三 経済的繁栄と福祉の向上
国際経済の現状に眼を転ずると、東西両陣営の経済競争は、低開発国援助をめぐるいわゆる南北問題とも交錯していよいよ激しくなっており、貿易に依存するところの大きいわが国としては、とくにこの国際経済の動きをつねに適確に把握している必要がある。
そこで自由世界を中心に昨年から今年にかけての国際経済の動きをみると、戦後際立った繁栄を享受してきた米国が近年その経済成長に若干鈍化の兆を見せ始め、他方、この米国からかつて多大の援助を受けた欧州諸国およびわが国はこの数年来めざましい経済発展を遂げ、今や、米国、欧州諸国および日本は自由経済の世界における平等なパートナーとして互いに協力しあうようになってきていることが最も注目される。とくに昨年末の経済協力開発機構(OECD)条約の署名と米国の国際収支の悪化に端を発したいわゆるドル防衛問題をめぐる自由諸国間の緊密な協力は画期的な意義をもつものといえよう。また、近年先進工業諸国と低開発諸国との経済発展の格差がますます開いてくるに従い、低開発諸国への援助の重要性は増大しているが、この援助の分野における自由諸国間の協力もまた緊密の度を加えており、昨年三月に発足した開発援助グループ(DAG)の活動は次第に活発となってきている。
わが国の経済外交は、このような国際経済の大きな流れに即し、他の自由諸国との協調の下にわが国経済の繁栄をはかることに努めてきた。すなわちわが国は、通商面においては、ガットやIMFやエカフェをはじめとする国連の諸機関を通じ、また、低開発国援助の分野においては、国連、コロンボ・プランおよび前記の開発援助グループの場等を通じて関係諸国との協力を実施している。近年わが国の経済成長が極めて順調で、今後も所得倍増計画を中心にますます発展が見込まれているので、わが国の国際経済社会における地位はとみに上昇しているが、他面、世界のわが国に期待するところもまた大きくなっていることを忘れてはならない。
また各国との関係においては、東南アジア諸国をはじめとする諸国との通商航海条約の締結促進、欧州および大洋州諸国との通商関係の改善、低開発諸国それぞれの実情に即した経済技術協力の実施、中南米諸国に対する移住の振興等の各方面にわたって一層の努力を払った結果、昨年から本年にかけて、着々とその成果が挙がりつつある。
なお国内経済との関係で特筆されることは、昨年六月以来わが国の貿易為替の自由化が軌道に乗ったことであって、これはわが国経済の国際競争力の強化に役立つばかりでなく、さきに述べた自由諸国間の経済協調や欧州諸国の対日差別の撤廃促進にも寄与することが非常に大きいと期待される。
各国との通商関係を正常化し、さらにこれを安定した基礎の上におくことは基本的な問題であるが、そのための最も有効な手段の一つである通商関係諸条約の締結に関し昨年来顕著な成果があがっている。すなわち、マラヤとの通商協定が昨年五月に署名され、同八月に発効したことをはじめ、四月にはキューバとの通商協定が、十月にはベネルックス三国との通商協定が、また十二月にはフィリピンとの友好通商航海条約およびパキスタンとの友好通商条約がそれぞれ署名された。本年にはいってからもまた、インドネシアをはじめとする各国との通商条約締結交渉が行なわれているが、このように東南アジア諸国をはじめとする多数諸国との間の通商関係が着々と安定に向いつつあることは誠に喜ばしいことである。他方、貿易取極の面では各国との貿易取極が新規締結、改訂ないし延長され、わが国とそれら諸国との貿易関係の増進に貢献したが、とくに昨年は欧州諸国との貿易交渉が極めて強力に推進され、わが国がこの将来性のある大きな市場に広く進出する足場が固められたことは特筆に値する。
昨年のわが国の輸出の伸びは、対前年比約二十五パーセント(通関統計)と一昨年に引続き好調であったが、これを地域別にみると、東南アジア、大洋州、欧州、中南米等への輸出が順調に増加した反面、北米、中近東およびアフリカ向け輸出の停滞が目立った。一九五九年にはじめてわが国の出超となった対米貿易は、米国の景気後退、国際収支の悪化等で輸出が伸び悩んだのに対し、わが国の好景気から輸入が増加したため、再びわが方の大幅な入超となった。対欧貿易の面では、欧州共同市場および欧州自由貿易連合という二つの経済グループの内部でそれぞれ相互に域内関税の引下げが行なわれ、それだけわが国等域外諸国の立場が若干不利となってきているが、昨年の欧州経済は、非常な繁栄振りであったので、わが国の輸出は前年比約三割方増加した。アジアをはじめとする低開発地域向け輸出は、これら地域諸国の国際収支が一九五八年頃からみてかなり好転したこともあって概して好調であったが、一部ではわが国の甚だしい輸出超過となっており、これらの国の一次産品買付けの面でのわが方の努力の必要性が高まってきている。共産圏貿易も昨年三月に締結されたソ連との長期貿易取極等の効果もあって大幅に増加した。
