二 わが国と各地域との間の諸問題

アジア関係

1、第四次日韓全面会談と抑留漁夫釈放交渉

一九五九年七月三十日、韓国政府は、第四次日韓全面会談を無条件に再開し、あわせて釜山に抑留されている日本人漁夫と大村収容所に収容されている韓国人不法入国者とのいわゆる「相互送還」をできるだけ速やかに実施したい旨申入れてきた。

わが政府は、韓国政府が日韓関係の大局的見地から申出たこの提案を歓迎し、日韓全面会談を早期無条件に再開することを承諾するとともに、「相互送還」が支障なく実施されるように要望した。この合意に基づき、第四次日韓全面会談は一九五九年八月十二日、再開後初の本会議を開き、同十一月までに数次にわたり本会議および各委員会の会合を重ねた。

しかし、抑留者の「相互送還」については、この目的のために日韓事務当局によって構成された連絡委員会の努力によって、ほぼ同年十月中旬までに、送還の実施に必要な諸般の準備が完了したが、これを実行に移す段階になって韓国側は種々の辞柄をかまえてその実行を肯じなかった。

その後、韓国側から在日韓国人の韓国への帰還ならびに処遇に関する原則についての新提案が行なわれ、「相互送還」問題は新しい角度から解決を図られることとなり、韓国側との間に鋭意交渉が進められた。しかし、交渉の最後の段階において、ついに細目について双方の意見が一致するに至らず、このため抑留日本人漁夫の帰還は実現されないまま一九五九年は暮れた。

一九六〇年に入り、一月六日、伊関アジア局長は、駐日韓国代表部柳大使と会見し、在日韓国人帰国問題および抑留者「相互送還」問題に関し、今後の話合いの段取りを協議した結果、本国に帰国中の韓国側各代表の帰任をまち、同月末に日韓会談を再開することを申合わせた。

この申合わせに基づき、一月三十日、外務省において日韓両国代表団の非公式な顔合わせが行なわれ、次いで二月二日、韓国側から前年来の行き詰まりを打開するため次の如き方式が提案された。それは、要するに、日本側が韓国米の買付けを行なう肚があれば、韓国側は直ちに釜山抑留日本人漁夫の釈放を実施し、また、中絶中の日韓貿易を再開する用意があるという趣旨のものであった。

これに対し、わが方としては、抑留漁夫の釈放はすべての日韓交渉の大前提であり、他の問題と関連させて考えるべきではなく、まずこれが実行されれば、自然日韓会談も円滑に進行させ得るし、またその上に立って韓国米買付問題の交渉にも応じられるという基本的立場で交渉に臨み、二月中数回にわたって韓国側と話合いを行なった結果、(イ)三月早々に「相互送還」を実施する、(ロ)韓国側は対日貿易を再開する、(ハ)日本側は(イ)および(ロ)の決定後韓国米三万トンの買付けを行なう旨約束する、との三点について、原則的に意見の一致をみるまでに漕ぎつけた。

しかるに、その後の韓国側の出方には、依然として「相互送還」問題を利用して極力有利な取り引きを行なわんとする気配が窺知されるに至ったので、二月二十四日、伊関アジア局長は柳大使と会い、もし韓国側が前記日韓間に合意をみた方式により話合いをまとめることに同意しない場合には、日韓関係はここ数年を通じ、最悪の事態に陥ることは免れないであろうとの日本側の強い態度を伝えた。これに対し、柳大使は、韓国側も大局的立場から善処する旨約束したが、その後も韓国側がその態度を明確にすることを避けたため、話合いは容易に進展をみなかった。

他方、わが国の対韓世論は、漁夫釈放問題をめぐって急速に硬化の徴候を示していたが、二月十二日、八幡丸だ捕事件の発生はさらにこれに拍車をかけた。

韓国官憲による本邦漁船だ捕事件は、前年九月以来しばらくその跡を絶っていたが、たまたま漁夫送還問題およびその他諸懸案解決を目指し、日韓双方において真摯な努力が払われていたこの時期において、韓国官憲によって、敢えてこのような不祥事件が惹起されたことに対して、わが国朝野のうけた衝撃は極めて大きかった。

かかる情勢の裡に、本国政府と打合せのため帰国していた柳大使は、三月九日帰任し、翌十日、伊関アジア局長を来訪し、漁夫釈放問題に関する韓国政府の回答を伝えるところがあった。これによると韓国政府の考え方は、(イ)刑期を満了した日本人漁夫と大村の韓国人密入国者との「相互送還」は三月末までに実行する。今後、刑を終える漁夫の自動的送還については追って話合う用意がある。(ロ)韓国米買付け問題は、建前として「相互送還」問題とは切り離し貿易再開問題と関連して別途話合いを行なう、という二点を骨子とするものであった。

もとより韓国側のこの回答は、わが方の要求を十分満足させるものとはいえなかったが、ともかく当面の緊迫せる空気を緩和することに役立つものと認められた。よってわが方としては、一応韓国側のこの回答を了承し、その線に基づいて「相互送還」の具体化の話合いを進めながら、韓国側の出方をみることとしたのである。

なお、上述の如き韓国側の態度は、わが国のみならず米国その他第三国の朝野にも悪い印象を与えたもののようであった。とくにハーター米国務長官は三月十六日に同国駐在梁韓国大使に対し、日韓関係および韓国大統領選挙に関する米国政府の見解を表明し、そのうち日韓関係については、韓国政府の公海における日本人漁夫および漁船だ捕、漁船押収、漁夫の処罰が日韓両国関係に重大な損害を与えていることについて米国政府の懸念の意を表明し、このような行動が継続する場合生ずべき結果につき米国政府は憂慮を禁じ得ない旨述べたといわれる。

かくて三月十四日以降数次にわたって、日韓連絡委員会が開かれ、「相互送還」の実施手続きについて協議した結果、(イ)大村の韓国人不法入国者の送還については三月二十八日の第一船を皮切りとし、四月十日前後に予定される第三船をもって全員の送還を完了し、(ロ)抑留日本人漁夫の送還については、三月十九日までに「刑」を了したものの送還を三月三十一日までに実施し、その後の「刑」了者については「刑期」の満了をまってその都度自動的に送還することに了解が成立した。

この日韓間了解に基づいて、かねての懸案であった「相互送還」はついに実施の段階に入り、わが方は三月中にニ船、六八七名、四月七日最終船(第三船)三〇九名の送還を実施し、一方韓国側は三月三十日、日本人漁夫一六七名を送還してきた。かくてわが方が一昨年以来強く主張し続けてきた日韓全面会談再開の前提としての「相互送還」問題は、ここに解決をみるに至ったのである。

三月二十二日、藤山外務大臣は、閣議において前記「相互送還」の経緯を説明すると同時に、韓国米買付けについてその了承を得た。本件については、四月四日、韓国側交渉関係者が来日し、わが政府当局との間に爾後約三〇回にわたり公式非公式会談を重ねた結果、六月二十四日第五回公式会談の席上で、日本側須賀食糧庁長官と韓国側李載ハン代表代理との間に「韓国米売買に関する覚書」が署名された。

