追 補
-「わが外交の近況」(第五号)は昭和三十五年一月より昭和三十六年三月までの期間を中心として、世界情勢の推移とわが国外交の当面した諸問題を記述したが、その後世界情勢の面においては、ウィーンにおけるケネディ大統領とフルシチョフ首相の会談、また隣国の韓国においては軍事革命の発生等注目すべき事態が発生するとともに、わが国外交においても、戦後対日援助処理問題の実質的解決、池田総理の米国カナダ訪問小坂外務大臣の欧州諸国訪問等重要な発展を見たので、以下これら諸問題の経緯を概述することとした。-
終戦直後から昭和二十六年ごろまで、米国は戦後の異常な困難に直面していたわが国に対して、総額二十億ドルに上るぼう大な援助を行なった。これら援助の内容は、ガリオアおよびエロアの外、ガリオア予算成立以前に実施された民間供給計画に基づくもの、米軍払下物資、余剰報奨物資があり、援助物資の内容としては食糧が最も多く、その外に肥料等農業用品、石油、石炭、綿花などの工業原料、機械等もかなりの額に上っている。
終戦当時のわが国の窮状と混乱はわれわれの記憶にも生々しいものがあり、国民は異常な食糧難に直面し、戦争によって破壊された産業の復興は全く見透しがつかなかった。さらに数百万に上る海外からの引揚げ、復員を予想するとき国民をどのようにして飢餓から救うかは当時の最大の問題であったわけであり、結局あのような苦境から立直って今日の経済復興を遂げ得る基盤を築き得たのはもっぱら当時の米国の援助によるものであるといっても過言ではない。
戦後対日援助の処理に関しては、昭和二十九年当時米国との間に数回に亘り公式会談を開催した経緯がある。しかし当時は賠償問題も未解決であり、日本の対外債務の全ぼうがはっきり見透しがつかない事情でもあったので、最終解決をみるに至らなかった。しかしながら賠償問題もほとんど解決し、わが国の経済力も著しく復興した今日、政府としては日米友好関係を強化し、わが国の国際信用を高める見地から、本件をなるべく速やかに解決することが適当と考えて本地五月十日小坂外務大臣より在京ライシャワー米大使に対し本件交渉を再開したい旨申入れた。
その後日米間において会合を重ね、交渉を進めた結果、六月十日返済額四億九千万ドル、利子二・五%、十五年間の半年賦支払いということで基本的合意が成立し、引続き東京において日米両国政府の間で最終的処理のため協定作成等の話合いが進められることとなった。また返済金の使途については、米側はわが方の希望を容れ、一部を日米両国の間の教育交換計画に、残余の大部分は必要な米国の国内立法措置をへることを条件として開発途上にある諸国に対する経済援助に使用されることとなった。
この問題についてわが国と同様の立場にある西独は、すでに八年前すなわち昭和二十八年に本件に関する返済協定を米国との間に締結した。返済協定は二つに分れ、第一の協定はガリオア等経済援助に関するもので、総額三〇億一四〇〇万ドルを約三分の二切り捨て、一〇億ドルを返済することとしている。他の協定は余剰物資協定で、これは二億三〇〇万ドル全額を返済するものである。前者の返済条件は、五年据置、三十年の半年賦、利子二・五%、後者は五年据置、二十五年の半年賦、利子二・三七五%である。
西独は、ガリオア関係債務についてはその後協定どおりの返済を行ない、昭和三十四年三月には一億五千万ドルを、また本年四月には未払元金の大部分五億八千七百万ドルをそれぞれ繰上支払いした。なお余剰物資関係債務についてもすでにほとんどが返済されている。
今回日米間において基本的合意を見た本件の解決は、かつて昭和二十九年当時日本側が示唆した返済額よりもかなり低い数字になっており、また返済金の使途についても日本側の希望がほぼ認められている。またことに返済金支払いの財源についても、見返資金を引継いだ産業投資特別会計の見返資金関係収入の範囲内で支払いうるといった諸点からみて、西独の例にもかんがみ、今回の解決は、日本側として決して不利でない解決であると思われる。
最後に、戦後の対日援助についてこれが贈与であって返済を要するものでないという意見が一部にはあるが、この点についてはすでにしばしば国会等でも説明されているように、本件援助が贈与であると米側が言明したことはないのであって、極東委員会決定等の諸資料、マッカーサー元帥始め米国政府関係者の証言などによっても、本件援助が後日何らかの形で処理され、あるいは返済されるべきものであるという趣旨は明瞭であると考えられる。
いずれにせよ、この点は西独の場合も同様であり、わが国としては国際信用の上からも本件をすみやかに解決して新しい立場からさらに一層日米協力の態勢を整えることが肝要であると考えられる。
