北米関係 |
米国との関係で特筆すべきことは、池田総理大臣の訪米といわゆるガリオア・エロア等米国の戦後対日援助の処理である。
池田総理大臣は、ケネディ・アメリカ合衆国大統領の招待により、一九六一年六月小坂外務大臣を同伴し米国を訪問し、ケネディ大統領始めラスク国務長官等米国新政権の首脳と親しく会談し、日米両国がともに関心を有する諸問題について腹蔵のない意見の交換を行なった。これらの会談においては、自由と正義に基づく世界平和の問題から、中共問題および韓国との関係を始めとするアジアの諸問題、核実験停止および軍縮問題、国際経済問題、低開発国援助問題経済、教育、科学の分野における日米協力、琉球・小笠原問題等広範な分野にわたって討議が行なわれ、日米両国が今後ますます提携を深め、世界平和の確立のために前進することが確認された。ことに貿易と経済問題に関する閣僚級の日米合同委員会および教育文化と科学に関する二つの日米委員会の設立につき合意をみたことは、これらの分野における日米協力を一層深めるものとして注目される。
いわゆるガリオア・エロア等米国の戦後対日援助の処理の問題は、実に十年に亘る日米間の懸案であり、過去において種々議論があったが、平和条約発効十周年を迎えるこの機会に、本件が日米双方にとり満足な解決をみて、日米友好関係の増進はもとより、わが国の国際信用を一層高める結果となることが期待される。
カナダとの関係で特筆すべきことは、池田総理の訪加とディーフェンベーカー・カナダ首相の訪日および平和条約第十八条(a)に基づく戦前クレイムの解決であった。
両国首脳の相互訪問は、日加両国の親善友好関係の増進に資するところが大であった。
また、平和条約第十八条(a)に基づく戦前クレイムの解決は一九六〇年十月の英国関係クレイム解決に次いで二番目のものである。カナダとの間においては平和条約第十五条に基づく戦時中のクレイムも一九五九年すでに解決をみており、これにより平和条約に基づくわが国の義務はすべて履行されたわけで、その意味において今回の戦前クレイム解決は、日加関係の新段階を画したものと考えられる。
池田内閣総理大臣は、ケネディ・アメリカ合衆国大統領およびディーフェンベーカー・カナダ首相の招待に応え、一九六一年六月十八日に夫人ならびに小坂外務大臣以下を同伴、東京を出発して米加両国訪問の途についた。
(1) 米国訪問
池田総理の訪米は、ケネディ新大統領が就任したので、広く日米に共通なる問題について、卒直かつ建設的な意見の交換を遂げんとするにあった。総理は、ホノルル、ロス・アンゼルスを経て六月二十日ワシントンに到着し、二十日より二十三日までの間二回にわたりケネディ大統領と会談を行なったほか、ラスク国務長官、ディロン財務長官、その他米国政府ならびに議会の要人と会談した。また上、下院に招かれ、両院において演説を行なった。
ケネディ大統領との会談については、二十二日に共同声明が発表された。その全文は次のとおりである。
ケネディ大統領と池田総理大臣は、現下の国際情勢および日米両国の関係について、建設的、かつ、友好的な意見の交換を行ない、本日これを終了した。この会談には、ラスク国務長官、小坂外務大臣および日米両国の関係官が参加した。
大統領と総理大臣は、自由を擁護しようと決意している諸国民が当面している種々の問題を討議するとともに、自由と正義に基づく世界平和確立のための努力を一層強化せんとする両国の決意を再確認した。大統領および総理大臣は、また世界平和維持機構としての国連の権威を高めることが、両国共通の政策であることを強調した。
大統領と総理大臣は、アジアの情勢の不安定な局面について関心を表明し、この地域における安定と福祉とに資する方途を見出すため、今後さらに緊密な協議を行なうことに意見の一致をみた。アジアの情勢についての両者の会談においては、中共に関連する諸問題も検討された。両者はまた、両国の韓国との関係についても意見を交換した。
大統領と総理大臣は、実効的な査察および管理の措置を伴なう核実験停止協定が緊要であることを認めるとともに、かかる協定が世界平和のためきわめて重要であることに意見の一致をみた。両者は、さらに全面軍縮に向って新らたな努力が行なわるべきであるとの確信を表明した。