前述のように「相互送還」が実施されたことによって、日韓間の空気には好転の兆しがあらわれ、日韓会談再開の機はようやく熟するかにみえたので、ここに政府はあらためて韓国側との間に速やかに会談の妥結をはかるとの基本方針を樹てた。これに基づいて、四月四日、山田外務次官は柳大使を招き、日韓会談再開について協議し、その結果、四月十五日に日韓全面会談を再開し、各分科委員会は同十八日以降に開くことに意見の一致をみた。

かくて第四次日韓全面会談は予定どおり四月十五日にその第十五回本会議を開いたが、たまたま大統領選挙を契機として政情不安をつづけていた韓国に革命が起り、韓国政局は大転換したため、ついに分科委員会は開催されるに至らず、勢い日韓会談は全面的に停止状態となった。

(なお、同政変に伴ない、柳大使は四月二十九日付をもって駐日韓国代表部代表の職を解かれた。)

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2、第五次日韓全面会談

韓国の政局は、李承晩大統領の辞任にまで発展し、許政選挙管理内閣が出現した。おもうに、従来日韓会談の妥結を困難ならしめていた第一の原因としては、その個々の懸案のもつ複雑性の中にこれを求むべきであることはいうまでもないが、それとともに、同会談の妥結を妨げてきた障害の一つとして、李政権固有の反日的性格を挙げないわけには行かず、その感情的な反日政策が、本来緊密なるべき日韓両国間を阻隔し、友好親善関係の樹立を妨げていたことは世人の等しく認めるところであった。従って、わが国が次にきたるべき韓国新政権に大きな期待と関心を寄せたことは、当然のことであった。

許政首席国務委員兼外務部長官は、早くも四月二十七日、その声明の中で日韓関係にも言及し、その早急な正常化を望む旨述べた。これに応えてわが方も、同二十八日藤山外務大臣談話を発表し、わが方としては許政首席国務委員の声明を歓迎するものであり、今後日韓双方が大局的、建設的立場に立って、国交正常化を実現するよう最善を尽したいと述べた。

その後、八月、新憲法下に、張勉国務総理を首班とする新政府が樹立されるに及び、韓国には日本との友好親善関係を求める機運が急速に台頭した。翻ってわが方としても、韓国側の対日態度に現われたこのような顕著な変化はもとより望ましいものであり、わが国の朝野も好感と期待をもってこれを歓迎したのであるが、さらに進んでこれを機会に、日韓会談再開の機運を醸成することが極めて有益であると認められた。そこで政府は、八月十九日、韓国新政府の樹立を慶祝し、日本側としては、早急に国交正常化が実現することを希望し、そのために最善の努力を傾ける用意があるとの趣旨の小坂外務大臣談を発表した。小坂外務大臣は、かかる情勢の展開を背景として、九月はじめ戦後初の公式使節として韓国に使いしたのである。小坂外務大臣は、その際、韓国新政府の成立に対する日本国民の祝意を伝えたが、同時に鄭韓国外務部長官との間に、「平等と主権尊重の基礎の上に、また相互理解の精神をもつて、両国間に介在する諸般の懸案の解決を期すること、および両国間に協調の基礎の上に立った新しい関係を樹立するために努力すること」を申合わせ、そのため日韓全面会談予備会談を十月下旬から東京で開くことに合意した。

こうして日韓関係には新しい友好の扉が開かれることになったのである。しかしその反面において、韓国のわが国に対する国民感情には依然として複雑なものがあることもまた事実であったのである。

駐日韓国代表代理に新任された厳堯燮公使は、十月四日、着任挨拶をかね、小坂外務大臣を来訪し、日韓会談開催に関し韓国政府の意向を伝えた。その結果、予備会談を十月二十五日より東京で開くことが本極りとなり、新会談は第五次日韓全面会談と呼称されることになった。

かくして、十月二十五日外務省において、日本側沢田廉三首席代表、韓国側ユ鎮午首席代表以下各代表出席の下に、第五次日韓全面会談予備会談第一回本会議が開かれた。

その後予備会談は友好的雰囲気のもとに進行し、昨年内に三回の本会議会合を行ない、とくに十一月二日の第二回会合においては、従来の会談どおり、(イ)基本関係委員会、(ロ)韓国請求権委員会(この下に(1)一般請求権小委員会、(2)船舶小委員会、文化財小委員会を置く)、(ハ)漁業および「平和ライン」委員会、(ニ)在日韓国人の法的地位に関する委員会を設けることを決定し、ついで、十二月二十一日の本会議第三回会合をもって同年の本会議および各委員会の討議を打ち切りとして、本年一月二十五日に本会議第四回会合を開くことに合意した。この間、各委員会は、法的地位に関する委員会の六回を筆頭とし、漁業および「平和ライン」委員会二回、一般請求権小委員会三回、船舶小委員会四回および文化財小委員会一回の会合を開いた。

ついで本年に入り、予定どおり一月二十五日に、予備会談本会議第四回会合を開き、それに続いて、各委員会は二月初めまでにそれぞれ一回ないし二回の会合を開いた。しかし、これらの会合において、とくに漁業問題および法的地位問題に関し従来となんら実質的変化がみられなかった。

このような韓国側の態度は、ある程度、張勉政府のおかれたその国内政情を反映したものとみられた。すなわち、韓国内においては、現政府の日韓会談の進め方が性急にすぎるのではないかという尚早論が次第に高まり、二月三日、韓国民議院は対日関係決議を採択したのである。この決議は、(一)対日国交は制限国交から漸進的に全面国交へ進展させねばならない、(二)「平和ライン」は国防および水産資源の保存ならびに漁民の保護のため尊重され、守護されねばならない、(三)正式国交は重要懸案の解決、とくに日本の占領による損害と苦痛の清算終了後とする、(四)現行の通商以外の日韓経済協力は、正式国交開始後、国家統制の下に、国内産業の侵されない範囲内でのみ実施されねばならない、といういわゆる「対日復交四原則」をその内容とするものであったが、そのうちとくに「平和ライン」を厳守尊重するという第二項の原則は、進行中の日韓会談における話合いの基礎と根本的に矛盾するのではないかとみられた。このような事情から、わが方としては、交渉の見透しが非常に困難なものとなり、各委員会の討議をこのまま継続しても、果して実質的な進展を期待し得るか、疑問となったので、この際、当面する局面を打開するため、何らかの措置を講ずる必要に迫られた。