国際経済機関については、まず昨年のガット第十六回および第十七回総会で、わが国がとくに深い関心をもつている市場こう乱防止問題と対日ガット三十五条援用問題について大きな進展がみられたことが注目される。すなわち、市場こう乱防止問題については、これに関する常設委員会が設置されることになり、また、対日ガット三十五条援用問題については、同条二項に基づいて、その再検討が行われることになったので、それぞれ本年以後の成果が期待される。
またマラヤは、前述の通商協定の発効と同時に、三十五条援用を撤回した。他方、昨年秋からはじまった一連のガット関税交渉においては、わが国は、自由化に伴なう関税体系の再編成に備えて、米国および欧州共同市場諸国をはじめとする関係各国との間で関税譲許の修正等について交渉を続けている。さらに従来から小麦、砂糖等主要一次産品に関する商品協定に参加してその価格安定等のための国際協力に貢献してきたわが国は、国際すず協定の改訂に伴ない、これにも加入すべく準備を進めている。
かねてからわが経済外交の最大重点の一つとなっている対日差別の撤廃については、前述のようにガットの場を通じて、また、各種二国間交渉においてその実現への努力が続けられている。同時に、とくに先進国による対日差別が相手国内における市場こう乱ないしそれに対する懸念から生じている場合が多いので、わが国としては短期間に特定商品の輸出を急増させるような事態を避け、秩序ある輸出を実施するよう努力するとともに、このようなわが方の努力とその効果について関係諸国の認識を高めることに努めている。こうした一連の努力の結果、関係諸国の対日理解も次第に深まり、また市場としてのわが国の価値も再認識されつつあること(これには外国貿易使節団の訪日や招待外交による外国要人の来日などが大いに役立っている)とあいまって一般に対日差別緩和の兆が見受けられる。一方、米国をはじめカナダ、豪州および欧州諸国における対日輸入制限運動に対しては、前述のような政府間の話し合いや輸出秩序の確立に努めるのみならず、相手国内における啓発活動その他による輸入制限運動対策を実施して多大の成果を収めている。
次に貿易為替の自由化は、最近のわが国経済外交の推進にとって大きな意義をもつものである。すなわち西欧諸国の自由化がすすみ、わが国の国際収支が好調のうち推移してきたので、昨年六月政府は、貿易為替自由化計画大綱を決定して、本格的な自由化の実施に乗り出したが、昨年のIMFの対日年次協議およびガットの輸入制限等において、IMFや欧米諸国をはじめとする世界各国がわが国の貿易為替自由化の一属の促進を強く要望していることが明らかとなった。わが国としても、他国の対日差別の撤廃を求め、その対日自由化を要求する以上は、事情の許す限り自由化を進めることは当然のことであり、また自らの利益でもあるので、この促進に努力すべきであると思われる。もちろん自由化を進めるにあたっては、とくにわが国経済の特殊事情を各国に説明して、その理解を求める努力を怠ってはならない。なお自由化の進展に伴ない、低開発国の割高な一次産品の買付けが一層困難となるという問題は、今後の経済外交の一つの課題となってきていることをとくに指摘しておきたい。
昨年以来、経済協力の分野において、国際的にもまたわが国自身にとっても、画期的な発展がみられた。
まず国際的には、一九六〇年代の世界経済の課題としての「南北問題」、すなわち、「北」の先進工業諸国と「南」の低開発諸国との経済協力の重要性を認識する欧米諸国の間に、低開発地域に対する経済援助を拡大強化するための協調体制を整備しようとする機運が急速にたかまり、この傾向は、米国新政権の低開発国援助に対しての非常な熱意も手伝い、最近いよいよ強まってきている。すなわち昨年三月わが国をふくめた九カ国(後に十カ国)および欧州経済共同体が参加して開かれた援助についての参加国間の情報意見交換を目的とする開発援助グループ会議は、その後回を重ね、本年三月の第四回会議では、低開発国援助の規模拡大とその公正な分担方法および援助の質的改善をはかるために、開発援助グループの機能を強化し、会議参加国の間における共同体制をつくり上げることが決議された。またインドに対する各国の援助の増大と調整をはかるための債権国会議も、昨年ですでに三回を数えることになったばかりでなく、この年から新たにパキスタンについても同様に債権国会議が設けられ、低開発国援助に関しての先進国相互間の協力は一層緊密なものになろうとしており、今までのような各国がめいめい単独に行なっていた経済協力あるいは援助を組織化することによって、より効果的なものとすると同時に、先進工業諸国間でできるだけ援助の公正な分担をはかろうとする考え方が国際的に広がってきた。さらに従来低開発国援助面においても重要な役割を果してきた国際復興開発銀行(いわゆる世界銀行)に加えて、長期低利の借款、供与を目的とする国際開発協会が昨年十月資本金十億ドルで誕生し、わが国も、咋年末、その第一部国(工業国)の一つとして加盟手続きを完了した。