大統領と総理大臣は、世界経済情勢を検討した。両者は、世界の自由諸国が緊密な協力を続けるべきであり、とくに国際貿易の成長と金融の安定を促進するための協力が必要であることについて意見の一致をみた。両者は、日米両国間の貿易が秩序ある発展を遂げることを期待して、両国が自由な貿易政策をとるべきことに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、低開発諸国に対する開発援助の重要性を強調した。総理大臣は、これに関連して東アジアに対する開発援助に特別の関心を表明した。両者は、かかる援助について意見の交換を行なうことに合意し、また両国がそれぞれの能力の許す範囲内において積極的な努力を払うことに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、日米両国の提携が強固な基礎の上に立っていることに満尾の意を表明した。両者は、両国間に存するこの提携を強化するために貿易および経済問題に関する閣僚級の日米合同委員会を設立し、これによって相互協力および安全保障条約第二条の目的達成に資することに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、また教育、文化および科学の分野における両国間の協力をより広範なものとすることの重要性を認めた。このため両者は、二つの日米委員会、すなわちその一つは、両国の間の文化および教育上の協力の拡大を検討する委員会、もう一つは科学上の協力を促進する方途を研究する委員会を設立することに同意した。
大統領と総理大臣は、米国の施政権下にあるが同時に日本が潜在主権を保有する琉球および小笠原諸島に関連する諸事項に関し、意見を交換した。大統領は、米国が琉球住民の安寧と福祉を増進するため一層の努力を払う旨確信し、さらにこの努力に対する日本の協力を歓迎する旨を述べた。総理大臣は、日本がこの目的のため米国と引続き協力する旨確言した。
なお池田総理は二十四日ワシントン出発ニュー・ヨークに赴き、ハマーショルド国連事務総長始め各界の指導者と会談し、二十五日オタワに向った。
(2) カナダ訪問
池田総理大臣は、二十五日カナダ政府機でオタワに到着し、二十六日にディーフェンベーカー首相、グリーン外相等カナダ政府主脳と会談し、またカナダ議会を訪問した。同日共同声明を発表した後オタワを出発し、米国を経由して六月三十日帰国した。共同声明の全文は次のとおりである。
池田日本国総理大臣は、ディーフェンベーカー・カナダ国総理大臣の招待に基づくオタワ訪問を本日終了した。池田首相は、小坂外相および日本政府職員を同行した。
ディーフェンベーカー首相と池田首相は、グリーン外相および小坂外相とともに、両国にとって関心のある種々の国際問題および日加両国関係に影響のある諸問題に関し意見を交換した。
両者は、とくに最近の極東情勢に注目して、東西関係について検討した。両者は、ラオスが真の独立を確保し、中立であるべき必要について意見が一致した。またアジアの低開発諸国との経済協力の重要性について意見の一致をみた。さらに両者は中共について意見を交換した。
池田首相およびディーフェンベーカー首相は、国連における日加両国代表団が引続き協力を続ける必要についても、見解の一致をみた。両者は、この分野において将来両国間の協力がさらに緊密となることを期待している旨を強調した。
両国首相はまた、日加両国の経済関係を検討したが、池田首相は、カナダ産業に対する被害を回避するためのカナダ生産と競争的な日本商品については、秩序ある輸出の原則を再確認し、これに対しディーフェンベーカー首相は、カナダ政府は両国間の双方にとり利益となる貿易が引続き拡大してゆくことを期待していることを確認した。
ディーフェンベーカー首相は、日本がカナダにおける日本の資本の導入および発展に関心を有することを認め、この種の企業の運営に関連して必要な日本国民のカナダ入国について、相互に満足な取計らいをなすべきことを述べた。池田首相は、カナダにとって関心のある商品を含む日本政府の輸入自由化促進計画を説明した。