池田内閣総理大臣は、ケネディ・アメリカ合衆国大統領およびディーフェンベーカー・カナダ首相の招待に応え、本年六月十八日夫人ならびに小坂外務大臣以下を同伴、東京を出発、米加両国訪問の途についた。往路は、ホノルル、ロス・アンジェルスを経て、二十日ワシントンに到着、二十日、二十一日、二十二日の三日間にわたり、ケネディ大統領始め、ラスク国務長官、ディロン財務長官、その他米国政府、議会の要人と会談を行ない、二十二日共同声明を発表、また上、下院両院に招かれ、両院において演説を行なった。
ついで二十四日ワシントン出発、ニュー・ヨークに赴き、ハマーシヨルド国連事務総長始め各界の指導者と会談後、二十五日カナダ政府機にてオタワ到着、二十六日ディーフェンベーカー首相と会談、カナダ議会を訪問、同日日加共同声明を発表した後、オタワを出発、シカゴ、サン・フランシスコ、ホノルルを経由して、六月三十日帰国した。
池田総理今回の訪米は、米国においてはケネディ大統領が新たに大統領に選ばれて政府を組織したので、これと膝をつき合わせて広く日米に共通なる問題について卒直、かつ、建設的な意見の交換をとげんとするにあり、とくに特定の問題について米国政府との間に交換を行なわんとするものではなかった。総理は、二十日および二十一日の両日ケネディ大統領と会談を行なった外(二十二日も会談を行なうはずであったが、ケ大統領病気のため取止めとなった)、ラスク長官等とも会談した。
これらの会談においては、後記の日米共同声明に見られる如く、自由と正義に基づく世界平和の問題から、中共問題を始めとするアジアの諸問題、核実験軍縮問題、国際経済問題、低開発国援助問題、経済教育科学の分野における日米協力、琉球小笠原問題等広範な分野にわたって卒直な討議が行なわれ、日米両国が今後ますます提携を深め、世界平和の確立のために前進することが確認された。ことに貿易と経済問題に関する日米合同委員会ならびに教育科学文化に関する日米委員会の設立につき合意をみたことはこの分野における日米協力を一層深めるものとして注目された。
六月二十二日発表された日米共同声明および六月二十六日発表された日加共同声明の全文は次のとおりである。
日米共同声明
ケネディ大統領と池田総理大臣は、現下の国際情勢および日米両国の関係について、建設的かつ、友好的な意見の交換を行ない、本日これを終了した。この会談には、ラスク国務長官、小坂外務大臣および日米両国の関係官が参加した。
大統領と総理大臣は、自由を擁護しようと決意している諸国民が当面している種々の問題を討議するとともに、自由と正義に基づく世界平和確立のための努力を一層強化せんとする両国の決意を再確認した。大統領および総理大臣は、また、世界平和維持機構としての国連の権威を高めることが、両国共通の政策であることを強調した。
大統領と総理大臣は、アジアの情勢の不安定な局面について関心を表明し、この地域における安定と福祉とに資する方途を見出すため、今後さらに緊密な協議を行なうことに意見の一致をみた。アジアの情勢についての両者の会談においては、中共に関連する諸問題も検討された。両者は、また、両国の韓国との関係についても意見を交換した。
大統領と総理大臣は、実効的な査察および管理の措置を伴なう核実験停止協定が緊要であることを認めるとともに、かかる協定が世界平和のためきわめて重要であることに意見の一致をみた。両者は、さらに、全面軍縮に向って新らたな努力が行なわるべきであるとの確信を表明した。
大統領と総理大臣は、世界経済情勢を検討した。両者は、全世界の自由諸国が緊密な協力を続けるべきであり、とくに国際貿易の成長と金融の安定を促進するための協力が必要であることについて意見の一致をみた。両者は、日米両国間の貿易が秩序ある発展をとげることを期待して、両国が自由な貿易政策をとるべきことに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、低開発諸国に対する開発援助の重要性を強調した。総理大臣は、これに関連して東アジアに対する開発援助に特別の関心を表明した。両者は、かかる援助について意見の交換を行なうことに合意し、また両国が、それぞれの能力の許す範囲内において、積極的な努力を払うことに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、日米両国の提携が鞏固な基礎の上に立っていることに満足の意を表明した。両者は、両国間に存するこの提携を強化するために、貿易および経済問題に関する閣僚級の日米合同委員会を設立し、これによって相互協力および安全保障条約第二条の目的達成に資することに意見の一致をみた。