このため、二月七日、沢田首席代表は、韓国側ユ鎮午首席代表と会い、日本側としては、漁業問題の話合いが行なわれない限り、請求権およびその他諸懸案についての話合いに応ずることはむずかしいとのわが方の立場を伝えて、韓国側の注意を喚起した後、予備会談の今後の進め方について協議した。その結果、なるべく速やかに予備会談を本会談に切り替えることを目標に、各分科委員会の討議を煮詰め、とくに会談の焦点をなす一般請求権と漁業および「平和ライン」の両問題については、速やかに実質的討議に入ることに原則的に意見の一致をみ、韓国側は同方針について至急本国政府の同意をとりつけることになった。しかし、韓国側の態度表明がおくれ、この間各分科委員会は休止状態にあったが、ようやく二月二十七日に至り、沢田・ユ非公式会談が開かれ、その席上、韓国側は、本国政府の訓令に基づく趣をもって前記申し合せの方針を了承することを明らかにした。かくて会談は再び動きはじめ、三月二日から各案件の討議が一斉に再開され、爾来同月末までに法的地位に関する委員会二回、一般請求権小委員会四回船舶小委員会二回の会合を開き、また漁業問題その他につき再三にわたり非正式会談も重ねられた。これらの討議状況をみるに、まず法的地位委員会においては、永住権、退去強制および処遇などの問題が討議の主な対象として取り上げられたが、同委員会の討議は他の委員会のそれに比し、最も具体的な進捗を見せた。

一般請求権問題については、韓国側より八項目にわたる「韓国の対日請求要綱」があらためて提出され、これについて具体的な討議が始められた。これに関連して三月八日の一般請求権小委員会第五回会合において、日韓間に、一九五七年十二月三十一日付の「平和条約第四条の解釈に関する米国政府の口上書」を公表することが合意され、またその際、右と同日付の藤山外務大臣と大韓民国代表部金裕沢代表との間の合意議事録のうち請求権に関係ある部分をあわせて発表することも合意された。なおこの口上書は、一九五七年十二月三十一日、日韓間に、釜山抑留の日本人漁夫と大村収容所に収容されている韓国人密入国者との「相互釈放」および日韓全面会談再開に関する取極めが成立した際、在日米国大使より日本政府あて発出された(在韓米国大使より韓国政府に対しても同文の口上書が発出された)ものであり、日韓双方はこの「米国の解釈」と同意見であることを右合意議事録で確認し合ったが、当時の日韓間の協議により、当分の間米国の口上書はこれを公表しないこととなっていたものである。しかし、最近日韓会談の進捗に伴なって、この「米国の解釈」が請求権問題において持つ意義を一般に明らかにすることが適当と認められるに至ったので、韓国側とも協議の上、三月九日これを発表したのである。

同口上書に盛られた米国政府の見解は、第一点として、サン・フランシスコ平和条約の規定および在韓国合衆国軍政府の関連指令および措置により、大韓民国の管轄権内の日本財産は没収され、韓国政府に移転された。それ故、日本は在韓日本財産について請求権を主張できないとしている。しかし第二点として、韓国は、日本に対し財産請求をなすにあたって、日本が請求権を放棄した事実を考慮に入れるべきであるとし、さらに第三点として、韓国内の日本財産を韓国政府が引き取ったことによって、韓国の対日請求権がどの程度まで「消滅され、または満たされた」と認めるかについては、日韓両国の話し合いによって決定されるべきであると言っている。

次に、わが国が最も関心を有する漁業および「平和ライン」委員会については、わが方は、一九五八年積極的に新しい提案を行ない、爾来一貫してこの問題を合理的に解決することに努力を傾けてきたが、韓国側の非妥協的態度によりなんら進展をみず、加うるに最近では、上述のとおり、韓国民議院で対日関係決議が採択されることなどがあって、文字どおり行き詰り状態にあった。しかし、その後わが方の強い要求により、韓国側もこの問題を一般請求権問題と並行して積極的に討議することにようやく同意した。かくて三月初め以来、魚族資源の問題が討議の対象として取り上げられるに至った。

(第五次日韓会談は、その後、五月十六日韓国に発生したクーデターのため、再び中止状態となった。)

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3、在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題

政府は、一九五九年二月十三日の閣議で、在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題は、基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念によって処理さるべきであるという原則を確認し、次いで同年四月から、日本赤十字社がジュネーヴで北朝鮮赤十字会と交渉を行ない、その結果、八月十三日にカルカタで両赤十字社の間に在日朝鮮人の北朝鮮帰還協定が署名された。この協定に基づいて、同年十二月以降、在日朝鮮人で北朝鮮へ帰還することを希望する者の、いわゆる北朝鮮帰還が実施に移された。

帰還業務が実施に移された初期の段階においては、北朝鮮帰還に原則的に反対する勢力の妨害工作などもあって多少の混乱を免れなかったが、その後送還の回を重ねるに従って、当初の興奮状態も次第におさまり、昨年一月になって、事態はようやく冷静になり、帰還業務も軌道に乗るようになった。

この間、帰還申請を行なうものも次第にふえてきた。帰還希望者総数の正確な実態を掴むことは困難であったが、相当多数に上ることが予想され、協定期限(一九六〇年十一月十二日)内に希望者全員の帰還を完了することは到底むずかしいとみられた。

周知のとおり、当初の北朝鮮帰還協定では、同協定第九条の規定によって、協定期限内に帰還事業が完了できないと認められる場合には、その三カ月前の八月十一日までに両赤十字社協議の上、そのままあるいは修正を加えて協定を更新できることになっている。そこで政府関係各省は、日本赤十字社とはかり、五月中旬いらい数次にわたって連絡会議を開き、今後の方針を検討した。その結果、わが方としては、帰還希望者の数が引き続き協定に予定されている帰還の頻度および毎回の帰還人員(毎週約千人)に見合うことを条件として、現行協定を更新することにほぼ意見の一致をみた。

その後、池田新内閣が成立して間もなく、七月二十三日に北朝鮮赤十字会から日本赤十字社に対し、電報をもって現行帰還協定の無修正延長方の提案がなされた、これに対しわが方としては、前述の基本方針のとおり相当数の帰還希望者がある場合には、これが送還に最少限必要な期間の協定延長は己むを得ないが、この際、帰還業務を促進して、速やかにこれを完了する目途をつけることが諸般の関係上必要と認められたので、同二十九日、日赤は北朝鮮赤十字会に回電し、本件協議のため同会代表を新潟に派遣するよう要請すると同時に、この新潟会談においては帰還のスピードアップ問題をも含め協議したい旨併せ申送った。これは八月五日北朝鮮赤十字会の受諾するところとなり、北朝鮮代表団は同二十五日新潟に到着し、九月五日から九月十七日までに八回の正式会議が行なわれた。