両首相は、重要度を加えつつある日加関係にかんがみ、日加閣僚委員会を設けることに意見の一致をみた。この委員会は、交渉のための組織ではなく、両国の閣僚間に貴重な接触の手段を与えるものである。この委員会は、両国閣僚が随時互いに訪問して、とくに経済の分野で共通の利害のある事項について意見の交換を行ない、お互いの問題に通暁するためである。
会談を終えるに当って、池田首相は、ディーフェンベーカー首相に対し、従来からの訪日招待を重ねて申し述べ、ディーフェンベーカー首相は、将来双方に都合のよい時期に日本を訪問する旨述べた。
ディーフェンベーカー・カナダ首相は、一九六一年十月二十七日から三十一日まで夫人および随員十名を伴い、国賓として訪日した。
同首相は、本邦滞在中池田総理大臣、小坂外務大臣等政府首脳と三回にわたって会談し、十月三十一日に共同声明が発表された。
同首相は、本邦滞在中国会を訪問したほか、関西を含む本邦の風土、文化、産業を視察した。共同声明の全文は次のとおりである。
ディーフェンベーカー・カナダ首相は、日本国政府の招待により、夫人と共に、十月二十七日より同月三十一日まで日本を訪問した。
日本国天皇および皇后は、十月二十七日ディーフェンベーカー首相夫妻を接見した。首相夫妻は、滞日中、日本国国会を訪問したほか、大阪、京都、奈良訪問等を含む同首相夫妻のため計画された各種の催しに参加した。
池田総理大臣は、まず去る六月カナダを訪れた際の厚遇を謝し、これに対しディーフェンベーカー首相は、日本における心からの暖かい歓迎に対し、深い感謝の意を伝えた。
両国首相は、十月二十七日、二十八日および三十一日に会談を行なった。
両者は、ドイツおよびベルリンを含む国際情勢につき意見の交換を行ない、問題の主要点について共通の評価を見出した。両者は、とくに中国および東南アジア諸国における最近の情勢の発展に関連し、極東における一般情勢を討議した。両者は、国際経済の推移、とくに欧州経済共同体および経済協力開発機構を含む地域的グループ化を検討した。
両国首相は、核実験に関するソヴィエト政府の態度と行動に対する烈しい批難をともにした。両者は、ソヴィエト政府が明らかにした五十メガトン核爆発の意図を思い止まるようにとの同政府に対する厳粛な訴えが、最近国際連合総会において圧倒的な支持をえたことを想起した。両者は、この点に関し、ソヴィエト政府が引続き世界の世論を無視しつつあることを強く遺憾とした。両者は、もしこれらの不当な実験が継続されるならば、国際緊張が著るしく悪化し、世界の人々の将来の健康と安全が危険にさらされる旨意見の一致をみた。
両国首相は、すべての核爆発実験が直ちに停止され、かかる実験が実効的な国際査察の制度によって、永久に禁止されるような条約締結の話合いが早期に再開されることが必要である旨を国際連合およびその他の場において引続き強く要請することに合意した。両者は、また完全軍縮に関する国際協定を締結するための話合いが再開されることが緊要である旨完全に意見の一致をみた。
両国首相は、国際連合総会およびその他の国際連合機関において、引続き日加両国の代表団が、懸案の国際問題解決の方途を探究するため、緊密な協力を続けることに対する希望を再確認した。
十月二十七日、日本のカナダに対する投資とその発展の可能性に関する討議が行なわれた。これに関連して、ディーフェンベーカー首相は池田総理大臣に対し、特定の日本人所有の企業のための経営、監督、技術関係者のカナダ入国に関する計画に、カナダが合意する旨通報した。
両国首相は、日加両国間の経済関係を検討した。両者は、両国が加入している諸種の協定によって規定される枠の中で、相互に利益のある貿易を秩序ある基礎の上に一層拡大することに関心を有することを再確認した。この目的のために両者は、貿易問題が発生する度に、相互に受け入れうる解決を見出すよう、両国政府間および私企業代表間に引続き協議を行なうことが望ましいことに合意した。
