英連邦関係

 

1 日英関係

わが国は、自由主義陣営の有力な一員である英国との協力関係増進にも努力しているが、英国においても日本の重要性が次第に認識されてきており、とくに一九六一年十一月アレキサソドラ内親王殿下が訪日されたことは、日英親善関係の増進に画期的なことであり、両国民の間の友好的雰囲気をもり上げた。

また、政界、経済界その他文化の面において両国間の人的交流は、年を追って増加している。一九六一年は、小坂外務大臣が英国政府の招待で七月五日から同七日まで訪英し、マクミラン首相、ヒューム外相その他英国政府首脳と会談した。そのほかに池田(科学技術庁長官)三木両大臣、石田労働大臣も訪英し、英国政府首脳者と会談した。

 (1) アレキサンドラ内親王殿下の訪日

エリザベス英国女王陛下の従妹にあたられるアレキサソドラ内親王殿下は、一九六一年十一月十四日国賓として来日され、同二十二日まで滞在された。この間天皇、皇后両陛下と会見、社会施設訪問、関西方面旅行をなされた。英国の王室の一員が訪日したのは昭和四年グロスター公が英国王ジョージ五世の名代として日本を訪問して以来はじめてのことであり、朝野の大歓迎をうけられた。

 (2) 対日議員連盟結成

一九六一年二月、日本に関心深い英国上下両院議員の間で日英両国間の相互理解を深め、両国間の協力に資する目的で超党派的な対日議員連盟が結成された。現在の会員は三十七名である。

これに対応して、わが国でも同年秋有志議員よりなる日英議員連盟が結成された。

 (3) 日英租税条約交渉

日英間の租税条約交渉は、一九五六年九月東京において第一次交渉、一九五九年五月ロンドンにおいて第二次交渉が行なわれたが、合意が成立しなかったいきさつがある。一九六一年十月二十三日、東京において第三次交渉が行なわれ、二、三の点を除いて実質的に合意に達し、十一月七日、本条約草案に仮署名を了した。

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2 豪州、ニュー・ジーランドとの関係

わが国と豪州およびニュー・ジーランドとの関係は、年とともに好転しているが、最近においてわが国と豪州およびニュー・ジーランドとの間は、同じく、太平洋に位置する自由諸国の一員としての認識が深まり、要人の往復、通商関係の一層の緊密化と相俟って、日本との親善関係は、今後ますます増進して行くものと思われる。

一九六一年における豪州およびニュー・ジーランドとわが国との間の主要案件の概要は次のとおりである。

 (1) 日豪真珠貝漁業問題

豪州北部水域における真珠貝漁業問題は日豪間の多年にわたる懸案であり、わが国は、かねてよりその合理的解決に努力してきたが、企業の採算性を考慮し、かつ資源に悪影響を及ぼさない適正な採収量をある程度の期間確保するような操業を可能ならしめる方法につき豪側との間に話合いを進めていたが、一九六一年度漁期より三年間、漁区および漁獲量(四一五トン)を固定して操業することに日豪間に合意をみた。しかしながら、一九六一年度の漁期におけるわが国の真珠貝採収量は、約三六〇トンであり、前年度の漁期における約三八五に比して減少している。

 (2) 東商親善貿易使節団の豪州、ニュー・ジーランド訪問

東京商工会議所は、親善ならびに貿易促進を目的として、一九六一年二月二十八日から三月十八日まで、永野富士製鉄社長を団長とする一行三十九名を豪州、ニュー・ジーランドへ派遣した。

わが国とこれら諸国との関係も、従来より建設的な方向に一歩ふみだしたというべく、同使節団は現地における政府首脳や財界指導者との懇談、交歓等を行ない、わが国とこれら諸国との相互認識を深めるとともに、文字どおり民間外交の実を収めて帰国した。

 (3) 国会議員団の相互交流

一九六一年七月広瀬議員等の衆議院議員が東南アジア事情視察旅行の一環として豪州、ニュー・ジーランドを訪問しており、本年に入ってからはニュー・ジーーランドからラエ住宅大臣を団長とする一行六名の議員団がアジア諸国訪問の途次わが国へ立寄っており、国会訪問、工場見学等を行ない、対日認識を一段と深めて離日した。また、同議員団は両国議員団の相互交流計画を提案し、アジア諸国の一員として利害を共にする両国間に、将来、これらの動きが何らかの形で実現するものと期待される。

 (4) マーシャル・ニュー・ジーランド副総理の訪日

ニュー・ジーランド副総理兼商工貿易大臣、マーシャル氏は、第十八回エカフェ東京総会に出席するため、一九六二年二月二十八日から三月九日までの間わが国を訪問した。

外務省は、同大臣一行をエカフェ会議開催までの間政府賓客として接遇し、同大臣は日本滞在中に池田総理、小坂外務大臣、河野農林大臣、佐藤通産大臣と会談したほか、東京、大阪、名古屋の財界指導者との懇談、その他各地の工場見学等を行なった。