これらの会議において、まず日赤側より、(イ)帰還希望者の一斉登録を行ない、(ロ)それに基づいて合理的帰還計画をたて帰還業務をスピードアップするとの趣旨の提案を行なったが、これに対し北朝鮮側は、現行協定の無修正延長を強く主張するとともに、一斉登録については、これが帰還希望者の社会、経済活動に支障を来すとして絶対反対の態度をとり、また、スピードアップの問題については、当初は、毎回の帰還人員を倍増ないし、三倍にしてもこれを受け入れる用意があると言明しておきながら、その後になって日本側提案は政治的意図に出たものであると称してこれに反対した。もとより、北朝鮮側のこのような反対はなんら根拠なく、当を得たものではなかったが、北朝鮮帰還問題の人道的性格にもかんがみ、なんとか会談を妥結に導きたいとの念願の下に、わが方は九月十七日、重ねて次の如き妥協案を北朝鮮側に提示した。それは、(イ)現行協定をそのまま一応六カ月延長する、ただし、六カ月後においてもなお帰還業務が完了しないと認められる場合には、同協定第九条ただし書に基づいて、有効期間をさらに延長する、(ロ)定第五条第三項の規定に基づいて毎回の帰還人員を増加することについて至急協議をはじめる、との二点を骨子とするもので、実質的に、北朝鮮側の主張する無修正延長提案とその趣旨においてなんら異るものではなかった。それにもかかわらず、北朝鮮側は、日本側のこの新提案も、その第一案と同様に、帰還業務を破壊せんとする政治的意図に出たものである、と即座にこれを拒否する態度にでたため、会談はここに決裂することとなり、北朝鮮代表団は、九月二十三日新潟出航の第三十九次帰還船に便乗し、帰国の途についた。

わが方においては会談の決裂した後も、引きつづき北朝鮮側の再考を求める態度をとってきたが、そのうちに協定期限の十一月十二日も次第に切迫しきたり、他方、この間に、帰還申請を受けつけたものは約一万五千人に上り、その取り扱いぶりをどうするか、至急決定する必要もあったので、十月中旬、日本赤十字社は北朝鮮赤十字会に電報し協定更新問題を解決するため、会談の場に戻るよう呼びかけた。

その後、紆余曲折があったが、北朝鮮側は協定を自動的に一カ年延長すれば、スピードアップの話合いに応ずる用意があるとの意向を示すに至ったので、わが方としても、内外の情勢を慎重に考慮した結果、現行協定をそのまま一年延長した上で、スピードアップの話合いを行なうという線で交渉を妥結することに踏み切ることになった。

かくて、十月二十七日、正式に新潟会談が再開され、同日、日朝両赤十字社の間に、在日朝鮮人の帰還に関する両赤十字社間協定を、一九六〇年十一月十三日から一九六一年十一月十二日まで、一年間そのまま延長する旨の合意書が調印され、同時に、日本赤十字社は、帰還協定第五条第三項の規定に基づき、輸送の増加に関する協議を十一月十日から新潟において開始することを提案し、北朝鮮赤十字会はこの日本赤十字社の提案に同意する旨の書簡が交換され、ここに協定更新問題は円満なる妥結をみることになったのである。なお輸送力増加問題についての日朝両赤十字社間の協議は、予定どおり十一月、三回にわたって新潟で行なわれ、その結果、一回の輸送人員を協定に定める約一〇〇〇人から約一、二〇〇人に増加し、これを一九六一年三月一日から実施することに合意をみた。

かくて北朝鮮帰還は、昨年十一月以降も協定期限をさらに一カ年延長して引き続き実施されることになったが、その実施状況をみるに、一九五九年十二月十四日第一船新潟出港以来本年一月二十七日の第五四次船まで、十四カ月にわたり計五四、二八一人が北朝鮮に帰還した。しかし毎回の帰還者数は、昨年十一月中旬以来、協定人員を割り、顕著に下降カーブを辿りはじめ、同年十二月十六日の第五一次帰還船帰還者数は六五三人で、帰還実施以来の最低記録を示した。その後帰還者数は幾分回復したが、なお依然として千名台を大きく下廻り、前述の輸送人員の増加とも関連し、今後の成り行きが注目されるに至った。しかるにたまたまわが国に感冒が流行したことと関連し、北朝鮮側は悪質インフルエンザが帰還者を通じて同国に拡がることを防止するという理由で、二月九日清津発の第五五次帰還船の派遣を中止し、爾来、北朝鮮側の言い分は何ら根拠がない旨を指摘してのわが方累次の要請にもかかわらず、帰還船を派遣しなかったが、ようやく四月六日に至り、日本におけるインフルエンザはほとんど終息したと認められるので、第五五次船を四月十一日に清津から出港せしめる旨通報し来り、ここに四月中旬より帰還業務が再開されることになった。

他方、政府は、この問題が日韓関係に対し悪い影響を及ぼすことのないよう、機会ある毎に、韓国側の誤解を解くことに努めてきた。これに対する韓国側の態度は、北朝鮮帰還の進展するに伴なって表面的には一応冷静を取り戻していたが、昨年六月帰還協定更新問題が世論に上るに及び、再び硬化し、韓国政府は、在京韓国代表部を通じわが方に対し数次にわたって口頭または文書をもって、日本がカルカタ協定の更新に応じないよう強硬申入れを行なってきた。これに対し、わが方は、北朝鮮帰還が個人の自由に表明された意思に基づくものであること、および帰還が赤十字国際委員会の助言と指導の下に行なわれていることを指摘して韓国側の納得を求めると同時に、日本側としては、北朝鮮帰還問題のもつこのような人道的性格にかんがみ、現在なお多数の帰還希望者がある際に、これを中止し得ない旨繰り返し応酬し、韓国側がわが国の正当な立場を認識するよう最善の努力を傾けた。

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4、中共との人事来往

一九五八年五月中共との関係中断以来、中共からの来訪者は完全にあとを絶っていた。ところが、一九六〇年七月池田内閣成立後間もなく、中共は中華全国総工会の劉寧一主席を団長とする代表団をわが国に派遣し、ついで労働者、婦人、作家などの代表を訪日させた。一方、わが国から中共を訪問するものも、中共との関係中断以来激減したが、この間においても、一九五九年に石橋湛山、松村謙三両氏の一行がそれぞれ訪問し、また一九六〇年には高碕達之助氏の一行もこれに続き、中共との人事来往は、昨夏の民間貿易の再開と相まって、頻繁の度を加えてきている。

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5、日本・インドネシア航空協定の締結交渉

昨年十月三日在本邦インドネシア大使館は、昨年十一月中にわが国との間に航空協定の締結交渉を開始したい旨申入れてきた。わが国は、このインドネシア側の提案をいれ、十二月二十七日同大使館に対し、交渉に応ずる旨回答するとともに航空協定および同合意議事録の日本側草案を提示した。