両国首相は、政府指導者間ならびに私的グループおよび個人間の相互の訪問が、相互理解ならびに協力の継続と一層の発展のために、きわめて重要であることにつき意見の一致をみた。
両者は、日加両国間に存在する友好関係を強化する手段として、着実に文化交流が発展しつつあることに満足の意を表明した。
両国首相は、去る六月のオタワにおける会合の結果、その設立が発表された日加閣僚委員会の第一回会合を、相互に都合のよい最も早い時期に東京において開催するための準備を行なうことが必要であることに意見の一致をみた。
米国は、終戦直後から一九五一年ごろまで、戦後の異常な困難に直面していたわが国に対して、総額約二十億ドルに上る援助を行なった。これらの援助にはいわゆるガリオア・エロアによるもののほか、ガリオア予算成立以前に行なわれた民間供給計画に基づくもの(プレガリオア)、米軍払下物資および余剰報奨物資があり、援助物資の内容としては食糧が最も多く、そのほかに肥料等農業用品、石油、石炭、棉花などの工業原料、機械等もかなりの額に上っている。
終戦当時のわが国の窮状と混乱は未だにわれわれの記憶に新しいが、国民は異常な食糧難に直面し、戦争によって破壊された産業の復興は全く見透しがつかなかった。さらに数百万人に上る海外からの引揚者、復員者があり、国民はどのようにして飢餓を免がれるか、それは当時の最大の問題であった。わが国がこのような苦境から立直って今日の経済復興を遂げ得る基盤を築き得たのは、もっぱら当時の米国の援助によるものであると言っても過言ではない。
戦後対日援助の処理に関しては、一九五四年夏米国との間に数回に亘り公式会談を開催した経緯がある。しかし当時は賠償問題も未解決であり、日本の対外債務の全ぼうがはっきり見透しがつかない事情でもあったので、最終解決をみるに至らなかった。しかしながら、わが国と同じくガリオア・エロア援助を受けた西独は、すでに一九五三年返済協定を締結したこともあり、米国よりはその後しばしば返済協定の締結を要請越したのみならず、賠償問題もほとんど解決し、経済力も比較的向上した今日、わが国の国際信用を高め、かつ日米友好関係を強化する見地からも、この問題のすみやかな解決が望ましいと考えられたので、昨年五月十日外務大臣から在京米国大使に交渉の再開を申し入れ、ちょうど一カ月にわたる交渉の結果、六月十日支払額を四億九千万ドルとすること等につき日米間に基本的了解をみた。その後は引続き東京で協定作成のための交渉が行なわれ、協定案文について妥結をみたので、本年一月九日外務大臣と在京米国大使との間で署名が行なわれるに至った。
この協定は、「日本国に対する戦後の経済援助の処理に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」と称し、前述の米国の戦後対日援助に対してわが国は四憶九千万ドルを、年二分五厘の利子を付して、十五年間に亘り半年賦により支払うことを約したものである。
わが国がこの額と支払方法につき米国側と合意したのは、援助総額、各種の控除項目、西独の場合の前例などの要素を勘案し、さらに,いわゆる対韓債権等の反対請求権が同時に実質的に満足されたことを考慮した結果である。而してこの四億九千万ドルの支払方法としては、この協定発効の日から利子計算が始まり、その日から起算して半年毎に十五年間に亘って元本および利子を支払うこととなっている。現実の賦払額は、当初の十二年間は半年毎に二、一九五万ドル、その後の三年間は半年毎に八七〇万ドルであるが、これは債務総額四億九千万ドルのうち四億四千万ドルを最初の十二年間に、あとの五千万ドルは最初の十二年間据置き後の三年間に、支払うという考え方に立って、元利均等償還方式で計算されたものである。
なお協定によれば、わが国はいつでもこの支払計画を繰り上げて支払うことができ、他方、もし将来経済事情が悪化したような場合には、日米双方協議の上支払を延期するよう取り決めることができる。またこの支払は原則として米貨で行なわれるが、米国側は総額二千五百万ドルを限度として、日本側に円貨払いを要請することができることとなっている。
