二 わが国と各地域との間の諸問題

アジア関係

1 第四次日韓全面会談および抑留漁夫釈放交渉の再開

第四次日韓全面会談は、一昨年暮から年末年始の自然休会に入つていたが、昨年二月十三日、わが政府が閣議了解をもつて在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題に関する処理方針を決定したことを契機として、韓国側は、その態度を硬化し、わが政府が右処理方針を放棄しない限り、会談の再開には応じられない旨を申入れてきた。

これに対し政府は、北朝鮮帰還問題は政治間題とは全く無関係な人道問題であり、日韓会談は、この問題とは切離して別個に継続すべきものであるという方針をもつて韓国側の説得に努めた。ことに六月十日ジュネーヴで事実上妥結した日朝両赤十字会談、および右妥結に基づいて同月二十四日仮調印された関係文書案は、いずれも居住地選択の自由という国際的に認められた原則に基づいて決められたわが政府の基本方針に沿つたものであることを強調して、韓国側の飜意を求めた。しかし韓国側はわが国の説明に耳を藉そうとせず、ついには上記日朝間交渉の事実上の妥結を契機として、わが国との通商関係を中断する措置に出で、かくて日韓間の空気は険悪化の一路を辿るかにみえた。

しかし、北朝鮮帰還は、結局わが国の既定方針通りに実施される見透しが次第に強まるとともに、他方米国政府も、この問題については基本的には居住地選択の自由という大原則を支持する態度を明らかにしたことなどもあり、韓国側は、従来の行き方を改めるに至つた。すなわち在日韓国代表部柳大使は、七月三十日藤山外務大臣を来訪し、在日朝鮮人問題の討議をも含む日韓全面会談をできるだけ速かに無条件再開したいという韓国政府の提案を手交し、併せて釜山に収容されている邦人漁夫と大村収容所にいる不法入国韓人との「相互送還」をこの際できるだけ速かに実施することとしたい旨を口頭で申出でた。

これに対しわが政府は、韓国側が提案した全面会談の「無条件」再開という語の意味を、あらかじめ明確にしておくことが今後会談を円滑に進める上に必要であると考えた。よつて藤山外務大臣は柳大使に対し、わが政府は、北朝鮮帰還問題は既定方針どおりにこれを措置すべき旨特に念を押し、またいわゆる相互送還も無条件なるべきことを伊関外務省アジア局長より柳大使に特に念を押したところ、柳大使はいずれもこれを肯定した。

よつて藤山外務大臣は、韓国政府の前記申入れの次第を七月三十一日閣議に報告し、その了解を得たので、八月一日山田外務事務次官より柳大使に対し、わが政府は、韓国政府が日韓関係の大局的見地から申出でたこの提案を歓迎し、両国関係全般の正常化をできる限りすみやかに実現したいという真摯な希望から、韓国政府の申出でを了承し、日韓全面会談を早期無条件に再開することを承諾する旨回答した。またいわゆる相互送還に関する柳大使の申出でもわが政府はこれを受諾する旨を回答するとともに、本件送還が日韓会談の再開前に支障なく実行されるように要望した。

なお漁夫釈放問題については、さきに北朝鮮帰還問題が原因となつて韓国側の態度が硬化し、外交交渉による解決に期待することが事実上困難となつたので、政府は昨年二月いらい本件についても赤十字国際委員会の尽力を依頼してきたのであるが、韓国側の前記申出での結果、本件は再び外交交渉の軌道に乗せられることとなつた。

その後北朝鮮帰還協定調印への動きを背景として、会談の再開について日韓間に種々やり取りがあつたが、結局八月七日に至り、(イ)八月十二日に第四次全面会談を再開すること、(ロ)釜山と大村の送還を実施するための日韓連絡委員会を同じく十二日に開くことの二点について意見が一致した(因みに北鮮帰還協定は、八月十三日カルカタにおいて日朝両赤十字代表間で調印された)。

この合意に基づき、まず八月十二日外務省において、日本側沢田廉三首席代表および韓国側許政首席代表らの出席の下に、第四次日韓全面会談が再開され、また同日以降日韓連絡委員会が開かれた。

第四次日韓全面会談は、再開いらい同年十一月までに四回の本会議会合を行なつた。また法的地位委員会は八月三十一日以降十一月三日までに前後七回にわたつて開催されたが、同委員会は、在日朝鮮人の法的地位および処遇に関連する全般的問題に重点をおき、一昨年十月の韓国側提案について意見の交換を行なつたほか、韓国側から新たな提案も行なわれた。

わが国が最も関心を有する漁業および「平和ライン」委員会については、わが国の要求により、同年九月八日の第四回本会議で法的地位委員会と平行してこれを開催することに合意が成立し、同委員会に出席する韓国側専門委員はようやく九月二十八日に至つて来日した。しかるにたまたまこの間北朝鮮「帰還案内」修正問題が発生したことと関連し、またも韓国側の態度が硬化したため、同委員会の開催はさらに遅れ、結局十月十五日に初めて顔合せの第一回会合を行ない、ついで同二十三日に第二回会合を開いたが、実質的討議に入るには至らなかつた。