大統領と総理大臣は、また、教育、文化および科学の分野における両国間の協力をより広範なものとすることの重要性を認めた。このため両者は、二つの日米委員会、すなわち、その一つは両国の間の文化および教育上の協力の拡大を検討する委員会、もう一つは科学上の協力を促進する方途を研究する委員会を設立することに同意した。
大統領と総理大臣は、米国の施政下にあるが、同時に日本が潜在主権を保有する琉球および小笠原諸島に関連する諸事項に関し、意見を交換した。大統領は、米国が琉球住民の安寧と福祉を増進するため一層の努力を払う旨確言し、さらに、この努力に対する日本の協力を歓迎する旨述べた。総理大臣は、日本がこの目的のため米国と引続き協力する旨確言した。
日加共同声明
池田日本国総理大臣は、ディーフェンベーカー・カナダ国総理大臣の招待に基づくオタワ訪問を本日終了した。池田首相は、小坂外相および日本政府職員を同行した。
ディーフェンベーカー首相と池田首相は、グリーン外相および小坂外相とともに、両国にとって関心のある種々の国際問題および日加両国関係に影響のある諸問題に関し意見を交換した。
両者は、特に最近の極東情勢に注目して、東西関係について検討した。両者は、ラオスが真の独立を確保し、中立であるべき必要について意見が一致した。またアジアの低開発諸国との経済協力の重要性について意見の一致をみた。さらに両者は中共について意見を交換した。
池田首相およびディーフェンベーカー首相は、国連における日加両国代表団が引続き協力を続ける必要についても、見解の一致をみた。両者は、この分野において将来両国間の協力がさらに緊密となることを期待している旨を強調した。
両国首相はまた、日加両国の経済関係を検討したが、池田首相は、カナダ産業に対する被害を回避するためのカナダ生産と競争的な日本商品については、秩序ある輸出の原則を再確認し、これに対しディーフェンベーカー首相は、カナダ政府は両国間の双方にとり利益となる貿易が引続き拡大してゆくことを期待してことを確認した。
ディーフェンベーカー首相は、日本がカナダにおける日本の資本の導入および発展に関心を有することを認め、この種の企業の運営に関連して必要な日本国民のカナダ入国について、相互に満足な取計らいをなすべきことを述べた。池田首相は、カナダにとって関心のある商品を含む日本政府の輸入自由化促進計画を説明した。
両首相は、重要度を加えつつある日加関係にかんがみ、日加閣僚委員会を設けることに意見の一致をみた。この委員会は交渉のための組織ではなく、両国の閣僚間に貴重な接触の手段を与えるものである。この委員会は、両国閣僚が随時互いに訪問して、とくに経済の分野で共通の利害のある事項について意見の交換を行ない、お互いの問題に通暁するためである。
会談を終えるに当って、池田首相はディフェンベーカー首相に対し、従来からの訪日招待を重ねて申述べ、ディーフェンベーカー首相は、将来双方に都合のよい時期に日本を訪問する旨述べた。
小坂外務大臣は、牛場外務省経済局長、法眼同欧亜局長以下の随員を伴ない、本年七月四日から十四日までにわたり、英国、フランス、イタリアおよびドイツ政府の公式の招待によりこれら諸国を訪問した。また小坂大臣は、ローマ滞在中ヴァチカンを訪問し、教皇に謁見した。今回の小坂大臣の訪欧は、池田総理大臣の米国、カナダ訪問に引続き行われたもので、同大臣は、欧州諸国政府首脳者と会見し、重要な国際問題について率直な意見の交換を行ない、また貿易問題をも含む二国間の諸問題についても十分に討議するところがあった。これら欧州諸国おける小坂大臣と政府首脳者との会談終了後発表された共同コミュニケの全文はそれぞれ次のとおりである。
日・英共同コミュニケ 一九六一年七月八日
小坂外務大臣は英国政府の招待により七月五日から七月八日まで英国を訪問した。小坂外務大臣は滞英中マクミラン総理大臣、ロイド大蔵大臣、ヒューム外務大臣、モードリング商務大臣およびその他の英国政府首脳者と会談した。
これらの会談は、極めて友好的な雰囲気のうちに行なわれ、両国が共通の関心を有する当面の諸問題とともに国際情勢一般について隔意なき意見の交換が行なわれた。両国外務大臣は国際情勢の判断において原則的に一致したことを満足をもって認めた。
両国外務大臣は、両国の政策が国際連合の権威を高め、自由と正義に基づく恒久的世界平和の確立にあることを再確認した。両国外務大臣は、ひとしく自由世界の有力なる一員として、両国が一層緊密に協力し、もって日英間の結びつきと自由世界の団結を強化することに意見の一致をみた。
この目的のため、両国外務大臣は、貿易の拡大、通商航海条約の早期締結ならびに両国の指導的な産業人および実業人相互間の理解を促進するような方策の推進に努力することに意見の一致をみた。両国外務大臣は、また、日英文化協定に基づき両国間の文化的結びつきを強化することに意見の一致をみた。両国外務大臣は、新生諸国との技術的、経済的協力の拡大に協力することに意見の一致をみた。