次にこの協定には二つの付属交換公文がある。すなわちこの協定に基づく支払金は当然歳入として米国の国庫に入るが、米国政府は、この二つの交換公文においてその使途について次のような意図を有することを明らかにしている。
(イ) 第一の交換公文「支払金の使途に関する交換公文」において、米国は適当な国内立法措置を経ることを条件として、支払金の大部分を開発途上にある後進国に対する経済援助計画を促進するために、これを使用する意図を表明している。さらに、日米両国は共に関心を有する東アジアの諸国に対して、開発援助が緊要であることを認めて、そのために日米両国が随時に密接な協議を行なうことが了解されている。
(ロ)第二の交換公文、「支払金の一部円貨払に関する交換公文」において、米国は支払金のうち二千五百万ドルは円貨払を要請し、米国側においてこれを日米教育文化の交流のために使用することが了解されている。そして米国は、早期にこの計画を実施する見地から、この協定発効の際は、日本のガリオア支払の最初の二回の賦払金の中から、それぞれ千二百五十万ドルずつを円貨で支払うよう要請する予定である旨を通報越している。
周知のとおり、わが国と同様に多額のガリオア等援助を受けた西独は、すでに九年前の一九五三年に本件に関する協定を米国との間に締結した。西独の場合協定は二つに分れ、第一の協定は、ガリオア等経済援助に関するもので、総額三十億千四百万ドルを約三分の二切り捨て、十億ドルを返済することとしている。他の協定は余剰物資協定で、これは二億三百万ドルを全額返済するものである。前者の返済条件は、五年据置、三十年の半年賦、利子二・五%、後者は五年据置、二十五年の半年賦、利子二・三七五%である。
西独は、ガリオア関係債務についてはその後協定どおりの返済を行ない、一九五九年三月には一億五千万ドルを、また一九六一年四月には未払元金の大部分五億八千七百万ドルをそれぞれ繰上げ支払した。なお余剰物資関係についてもすでにほとんどが返済されている。
今回日米間で合意に達した四億九千万ドルの額は援助総額の約四分の一であって、返済率において西独の約三分の一より有利であるのみならず、返済金の使途についても日本側の希望がほぼ認められている。またことに返済金支払の財源についても、見返り資金を引継いだ産業投資特別会計の見返り資金関係部分の運用によって支払いうるといった点からも、今回の解決はわが方にとって妥当な解決であると思われる。
最後に、戦後の対日援助についてこれが贈与であって返済を要するものでないという意見が一部にはあるが、この点についてはしばしば国会等でも説明されているように、米国側は援助の提供に当って学童給食等一部の物資を除いては、これが贈与であるという意思表示をしたことはなく、極東委員会決定等の諸資料、マッカーサー元帥始め米国政府関係者の証言には、本件援助が後日何らかの形で処理され、あるいは返済を要すべきものであるという趣旨が明瞭に表われている。また援助物資が当初日本側に引渡された際に発せられた連合国総司令部の覚書にも、援助物資の「支払については後日これを決定する」という趣旨の但書がついていたのである。
いずれにせよ援助の性格については西独の場合も同様であり、わが国としては国際信用の上からも本件をすみやかに解決して、新しい立場からさらに一層日米協力の態勢を整えることが肝要であると考えられる。
(1) カナダ関係
平和条約第十八条(a)は、戦前生じた請求権にして、連合国政府が日本国政府に対し提起したものの当否を審議する義務につき規定している。
かかるクレイムとしてカナダからは一九五三年十一月以降一九五七年八月までの間に合計五件(請求金額合計三九、八四四ドル八五セント約一四三四万円)が提起され、かねてから懸案となっていたが、一九六一年九月五日かかるカナダ関係戦前クレイムの解決として日本国政府が一万七千五百合衆国ドル(六三〇万円)をカナダ政府に支払う旨の合意に達し、同日小坂外務大臣とブル在京カナダ大使との間にこれに関する取極の署名が行なわれ、即日発効した。
なお回収極においては、日本国政府が一九六一年十一月末までに支払を行なうよう取り決められていたが、現実には、同年十月二十五日、日本国政府はその送金を了した。
