北米関係

1、日米修好通商百年記念事業

昨年は日米修好通商百周年に当り、皇太子、同妃両殿下の訪米をはじめとする各種の祝賀記念行事が日米両国の各地においてきわめて盛大に挙行せられたが、日米両国民の相互理解と親善友好関係は、これらの行事を通じて一層増進されたものと認められる。

(1) 政府諸機関による主な記念行事としては、皇太子、同妃両殿下の訪米、日米修好通商百年記念切手の発行、運輸省航海訓練所練習船日本丸および海王丸の訪米のほか、戦後わが国の再建あるいは従来日米両国の親善増進に寄与した米国人等四八名に対する勲章下賜などがある。また外務省は、この機会に長期在米の一世に対し、その長年の労苦に敬意と謝意を表する意味で、外務大臣の表彰状および木杯を贈呈したが、被表彰者の数は米国全体で二、四九九名に達した。

(2) 日米修好通商百年の各種祝賀記念行事は、東京都をはじめとする地方公共団体、また財団法人日米修好通商百年記念行事運営会を中心とする各種民間団体においても活発盛大に挙行された。日米修好通商百年記念行事運営会は日米修好通商百年を機会に、日米親善の促進と通商の伸張をはかり両国経済の一層の緊密化に寄与することを目的として、一九五九年十二月民間有志団体により設立された財団法人(会長石坂泰三氏)で、日米修好通商百年記念親善使節団の米国派遣、在米有力者夫妻の招待、記念祝賀音楽会、晩餐会の開催、記念ドラマおよび作曲の懸賞募集、日米関係米人功労者の顕彰、万延元年遣米使節等の記念碑の建立、遣米使節史料集成の刊行等を行なったほか、記念国情展の開催または後援、下田および浦賀における黒船祭を共催するなど、その事業活動はきわめて多彩なものがあった。

(3) 岸内閣総理大臣は、昨年一月訪米、アイゼンハワー大統領と会談した際に、日米修好通商百周年を機会に日本を訪問するよう招待し、アイゼンハワー大統領は六月に訪日の予定であったが、六月十日の羽田空港におけるハガティ事件、同月十五日の国会デモ等のふん囲気の中で大統領の訪日を実現することは適当でないとの判断から、政府は同大統領の訪日招待を一時延期することとした。

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2、ハワイ官約移住七十五周年記念祝典

昨年は明治十八年(一八八五年)わが国の第一回官約移民がハワイ地域に移住してから丁度七十五年目に当り、これを記念するためハワイ州においては、八月二十日より一週間ハワイ官約移住七十五周年記念祝典が開催せられた。わが国からは高松宮、同妃両殿下が、ハワイ州知事ならびに現地の祝賀実行委員会の招待により、ハワイ州を訪問、ハワイ州各島における祝典行事に参加された。

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3、対日平和条約に基づく義務の履行

(1) 連合国財産の返還および補償

わが政府は対日平和条約第十五条(a)の規定に基づき、連合国人に対し、戦争中わが国内にあって敵産管理等戦時特別措置に付せられた財産を返還し、またその財産が戦争の結果返還不能になり、または損害を蒙った場合にはこれを補償する義務を負っている。

しかし連合国政府がその財産の返還または補償につき日本国政府のとった措置に満足しなかった場合、当該連合国政府は日本国政府に対し財産委員会(両国政府がそれぞれ単独に任命する各一名の委員に両国政府の合意により任命される第三の委員を加えた三名の委員によって構成される)の設置を要請し、紛争案件を同委員会に最終的解決のため付託しうることになっている。

右のうち米国およびカナダ関係財産の返還については、財産委員会付託などの問題は起らず、米国関係は一九五九年六月、またカナダ関係は一九五八年二月それぞれ財産の返還を完了した。

他方米国関係財産補償については十七件の案件につき日米間の合意が成立しなかったので、一九五七年七月米国政府の要求により日米財産委員会が設置され、日本側委員には西村熊雄元特命全権大使が、米側委員にはライオネル・サマーズ東京駐在米国総領事が、また第三の委員にはスウェーデン人アンダース・トーステン・サレン在ベルリン最高返還裁判所長官が、それぞれ任命された。同委員会には前記十七件(請求金額合計一六六億六千万円)が米国側より付託され、審理の結果、昨年七月二十日総額六八億七百万円の審決が下され、同年十二月二十八日同委員会は廃止された。

なお日加間においてもカナダ政府の要求により一九五八年六月一日財産委員会が設置されたが、同委員会にカナダ側が付託の意向を表明した五件の案件は、現実に審理の段階に入る前に、一九五九年九月日加両国政府代表間の話合いで解決(請求額合計七九八九万円に対し支払額五九〇六万円)したので、日加財産委員会は審決を行なうことなく同年十一月廃止された。