 (5) 漁船の緊急入域

日本のかつお・まぐろ漁船で南太平洋方面への出漁する船は年々増え、これに伴い豪州、ニュー・ジーランド領へ緊急入域等の事由で寄港する船が多くなった。これら漁船のうち、あるものは必ずしも円滑に入域手続を行なっていないものもあるので、関係方面を通じて漁船の善処方を要請している。

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3 西サモアとの関係

西サモアは、第二次大戦後国連信託統治の下でニュー・ジーランドによって統治されてきたが、人民投票等の所要手続を終え、一九六二年一月一日独立の運びとなり、当日独立式典に際し池田総理より同国元首あてに祝電を送った。

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4 アイルランドとの関係

わが国とは伝統的に親善関係にあり、第二次大戦中も中立を守り、わが国に対し友好的態度を維持した。戦後両国間の外交関係も復活し、貿易は年々増加している。アイルランドに進出している日本の企業には、先方の要請により設立された「ブラザー・インターナショナル」ミシン工場と「ソニー・ラジオ」工場の二社がある。

なお第二次大戦中日本軍占領地域でアイルランド国民の蒙った損害に対する補償請求問題が未解決となっているのでその解決のためなお折衝中である。

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5 国際捕鯨に関する諸問題

 (1) 国際捕鯨委員会第十三回会議

一九四六年鯨資源の保護とその合理的利用のため種々の規定を備えた国際捕鯨条約が締結され、この条約の規定に従い毎年一回条約加入国を構成国とする国際捕鯨委員会が開かれているが、その第十三回会議が一九六一年六月十九日から二十三日までの間ロンドンにおいて開催され、わが国からは藤田巖日本捕鯨協会理事長他五名がこれに出席した。

国際捕鯨委員会においては、毎年の鯨資源の状態やその捕獲の状況等を基礎に、国際捕鯨条約の規定中改めるべき点は改め、付加すべき点は付加することをその任務としているが、現在世界の捕鯨においては、その規模において南氷洋におけるそれが圧倒的に大きな比重を占めており、従って国際捕鯨委員会の議題も南氷洋捕鯨に関するものが最も重要なものとなっている。現在国際捕鯨条約に加入している国は十七カ国であり、そのうち南氷洋捕鯨に従事している国は、日本、ノールウェー、ソ連、英国の四カ国であり、南氷洋捕鯨五カ国の残りの一国であるオランダは、後述の国別割当取極の出来た暁には条約に復帰することを条件として一九五九年に条約を脱退している(オランダは第十三回会議にはオブザーヴァーを派遣した)。

第十三回会議において決定された主要な事項は次の二つである。

(イ) 南氷洋におけるひげ(、、)鯨の捕獲についての各出漁国による自主規制の実施

世界の鯨資源を大別するとひげ(、、)鯨と()鯨の二種類となるが、前者には、ながす(、、、)鯨、白ながす(、、、)鯨、ざとう(、、、)鯨、いわし(、、、)鯨、せみ(、、)鯨等が属し、後者にはまっこう(、、、、)鯨等が属する。捕鯨業の立場からは、その数量、採油能率等の理由でひげ鯨がはるかに重要な位置を占めている。

南氷洋におけるひげ(、、)鯨の捕獲に関しては、後述の国別割当取極の問題と関連して、第十二回委員会において一九六〇~六一年漁期および一九六一~六二年漁期に限り捕獲総枠が正式にはずされており(実質的にはノールウェーとオランダの脱退により、一九五九~六〇年漁期において総枠ははずされていた)、従って理論上は出漁国は無制限に捕獲できるわけであるが、第十三回会議において委員会は、南氷洋捕鯨国が一九六一~六二年漁期においても、一九六〇~六一年漁期同様に、一九五九~六〇年漁期のそれぞれの自主制限量を越えない範囲で捕獲するよう自主的に規制すべき旨を決定した。この決定に基づき、日本、ノールウェー、ソ連、英国は、一九六一~六二年漁期の自主規制量をそれぞれ白ながす鯨換算(例えばながす鯨一頭は白ながす鯨換算では〇・五頭となる)で六、六八○頭、五、一〇〇頭、三、〇〇〇頭、一、八〇〇頭とすることを発表した。また、オランダもこれに同調してその自主規制量を一、二〇〇頭とすることを発表した(各国規制量の五カ国総量に占める割合は、後述のそれぞれの国の割当率にほぼ一致する)。