注 前号においてはカナダ関係案件三件としているが、これは同一事件に関して二名から請求が提起されていたのを一件と数え、かつ、わが方が平和条約第十八条に該当するクレイムと認めなかった案件一件を除外していたので、そのためにカナダ側が提起した実際の案件五件を三件と数えていたものである。
(2) 米国関係
平和条約第十八条(a)に基づく戦前クレイムとして、米国からは一九五四年八月以降一九五八年三月に至る間、合計六件が提起されてきているが、これら案件に関しては日本政府において審査した結果を各案件毎に米側に通報し、交渉している段階である。
ケネディ米大統領は、ソ連の核実験再開に伴い、一九六一年九月五日米国も研究施設および地下における核実験を再開する旨声明した。これに対し、わが国は、九月六日米国政府に対して核実験再開に対する日本国国民の深い危惧を表明して抗議するとともに、実験再開の決定を再検討し、実験を実施せざることを申し入れた。しかし、米国政府は日本国国民の深い危惧に理解を示しつつも、九月十五日に地下における核実験を実施するに至った。わが国は、米国政府に対し九月二十五日重ねて核実験競争の悪循環の事態に憂慮の念を表明するとともに、実効的な査察および管理の措置を伴う一切の核実験停止につきすみやかに国際協定が成立するよう希望する旨申し入れた。
ケネディ大統領は、さらに一九六二年三月二日に、三月十四日から開始される十八カ国軍縮会議において核兵器実験停止に関する国際協定が成立しない場合には、大気圏内核兵器実験を再開することに決定したと発表した。同大統領は、この決定につき、池田総理あて親書をもって右の決定を行なうに至った理由をわが国に事前に通報越した。これに対して、池田総理は、三月二日ケネディ大統領に親書を送り、大気圏内核実験再開の決定に対する遺憾の意を表明して、決定のとりやめを要請した。また、政府は、三月五日、米国政府に対し口上書をもって実験を実施しないよう要請する一方、万一実験が実施された場合には、日本国および日本国国民が蒙ることあるべき損害補償の権利を留保した。さらにネヴァダ実験場における米英共同の実験実施に対しても併せ抗議した。
一九六一年六月の池田総理訪米に際し、同月二十二日に発表された日米共同声明は、日米両国の提携が強固な基礎の上に立っていることを強調し、これをさらに強化するために、経済面のみならず、教育・文化および科学の分野における協力を広範なものとすることをうたっており、科学の分野については「科学上の協力を促進する方途を研究する委員会」を設立することとなった。これをうけてわが国では、十二月五日閣議了解をえ、同日「科学協力に関する日米委員会」設置に関する日米共同発表があり、ここに、平和目的のため日米両国の科学協力関係を一層円滑にするための方途を探求し、その結果を両国政府に報告あるいは勧告することを目的とする委員会が正式に設置された。委員は、日本側では、政府の委嘱する学識経験者、日本学術会議会長および関係省庁職員若干名をもって構成し、米側は、米国政府が米国学術基金および米国学士院の推せんに基づき選任することとなった。委員会は毎年一回以上、日本または米国において会合することとなった。
日米科学委員会の第一回会合は、一九六一年十二月十三日より三日間、日本側兼重寛九郎委員以下十四名、米側ケリー委員以下六名が参加して外務省において開催された。同会合では、
(イ) 日米科学協力の現状の分析。
(ロ) 協力強化が望ましい分野。
(ハ) 科学者の交流と研究施設の相互利用。
(ニ) 科学情報、資料の交換。
の諸問題について討議し、十五日委員会報告を採択して閉会した。
委員会の結論は、次のとおりであった。
(イ) 日米科学協力の推進については、
i 研究者の交流を一層促進すること。
ii 科学情報、資料の交換をさらに盛んにすること。
iii 特定の科学分野における共同研究計画を奨励し、推進すること。
(ロ) 共同研究の具体的方法について考究を進める題目は、
i 太平洋に関する学術調査。
ii 太平洋地域の動植物地理学および生態学。
