英連邦関係

1、日 英 関 係

わが国は、従来とも英国との友好関係を維持増進することに努力しているが、また英国においてもわが国との関係の重要性が次第に認識され、両国の間には、かつての伝統的な友好関係の上に新しい時代の協力関係が確立されつつある。

このような日英間の友好・親善関係の発展に伴ない、政治・経済・文化その他の面における両国間の人的交流は、一層盛んとなり、相互理解の増進に資している。これら来訪者は国際会議への出席または商用のみにとどまらず、広く日本国内を旅行して対日認識を深めつつある。昨年以降の英国からの主なる来訪者としては、コロンボ・プラン東京会議の閣僚会議に出席のため来訪した外務政務次官ランズダウン公爵、王立美術館のウェリントン公爵、列国議会同盟東京会議の出席者シャクルトン卿他十七名が挙げられる。またわが国よりは、各界の訪英者はもとより、政治家の訪英もその数を増しており、昨年六月には吉田元総理大臣が米国訪問後に訪英し、マクミラン首相、チャーチル元首相その他英国政府要人と会談した。その他昨年八月には当時通産大臣であった石井光次郎氏および本年一月には元衆議院議長堤康次郎氏等が、それぞれ訪英し、英国政府要人との会談を行なっている。また衆参両院議員視察団として訪英したものの数は三十余名に上っている。

一方後述するように、昨年十月七日には日英間の多年の懸案であった日華事変に関する英国側の対日クーレム処理の問題も円満に解決され、次いで十一月三日には日英文化協定の署名調印をみるに至って、ここに日英関係は、戦後処理の段階から建設的な方向へと発展するに至った。

なお、このほか通商航海条約の締結の交渉、二重課税を防止するための条約締結交渉などがあり、その他岸前総理大臣が訪英の際のマクミラン首相との共同コミュニケによって早期締結の方針を確認された領事条約の締結は、領事の分野における両国の関係を規整し、国民の保護を容易にするのであり、わが方は英国側の提示した草案について目下予備的検討を行なっている。昨年処理された日英間諸懸案の概要はつぎのとおりである。

(1) 英国の日華事変関係クレームの解決

日華事変中、日本軍の行動により英国の法人および国民が蒙った損害に関し、かねて英国政府よりわが国に対し、平和条約第十八条(a)項の規定に基づいて、総額九九万ポンド(財産上の損害について年六分の利子を別に要求していたからこれを加算すると約二十億円となる)の補償要求が提出されていた。この問題についての両国政府間の話合は、一九五九年七月岸内閣総理大臣の英国訪問を契機として、急速に進捗し、補償金額を五十万ポンドとすることに合意が成立した。しかしわが方としては諸外国との同種取極の前例にもかんがみ、平和条約第十八条によって提起された四三九件のみならず、英国のすべての戦前クレームが、今回の解決の対象となるべきものとの見地から、これらについても日本政府の将来における免責を確保するため、英側と折衝を重ね、結局、この点に関しても意見の一致をみた。この結果、日華事変から発生したすべてのクレームをも含め、英側の対日戦前クレームが解決をみることとなり、日本国政府は完全かつ最終的に免責されることとなった。

右取極に付属して、日英間の交換書簡があるが、これにより英国政府は(一)中国政府が発行したポンド貨債について、その担保となっていた地域の中国の国有鉄道その他中国政府の収入の源泉を日本軍が支配していた日華事変中の期間における利払いに関する請求権および(二)英国の鉱業権が存在した地域を日本軍が支配していた日華事変中の期間における中国の鉱山に関する権利の侵害に関する請求権を留保している。しかしこの請求権は、英国政府が日本国政府に対して提起することもないし、当事者にもならない旨を約束しており、またこれらクレームについての日本側の責任を認めるものではないことが確認された。これによって、日英間の重要懸案となっていたこの問題は解決され、昨年十月七日東京において、小坂外務大臣とモーランド英大使との間に、右に関する取極の署名が行なわれ、即日発効した。なお、補償金額五十万ポンドは昨年十一月十日英国政府に送金された。

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(2) 日英文化協定の締結

一九五九年の七月岸内閣総理大臣が英国を訪問した際、マクミラン首相との会談において、両国将来の文化的協力を朋らかにするため文化協定の締結をはかることが合意され、共同コミュニケで早期締結の方針が確認された。その後同年十月英側は英国が従来他国と結んでいる文化協定のラインに沿った協定草案を正式に提示越した。わが方はこれを詳細検討の結果、同年十二月、戦後わが国が締結した諸文化協定とほぼ同様のわが方対案を英側に提示した。ついで昨年三月英側より日本案に対する回答を提示越したが、若干の技術的な点を除いて、ほぼわが方の案を受諾したものであったので、細目につき協議を進め、同年十一月に至り、双方完全に合意に達し、同年十二月三日東京において小坂外務大臣と在京モーランド大使との間に署名調印が行なわれた。

