その他の国際協力
(1) 米、英、加との協力
一九五八年六月の日米、日英原子力協定、一九五九年七月の日加原子力協定の締結いらい、これら各国との間に知識、技術の交流、資材の確保等、わが国の原子力平和利用研究開発上有益な協力が行なわれてきた。一九六一年は、これら協力の実施が進捗した年であり、とくに米国との間には一九六一年五月、前記日米原子力協定に基づく「日本国政府とアメリカ合衆国政府を代表して行動する合衆国原子力委員会との間の特殊核物質賃貸借協定」の署名を了した。この協定は、わが国が米国原子力委員会から賃借する濃縮ウランの賃貸借に関し、従来個々の賃貸借契約ごとに協定を締結していた方式を改め、すべての賃貸借契約の基礎となる一般協定として締結された。これにより、立教大学、武蔵工業大学、近畿大学、株式会社日立製作所および東京芝浦電気株式会社に設置される研究用原子炉五基に使用するため、総計約九一・四二キログラムの濃縮ウラン(濃縮度は約一〇、二〇および九〇パーセントの三種類で、同位元素ウラン二三五の総量は約一六キロ・グラム)を米国原子力委員会より賃貸借する道が開かれた。一九六二年二月二十三日にもまた、日米原子力協定に基づき「日本国政府とアメリカ合衆国政府を代表して行動する合衆国原子力委員会との間の研究用量の特殊核物質売却協定」が署名された。この協定は、日本原子力研究所、東京大学、東北大学、東京工業大学、立教大学、武蔵工業大学、近畿大学、東京原子力産業会、日本原子力事業株式会社等の研究事業にとって必要な特殊核物質の購入条件について定めたもので、これにより、プルトニウム約一八○・二グラム、ウラン二三三約四・一三グラムおよびウラン二三五約三五・〇一グラム(濃縮度は約二〇、九〇、九三および九三・四パーセントの四種類)を米国原子力委員会から購入しうることとなった。
(2) ユーラトムとの関係
欧州原子力共同体(ユーラトム)は、一九五八年活動開始以来西欧六カ国共同体の原子力開発を指導し、その域内研究計画を充実する一方、英、米、カナダとの協力協定を軸として、世界各国との協力を推進してきた。わが国もユーラトムと正式の関係を樹立することがわが国の原子力開発に資するところ大なるものがあると認め、三月二十八日付をもって、在ベルギー下田大使をユーラトムに対する日本政府代表に任命し、情報交換その他協力につとめることとなった。
ユーラトムのヒルシュ総裁は、クレケラーおよびサッセン両委員と共に、日本政府の招待により、十一月二日から同八日まで日本を公式訪問し、天皇に拝謁、池田総理大臣、小坂外務大臣、三木原子力委員長ほか原子力委員と会談し、各地視察後、日本とユーラトムの間に原子力平和利用協力協定を締結することを考慮する旨を表明し、日本の原子力委員をユーラトム施設視察のため欧州に招待する旨公式に申し入れた。
なお、ユーラトムと他の各国との関係について付言すれば、ユーラトムとブラジルとの間で昨年六月ブラジリアで協力協定が調印され、アルゼンティンとの協定も、十一月理事会で承認を受けている。また英国は、一九六一年のEEC盟申し入れに続いて、一九六二年二月二十八日首相書簡をもってユーラトム加入のため正式交渉開始の申し入れを行なっている。
(3) 国際原子力機関
国際原子力機関は漸く本格的事業遂行の段階に入り、国連拡大技術援助計画資金の増援をも得て、後進国に対する技術援助事業に著しい進捗を示しつつある。
わが国は同機関設立以来、常任的に理事国の地位を占めてつねにその基本的な方針を支持してきた。
一九六一年九月-十月の第五総会には、三木原子力委員長が首席代表として出席し、原子力平和利用推進の重要性を力説し、アジアおよび極東のためのラジオ・アイソトープ・センターをわが国に設置する用意のあることを明らかにした。
また、わが国の科学者、専門家は、従来より、国際原子力機関の主催する各種の科学的国際会議のほとんどすべてに参加しており、重要問題を検討するパネル討議に招請されたものも多い。
2 犯罪の防止および犯罪者の処遇に関するアジアおよび極東研修所
犯罪の防止および犯罪者の処遇に関するアジアおよび極東研修所を日本国に設置することに関する国際連合と日本政府との間の協定は一九六一年三月十五日、国連代表松平大使とマーティン・ヒル国連経済社会担当事務次長代理との間で署名を了したが(「わが外交の近況」第五号、五六頁参照)、この協定は一九六一年五月十七日国会の承認を得たので、協定第六条第一項の規定に基づき、六月五日付で受諾通告を国連事務総長に対して行ない、同協定は同日発効した。その後国連とわが国政府との間で協議の結果、所長にはノーヴァル・ラムズデン・モリス(オーストラリア)、高級顧問にはV・N・ピレイ(セイロン)がそれぞれ国連から任命され、次長には法務省法務総合研究所研究第二部長小川太郎が指名された。ピレイ顧問は一九六二年一月二十四日着任し、開所式は三月十五日に行なわれた。なお所長の着任は都合により六月頃となっているが、その間ピレイ顧問が協定第二条第一項(c)により所長代理の任に当っている。