iii がん研究。
の三つであり、これらは、その成果が期待され、また今後とり上げられる題目に対して、ひな型ともなりうると思われるものとして採択された。
(ハ) 前記(イ)および(ロ)の事項については、自国専門家の意見をきき、兼重、ケリー両議長を通じて連絡をとりながら、次回の会議までにそれぞれ検討することにした。
次回会合は、ワシントンにおいて、本年五月二十一日より二十四日までが一応予定されている。
一九五三年六月十二日に日米加三カ国の間に発効した「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」は、北太平洋の漁業資源の最大の持続的生産性を確保することを目的とし、この条約に基づき、わが国は、条約附属書に記載されている北米系のおひよう、にしん
(イ) 自発的抑止関係
ファン・デ・フカ海峡(米加の国境)以南の米系にしん
(ロ) 暫定抑止線関係
さけ
(ハ) 底魚漁業
わが国の北洋底魚漁業は、近年著しい発展を見ているが米加はそれが、北米系おひよう
日米加ソの四カ国よりなる「北太平洋おっとせい
委員会会合では、四カ国の調査結果の分析および評価が継続された。委員会は、現在までの知見を取り纏め、一九六二年三月中に科学共同報告を作成し、一九六二年十一月にはそれを基礎として最適の猟獲方法を決定することとなっている。
なお、条約はおっとせい
一九五五年四月日米両国政府間に締結された生産性向上計画に関する協定に基づき、一九六一年も前年に引続きわが国の経営者、技術者、労働者代表等が多数米国に派遣されて、これら諸国の国内産業を視察したほか、米国からは専門家が招へいされ、また技術資料の提供をも受けてきた。
わが国における生産性向上計画の実施機関は、財団法人日本生産性本部(会長足立正氏)であって、前記の各種技術交流事業を行なっているが、同本部の昭和三十六年度における本計画国内資金は約九億三千二百万円で、また同本部の事業関係を含め一九六一米会計年度における米国の対日技術援助資金額は一三〇万ドルであった。
本計画により一九六一年度中に米国に派遣されたわが国の視察団は、一般経営者関係三八チーム四〇二名(うち二〇チーム二二一名は旅費滞在費等自己負担)、中小企業関係一五チーム一五一名、労働団体関係一五チーム一二四名、農林関係一〇チーム八六名、計七八チーム七六三名である。
なお、本計画開始以来一九六一米会計年度までの米国の援助額累計は、約一、二〇〇万ドル、一九六一年度末までに米国に派遣された視察団は、約四三〇チーム四、一四〇名に達している。
米国においてはアイゼンハワー政権の時代から、世界の平和、友好関係の増進は単に政府と政府との間の働きかけでなく、広く一般国民とのつながりによって達成されるものであるという考えから、いわゆる People to People Program なるものが生れ、その一環として米国の諸都市と各国の諸都市との間に姉妹関係を結び、双互に文化の交流、貿易の振興等を図っているところ、わが国の多くの都市においても、この趣旨に賛成し、広く一般国民による対米友好関係増進という見地から、米国の諸都市と姉妹関係を結ぶに至っており、その成立数は一九五五年一件、同五六年一件、同五七年五件、同五八年五件、同五九年一〇件、同六〇年三件、昨年六件となっている。またこの提携は、当初は大都市ないしは国際的に有名な都市相互の間に行なわれていたが、次第に地方中小都市の間にも広まっている。
一九六二年三月三十一日現在判明している提携の現状は次のとおりである。
日本側都市(県)名 米国側都市州名 発足年月日
1 長 崎 市 セントポール市 (ミネソタ) 昭和三〇・一二・二四
2 横 浜 市 サンディエゴ市 (カルフォルニア) 〃 三一・一〇・二九
3 仙 台 市 リヴァーサイド市 ( 〃 ) 〃 三二・ 三・二九
4 岡 山 市 サン・ノゼ市 ( 〃 ) 〃 三二・ 五・二五
5 三 島 市 パサディナ市 ( 〃 ) 〃 三二・ 八・一五
6 大 阪 市 サン・フランシスコ市(〃 ) 〃 三二・一〇・ 七
7 神 戸 市 シアトル市 (ワシントン) 〃 三二・一〇・二一
