五 海外移住の現状と邦人の海外渡航

1、移住体制の強化

(1) 日伯移植民協定の調印

約二カ年に亙る交渉がまとまり、昨年十一月十四日リオ・デ・ジャネイロにおいて「移住および植民に関する日本国とブラジル合衆国との間の協定」が調印された。この協定は五十カ条から成る詳細なもので、わが国にとり初の本格的な移住協定である。協定は、日本人の対伯移住を自由移住と計画移住(両政府が自ら責任をもって計画的に実施する移住)とに分け、主として計画移住に関して、その募集、選考、送出、受入、植民の各段階につき、両政府の分担業務、援助の内容等を規定している。この協定により、第一に、日本人の対伯移住とくに計画移住は両国の正式の合意に基づくものとして法的に裏づけされ、そこに安定性と計画性とを期待することができる。第二に移住者に対する伯側当局の特別の援助(融資、無税通関、道路および試験農場の建設、地方税の免除、医療教育等に関するもの)が協定上の義務として約束される。第三に、技術、工業移住が正式に計画移住として認められ(第九条(c)項および(d)項)、一般の農業関係計画移住と同じく、伯側の厚い援助を受けることができる。第四に、混合委員会(第四十三条ないし第四十八条)が設置され、両国政府が日本人の対伯移住に関する一切の問題を円満に話し合いで解決してゆく場が与えられる。なお交換公文では、入植比率に関する特例(第一項)、最恵国待遇および本国送金の自由(第二項)が規定された。

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(2) ブラジル向け技術移住者の公募

本年二月、日本海外協会連合会は、ブラジル向け技術移住者の公募を開始した。募集は各県の地方海外協会が、公共職業安定所よりあっせんのあったものを選考委員会(商工会議所も参加する)において選考し、合格者を日本海外協会連合会に推せんする形で実施される。第一回(三月末日締切)は、九職種三十二名で、サン・パウロ市および近郊の五会社の求人に基づいて行なわれた。雇傭条件は月給二万五千円から十二万円まで、住宅は会社のあっせん、費用自己負担である。雇傭期間は原則として二年であるが、永住を目的とする者のみを選考することとなっている。

邦人技術者に対する求人はブラジル、アルゼンティン等において続々ときており、この種の移住は今後急速に発展する見込みである。

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(3) 渡航費貸付条件の大巾な緩和 

国が海外協会連合会を通じて移住者に行なう渡航費の貸付は、政府の移住振興策の基本をなすものであるが、昨年四月一日から「財団法人日本海外協会連合会に対する移住者渡航費貸付資金の貸付条件等に関する法律」(昭和三十五年三月三十一日法律第四十六号)が施行され、利率は五分五厘から三分六厘五毛に、据置期間は四年から十年に、償還期限(据置期間を含む)は十二年から二十年にと、大巾に緩和された。

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(4) ボリヴィアとの移住協定の期限一年延長

一九五六年八月二日に調印された「日本国政府とボリヴィア国政府との間の移住協定」は、それ自体に期限はないが、第一条で「署名の日から五年の期間において一千家族又は六千人」の入国を認めているところ、本年八月一日に右の「五年の期間」が満了するので、本年二月十一日、ラ・パスにおいてわが方井沢公使とボ側外務大臣代理タマヨ外務次官との間で、右の期間をさらに一年延長する旨の交換公文をとりかわした。

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(5) 移住のための財政支出

昭和三十五年度(一九六〇年四月-一九六一年三月)において、政府は、移住振興費として約十一億円を支出したほか、日本海外移住振興会社の増資分五億円を引受けた。移住振興費のうち、一億八千万円は日本海外協会連合会の事業費補助金であるが、これは前年度に比べ約二倍の増額であり、とくに子弟教育費のごとき新規の支出も含まれている。

また昨年度から新たに移住者支度金補助金の制度が設けられ、大人五、〇〇〇円、子供二、五〇〇円、幼児一、二五〇円が、また困窮家族には、三〇、〇〇〇円の加算金が支給され、なお昭和三十六年度予算の移住振興費には約十三億円が計上されている。