その後、インドネシア側の都合により、この交渉は、本年七月以降に行なわれることとなった。

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6、ラオスに対する緊急援助

昨年八月九日のクーデター発生以来、ラオスにおいては内政上種々の動きがあったが、十二月十三日に至り首都ヴィエンチャンで市街戦が行なわれ、多数の市民が死傷するという事態が発生した。この事態は数日にして一応おさまつたが、この結果ヴィエンチャン市民数千名が罹災した。政府は、アジアの友邦国のこれら罹災者に対する日本国民の心からなる同情の意を体し、困窮しているこれら罹災者への緊急援助のため、人道的見地より、二百万円相当の救援物資をラオス側に寄贈した他、本邦薬品業者の協力を得て緊急医薬品約百キロをラオス赤十字社に寄贈した。なお、日本赤十字社はラオス罹災者に対し、救援のため別にニ千ドルを国際赤十字使節団長アンドレ・デュランド氏に托し、国際赤十字によるラオス罹災者救援の一助とした。

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7、ビルマ賠償再検討に関する交渉

一九五五年四月十六日に発効した日緬平和条約により、わが国はビルマに対し、十年間にわたり総額二億ドルの賠償と五〇〇〇万ドルの経済協力等を行なうこととなっているが、同条約の第五条第I項(a)のIIIにより、わが国は他のすべての国との賠償問題が解決したときに、その結果と、賠償総額の負担に向けられるわが国の経済力と照らして「公正なかつ衡平な待遇に対するビルマ連邦の要求を再検討する」ことに同意している。一九五九年四月ビルマ政府はこの規定に基づいて、賠償の再検討方を求めてきた。よって同年七月より在京ビルマ大使とわが方事務当局との間において種々折衝が行なわれてきたが、ビルマ側は、フィリピンおよびインドネシアに対する賠償額と比較して少なすぎるから、これを増額してもらいたいと主張し、これに対しわが方はビルマに対する賠償額は他の求償国に対する賠償額と比較して必ずしも均衡を失していないと主張し、両者の主張が、平行線を辿ったまま、交渉は進展しなかった。しかしわが方としては、本件が長期にわたり身近なアジアの友邦たるビルマとの間の係争問題となっていることはわが国のアジアにおける信望を高からしめる所以ではなく、またわが国が今後国際社会において地歩を固めて行くための障害となるので、可及的速やかにこれが解決を図る必要があると考え、かたがたビルマがこれまでわが国に対して示した好意に報いるために、ビルマの経済および福祉に対する有効な協力を無償で供与することにより本件の解決を図ることとし、この旨本年一月十四日小坂大臣より在京ビルマ大使に対し申入れた。

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8、パキスタンとの査証相互免除取極の締結

昨年十二月一日、わが国はパキスタンとの間に生業職業に従事する意図を有しない三カ月以内の短期滞在者に対し相互に査証を免除し、また査証を必要とする場合でも査証料を相互に免除することを内容とする取極を締結した。本取極は本年一月一日より発効したが、これにより日パ両国間の人的交流は一層容易となり、両国の友好関係はさらに促進されることが期待されている。なおわが国がこの種取極を締結した国はすでに二〇カ国に達しているが、アジア諸国の中ではパキスタンが初めてである。

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9、東南アジア諸国との租税条約の締結

近年ますます通商および経済協力の分野において密接の度を加えつつある東南アジア諸国との間に、税制の相違等に起因する国際二重課税を防止し、より安定した基礎の上において、通商貿易、経済協力ならびに文化交流の促進をはかるべく、わが国はこれら諸国との租税条約締結のための努力を続けている。一九五九年五月にはパキスタンと、一九六〇年六月にはインドとそれぞれ租税条約が締結されているが、さらに本年四月にはシンガポールとの租税条約の署名が行なわれた。

なお、わが国は引続き他の東南アジア諸国ともこの種条約を締結すべく準備を進めている。

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10、賠償の実施と賠償に伴なう経済協力

賠償は戦争中わが国が与えた損害と苦痛の償いであり、法律的には、わが国の負った義務の履行であるが、実体面で見れば、わが国の生産物および役務の供与に他ならず、賠償の実施に関するわが国の基本的な考え方は、本書第四号でも述べた如く、このような賠償の積極面を考慮し、これを通じて求償国経済の復興ひいては発展に寄与し、さらにはわが国との経済交流および友好関係の緊密化に役立つように配慮することにある。

各求償国に対するわが国の賠償の実施は、いずれも、このような考え方に基づいて進められ、ビルマについては、すでに約六カ年、フィリピン約四カ年半、インドネシア三カ年、ヴィエトナム約一カ年、また経済技術協力として、ラオス約ニカ年、カンボディア約一カ年半の実績を有し、本年三月末現在、これらの支払総額は一〇一一億円に達した。これらはいずれも、後述のように、各国において、着々、経済効果をあげており、単に、求償国の経済開発、民生安定に貢献するにとどまらず、賠償を通じて、とくに、わが国の重機械や技術の真価が海外に認められるに至り、さらにはわが国商品の市場開拓という面の効果も、徐々にあらわれて来ている。

昨年におけるわが国の賠償実施のあとを顧みると、まず昨年一月十二日、賠償協定の発効とともに、実施の段階に入ったヴィエトナム賠償は、その大宗をなすダニム発電所計画の実施が順調に進み、ようやく軌道に乗ったことが注目される。

各求償国に対する賠償はいずれもほぼ順調に進展しているが、その半面、賠償に伴なう経済協力として、民間べースの経済開発借款に関する取極の実施に一部求償国の関心が向けられる傾向にあり、現にフィリピンとは、本年三月、借款実績検討および実施促進措置について、非公式会談を行なった。賠償に伴なう経済協力も、求償国以外の国との一般の経済協力の進展と関連して、次第に、より明確な輪廓を浮び上らせてくるものと思われる。

また賠償によってインドネシアの留学生および技術研修生を教育訓練する計画(後述)は、これにより、多数の留学生、研修生をわが国に留学せしめ、広い産業分野にわたる知識技術を習得させることを目指しており、これは、直接インドネシヤ経済の担い手を養成することにより、その発展に貢献するのみならず、同国とわが国との将来の関係にも深くかつ広範な影響を及ぼすものと考えられるので、長期的効果をもたらす役務賠償の好例として極めて大きな意義をもつものである。

各求償国に対する賠償実施状況の概要は次のとおりである。

(1) ビルマ

ビルマに対する賠償は、一九五五年四月十六日に開始され、昨年十月から、その第六年度に入ったので、すでに全期間(十カ年)の半ばを経過したが、本年三月末までに、四三〇億円(賠償義務額七二〇億円の六割弱に当る)の賠償契約が、認証されており、支払済額は、四一五億円に達し、極めて順調に実施されている。

右の賠償供与の内容を品目別に見ると、最も大きなものは、初年度より建設に着手されたバルーチャン水力発電所(昨年三月、出力八万四千KWを有する第一期工事が完成し、すでにラングーン向け送電を開始。目下マンダレー向け送電施設工事中)計画関係の資材および役務で、この計画に対し、賠償を通じて供与した額は、合計九四億円に達しているが、この発電所は、ビルマの経済および民生に、多大の寄与をなしつつある。この外、各種鋼材、銅製品、紙製品、ゴム製品、繊維製品等の原料別製品九三億円、ビルマ鉄道計画による鉄道車輛等三五億円、バス、トラック、オートバイ、乗用自動車、自転車等五五億円、舟艇一九億円、各種機械類四四億円、電気機器類四四億円、検査、輸送、ビルマ人の技術訓練等の役務関係九億円、中小プラント類一二億円等が供与されている。