(ロ) 南氷洋におけるひげ(、、)鯨捕獲の解禁日は従来十二月二十八日とされていたが、委員会は、オランダの主張を考慮し、一九六一~六二年漁期から右解禁日を十二月十二日とすることを決定した。この結果、南氷洋捕鯨操業期間は、実際上二週間長くなるわけである。

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 (2) 南氷洋捕鯨国別割当問題

現在、南氷洋に出漁している国は、前述したように、日本、ノールウェー、ソ連、英国、オランダの五カ国である。

国際捕鯨取締条約においては、南氷洋におけるひげ(、、)鯨の捕獲に関し、出漁五カ国全体の捕獲総量をあらかじめ定めておき(例えば白ながす(、、、)鯨換算で一五、○○○頭と定め)、その枠の中で操業期間内に各国の船団が競争して捕獲する建前をとってきた。しかし、捕鯨能力に限界をきたし、かつ、最近のソ連捕鯨業のめざましい発展に脅威を感じたノールウェーおよび英国は、自国の捕獲量を確保するため、この自由競争の方式をやめて、あらかじめ捕獲総量を五カ国の間に割り当てておくことを提唱し、この割当制度について一九五八年ロンドンで関係五カ国の最初の会議が開かれ、捕獲総量の二〇パーセントをソ連に与え、残りの八○パーセントを他の四カ国で分配するという原則が合意された。

その後、残り八○パーセントの分配をめぐって四カ国で折衝が行なわれ、オランダ、ノールウェーの条約脱退(第四号参照)、その後におけるノールウェーの条約復帰等迂余曲折を経た後、一九六一年六月ロンドンで第十三回国際捕鯨委員会が開かれた際、四カ国が協議した結果、日本三三パーセント、ノールウェー三二パーセント、英国九パーセント、オランダ六パーセント(計八○パーセント)の割当が合意された。そこで同年九月東京において、ソ連を含めた五カ国間の会議を開いて、国別割当取極案の最終的作成を行なう予定であったが、ソ連が右会議参加の意思を表明しなかったため、この会議は流会となった、ソ連は現在捕獲総量が存在しないこと、オランダが国際捕鯨条約に復帰していないことをその会議不参加の理由とした。

その後、日本、英国、ノールウェーおよびオランダの四カ国は国別割当取極案に検討を加え、多少の修正を行なって四カ国案を作成し、同年十一月在モスクワの日、英、ノールウェー各国大使館が右四カ国案をソ連側に送付するとともに、文書をもってオランダは取極成立後条約に復帰する旨約束している次第でもあり、同年十二月の南氷洋捕鯨業開始期までに割当取極が署名され、オランダが操業開始に当って条約に復帰することが極めて重要であると考える旨を申し入れた。

これに対し、ソ連は、十二月中旬(1)四カ国がソ連に提示した取極案中、取極の有効期限の規定(一九六二~六三年漁期から七漁期間とする)および母船の譲渡に関する規定(いかなる国への母船譲渡についてもクォータを伴わなければならない)が、一九五八年のロンドン勧告(本書第三号参照)から逸脱しているが、割当取極はこのロンドン勧告と同じ内容をもつべきであること、(2)オランダが割当取極の署名以前に捕鯨条約に復帰していること、(3)ひげ鯨の捕獲総量が存在することを条件として、割当取極に署名する用意があることを回答してきた。

なお、ノールウェーは、昨年十二月二十九日、割当取極不成立を遺憾として、本年七月一日より前に取極が成立すればただちに取消すことを条件として捕鯨条約からの脱退通告を行なった(捕鯨条約第十一条に基づき、ノールウェーの脱退は通告の取消しが行なわれない限り、本年七月一日から発効することになる)。

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 (3) 南氷洋ざとう(、、、)鯨捕獲に対する自主規制

南氷洋におけるざとう(、、、)鯨資源は、近年激減してきたため、国際捕鯨委員会第十二回会議でざとう(、、、)鯨捕獲の規制措置を強化する決定を行なったが、南氷洋に出漁している条約加盟国がすべてこれに異議申立を行なったため、規制の効果が上らなかった。そこでざとう(、、、)鯨をその沿岸捕鯨の対象とし、従ってその資源の維持に強い関心を有するオーストラリアは、わが国に対し、一九六〇~六一年漁期に引続き一九六一~六二年漁期においてもざとう(、、、)鯨捕獲の抑制(わが国はオーストラリアの要請に応え、捕鯨条約が南氷洋の一定区域について認めている四日間のざとう(、、、)鯨の捕獲期間を一九六〇~六一年漁期において自主的に二日間に短縮することとした)を行なうことを要請してきたが、わが国は、これに応え、一九六一~六二漁期においても一九六〇~六一年漁期と同様の自主規制を行なうこととした。

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