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(6) 海外移住審議会の答申

昨年一月八日の内閣総理大臣よりの諮問に答え、同八月十九日、海外移住審議会は、「海外移住に関する当面の振興方策についての答申」を行なった。この答申にも示された移住の基本的理念についてはすでに総説で述べたが、具体的な振興方策として答申は、第一に、啓発宣伝の強化、とくにその市町村の末端に至るまでの浸透、募集活動の徹底、第二に国内選出、海外受入の態勢の整備を、第三に、移住者のための資金援助措置を強調している。外務省としては、今後の施策の中に、右の答申の趣旨を十分に反映させてゆく方針である。

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2、各移住先国における受入状況および送出実績

(1) 中南米各国の受入状況

 北部ブラジル

昭和三十五年度(一九六〇年四月-一九六一年三月)においては、連邦植民地の受入れに代わってアマゾナス州およびマラニヨン州が植民地を拡張または新設して邦人移住者の受入れを行なった。両州とも邦人に約十カ月間の生活補給金を給するほか、道路の整備に意を尽し、マラニオン州のロザリオおよびムルアイ両地区は立派な住宅も建設して邦人を迎えている。

トメアスー移住地へは、指名呼寄せが大部分で、公募はわずか四家族二二名に終わったが、第二トメアスー移住地建設が軌道にのれば、今後は増大するであろう。

 中部ブラジル

昭和三十五年度も、前年度に引き続いて州植民地の拡張がなされ、立派な住宅を用意して邦人自営用開拓農の受入れが行なわれた。また、移住振興会社の手により開設されたリオ・デ・ジャネイロ市近郊のフンシャール地区の受入れが開始され、その第一陣九家族が入植した。

その他分益農としてレシーフェ市近郊に、指名呼寄せとして各地に若干名ずつ移住した。

 南部ブラジル

南部ブラジルヘの移住者の大宗は旧移住者呼寄せによる雇用移住であるが、計画移住としては、昭和三十五年度においてもマット・グロッソ州ヴァルゼア・アレグレ移住地向け移住者、サン・パウロ州養蚕移住者、コチア産業組合扱い青年移住者の送出が行なわれ、さらに新たにサン・パウロ市近郊ジャカレイ移住地への入植が開始され、少数ながら送出された。また、リオ・グランデ・ド・スール州への移住者は主として分益農であり、将来ますますわが移住者の受入が増大するものと予想される。

その他産業開発青年隊員、東山農場研修生等が渡伯した。

 ボリヴィア

サンタ・クルース州にあるサン・ファン移住地では、従来問題であった地区内外幹線道路が整備され、主作物である米作が天候に恵まれて大豊作となるなどの事情により、人心漸く安定し、移住者は明るく定着営農に従事している。移住地建設は道路のみでなく、移住地の中、心市街地の建設も着々と進み、八月にはサン・ファン入植祭を盛大に行なうまでに至っている。

 パラグァイ

移住会社移住地、アルト・パラナ移住地が建設され、移住者の入植が開始された。この移住地は二、〇〇〇戸も入植する戦後最大の移住地で、油桐、マテ茶、グレープ・フルーツなどの永年生作物、<ruby>とうもろこし<rp>(</rp><rt>、、、、、、</rt><rp>)</rp></ruby>、大豆、米、小麦などが好適で、この移住地の将来は非常に明るいものがある。

隣接フラム・チャベスの移住地は満植となり、営農は着実に進展しつつある。また国際市場の販路開拓も大豆の対日輸出が円滑に行なわれ、明るい希望に燃えながら、移住者は営農に従事している。

 アルゼンティン

昭和三十五年度においては、アルゼンティンヘの送出はガルアペー移住地に一九名その他呼寄せ移住者等も合わせ四三名に過ぎず不振を極めた。この原因は同国への入国手続が複雑であったからである。しかし、先般在アルゼンティン大使館の交渉により手続が簡素化され、また従来とかくパラグァイのフラム、アルト・パラナ移住地の宣伝啓発の陰にかくれて注目を浴びなかったガルアペー移住地の営農状態が良好である点が認識されつつあるので、今後は好転するものと見込まれる。

