

 

第三十八回通常国会において池田総理および小坂外相は、「経済外交の方針は、国民所得倍増計画を目標に、わが国の安定的経済成長を図り、国民生活の繁栄を増進するため、貿易の拡大、とくに輸出の増進にあること」を明らかにした。

わが国は一九六一年四月に原綿・原毛を中心とする大巾な自由化を行ない、自由化率も従前の四四%から六二%に達したが、国内の旺盛な輸入需要を反映してか、五月より国際収支は次第に不調を示し、年間の輸入は五八・一億ドルと対前年比二九%の伸びをみせた反面、輸出は、米国の景気立直りと世界経済の全般的上昇にもかかわらず、四二・四億ドル、対前年比五%の増加にとどまり、外貨準備高は前年末に比較して約三・四億ドルの減少をみて、約一四・九億ドルの外貨準備高をもって越年した。一九六一年の経済外交は、かかる情勢を背景に展開されたものである。

各国、就中新興独立諸国との通商関係が、長期かつ安定した法的基礎の上に行なわれることは、わが国にとり極めて重要なことで、年来政府は、通商航海条約ないし類似協定の締結に心がけてきたが、一九六一年中には、キューバおよびペルーとの通商協定、パキスタンとの友好通商条約が発効し、七月インドネシアと友好通商航海条約を、十二月アルゼンティンと友好通商航海条約をそれぞれ署名し、他方英国、イラン、アラブ連合、エル・サルヴァドルとの間にこの種条約ないし協定締結のための交渉を引続き行なってきた。

また、対日輸入制限の縮少ないし撤回のため、対米、対加輸出規制等の貿易交渉のほかに、わが国の輸出振興あるいは対日待遇改善を目的として一九六一年中にギリシャ、ブルガリア、モロッコ、ハンガリー、中華民国、英国、フィンランド、一九六二年に入り、ローデシア・ニアサランド連邦、フランス、スペインと貿易取極を結び、カンボディア、韓国、フランス、ビルマ、アルゼンティン、スウェーデン、イタリア、ドイツ、ギリシャ等の諸国と取極の延長、交換公文等を行なってきた。

対日差別の撤回は、輸出振興を使命とするわが国経済外交の最大重点の一である。わが国は、ガットの場を通じ、また各種二国間の貿易交渉を通じてその実現への努力を続けてきた。ガットにおいて、わが国は、毎総会の議題として対日三十五条援用撤回問題をとりあげてきたが、一九六一年十一月の第十九回総会において、第十七回総会でわが国の要請により設置された対日三十五条援用状況を再検討する作業部会の報告が採択され、さらに十一月二十七日のガット大臣会議においては、米、加、スウェーデン等諸代表は、わが国代表の要求を積極的に支持し、逆に、わが方に不利な発言を行なう国は全然なく、ようやくわが国の主張の正常性が認められはじめた次第であったが、その後テュニジア、キューバ、一九六二年に入りガーナ、ニュー・ジーランド等が三十五条援用の撤回を表明するに至った。主として先進国による対日制限の改善ないし撤回に関する二国間交渉は、貿易取極の締結、貿易会談、またわが国の輸出秩序の整備努力等と相俟って、着実に事態の改善をみつつあるが、就中一九六一年七月小坂外務大臣訪伊の際、イタリアのセーニ外相が、対日差別撤廃促進を小坂外務大臣に確約したことは注目に価する。

EECの発展は、一九六一年九月英国の正式加入交渉の決定と、その後一九六二年一月、第二段階への移行、および農業共通政策の決定を通じ、順調に進展してきたことが改めて認識されるに至ったが、わが国としてはローマ条約発効以来、ブラッセルのEEC委員会との間に連繋の緊密化を図り、意志の疏通を心がけてきた。

対米貿易については、米国のエスケープ・クローズによる若干の品目の関税引上げ、またわが国の各種品目についての自主規制措置をめぐる輸入制限問題がある。わが国にとり最大の関心事は対米入超の是正であり、前記輸入制限問題やバイ・アメリカン政策等も含め、両国間に介在する問題について、両国間において忌憚ない意見の交換を行なっている。この点については、両国閣僚が会合した一九六一年十一月の第一回日米貿易経済合同委員会の成果は、今後友好協調のもとに両国間の懸案事項を円満に解決して行く上に極めて重要なものであった。また通商協定締結以来わが国の輸出が逐年増大しつつあるカナダにおいては、最近競合する国内産業部門に輸入制限運動が行なわれているが、一九五九年以来わが国は自主規制を行なうとともに、一九六一年十一月より貿易交渉を行なってきている。また同年六月池田総理訪加の際の合意により、とくに両国間の経済分野で共通の利害のある事項について意見の交換を行なうために、一九六二年閣僚級の合同委員会が開催されることになっている。

東南アジア諸国を始めとする開発途上にある国との貿易の拡大については、主としてこれら諸国が第一次産品の輸出に依存する度合が高く、国際市況に影響され、往々にして恒常的な外貨不足に悩まされているので、賠償、経済・技術協力、借款の供与等を促進しつつ、第一次産品の開発輸入ないし買付促進等相手国への購買力を附与することが必要である。一九六一年間を通じ条約・取極の締結、貿易会談、調査団の派遣、貿易使節団の交換、要人の招聘等が行なわれたが、これらも含め、開発途上にある諸国との通商関係拡大に不断の地道な努力をはらっている。

共産圏貿易については、一九六一年二月ブルガリア、四月ハンガリーとそれぞれ貿易取極を結び、東欧三カ国との取極網は完成し、一九六二年ソ連邦と貿易計画の作成に合意をみた。共産圏との貿易拡大については、わが国としては中共をも含め、政治的要因を交えずコマーシャル・べースで行なわれる限り促進することを原則としてきており、貿易額も次第に増加を示している。ことに一九六一年ソ連が東京で大規模な商工業見本市を開催し、ミコヤン第一副首相を派遣し、その後日ソ貿易関係者、各種調査・視察団の交換が行なわれていることは、両国間貿易が前進していることを示すといえよう。

一九六一年以降政府の貿易経済使節団が中米・カリブ海諸国、ナイジェリア、ペルシャ湾およびアラビア半島、韓国に派遣された。

人的交流の観点からは、池田総理大臣、小坂外務大臣の訪米、加、小坂外務大臣の英、仏、伊、独への歴訪、さらに池田総理大臣のパキスタン、インド、ビルマ、タイ諸国への歴訪は、それぞれの国との間の懸案解決促進に顕著に貢献した。

また一九六一年以降、国際綿花諮問委員会総会、アジア生産性機構第一回理事会、第五回DAG総会、一九六二年第十九回エカフェ総会等の国際会議が大阪または東京に開催されたことは、会議の成果とともに、この機会に広くわが国の実情を紹介する絶好の機会を提供したものである。

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