賠償により供与された諸物資の、ビルマにおける反響は、いずれも極めて好評であり、ビルマ国民が、本邦の製品になじむことによって、従来通常貿易によって輸出されたことのない新しい商品に対するわが輸出市場の基礎が築かれつつある。とくに、バルーチャン水力発電所は、これまで海外進出の経験を持たなかったわが国建設技術に海外進出の先鞭をつけたものとして特筆に価いするものである。また、わが国の技術者で、賠償によりビルマに派遣されたものは、合計約四三〇名に達しているが、これらの技術者は、バルーチャン水力発電所、車輛修理工場、養蚕、陶磁器製造、乳業等の各工場で、ビルマ側に協力して、技術指導を行ない、同国の経済開発のために多大の貢献をなしつつある。

また、日緬賠償経済協力協定による経済協力に関しては、協定発効当時から、各種の分野における調査または交渉が行なわれ、現在なお交渉中のものもあるが、極めて少数の事例を除き、まだ大きな成果を挙げるにいたっていないが、昨年三月末訪緬した日本経済使節団(団長森永前大蔵次官)は、経済協力についても、ビルマ側と意見を交換し、その促進を図るよう努めた。

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(2) フィリピン

フィリピンに対する賠償は、昨年七月二十三日よりその第五年度に入ったが、本年三月末現在の契約認証総額は四〇九億円であり、このほか契約認証を要しない沈船引揚等の費用を含めて支払総額は四一六億円に達している。前記認証額を品目別にみると、船舶一九四億円、プラント類(セメント、製紙プラント等)八〇億円、原料別製品(タイヤ、アスファルト、セメント、鋼材等)五〇億円、機械類二二億円、自動車二一億円、鉄道車輛一一億円、役務八億円などが主たるものである。

フィリピンに対する賠償で注目されるのは、賠償調達の対象たる品目の主要部分を占めているものが、船舶、各種産業プラント類等であって、これら賠償物資が同国の海運を始め各種産業の育成に直接利用されていることである。さらに、これら各種の賠償物資は、わが国の賠償を現地に印象づけ、同国の対日感情を好転せしめる上にも大いに役立っている。

フィリピンに対する経済協力に関しては、経済開発借款に関する日比間の交換公文によって、二十年間に二億五千万ドルの長期貸付けまたは類似のクレディットを民間商業ベースで供与すべきことが規定されており、本邦業者がフィリピン業者に対して延払金融等により、物資を供与した事例はすでに相当数に上っているが、本年三月、これらのものが本交換公文にいう借款かどうか、また今後どのように実施してゆくかについて日比間で話し合いを行なった。

さらにマリキナ河多目的ダム建設計画および電気通信網拡充計画に対する賠償を引当とする借款については、一九五七年十二月ガルシヤ大統領から岸内閣総理大臣に対して協力方要請があり、一九五九年九月にこれに関する交換公文の署名が行なわれた。この結果、両計画実施のために本邦業者は必要な生産物および役務を比側に供与し、比側はその代金を延払により返済するという形式をとり、比側が、この代金および利子相当分の全部または一部のドルによる支払を行なわない場合には、支払の行なわれない金額に相当する役務および生産物は、賠償に組入れられることになった。なお、供与される信用の額はマリキナ計画については、三五五〇万ドル、電気通信計画については、一二三〇万ドルをそれぞれ限度としている。

その後電気通信網拡充計画を一部マニラ鉄道延長計画にさしかえたき旨の提案が比政府よりあったので、わが方はこの提案を検討中である。

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(3) インドネシア

インドネシアに対する賠償は、一九五八年四月開始され、本年三月末をもってその第三年度を終了したが、同月末現在の契約認証総額は一八五億円、支払総額は一五八億円となった。

認証額の内訳は、まず船舶(内航貨客船、貨物船およびその他計二六隻)が六二億円、製紙プラント一一億円、米穀増産計画のための農業開墾用機械および精米所等一〇億円、ダンプ・トラックおよびロードローラーニ〇億円、乾ドック建設関係一九億円、鉄道車輛五億円、その他の機械類(紡績機械、砕石機、気象観測機械、合板プラント、サーヴィス・カー等)一三億円、肥料(硫安、尿素)七億円、繊維品一一億円、コーラン六・五億円、その他の消費材二・五億円、ネヤマ・トンネル工事関係八・五億円、役務(検査役務、沈船調査、ボルネオ島リアム・カナン治水計画調査、ブトン島天然アスファルト資源調査、カリ・コント計画調査等)四億円等である。右のうち船舶一八隻は、本年三月現在すでにインドネシアに到着し、同国内各島嶼間の連絡に利用されており、また東部ジャワのブランタス河治水計画の一環としてのネヤマ・トンネル建設も本年三月末現在完成が迫っており、多年洪水の被害に悩んできた同地域住民がこの災害から免れ、さらに灌漑の便も得られることとなるのも間近かである。また第三年度以降実施されている留学生および研修生の教育訓練計画は、前述のように賠償によって多数の留学生、研修生がわが国で教育、訓練を受けることは、今後の日イ関係に及ぼす影響という点のみよりしても極めて大きな意義をもつと思われる。

[注] この計画は、留学生は向う五年間にわたり毎年約百名、合計約五百名を派遣し、通常五年間わが国に滞在させて、工業、漁業、農業、鉱業、銀行、商業等、主として自然科学の分野で教育を与え、また技術訓練生は、向う七年間にわたり、毎年約二五〇名宛合計約一、七五〇名を派遣し、約二年半滞在させて、同じく主として自然科学の分野で訓練を施すものである。

インドネシアに対する経済協力に関しては、フィリピンの場合と同様、わが国との間に経済開発借款に関する交換公文があり、二十年間に四億ドルの商業上の投資、長期貸付または類似のクレディットを供与すべきことが規定されている。

なお一九五九年十月十六日、二千万ドルまでの船舶および造船所設備ならびに八百万ドルまでのホテル建設資材および設備の供与のため、賠償を引当とする借款(フィリピンのマリキナおよび電気通信設備計画に対する借款と同様の形式によるもの)に関する公文が日・イ両国政府の間で交換された。これら取極めに基づき、船舶については十六隻(一万載荷重量トン貨物兼用巡礼船三隻、五千トン貨物船三隻、その他六百トンから千五百トンまでの船舶十隻)が契約され、本年三月末現在このうち一万トンのもの三隻および五千トンのもの二隻が引渡し済みであり、またホテルは「ホテル・インドネシア」として一九六二年ジャカルタで開かれるアジア・オリンピックに備えるものとして建設途上にあり、十四階建であるが、本年三月現在すでに十一階までの骨組が完成されている。