なおアンデス移住地は、昭和三十五年度は造成工事が間に合わず入植できなかった。

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(2) 中南米向け送出実績

戦後のわが国の中南米諸国への移住は次のとおり着実に増加している。

  (年度)      (人数)

昭和二十七年度      五四

昭和二十八年度   一、四九八

昭和二十九年度   三、七四一

昭和三十 年度   三、五一四

昭和三十一年度   六、一六八

昭和三十二年度   七、四三九

昭和三十三年度   七、六〇六

昭和三十四年度   七、六一〇

昭和三十五年度   八、三八六

  計      四六、〇一六

右の昭和三十五年度送出実績の受入国別内訳は次のとおりである。

 (国名)       (人数)

ブラジル       六、八三二

パラグァイ       九六四

アルゼンティン      四三

ボリヴィア       四五四

ドミニカ          一

コロンビア        一一

チリ            一

アメリカ合衆国      七〇

ウルグァイ        一〇

  計        八、三八六

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(3) 派米農業労務者と西独派遣炭鉱労務者

農業労務者派米協議会によるカリフォルニア州向け短期邦人労務者の送出は、米国の景気後退が影響して昭和三十五年度は六二〇名に止まり、また契約満期前の帰国が九一名あった。帰国者の就業状況はおおむね良好であり、帰国者総数一、一四一名中、調査対象となった七〇八名のうち、帰農四六四名、中南米へ移住した者五四名、再渡米二二名、北海道等への入植一四名となっている。なお南加沙漠地帯では、一五パーセントのベースアップが行なわれた。

他方、日本石炭経営協議会は、昨年十月ルール炭鉱向け邦人炭鉱労務者の第三陣として六〇名を送出した。昭和三十五年度中の帰国者は約一六〇名である。なお在独労務者に平均一〇パーセント余のベースアップが行なわれた。

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3、移住振興会社の活動

日本海外移住振興株式会社は、昭和三十五年度五億円の増資(政府出資)により資本金二三億円となり、また米国市中銀行から一五〇万ドルの第四次借款(政府保証)を受け、これらの資金により活発に移住地事業および移住関係金融を行なった。昭和三十五年度の事業方針としては、移住地の購入を原則として差し控え、既購入移住地の造成と農業移住者に対する小口貸付けとに重点を置いた。

(1) 移住地事業

昭和三十五年度の移住地購入はイグアスー入植地(パラグァイ)のみである。同入植地は地味肥沃であり、かつ交通の便利が極めてよい。面積は約九万四千ヘクタール(東京都の半分)、価格は約一億一千万円であって、二千三百戸の入植を予定している。

他方会社は、フラム(パラグァイ)、アルト・パラナ(同)、ガルアペー(アルゼンティン)、アンデス(同)等の既購入移住地(別表参照)の造成・整備を推進し、昨年四月から十二月までの間、これらに約一億三千万円(土地代の分割払い分を含む)の資金を投入した。

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(2) 融資事業

昨年四月、会社は自営開拓移住者に対する小口融資の条件を大幅に緩和し、いわゆる「青田貸し」の制度を設けるとともに、渡航前貸付分について営農資金貸付限度額を十万円から二十万円に引き上げた。また雇傭農業移住者に対する独立援助融資の制度を復活し、一家族当り三十万円まで貸しつけることとなった。これら農業移住者融資は昨年四月から十二月までの間に一五三件約一億六千万円に達する。

企業に対する昭和三十五年度融資は二件(ブラジル豊和工業および前田農場)、四千万円に止まり、投資は皆無であったが、これはとくにブラジルにおける為替変動が著しく、債務者にとっても会社にとってもリスクの回避が困難であるからである。

会社創立(一九五六年)以来昨年末までの会社の事業実績は次表のとおりである。

1 移住地事業(計十件約十一億円)