この協定は、日英両国間に存在する伝統的文化関係を恒常かつ確固たるものとし、さらに将来これを一層発展させるための基礎を築くことを目的としたものである。協定は前文および本文十五条からなり、別に英国文化振興会に関する交換公文があって文化交流のあらゆる分野における両国の相互協力を規定している。この協定の締結によって両国の友好関係が一層緊密化されることが期待される。

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(3) 日英財産委員会

戦時中わが国に存在した連合国人財産の返還および補償に関して生ずる紛争で、英国人に関する問題を解決するため、日英財産委員会が設置され、活動を開始したことは本書第三号および第四号で概説したが、同委員会は、日本側委員西村熊雄(常設仲裁裁判所裁判官、元駐仏大使)英国側委員サー・マイケル・ホーガン(香港最高裁判所長官)および日英両国政府が合意した中立委員として、オーケ・ホルムベック(瑞典人、元ウプサラ大学教授、元国務大臣)により構成され、同委員会における当事国たる日英両国政府は、日本側法務省検事関根達夫、英国側在京イギリス大使館一等書記官クーパー・ブライスによりそれぞれ代表された。

同委員会には補償請求事案九件(補償請求総額五六三、一二三、六二八円)、返還請求事案一件および課税取消請求事案一件、計十一件の事案が審理に付託され、各事案に対する書面審理ののち、最終段階たる口頭弁論も昨年十二月一日に終了、同月六日をもって全事案について審決があった。その結果、日本政府は英国政府に対し、二〇〇、三三三、三〇六円の補償金を支払うこととなり、ここに平和条約第十五条(a)項の規定に基づく連合国人財産の返還および補償問題のうち英国については解決を見るに至った。

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(4) 日英民間航空業務協定に基づく協議

日英民間航空業務協定に基づき、昨年七月東京において、日英民間航空当局間の非公式会談が行なわれたが、さらに九月ロンドンにおいて協議が行なわれ、両国の指定航空企業が現に運航している協定業務も検討し、さらに現在および将来の運航計画の変更によって生じうる種々の問題について意見の交換を行なった。すなわちこの協議においては、日本側については、東京からロンドンへ北極経由およびインド、中近東経由の路線サービスを行なうことを含め、一層の発展を行なう計画を検討し、英国側については、BOACの太平洋インドおよび中近東経由の世界一周サービスの一層の発展を含む計画を検討した。日英両国代表団は、また、東アジア方面の地域的な航空サービスの発展についても検討した。この協議においては、また航空輸送市場の幹線および地方的サービス両方面での急速な発展の見通しについても話合いが行なわれた。これらの協議の結果、日英両国代表団は、広範囲の問題について意見が一致した。

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2、豪州、ニユー・ジーランドとの関係

わが国と豪州およびニュー・ジーランドとの関係は戦後徐々に好転しつつあったが、とくに最近においてわが国と豪州、ニュー・ジーランド両国との間には、ともに自由陣営にあるアジアの友邦として認識が急速に深まり、両国の対日感情は著しく好転した。

わが国と豪州、ニュー・ジーランドは、ともに西太平洋に位置するため幾多の共通問題をもっており、従来あったいくつかの懸案もようやく解決の方向に向っているので、通商関係が一層の緊密さを増すのと相俟って日本との親善関係は今後一層増進されて行くことと思われる。

昨年における豪州およびニュー・ジーランドとわが国との間の主要案件の概要は次のとおりである。

(1) 日豪真珠貝漁業問題

豪州北部水域における真珠貝漁業問題は日豪間の多年にわたる懸案であり、わが国は、かねてよりその合理的解決に努力してきている。昨年の漁期におけるわが国の同水域での真珠貝採取量は、約三八五トンであり、一昨年の漁期における約三四〇トンに比し若干増加してはいるが、この採取量は、わが方としてはなお満足すべきものではないので、企業の採算性を考慮し、かつ資源に悪影響を及ぼさない適正な採取量をある程度の期間確保するような操業を可能ならしめる方法につき、豪側との間に話合いを進めるべく交渉を行なった。