このように低開発国援助についての国際協調が進んできたのは、世界の真の平和と繁栄の確立のためには、単に東西間における緊張の緩和ばかりでなく、南北間における富の較差の緩和が欠くべからざるものであり、このためには、先進工業諸国がその持てる力を結集して、低開発諸国の貧困からの脱却を援助しなくてはならないとの認識が各国の間に一段と深まってきた結果である。わが国が、さきに述べた開発援助グループや債権国会議に当初から参加し、また国際開発協会への出資、国連の技術援助に対する拠出金増額により、国際機関を通じての低開発国援助に積極的協力を行なっているのも、こうした見地に基づくものであって、その貿易の四五%近くを低開発国市場に依存し、低開発諸国の経済的発展と政治的安定が自由の繁栄に密接なつながりを持つわが国としては、けだし当然のことである。
昨年はあたかもわが国内において国民所得倍増計画が打ち出され、経済の高度成長維持のためには、長期的視野に立った東南アジア諸国をはじめとする低開発地域との経済協力の積極的推進をはかることが必要であることがはっきりと認められた。戦後の復興期におけるわが国は、その経済力も不十分で、短期的な輸出努力に全力を挙げなくてはならないのが実情であった。もちろん現在といえども、国内においては、経済基盤強化のための種々の問題を抱え、対外的にも賠償その他の支払義務の負担があるが、国全体の経済力は、漸くより長期的な対外経済政策をとることを可能にし、かつ、これからのわが国経済の発展のためにはそうした政策が必要な段階にさしかかってきたと見られる。政府が、従来の厳格な金融ベースに基づいた輸出入銀行の対外金融から一歩を進め、海外経済協力基金を設立し、東南アジアその他の低開発諸国の開発事業に必要な資金を緩和された条件で供給することとなったのは、このような考え方の一端を示すものであり、同基金は、本年三月資金五十四億円で発足し、昭和三十六年度予算による政府の追加出資五十億円を加えても、まだその規模は小さいが、今後わが国の経済協力に重要な役割を果たすことが期待されている。
こうした国内体制の整備と相まって、対外的にも、低開発諸国との通商航海条約、通商協定、あるいは租税条約の締結によって、民間海外投資活動の保護促進が強化され、また技術協力の面においても、昨年から新たに技術訓練センター計画が実施に移される等その範囲が一層拡大されつつあり、さらにアジア諸国間における地域的な生産性向上運動推進のためのアジア生産性機構が近く発足を予想され、わが国は、その設立準備に積極的に参画している。しかしながら、経済協力の本格的推進のためには、従来その主体となっていた民間投資や延払輸出信用に止まらず、国力の増進に応じて、より効果的な政府ベースの資本援助の増大、技術協力の拡大と質的向上等なすべきことはまだ多く残されており、今後一層の努力が払われなければならない。
海外移住施策の第一義は年令、職業、経歴を問わず海外に雄飛しようとする人々にそのところを得しめるために、国ができるかぎりの援助指導を与えるにあるが、これは海外移住者自身の利益であるのみならず、送出、受入双方の国の利益でもある。すなわち海外移住を通じて各国との経済関係が緊密化し、政治的に親善関係が強められることは、送出国であるわが国の利益に合致するとともに、移住によって受入国の経済開発にも貢献する好ましい国際協力関係を発展せしめるものであり、この意味において移住政策は外交政策の重要な一環をなすものに外ならない。
昨年度は、わが国にとって最初の本格的な移住協定である日伯移植民協定が調印されたこと、この協定によっても、前記の如き移住に関する新しい理念が確立し、これについて内外の認識が高められたこと、および技術移住の実施をはじめとし政府の移住政策が多角的となり、それぞれの分野において事業はようやく軌道に乗り、活発化してきたこと等の点において画期的な年であったということができる。
今までの海外移住はほとんど農業部門に限られ、技師、工員の移住は、日系企業による指名呼寄せの場合か、企業進出に附随して少数行なわれてきたに過ぎなかった。しかしブラジル、アルゼンティン等工業化が急速に進行している国では、工業関係の技術者、技能者に対する旺盛な需要がある(イタリア、スペイン等の国からの移住者は大部分が技師、工員である)。日伯移植民協定第九条にも、計画移住者の種類として、農業関係のものに並べて技術関係の職種を網羅的に掲げている。そこで日本海外協会連合会は、まずブラジルの非日系企業の邦人技師、工員に対する需要に基づいて本年二月、この種の移住希望者の公募を開始する運びとなった。この第一回の公募を出発点として、この種の移住は急速に発展してゆく見込みであり、今後移住職種は多角化されてゆくことが期待される。