2 投融資事業(総額約一五億円)

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4、邦人の海外渡航

(1) 概  況

昨年外務省において邦人の海外渡航のため発行した旅券の総数は五七、一五四冊(旅券の冊数は渡航人員と同一ではない。十五才未満のものは各三人まで両親の旅券に併記できるからである)で、前年に比して一四、六五五冊(三四%)増加した。昨年渡航者が激増したのは、わが国の経済界が好況で対外商業活動が活発となり、また文化部門における対外活動が旺盛となったこと等に加えて、貿易および為替自由化の措置がとられ、渡航用外貨の制限が大巾に緩和されたことによるものとみられる。本年もこの情勢は続くものと予想され、かつ移住政策等の推進により渡航者は相当増加するものとみられる。すでに本年一月から三月末までの間の旅券発行数は一五、三四五冊となり、前年同期に比し二二%の増加を示した。

なお戦後における旅券の発行数は、平和条約締結以前(一九四六年ないし一九五一年)計一三、〇六一冊、締結以降(一九五二年ないし一九六〇年)計二八一、五三一冊(別表一参照)で、昨年末まで総計二九四、五九八冊となる。

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(2) 目的別渡航状況

昨年中の渡航者を旅券に記載された渡航目的により大別すれば、商用が二三、八五五名で総数の四二%を占め、次は永住で一〇、九五三名(一九%-移住者には旅券に十五才未満の子を併記する場合が多いので実際の人員はこの数より増える)、以下文化関係八、一六四名(一四%)、役務契約四、五六八名(八%)、公用、四四四名(六%)、その他六、一七〇名(一一%)となる。これを前年に比較すれば、商用は九、七三五名(七〇%)増加し、昨年の全増加数の六六%を占め、また文化関係は三、〇七〇名(五九%)、役務契約は一、三八四名(三〇%)それぞれ増加した。反面永住は若干減少したが、これは駐留軍の引揚にともなう国際結婚(最高は一九五六年の五、九〇一名)の減少によるものとみられる。

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(3) 地域別渡航状況

昨年上期(一月-六月)における一般旅券(二五、六四〇冊)による渡航者の地域別延べ人員(例えば一名が一冊の旅券で二カ国に渡航した場合二名として計算)は五六、九五五名で前年同期に比し三七、三六四名(五二%)増加した。内訳は欧州二一、三八六名(三八%)、アジアおよび中近東一三、九七一名(二五%)、北米一三、一五八名(二三%)、中南米五、八七四名(一〇%)、アフリカ一、七三六名(三%)、大洋州八三〇名(一%)の順である(別表二参照)。北米は一九五七年までは一位を占めていたが一九五八年は二位、一九五九年以降は三位となった。他面欧州は一九五八年まで三位であったが一九五九年以降一位となり、とくに昨年上期は前年同期の二倍以上に激増した。これは昨年ローマにおけるオリンピック競技およびモスクワにおける日本産業見本市の開催の影響もあるものと思われるが、主として欧州とわが国との経済および文化関係の増進によるものとみられる。またアフリカ渡航者が前年同期の約二倍に増加したことは注目される。

同期間の国別渡航者についてみれば、米国が最も多く一一、八〇四名(前年同期比三〇%増)、二位ブラジル三、五七三名(同二〇%増)、三位香港三、二八六名(同七五%増)で、他に二千名を超えるものはドイツ三、二八五名、イギリス三、一二九名、フランス三、〇八一名、イタリア二、六二五名およびスイス二、二四四名が数えられ、これら各国はいずれも前年同期の二倍以上に増加した。なお中華民国は一、〇五四名(前年同期八九二名)、中共は一九二名(同五九名)、ソ連は三四八名(同一二二名)となっている。韓国へは昨年四月新政権の成立にともない邦人の入国制限が緩和せられ、同年十二月末まで一般旅券による渡航者は三二七名(前年は年間八名)に達した。

別表一

 旅券発行状況

別表二

 地域別渡航者数

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