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(4) ヴィエトナム

ヴィエトナムに対する賠償協定および借款協定は、昨年一月十二日、批准書の交換によって発効し、七月二十一日第一年度賠償実施計画および借款調達計画の合意をみた。ヴィエトナムに対する賠償の特徴は、賠償総額一四〇億四千万円の大部分が借款協定に基づく二七億円の輸銀借款と合せて、ダニム水力発電所建設計画にあてられることである。

本年一月十二日より賠償第二年度に入ったが、本年三月末現在、契約認証額は五三億円、支払済額は、使節団経費(一億一千万円)を含めて一八億円に達している。

認証額の中主要なものはダニム発電所建設工事四五億円、同工事監督役務五億円、その他ダニム発電所測量、調査、設計役務、工事用土木機械、車輛等計三億円である。この他近く、発電機器、水圧鉄管、変電所機器の契約認証も行なわれる予定であり、輸銀借款の対象となる送電線の契約も近く締結に至る見込である。また、ヴィエトナム側の消費財輸入手続も、最近決定をみたので、総額二七億円、第二年度分二二億円の供与も急速に軌道に乗ることと思われる。

ダニム・ダム建設工事の起工式は、本年四月一日行なわれたが、第一期工事三カ年で八万KW、一九六五年完成予定の第二期工事で、合計一六万KWの発電を行なう見通しで、これが実現した暁には、コスト高のヴィエトナム電力事情を飛躍的に好転させ、新規電源による未利用資源の開発によって、ヴィエトナムの経済発展に寄与すること大なるものがあると思われる。

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(5) ラオスおよびカンボディアに対する経済技術協力

  ラ オ ス

ラオスとの経済技術協力協定は、一九五九年一月二十三日に発効したが、この協定は、わが国がラオスの経済開発を援助することを目的としたもので、二年間に、一〇億円の援助をわが国の生産物および役務の供与によって、ラオスに与えることを定めている。

第一年度実施計画によって、首都ヴィエンチャンの上水道建設、ナムグム河ダムの調査、予備設計および橋の建設のための調査を行なうことを合意したが、その後、上水道計画に関しては、現地通貨の調達困難および設計案の再三の変更要求のため、またダムの調査、予備設計については、治安事情のため、いずれもその実施は停頓状態にあり、本年三月末現在、契約認証額六四〇〇万円、支払済額は四六〇〇万円に止まっている状態である。よってラオス側の要望に基づき、本年三月十一日の両政府間の交換公文により、協定に基づく援助期間を暫定的に一年間延長する旨の合意がなされた。

  カンボディア

カンボディアに対する経済技術協力協定は、一九五九年七月六日に発効したが、この協定は、わが国とカンボディアとの友好関係を強化し、かつ相互の経済、技術協力を拡大することを目標として、わが国の生産物および役務をカンボディアに供与することにより、三年間に一五億円を与えることを約したものである。

この協定に基づく実施計画によって、農業技術センター、診療所および種畜場の建設、首都プノンペンの上水道敷設用資材および設備、トンレ・サップ河橋梁建設用資材および設備、その他付帯役務を供与することが合意された。以上の中、農業技術センター、診療所、種畜場の建設については、設計契約は近く認証の見込であるが、施工契約は未だ締結に至らず、また別途契約により、一部技術者の派遣、一部携行資材の供与を完了した段階である。プノンペン上水道関係については、資材引渡しを完了し、トンレ・サップ架橋関係も、契約認証を終ったが、資材引渡しは未了である。本年三月現在の認証総額は八億七千万円、支払済額は四億九千万円となっている。

11、皇太子、同妃両殿下のアジア・アフリカ諸国御訪問

皇太子および同妃両殿下はさきにわが国を訪問したイラン、エティオピア、インドおよびネパール各国元首に対する答礼を兼ね、天皇陛下の御名代として昨年十一月十二日羽田を出発、左のとおり前記各国を親善訪問され、親しく各国の官民に接するとともに、国情を視察され、十二月九日帰国された。

(1) イラン

十二日出発された両殿下は、途中カルカタ二泊の後、十四日イラン国テヘラン空港に到着、イラン皇帝およびイラン政府の賓客としてイラン官民を挙げての大歓迎を受けられ、二十二日まで滞在された。この間先帝レザー・シャー大帝の霊廟に参拝され、上院を公式訪問され、日本語でイラン国民に対するメッセージを朗読されたほか、古代博物館、テヘラン大学を視察し、アムジャディエ競技場における体育祭に臨席された。また、両殿下は、皇帝専用機により、イスファハン、シラズ両市を訪問し、ペルセポリスの遺跡を見学された。

(2) エテイオピア

二十二日イランを出発された両殿下は、途中サウディ・アラビアのダーランにて少憇後、アデンに向い、同地にて一泊の後、二十三日エティオピアのアディス・アベバに到着された。両殿下はエティオピア皇帝の賓客として同国朝野の大歓迎を受けられ、二十七日まで同市に滞任されたが、その間、解放記念碑、アディス・アベバ大学、博物館を訪問、第二王子の霊廟に参拝した外、特別機でアワシュ溪谷地帯を見学された。

(3) インド

両殿下は二十七日エティオピアよりボンベイに到着され、十二月六日まで大統領およびインド政府の賓客として滞在インド各地を訪問されたが、その間インド官民による熱烈な歓迎を受けられた。ボンベイではアーレイ酪農場等を視察、首都デリーでは、ガンジーの墓に参拝、市民歓迎大会において挨拶のスピーチを行なわれたほか、インド国際センター定礎式に臨席され、また国立物理研究所、農事試験所、デリー郊外の農村等を視察された。その後アグラにおいてタージ・マハル等見学かたがた二日間休養の後、ガヤの仏跡を見学され、十二月六日パトナよりネパールに向かわれた。

(4) ネパール

両殿下は六日インドよりネパール皇帝専用機にて首都カトマンズに到着されたが、市内の各官庁および学校は臨時休日を行ない、両殿下を歓迎した。両殿下はネパール皇帝の賓客として八日まで滞在されたが、その間カトマンズ市内の王宮、寺院その他の史跡等を見学の上、特別機にて約一時間半にわたりヒマラヤ上空を巡回された。

12、東南アジア各国要人の訪日

(1) スカルノ・インドネシア大統領の訪日

(i) スカルノ・インドネシア共和国大統領は、岸内閣総理大臣の招待に応じ、スバンドリオ外務大臣、スハルト家内工業大臣ら随員三十三名を帯同し、昨年五月二十四日来日し、六月三日まで滞在した。同大統領の訪日は、一九五八年一月、一九五九年六月の訪日に次ぎ戦後三回目のもので、アジア、東欧、アフリカ、西ヨーロッパ、中米、アメリカ諸国を歴訪した後、来日したものである。