一方、抑留者の送還を実施するための日韓事務当局による連絡委員会は、八月十二日に全面会談本会議と平行してその第一回会合を開き、爾後数回にわたつて会合を重ねたが、その結果まず釜山と大村との名簿を相互に交換することに決定した。この合意に基づき、わが国は九月二日韓国側に対し、八月二十日現在大村に収容されている九八○名の「不法入国者名簿」を伝達し、これに対し、韓国側は同五日、七月三十日現在の「刑期」満了者一二二名についての「被収容日本人漁夫名簿」をわが国に提出した。その後韓国側の名簿照合に暇取つたが、その手続も漸く十月中旬に完了し、これを実行に移すばかりとなつた。そこでわが国はできるだけ速やかにこれを実施するよう累次韓国側に要求し督促したが、韓国側は、種々の辞柄をかまえて、なかなかその実行を肯じなかつた。これに対してわが国は、忍耐強く折衝したが、同時にもし韓国側が抑留者の送還の実施をこれ以上引延ばすならばその他の諸問題に関する交渉は進め得ないという強い態度も繰返して表明した。それにもかかわらず漁夫送還の実施は、その見透しをつけることさえ困難となり、かたがた冬も近づいてきたので、十一月二十八日には特に山田外務事務次官より柳大使に対し、漁夫送還の確定の約束とその実行とを強く要求する口上書を手交した。

その後同年十二月五日に至り、韓国政府は柳大使を通じ、在日韓人の韓国への帰還ならびに処遇に関する原則についての新提案を行ない、もしわが国がこれに同意し日韓両国間に合意が成立すれば、韓国側は年内の一定の日に釜山の日本人漁夫の送還と大村の韓人の引き取りとを実行すべき旨確約するとともに、その趣旨の共同声明を発表することとしたいとの提案を行なつて来た。前述新提案は、わが国としてもおおむね差支えないものであるのみならず、邦人漁夫の年内帰国を実現し得ることともなるので、わが国は、原則的にはこれに応ずることとし、爾来十二月下旬までその案文の内容および辞句について韓国側との間に鋭意交渉を行なつた。この間、北朝鮮帰還第一船の新潟出港を目前に控え、韓国側が北朝鮮帰還問題を国際司法裁判所に付託すること等を提案したため、交渉は難航に陥るなど紆余曲折を経たが、十二月二十二日には細目に関する一、二の留保点を除き、原則的にほぼ意見の一致をみるまでに至つた。しかし、その後の交渉において日韓共同声明案の細目につき両国政府の意見が最終的に一致するに至らず、このため邦人漁夫の帰国問題もついに年を越すのやむなきに至つた。

なお在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題が進展するに伴い、韓国側による日本漁船の不法拿捕事件が増加した。すなわち昨年一月二隻、同二月一隻、五月一隻、六月一隻、七月一隻が不法に拿捕され、ついで八月日韓全面会談が再開された後も、韓国側はわが国の民間自衛船の出動ないし李ライン内大挙出漁などに藉口して不法拿捕をつづけ、八月二隻、九月二隻が拿捕された。その結果、昨年中に拿捕されたものは合計十隻(うち帰還二隻)、同乗組漁夫は一〇一名(うち帰還一九名)を数え、昨年十二月末日現在未帰還邦人漁夫数は累計二〇一名に達した。

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2 在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題

北朝鮮へ帰りたいという声は、すでに一九五三年の朝鮮休戦協定成立前後から一部在日朝鮮人の間に聞かれた。しかしその頃は希望者の数も比較的少なく、かつ実際問題として帰国費用や便船等の関係から、あまり大きな問題とはならなかつた。

ところが昨年九月頃から主として在日朝鮮人総連合会(北朝鮮系の朝鮮人団体)が中心となつて在日朝鮮人の間に集団帰国運動が抬頭し、またこれと同時に北朝鮮側から、必要な帰国旅費を負担し、配船その他の輸送措置を講ずる用意があるという報道もあつたため、北朝鮮帰還運動は急速にひろまり、同年十一月には約十一万七千名の帰還希望者があると伝えられた。

一方わが国の民間有志の間にも、「在日朝鮮人帰還協力会」が結成され、また多くの地方団体は人道的見地から北朝鮮帰還促進の要請決議を行なうなどのことがあつて、この問題はわが国民の間にも大きな関心を呼び起すに至つた。

そもそも在日朝鮮人の帰還自体は、在日外国人の任意出国の問題である。何人も基本的人権として自国へ帰還する権利と自国内で居住地を選択する自由とを有することは、世界人権宣言などにも認められている国際通念であり、わが国は国内法制上も外国人の出国は自由であるという建前をとつている。ただ今回の場合は、前述の通り当初在日朝鮮人の間に集団的帰還運動として盛り上つたものであり、かつその中には生活困窮者も多いので、わが政府としては人道的見地から実際上必要な便宜を供与せざるを得ず、また現在朝鮮が事実上南北に分離対立しているという特殊の事情にもかんがみ、帰還業務の客観的公平性と中立性を保障するために、わが政府として可能な限りの最善を尽すべきであり、また政府としての通常の責任以上に自主的に特別の措置を講ずる必要があると考えた。