かくして米国およびカナダ関係財産補償は、最終的に解決されたが、その件数、請求金額、補償金額などの詳細は次表のとおりである。

       米国およびカナダ関係補償状況一覧表

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(2) 戦前債務

対日平和条約第十八条は太平洋戦争以前に生じた債務の支払いないし提起された戦前クレイムの審議についてのわが国の義務を規定している。この規定に基づき日華事変中に生じたクレイムとして米国から六件、カナダから三件が提起されている。

これらのクレイムは、いずれも発生以来相当の日時が経過しており、また証拠とすべきものが滅失している場合が少なくないので、審査は困難を極めているが、わが政府としては平和条約の精神および関係国との友好関係にかんがみ、これが解決のため関係当局者の間で鋭意検討を行なうとともに、関係国側とも円満妥決のため交渉を続けている。

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4、生産性向上計画

一九五五年四月日米両国政府間に締結された生産性向上計画に関する協定に基づき、昨年も前年に引続きわが国の経営者、技術者、労働者代表等が多数米国または西欧諸国に派遣されて、これら諸国の国内諸産業を視察したほか、米国からは専門家が招へいされ、また技術資料の提供をも受けてきた。

わが国における生産性向上計画の実施機関は、財団法人日本生産性本部(会長足立正氏)であって、前記の各種技術交流事業を行なっているが、その資金は米国の対日技術援助資金(政府および民間)から醵出されている。

一九六〇および六一各米会計年度における米国の右援助額はそれぞれ二〇〇万ドルおよび一三〇万ドル、昭和三十

五年度の本計画国内資金は約七億三千五百万円で、また昨年度中に本計画によって米国に派遣されたわが国の視察団は、一般経営者関係三九チーム四〇七名(うち四チーム四七名は旅費滞在費等自己負担)、中小企業関係一三チーム一三九名、労働団体関係一七チーム一六〇名、農林関係一八チーム一二一名、計八七チーム八二七名に達した。

なお、本計画開始以来一九六一米会計年度までの米国の援助額累計は、約一、二〇〇万ドル、昨年度末までに米国に派遣された視察団は、約三五〇チーム三、三八〇名に達している。

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5、北太平洋漁業国際委員会

一九五三年六月十二日に、日米加三国の間に発効した「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」は、北太平洋の漁業資源の最大の持続的生産性を確保することを目的とし、この条約に基づきわが国は条約附属書に列記されている北米系のおひよう、にしんおよびさけ・ます(西経一七五度以東の水域のもの)の漁獲を自発的に抑止する義務を負っている。

この条約により設立されている「北太平洋漁業国際委員会は、(イ)条約附属書に列記されている魚種が自発的抑止のための条件(条約第四条一(b)参照)を備えているかどうかを決定すること、および(ロ)さけ・ますの場合はアジア系さけ・ますと北米系さけ・ますが交錯しているので、両者を最も衡平に分つ線が現在の暫定抑止線(西経一七五度)かどうかを決定することを任務としており、そのため毎年年次会議を開催する。その第七回定例年次会議は、昨年十一月にカナダのヴァンクーヴァーにおいて開催され、次の審議が行なわれた。

(イ) 自発的抑止関係

米加は、附属書に列記されている魚種はいずれも自発的抑止のための条件を備えていると主張し、日本側は、米加がその十分な証明を行なっていないとの立場をとり、合意に達しなかった。なお一昨年の会議で、条件を備えていないと決定されたアラスカにしんは、昨年五月二十四日に条約附属書より削除された。

(ロ) 暫定抑止線関係

米国は、わが国の母船式さけ・ます漁業が、暫定抑止線の西側の近接水域において北米ブリストル湾系べにさけを多量に漁獲しているとして、抑止線の西方への移行を従来とも繰返し主張しているが、わが国は米側主張には十分な科学的根拠がなく、より一層の科学調査の推進を主張している。委員会は、この抑止線を決定する基礎となる条約附属議定書の意図の解釈を再び締約国政府に求めるとともに、一九五八年の漁業資源の保存決議を再確認した。

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6、北太平洋おっとせい委員会

日・米・加・ソの四カ国よりなる「北太平洋おっとせい委員会」の第四回年次会合は、本年一月三十日より東京において開催された。この委員会は、一九五七年十月十四日に効力を発した「北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約」に基づき設立され、その任務は、北太平洋のおっとせい資源の最大の持続的生産性の達成に最も適したおっとせいの猟獲方法を決定することである。

本年の委員会会合では、四カ国の科学調査結果の分析および総合的評価が行なわれ、委員会が最適の猟獲方法を決定する基礎となる科学報告を、明年三月までに作成することが取極められた。