同大統領は、滞日中岸内閣総理大臣、藤山外務大臣らわが国政府首脳らと会見し、日、「イ」両国間の親善友好関係の増進、経済協力の促進に関する諸問題につき懇談した。

なお、同大統領および主要随員は、滞在中宮中において天皇陛下から午餐を賜わった。

(ii) スカルノ大統領は、第十五回国際連合総会出席のため、米国訪問の途次、スバンドリオ外務大臣、ナスチオン国家治安相兼陸軍参謀長ら閣僚六名を含む随員三十五名を帯同し、九月二十六日再び来日し、同月二十八日まで滞在した。

同大統領は、滞日中池田内閣総理大臣と会談し、一般国際問題、日・「イ」両国の親善友好関係の強化、経済協力の促進に関する諸問題につき意見の交換を行なった。この会談において、スカルノ大統領は、カーレル・ドールマン号の本邦寄港中止に関する日本政府の決定に謝意を表明した。また、両者は、通商航海条約の早期締結のため、速やかに交渉を開始することに意見の一致をみた。

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(2) インドネシア国家治安相兼陸軍参謀長ナチスオン大将の訪日

インドネシアの国家治安相ナスチオン大将は、日本政府の招請により、夫人ほか随員三名を伴ない、昨年十月七日から十日までの四日間、政府の賓客としてわが国を訪問した。

同相夫妻は、わが国滞在中、天皇、皇后両陛下より謁見を賜わったほか、同相は池田内閣総理大臣、小坂外務大臣および今井防衛事務次官(長官代理)を儀礼訪問し、防衛庁関係者と会談するとともに、一行は、わが国における産業、文化、社会関係諸施設の視察および箱根遊覧を行なった。

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(3) インドネシア海軍参謀長マルタディナタ少将の訪日

インドネシアのマルタディナタ海軍参謀長は、随員三名と共に米国よりの帰途、昨年六月四日から七日までの三日間わが国を非公式に訪問した。

同参謀長はこの間赤城防衛庁長官ら同庁幹部に対する儀礼訪問を行なったほか、横須賀の防衛大学校の視察を行なった。

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(4) インドネシア国務相兼国家企画審議会議長モハメッド・ヤミン博士の訪日

インドネシアのモハメッド・ヤミン国務相は、日本政府の招請に応じ、夫人と共に随員四名を伴ない、本年三月一日から十日までの十日間、政府の賓客として公式にわが国を訪問した。

同相夫妻は、滞日中、天皇、皇后両陛下より謁見を賜わったほか、同相は、池田内閣総理大臣、小坂外務大臣、水田大蔵大臣、椎名通商産業大臣、周東農林大臣および迫水経済企画庁長官ら日本政府首脳、ならびにわが国財界指導者等と会談し、同国の綜合開発八カ年計画の概要につき説明を行なうとともに、同計画の実施に対して日本政府および民間からの経済、技術協力ならびに資本援助の可能性に関する話し合いを行なった。

同相一行は、また、東京近郊、京都、大阪および神戸等関西方面の工場見学ならびに観光視察旅行を行なった。

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(5) マカパガル・フィリピン副大統領の訪日

フィリピン共和国副大統領ディオスダード・マカパガルは、夫人およびリベラル党幹事長エリウテリオ・アデポソを伴ない、米国在郷軍人会のマイアミ大会に出席し、その後、南米、欧州および東南アジア諸国を歴訪の後、昨年十一月二十八日から同月三十日まで非公式に来日した。滞日中同副大統領は池田内閣総理大臣を訪問の後、夫人を伴ない、神奈川県において、家内工業およびモデル農家の視察を行なった。

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(6) カンポ・フィリピン警察軍司令官の訪日

フィリピン警察軍司令官イサガニ・V・カンポ准将は、高級警察軍将校セバスチアン大佐を帯同、本邦警察制度視察の目的をもって、本年二月十二日から同月二十三日まで外務省の招客として来日した(両人も弔非公式に夫人帯同)。同司令官一行は、滞日中、外務省、法務省、警察庁および警視庁等を訪問したほか、府中刑務所、警察大学、警察学校、築地警察署および科学警察研究所を視察した。また京都、奈良両県警察本部を訪問の後、京都および奈良両市で観光を行なった。

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(7) ネパール王国皇帝皇后両陛下の訪日

ネパール王国皇帝皇后両陛下は、ディレンドラ親王殿下、スバルナ・ラナ副首相等公式随員十四名を伴ない、昨年四月十八日から同月二十五日まで国賓として訪日され、わが国官民による熱烈な歓迎を受けられた。両陛下は滞日中・天皇皇后両陛下と親しく交歓された他、岸内閣総理大臣と会談され、また国会、産業、文化施設および史跡等を視察された。

なお、ネパール皇帝陛下に随伴して来日したスバルナ・ラナ副首相は、同陛下の命により岸内閣総理大臣と両国の経済協力の問題について会談し、その結果、わが国より水力発電開発調査団が同年十月から十二月までネパールに派遣された。

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(8) シンハ・インド最高裁判所長官の訪日

シンハ・インド最高裁判所長官は、昨年十月七日より同十五日まで、わが国政府の賓客として訪日した。同長官は滞日中、天皇陛下に謁見し、池田内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官、外務大臣、法務大臣等を儀礼訪問したほか、最高裁判所、大阪高等裁判所、横浜地方裁判所および家庭裁判所等主として本邦司法制度の視察を行なった。

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(9) アユーブ・カーン・パキスタン大統領の訪日

昨年十二月十二日から同月十九日までアユーブ・カーン・パキスタン大統領は、A・K・カーン工業相他随員八名を伴ない、国賓として本邦を訪問した。

同大統領は本邦滞在中、天皇陛下と親しく交歓を行ない、また池田内閣総理大臣とは当面の国際情勢ならびに両国間友好関係を一層増進せしめる諸方策につき卒直な意見の交換を行なった。さらに同大統領は本邦各地の諸産業施設を熱心に視察したほか、各種歓迎レセプションに臨み、広くわが国官民との接触に努めた。

アユーブ・カーン大統領訪日の具体的な成果として、同年十二月十八日アユーブ大統領と池田総理大臣および小坂外務大臣との間に署名された日パ友好通商条約が挙げられよう。わが国とパキスタンはすでに各種の分野において密接な関係にあるが、本条約により両国の経済関係がより一層安定した基礎の上において発展することが期待される。

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(10) ハビブール・ラーマン・パキスタン教育相の訪日

ハビブール・ラーマン・パキスタン教育相はシャリフ教育次官を伴ない、昨年一月十二日より同月二十一日まで、外務省の招客として訪日した。同相は本邦滞在中、天皇陛下に謁見を賜わったほか、藤山外務大臣、松田文部大臣および東都知事を儀礼訪問した。同相はさらに東京および関西方面における文化教育施設および産業施設の視察等を行なった。

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