両国外務大臣は、近年両国間の友好関係が多大の進展をとげたことに同慶の意を表し、小坂外務大臣の訪英により、この友好の絆が一層強化されたことを喜びをもって認めた。両国外務大臣は、両国が共通の関心を有する重要な国際問題について常時情報および意見の交換を行なうことを約した。
日・仏共同コミュニケ 一九六一年七月十一日
小坂外務大臣はフランス共和国政府の招待により七月八日から十一日までパリを公式訪問した。
小坂外務大臣は滞仏中ドゴール大統領およびドブレ総理大臣と会見した。クーヴ・ド・ミュルヴィル外務大臣不在のため小坂外務大臣はジャッキノ国務大臣、ジョックス国務大臣を訪問し、またボームガルトネル大蔵大臣を訪問した。
会談は極めて友好的な雰囲気のうちに行なわれ、国際情勢一般ならびにとくに両国に関係の深い諸問題について検討された。これらの会談において、自由と正義に基づく平和を希求する両国の決意が確認された。
さらに両国間の貿易発展のために新たな努力が行なわるべきであることが、双方により了解され、また低開発諸国に対する経済援助のための両国の協力を強化することが望ましいことが了解された。
小坂外務大臣および仏側各大臣は、日仏間の文化的、技術的、科学的交流を一層活発化することに意見の一致をみた。
小坂外務大臣および仏側各大臣は、近年両国間の友好関係が強化されたことに満足の意を表するとともに、こんごあらゆる分野において一層緊密に協力するとの両国政府の共通の意思を確認した。
日・伊共同コミュニケ 一九六一年七月十三日
小坂外務大臣は、イタリア共和国政府の招待により牛場外務省経済局長、法眼外務省欧亜局長以下の随員を伴ない、七月十一日から十二日までイタリアを訪問した。
小坂外務大臣は、滞伊中、グロンキ大統領に謁見、ファンファーニ首相、セーニ外相およびマルチネリ貿易相とルッソおよびストルキ両外務政務次官同席の下に会談した。
両国外務大臣は、友好的な雰囲気のうちに、両国が共通の関心を有する諸問題および国際情勢一般に関し、隔意なき意見の交換を行なった。本会談は、六月東京において両国外務大臣の間に行なわれた会談の延長であった。
両国外務大臣は、両国が自由と正義に基づく平和の達成を希求する点において基本的理念を一にすることを再確認し、ひとしく自由主義諸国の一員として、かかる目的達成のため緊密に協力することに意見の一致をみた。
両国外務大臣は、両国間の貿易拡大が両国共通の利益であることを認め、このため双方においてあらゆる努力を行なうことに意見の一致を見、またこのために両国外務大臣はこれらの発展を促進するための適切なる方途について合意に達した。
両国外務大臣は、文化面の交流が両国の国交においてつねに重要な意義を有してきたことを認め、近年この分野で顕著な進展がなされたことに満足の意を表明した。
両国外務大臣は、両国間の友好関係が最近ますます緊密の度を加えつつあることに同慶の意を表するとともに、今後さらにこれを発展せしめることに意見の一致をみた。また、とくに今回の小坂外務大臣の訪伊がこれに多大の貢献をなしたことを満足をもって認めた。
日・独共同コミュニケ 一九六一年七月十五日
小坂外務大臣は、ドイツ連邦共和国政府の招待により、牛場外務省経済局長、法眼外務省欧亜局長以下の随員を伴ない一九六一年七月十三日より十六日までドイツを訪問した。
小坂外務大臣は、滞独中、リュプケ大統領に謁見し、アデナウアー首相およびブレンターノ外相等と会談した。
これら諸会談は、国際情勢一般および両国が関心を有している諸問題について友好的な雰囲気のうちに行なわれ広範なる意見の一致を見た。また、両国間の貿易拡大のため双方において努力を継続すべきことおよび欧州経済共同体と日本との貿易拡大が望ましいことに合意を見た。さらに低開発国の経済発展のため、両国の協力を増進し、かつ、日本のOECDとの協力をできる限り緊密ならしめる努力をなすべきことに意見の一致を見た。
両国外務大臣は、平和と自由裡のドイツ統一が欧州における最重要問題であることを再確認するとともに、民族自決の権利が全ドイツにおいて行使されれば世界の緊張緩和と平和維持のため至大の貢献をなすであろうことに意見の一致を見た。
両国外務大臣は、両国民間の百年にわたる友好関係が近年ますます緊密の度を加えつつあることに同慶の意を表するとともに、最近の両国間の政府首脳の訪問交換がこれに多大の貢献をなしたことを満足をもって認めた。
両国外務大臣は、自由主義諸国の一員たる両国間の協力を今後とも各種の分野においてより緊密にすることに意見の一致を見た。