なお、おっとせい条約は、調査を有利ならしめるため、海上における商業的猟殺を禁止するとともに、おっとせいの繁殖島を有するアメリカおよびソヴィエト連邦がその陸上補殺獣の一五パーセントをそれぞれ日本およびカナダに配分することを規定しており、それに基づき、わが国は昭和三十五年度末までにアメリカより六〇、一一三枚、ソヴィエト連邦より一、九四六枚の獣皮を受領した。

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7、日米都市提携の現況

米国においてはアイゼンハワー政権の時代から、世界の平和、友好関係の増進は単に政府と政府との間の働きかけでなく、広く一般国民とのつながりによって達成されるものであるという考えから、いわゆる People to People Program なるものが生れ、その一環として米国の諸都市と各国の諸都市との間に姉妹関係を結び、双互に文化の交流、貿易の振興等を図っているところ、わが国の多くの都市においても、この趣旨に賛成し、広く一般国民による対米友好関係増進という見地から、米国の諸都市と姉妹関係を結ぶに至っており、その成立数は一九五五年一件、同五六年一件、同五七年五件、同五八年五件、同五九年九件、昨年二件となっている。またこの提携は、当初は大都市ないしは国際的に有名な都市相互の間に行なわれていたが、次第に地方の中小都市の間にも広まっている。

本年三月三十一日現在判明している提携の現状は次のとおりである。

     日米両国都市提携状況 (一九六一年三月三十一日現在)

日本側都市(県)名    米国側都市(州)名             発足年月日

1、長 崎 市     セントポール市(ミネソタ)        昭和三〇・一二・二四

2、横 浜 市     サンディエゴ市(カリフォルニア)     〃 三一・一〇・ニ九

3、仙 台 市     リヴァーサイド市(   〃   )    〃 三二・ 三・二九

4、岡 山 市     サン・ノゼ市(   〃   )      〃 三二・ 五・二五

5、三 島 市     パサディナ市(   〃   )      〃 三二・ 八・一五

6、大 阪 市     サン・フランシスコ市(   〃   )  〃 三二・一〇・ 七

7、神 戸 市     シアトル市(ワシントン)         〃 三二・一〇・二一

8、下 田 市     ニュー・ポート市(ロードアイランド)   〃 三三・ 五・一七

9、館 山 市     ベリンハム市(ワシントン)        〃 三三・ 七・一一

10、有 田 市(佐賀) アラメダ市(カリフォルニア)       〃 三三・ 七・一〇

11、甲 府 市    デモイン市(アイオワ)          〃 三三・ 八・一六

12、松 本 市    ソールトレーク市(ユタ)         〃 三三・一一・二九

13、藤 沢 市    マイアミビーチ市(フロリダ)       〃 三四・ 三・ 八

14、清 水 市    ストックトン市(カリフォルニア)     〃 三四・ 三・ 九

15、長 野 市    クリアウォーター市(フロリダ)      〃 三四・ 三・一四

16、名古屋市     ロス・アンゼルス市(カリフォルニア)    〃 三四・ 三・三一

17、広 島 市    ホノルル市(ハワイ)           〃 三四・ 六・一五

18、京 都 市    ボストン市(マサチュセッツ)       〃 三四・ 六・二四

19、小 倉 市    タコマ市(ワシントン)          〃 三四・ 七・ 二

20、札 幌 市    ポートランド市(オレゴン)        〃 三四・一一・一七

21、立 川 市    サン・バーナディノ市(カリフォルニア)   〃 三四・一二・二三

22、東 京 都    ニュー・ヨーク市(ニュー・ヨーク)     〃 三五・ 二・二九

23、御殿場市     チェンバースバーグ市(ペンシルヴァニア) 〃 三五・ 八・二二

なおこの他に話合い中の諸都市、県州が若干あるが、このうち門司市=ノー・フォーク市、青森市=チャタヌーガ市の間ではすでにこの種の交歓が行なわれており、また山梨県=アイオア州の間ではそれぞれの議会が提携決議を承認している。

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8、日米安全保障協議委員会

日米安全保障協議委員会は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約」第四条の規定による協議および第六条の規定に基づく交換公文による事前協議のほか、安全保障の問題に関連する諸問題の検討を行なうため、同条約署名に際し、当時の岸内閣総理大臣とハーター国務長官との間に行なわれた往復書簡により設置されたもので、従来の日米安全保障委員会に代るものである。

これらの協議は、もちろん日米両国政府間の外交チャネルを通じて行なうことは可能であるが、とくにこの委員会の設置により日米間の緊密な協議に基づく円滑な条約運営が期待されるところである。