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(2) ホルト・オーストラリア蔵相の訪日

オーストラリア連邦政府、ホルト蔵相は、欧州および国際通貨基金総会出席の途次、夫人および秘書官を同伴し、昨年九月四日より八日までわが国を訪問した。

外務省は、同相一行を外務省賓客として接遇し、同相は、日本滞在中に小坂外務大臣および水田大蔵大臣と会談したほか、カメラ工場、トランジスター工場等を視察した。

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(3) オブライエン大司教の訪日

戦後、オーストラリア関係日本人戦犯の釈放促進に尽力したキャンベラ・グールバン教区大司教オブライエン師は欧州歴訪の帰途、外務省賓客として、昨年十一月一日より八日までわが国を訪問した。

同大司教は滞日中、カソリック関係視察を中心にして、田中前最高裁判所長官、上智大学、および土井枢機卿を訪問したほか、奈良、京都および名古屋方面の観光および視察旅行を行なった。

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(4) ケリー・オーストラリア・ニュー・サウス・ウェルズ州内相兼観光相の訪日

ニュー・サウス・ウェルズ州政府のケリー内相兼観光相は、夫人、令息夫妻および秘書官を伴ない、本年一月十六日より同二十八日までの十二日間わが国を訪れた。

同相は、かねてより、わが国における工業および労働事情に関心をもっており、外務省としても、同相の本国州政府における地位にもかんがみ、各種工場見学に諸般の便宜を取計らった。

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3、アイルランドとの関係

第二次大戦中中立を守ったアイルランドと、わが国との関係は極めて良好であり、貿易も逐年増大し、先方の要請に基づいて日本より「ブラザー・インターナショナル」「ソニー・ラジオ工場」が現地に企業進出している。

なお太平洋戦争中、中立国であった同国の国民が蒙った損害に関し、若干の補償問題が未解決になっているので、その解決のためアイルランド側となお折衝中である。

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4、アフリカの英連邦諸国との関係

わが国とアフリカ諸国との関係は、最近とみに政治的にも経済的にも緊密化しつつあるが、昨年におけるアフリカの英連邦諸国との間の主な案件は、次のとおりである。

(1) 南ア連邦との外交関係再開

戦前わが国と南ア連邦との間には外交関係があり、わが国はプレトリアに公使館を置いていたが、戦後両国間には領事関係が設定され、わが国は、一九五二年以来プレトリアに総領事館を設置している。しかるに近年経済面を主とした両国間の関係が重要度を加えてきたことにかんがみ、両国が必要な国内的措置を完了し次第、プレリアと東京にそれぞれ大使館を設置することに両国政府の意見一致し、本年三月一日この旨公表した。

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(2) 在ソールズベリー総領事館の開館

政府は、近時ローデシア・ニアサランド連邦との経済関係の緊密化に鑑み、昨年四月一日から、ソールズベリー総領事館を開設することを決めていたが、本年三月八日深井竜雄総領事が着任、開館した。

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(3) ナイジェリア連邦独立式典への特派大使派遣

ナイジェリア連邦は、昨年十月一日英連邦内において独立し、その独立式典に、わが国代表の出席方招請があったので、わが国は、同国との友好親善関係を増進するため、アラスカ・パルプ社々長笹山忠夫を特派大使として派遣し、同式典に参列せしめた。

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(4) ルレ・ウガンダ教育厚生相の訪日

ルレ・ウガンダ教育厚生相は、昨年十二月十二日来日、同二十二日まで滞在した。この訪日は、ウガンダ政府要人の最初の訪日でもあり、政府は会談、視察などのため、全面的に便宜を取計らった。

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5、国際捕鯨に関する諸問題

わが国の加盟している国際捕鯨取締条約は、鯨類資源を保護しつつ捕鯨業を育成してゆくことを主眼とし、捕獲する鯨の体長、捕鯨期間、漁場等を制限しているが、捕鯨操業自体は、自由競争を原則とするものであった。しかし最近における捕鯨船団の急激な増強に伴ない、鯨類資源保存の観点から南氷洋捕鯨頭数の国別割当問題が提起され、自主的ではあるが、自由競争に自ら修正を加える方向が表面化してきた。これに関する昨年以来の主要な動きは次のとおりである。

(1) 国際捕鯨委員会第十二回会議

国際捕鯨委員会第十二回会議は、昨年六月二十日ロンドンにおいて開催され、わが国からは、西村水産庁長官外五名が出席した。この会議は、一昨年六月にノールウェーおよびオランダが国際捕鯨取締条約から脱退したため、従来の会議と異り、南氷洋捕鯨出漁国で会議に正式代表を派遣したのは、日本、英国およびソ連の三カ国のみで、前記脱退両国からは単にオブザーヴァーの出席があったのみであった。

