ラテン・アメリカ関係 |
一九六一年はわが国の対ラテン・アメリカ関係にとって画期的な年であった。すなわち同地域より、ペルーのプラード大統領およびアルゼンティンのフロンディシ大統領が国賓として相次いで訪日したが、ラテン・アメリカより現職の元首が来訪したのは戦前戦後を通じて始めてのことである。その他ブラジルのクビチェック元大統領ほか各国の要人多数が訪日している。これらの訪問を機会にラテン・アメリカ国民とわが国の間において相互に国民の関心が高まり、経済的文化的関係が一段と密接になりつつある。
一九六一年はまたエクアドル、ウルグァイ、パラグァイおよびボリヴィアの諸国との間に公使館を相互に大使館に昇格し、ブラジルのレシフェにはわが国の総領事館が新設された。なおハイティ、パナマ、エル・サルヴァドル、ニカラグァとの間にも公使館の大使館への相互昇格準備が進んでいる。
また、一九六〇年米州諸国の対ドミニカ共和国集団外交断絶に伴い、わが国は関係諸国の要請により、ドミニカ共和国におけるチリおよびハイティ、チリにおけるドミニカ共和国のそれぞれの利益代表業務を引受けていたが、一九六二年早々集団制裁が解除され、その業務を逐次終了している。これは外交代表としての利益代表引受の意味では、わが国にとって始めてのことであった。
マヌエル・プラード・ペルー大統領は夫人および、公式随員十名を随伴して、一九六一年五月十日より十六日まで国賓としてわが国を訪問した。
同大統領は、天皇陛下と親しく交歓を行ない、また池田内閣総理大臣と当面の国際情勢ならびに両国の友好関係増進の諸方策につき卒直な意見の交換を行なった。なお、池田総理大臣は、同国には約四万の日系人が在住し、幸福に生活していることについて、とくに謝意を表明した。
同大統領は、わが国の代表的諸産業施設を視察するなど、わが国との経済関係の強化の問題にとくに関心を示したが、帰国の前日十五日の夜、小坂外務大臣とヒルベック全権代表との間に、通商協定が調印された。
なお、同大統領の訪日は、ラテン・アメリカ地域よりの現職の元首としては、戦前戦後を通じてはじめてという画期的意義を有した。
フロンディシ・アルゼンティン大統領は、夫人およびカルカノ外務大臣以下三十名の公式随員を同伴して、一九六一年十二月十三日から二十一日までわが国を訪問した。またアルゼンティン側よりは時を同じくして、同国の代表的産業人より成る実業団約百五十名が訪日した。
同大統領は、天皇陛下と相互に訪問を行ない、池田総理大臣とは二回にわたって当面の国際情勢について意見を交換し、両国間の友好関係、とくに経済関係強化のため種々の具体的問題を討議した。また、それに止らず、同大統領は、わが国の産業界、言論界、宗教界等あらゆる分野における指導層と接触して、両国間の各般の面における交流を行なった。
二十日両国外務大臣の間に、友好通商航海条約、移住協定、動物衛生協定、一部旅券査証相互免除取極、および海運所得税相互免除取極の合計五つの条約が調印されて、両国の友好関係の基本的法律関係が設定されたことは、今後の両国間の人的物的交流の飛躍的発展を期待せしむるものである。
一九六一年二月三日より十日まで、レチン・ボリヴィア副大統領夫妻が政府賓客として訪日し、わが国の諸産業施設、労働厚生施設をつぶさに視察した。また同国からは一九六一年十二月末、ラ・ファイェ・ボルダ外務次官が外務省招客として来日した。
ソモサ・ニカラグァ大統領の実弟であるソモサ最高軍司令官夫妻が、政府賓客として一九六一年四月二十六日より五月二日まで訪日した。
九月二十四日より十月三日まで、クビチェック・ブラジル元大統領夫妻が政府賓客として訪日した。来日の時期がちょうど当時のジャニオ・クアドロス大統領の突然の辞任に伴う政変の直後にあたっていたが、同氏より、伯国の基本的政策の不変なることが説明され、またわが国の同国にたいする経済協力の増進が強調された。
一九六一年四月、ブラジル、サン・パウロ州立法議会より、日系人二名を含む八名よりなる議員団が外務省招客として訪日し、わが国の各地を視察した。同州には多数の日系人が居住しているので、同議員団がわが国の認識を新たにする機会を得たことは、意義あることであった。
チリよりは、一九六一年九月にファイヴォヴィッチ上院議員、同十一月にはヴィデラ上院議長、一九六二年二月にはイララサバル下院外交委員長が訪日し、わが国の議会関係者と交歓あるところがあった。
一九六二年二月二十六日より三月三日まで、ウルダネタ元コロンビア大統領が、台湾へ赴く途次わが国を訪問した。
また、ペルーのもっとも有力な政党の一つであるのみならず、ラテン・アメリカ諸国の民族主義運動に影響力を持つアプラ党の党主アヤ・デ・ラ・トレ氏が、一九六一年三月末より約三週間の間、また同年十二月末の二回にわたり訪日し、議会関係者および労働関係者と懇談し、わが国の実情を各方面にわたりくわしく視察した。
一九六二年一月二十八日より二月四日まで、エクアドルのバケーロ元厚生労働大臣が訪日した。
一九六一年四月十四日には在エクアドル公使館を大使館に昇格せしめて先方の同様の措置に応えたが、同年十月一日にはボリヴィア、パラグァイおよびウルグァイの三国と相互かつ同時に、それぞれの公使館を大使館に昇格せしめた。これによりこれらの諸国との友好関係をより一層増進せしめるのみならず、あらゆる面での結びつきの強化に資するものと期待される。
一九六二年一月五日には、ブラジルの東北部地方の中心地レシフェに総領事館が開設された。この地方はブラジル政府が現在とくに産業開発計画の重点をおいている地域であり、またわが国よりの移住者の送出先として注目されて来た地方でもあるので、この措置により同地方にたいする経済提携に便宜を与え、移住者にたいしては有効な保護が行なわれる基礎が築かれたことになる。
5 ラテン・アメリカ諸国の対ドミニカ共和国集団断交に伴う利益代表業務
一九六〇年ドミニカ共和国は、米州機構より集団的制裁を受け、そのため米国および二十のラテン・アメリカ諸国は、外交断絶の措置にでた。このような状況においてわが国は、(1)ドミニカ共和国におけるハイティの利益代表、(2)ドミニカ共和国におけるチリの利益代表、(3)チリにおけるドミニカ共和国の利益代表を、関係各国からの特別の要請により引受けることとなり、これに付随する各種業務を遂行してきた。その後ドミニカ共和国においては一九六一年月、事実上の独裁者トルヒーリョ元帥が暗殺されて以来政情は混沌としていたが、漸く民主的政権が成立の緒についたので、一九六二年一月四日米州機構は集団制裁措置を解除した。こうして各米州諸国は外交関係を復活し、一月五日ハイティは、ドミニカ共和国にたいし外交代表派遣の措置をとり、わが国にたいし利益代表業務を深く感謝越した。近くドミニカ共和国とチリとの間の相互的な利益代表も、同様にして終了するものと思われる。
なお、戦前に地域的な領事々務の利益代表を行なったケースがいくつかあるが、今度の如く外交代表機関の利益代表業務を引受けたことは、戦前戦後を通じて今回がはじめてである。