本委員会の構成は、日本側は外務大臣および防衛庁長官、米国側は、日本国駐在米国大使および同大使の軍事・防衛問題に関する首席顧問としての太平洋軍司令官であり、在日米軍司令官は太平洋軍司令官の代理となり得ることになっている。なお、本委員会の第一回会合は、昨年九月八日外務省で開かれたが、これについて次の情報文化局発表が行なわれた。

「日米安全保障協議委員会の第一回会合は、九月八日午後三時四十五分から外務省で行なわれた。日本側からは小坂外務大臣および江崎防衛庁長官、米国側からはマックアーサー在京米国大使および軍事上および防衛上の問題に関する大使の顧問としてフェルト太平洋軍司令官が出席し、小坂外務大臣が議長となった。

委員会は、今後の委員会運営の要領について協議した。会合はいずれか一方が要望したときはいつでも開かれることに合意された。

小坂外務大臣および江崎防衛庁長官は、わが国の安全保障体制運営に関する基本的態度に関し所見を開陳し、マックアーサー大使およびフェルト大将は、安全保障の問題をめぐる諸情勢に関しその所見を述べた。

会合に出席した各委員は、日米相互協力および安全保障条約の合後の運営に当っては、相互の理解と信頼の基礎の下に随時密接に協議して行くことが必要である旨を確認した。」

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9、米軍に提供中の施設および区域の現況

旧行政協定によって米軍の使用に供されていた施設、区域はすべて地位協定下に引継がれたが、その後逐次米軍より返還を受け、本年二月一日現在の総数は一八九件、約九千五百万坪となっている。このうち飛行場、港湾、演習場兵舎等の主要施設は三九件であり、その他は事務所、倉庫、住宅、工場等である。

これを一昨年十二月一日現在の施設、区域二五五件約一億坪に比すれば最近一年二カ月間に六六件、約五百万坪の減少を示しており、平和条約発効時における施設、区域二、八二四件、約四億一千万坪に比すれば、件数にして約十五分の一に面積にして約四分の一に減少している。

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10、在日米軍の兵力

在日米軍は、新安保条約発効直後の昭和三十五年六月三十日現在には、約四万八千名(そのうち、陸軍約五千名、海軍約一万三千名、空軍約三万名)駐留していたが、本年二月末日現在約四万三千五百名となった。陸軍は戦斗部隊を有せず、東京、神奈川を中心として約五、五〇〇名が管理補給の任に当っており、座間に司令部がある。海軍は、補助艦艇若干、海兵隊、航空隊および基地部隊約一万二千名が横須賀、佐世保、厚木、岩国等に駐留し、横須賀に司令部がある。また、空軍は、第五空軍の主力約二万六千名が三沢、横田、立川、板付等に分駐し、府中に司令部がある。在日米軍司令官は、第五空軍司令官が兼任している。

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11、F一〇四型航空機の日米共同生産計画

日本防空体制整備のため、日米両国政府は共同して、F一〇四J型ジェット航空機一八〇機および同複座式練習機二〇機を昭和四十年までに組立生産して、航空自衛隊に配属することになった。

このため、日米相互防衛援助協定に基づいて、昨年四月十五日、外務大臣と在本邦アメリカ合衆国大使との間に、F一〇四J型およびF一〇四DJ型航空機の生産に関する書簡の交換が行なわれ、さらに同年六月十八日、この交換公文に基づき細目取極が、外務、防衛、通産各事務次官と在日米軍事援助顧問団長との間で締結された。

これら交換公文および取極に基づいて、米国政府は、総額七、五〇〇万ドルに相当する所要の装備品、資材および役務を三年間にわたって日本政府に無償で供与することになった。

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12、皇太子同妃両殿下の御訪米

皇太子、同妃両殿下は、日米修好百年を機会にアイゼンハワー大統領の招待により、随員等一行十八名と共に、昨年九月二十二日東京出発、ホノルル、サン・フランシスコ、ロス・アンゼルスを経て同月二十七日ワシントンを御訪問、同地に三十日まで滞在せられたが、この間両殿下御一行は、大統領はじめ米国官民よりあたたかい歓迎を受けられた。なお、殿下御一行は、ニュー・ヨーク、シカゴ、シアトル、ポートランドの各地に立寄られ、十月七日無事東京に御帰着になられた。

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13、小坂外務大臣の米国、カナダ訪問

小坂外務大臣は、昨年九月十日羽田発米国を訪問して、十二日、十三日の両日ワシントンにおいてハーター国務長官、マーチャント国務次官およびミュラー商務長官と会談し、十四日にはカナダを訪問、ディーフェンベーカー首相グリーン外相およびフレミング蔵相と会談した。

外務大臣は、その後ニュー・ヨークに赴き、国際連合第十五回総会にわが政府首席代表として出席し、九月二十八日帰国した。

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