8 下 田 市 ニュー・ポート市 (ロードアイランド) 〃 三三・ 五・一七
9 館 山 市 ベリンハム市 (ワシントン) 〃 三三・ 七・一一
10 有 田 市(佐賀) アラメダ市 (カルフォルニア) 〃 三三・ 七・一〇
11 甲 府 市 デモイン市 (アイオワ) 〃 三三・ 八・一六
12 松 本 市 ソールトレーク市 (ユ タ) 〃 三三・一一・二九
13 藤 沢 市 マイアミビーチ市 (フロリダ) 〃 三四・ 三・ 八
14 清 水 市 ストックトン市 (カルフォルニア) 〃 三四・ 三・ 九
15 長 野 市 クリアウォーター市(フロリダ) 〃 三四・ 三・一四
16 名古屋 市 ロス・アンゼル市 (カルフォルニア) 〃 三四・ 三・三一
17 広 島 市 ホノルル市 (ハ ワ イ) 〃 三四・ 六・一五
18 京 都 市 ボストン市 (マサチュセッツ) 〃 三四・ 六・二四
19 小 倉 市 タコマ市 (ワシントン) 〃 三四・ 七・ 二
20 門 司 市 ノーフォーク市 (ヴァージニア) 〃 三四・ 七・一四
21 札 幌 市 ポートランド市 (オレゴン) 〃 三四・一一・一七
22 立 川 市 サン・バーナディノ市(カルフォルニア) 〃 三四・一二・二三
23 東 京 都 ニュー・ヨーク市 (ニュー・ヨーク) 〃 三五・ 二・二九
24 御殿場 市 チェンバースバーグ市(ペンシルヴァニア) 〃 三五・ 八・二二
25 枚 岡 市(大阪) グレンデール市 (カルフォルニア) 〃 三五・一〇・
26 久 慈 市(岩手) フランクリン市 (インディアナ) 〃 三六・ 二・ 九
27 豊 田 市 デトロイト市 (ミシガン) 〃 三六・ 四・ 二
28 芦 屋 市 モンテベロ市 (カルフォルニア) 〃 三六・ 五・二四
29 西 宮 市 スポーケン市 (ワシントン) 〃 三六・ 九・ 一
30 高 松 市 セント・ピータスバーグ市(フロリダ) 〃 三六・一〇・ 五
31 島 田 市 リッチモンド市 (カリフォルニア) 〃 三六・一〇・
なお、この他に山梨県=アイオア州の間ではそれぞれの議会が提携決議を承認している。
ケネディ米大統領の実弟ロバート・ケネディ法務長官は、日本政府およびロバート・ケネディ夫妻歓迎日本青年委員会の招請に応じ、夫人および随員三名を同伴し、一九六二年の二月四日来日した。
同長官は、滞日中池田総理大臣、小坂外務大臣、植木法務大臣等政府主脳と会談して日米間の重要問題につき隔意ない意見の交換を行なうとともに、知識人、労働組合、学生等各階層と接触し、わが国官民の対米感情理解に精力的努力を傾注した。政府は、二月四、五の両日同長官を政府賓客として接遇した。同長官一行は、二月十日香港に向け離日した。
旧行政協定によって米軍の使用に供されていた施設、区域はすべて地位協定下に引継がれたが、その後逐次米軍より返還を受け、一九六二年二月一日現在の総数は一六五件、約九千三百万坪となっている。このうち飛行場、港湾、演習場、兵舎等の主要施設は三八件であり、その他は事務所、倉庫、住宅、工場等である。
これを一九六一年二月一日現在の施設、区域一八九件、約九千五百万坪に比すれば、最近一年間に二十四件、約二百万坪の減少を示しており、平和条約発効時における施設、区域二、八二四件、約四億一千坪に比すれば、件数にして約十八分の一、面積にして約四・四分の一に減少している。
在日米軍は、新安保条約発効直後の一九六〇年六月三十日現在には、約四万八千名(そのうち、陸軍約五千名、海軍約一万三千名、空軍約三万名)駐留していたが、本年二月末日現在約四万五千名となった。陸軍は、戦斗部隊を有せず、東京、神奈川を中心として約六千名が管理補給の任に当っており、座間に司令部がある。海軍は、補助艦艇若干、海兵隊、航空隊および基地部隊約一万三千名が横須賀、佐世保、厚木、岩国等に駐留し、横須賀に司令部がある。また、空軍は、第五空軍の主力約二万六千名が三沢、横田、立川、板付等に分駐し、府中に司令部がある。在日米軍司令部は府中にあり、同司令官は、第五空軍司令官が兼任している。