しかしながら会議では南氷洋捕鯨に重大な関係のある諸問題が討議され、その結果、

(イ) 南氷洋におけるざとう鯨の捕獲について、三年間にわたり、第四区の全面禁止および第五区での漁期を四日間より三日間に短縮すること、(ロ)しろながす鯨の解禁日の繰下げおよび(ハ)二年間にかぎり南氷洋捕獲頭数制限の撤廃の三点につき附表の修正が行なわれた。

しかしこの附表修正はいずれもわが国捕鯨業の利益に反するもので、わが国としては受諾し難いものであったので、昨年九月二十三日条約第五条三項の規定に従い、異議の申立てを行ない、わが国は、これらの附表修正には拘束されないこととなった。なおこの会議においては、この他前記脱退両国に対する条約復帰の呼びかけおよび一九六〇~六一年度漁期における南氷洋捕鯨出漁国の自主的制限捕獲量を前漁期よりも増大しないこと等の決議が採択された。

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(2) ノールウェーの国際捕鯨取締条約復帰

ノールウェーは本書第四号において述べたとおり、一九五九年六月国際捕鯨取締条約から脱退し、従って、同国は、一九五九~六〇年漁期には自国の自主的規制以外には、同条約の諸規制には、拘束されずに操業した。しかし、昨年六月国際捕鯨委員会第十二回会議は、ノールウェーとオランダの同条約復帰を呼びかける決議を採択したので、ノールウェーは、これに応じ、一応同条約に復帰した。また本年一月より長らくノールウェー国際捕鯨委員として活躍した Mr. Gunnar Jahn に代り、Mr. Gustav Sjaastad が同国の新国際捕鯨委員として任命された。

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(3) 南氷洋ざとう鯨に関する日・豪間非公式会談

国際捕鯨委員会第十二回会議で採択された附表修正(別項参照)のうち、南氷洋におけるざとう鯨の捕獲に関するものは、南氷洋から廻遊してくるざとう鯨を主として捕獲しているオーストラリアにより提案されていたものであったが、前述のとおりわが国はこの附表修正に異議を申立てたので、オーストラリアより昨年十月、最近南氷洋のざとう鯨が著しく減少しつつある事実にも鑑み、その資源の保護対策につき日本側と話合いを行ないたい旨の申入れがあった。これに対しわが国は、前記異議申立を撤回する意思はないが、鯨資源の保護には深い関心があるので、オーストラリア側の申入れに応ずる旨を回答、昨年十一月三十日より東京において日豪間の非公式会談を開催した。

本会談には豪側からモロニー第一次産業省次官外四名、日本側からは西村水産庁長官外数名が出席し、ざとう鯨の資源状態および保護対策につき活発な意見の交換が行なわれ、日豪双方とも互いに相手国捕鯨業の実情につき認識を深めたが、その結果、日本側は、オーストラリア沿岸捕鯨が主としてざとう鯨のみに依存している特殊事情にも鑑み、一九六〇~六一年漁期では、南氷洋第四区の操業期間を条約に基づく四日間(注)から自主的に二日間に短縮することとした。

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(4) 南氷洋捕鯨国別割当会議

南氷洋鯨資源の乱獲を避け、かつ、捕鯨業の恒久化を図るための国別割当については、一九五九年五月の東京会議および同年六月の国際捕鯨委員会第十一回会議の際の討議(本書第四号参照)以来何らの発展も見られなかったが、昨年九月ノールウェーが国際捕鯨取締条約に復帰したのに伴ない、関係南氷洋捕鯨出漁国間でこの問題につき会議を再開することに合意を見、本年二月二十一日より三日間ロンドンにおいて南氷洋捕鯨国別割当会議が開催され、日本、英国、ノールウェー、およびオランダが参加、すでに二〇%の割当を得ているソ連はオブザーヴァーを派遣した。

会議では国別割当量に関しすでに提出されていた英国案を始め、会議場で提出された各国の案について意見が交換され、その結果各国間の意見の差はごくわずかを残すのみとなり、問題の解決に大きく前進したが、最終的な合意には到達しなかった。しかしながら本問題の重要性にも鑑み、関係国間で問題の円満な解決が強く望まれたので、本年再び関係国間で話合いが続けられることになった。

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(注) 前述のとおり、国際捕鯨委員会第十二回会議での附表修正により、南水洋第四区でのざとう鯨の捕獲は三年間全面禁止されることになったが、わが国はこの附表修正に異議を申立てたため、修正前の条約上認められている四日間は、捕獲できることとなっている。