かくて政府は昨年二月十三日の閣議で、在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題は、もつぱら基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に従つて処理さるべきものであるという原則を確認し、さらに右の原則に基づき、まず第一段階として、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還の希望や意思の確認等につき、かねて人道的見地からこの問題に深い関心を示していた在スイス赤十字国際委員会の公平かつ中立的な協力を要請することに決定した。

同日外務省は、「在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題の経緯と本質について」と題してこの問題に対するわが政府の考え方を次のように明らかにした。

一 各人が基本的人権として、自国を去る権利とともに、自国に帰る権利および各国の境界内において移転および居住の自由を有することは、世界人権宣言に明らかにされている原則であり、日本政府の今回の処理方針は、まさしくこの国際通念に従うものである。

一 基本的人権尊重の原則は、自由と平和を愛好する諸国、特に自由民主主義諸国の基本的信条であつて、政治的理由によつて個人の居住地選択の自由を妨げることは、自由諸国の拠つて立つ基本的信条を自ら蹂躙する以外の何ものでもないと考える。

一 日本政府は、この問題を人道的かつ公正に処理したいと考えているので、赤十字国際委員会のかねてからの申し出でを受け容れて、個人の意思の確認を厳正かつ中立的な国際機関である同委員会に依頼することとし、その確認の結果を尊重しようとするものである。

一 この度の北朝鮮帰還は、個人の自由意思による任意帰還であり、日本政府による送還ではなく、況んや追放ではない。個人が自由意思により日本を去つて他の土地に居住することを選択するのであれば、その土地がどのような政治的信条を有する政権によつて支配されていようとも、その個人の意思を尊重することが民主主義の精神であり、またそうしても人道主義に反するものではないと信ずる。

一 また日本政府としては個人が自由意思によつて北朝鮮に帰還することを妨げないというに過ぎないのであるから、これがすこしも北朝鮮政府承認の如き意味合いをもつものでないことはもちろんであり、韓国の主権の侵害でもなく、また韓国政府に対する非友誼的行為でもない。

ついで政府は外務、厚生両大臣の連名により、日本赤十字社社長に対し、二月十四日付書簡をもつて前述閣議了解の趣旨を伝え、本件に関して在スイス赤十字国際委員会の協力を要請する措置をとるべきことを依頼した。

日本赤十字社は、まず井上外事部長をジュネーヴに派遣し、同部長は、二月二十一日同地に到着以来赤十字国際委員会の態度を打診したが、その結果、本件に対する同委員会の態度は極めて慎重であり、まず日本赤十字社が北朝鮮赤十字会と交渉し、その合意の結果をみなければ、いずれともその態度を決定し得ないという見解であることが明らかになつた。そこで日赤は、赤十字国際委員会の諒解の下に、平壤の北朝鮮赤十字会本社との間に電報の往復による予備的折衝を開始した。右折衝は二月二十五日から同三十日まで継続されたが、北朝鮮側は、「国際委員会の協力を排除する意図はないが、帰国意思を「確認」ないし「選別」することには反対であり、従つてこの問題を討議するためジュネーヴで会議を開くことには応じられない、しかし在日朝鮮人の帰還実現のための実際面の問題だけを討議することには賛成である」という態度をとつた。これに対し日赤側は、日赤がいう帰還意思確認の意味ならびにこれについて国際委員会の協力を必要とするゆえんを詳細に説明し、北朝鮮赤十字会代表がジュネーヴに来て、日本赤十字社代表と胸襟を開いて話し合うよう累次にわたつて要請した結果、北朝鮮側もようやく三月三十日に至り、従来の主張を留保しつつもその代表団をジュネーヴに派遣することに同意した。かくて李一郷中央委員会副委員長を首班とし、金仲麟中央委員会常務委員等を以て構成する北朝鮮赤十字代表団は四月八日ジュネーヴに到着したが、これよりさき日赤側は、三月上旬葛西副社長を同地に派遣して、井上外事部長とともに待機せしめていた。

かくして日朝両赤十字代表は、四月十三日以降六月十日まで十七回にわたり、正式会談を重ね、かつその間数多くの非公式会談を行なつたが、六月十日の正式会談によつて交渉は事実上妥結し、六月二十四日左記取極文書案の起草を了して、それぞれ仮調印を行なつた。

(イ) 日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間における在日朝鮮人の帰還に関する協定

(ロ) 同上付属書(帰還船が出入港に際し遵守すべき事項)

(ハ) 共同コミュニケ

この交渉を通じ最も重要な問題点となり、かつ激しい論争が行なわれたのは、(イ)帰還希望者の意思確認の問題、(ロ)国際委員会の介入問題、および(ハ)苦情処理の問題などであるが、これらの問題について前記取極文書により合意をみた点、および文書には書かれていないが双方の間に意見が一致した点のうち、重要なものは次のとおりである。

(a) 帰還は個人の自由意思によることが基本条件であること

(b) 登録機構は日赤の系統で組織し運営されるが、日赤は、その組織および運営が人道的原則にかなつた公正かつ公平なものであることを保障するために、赤十字国際委員会が必要かつ適当と考える措置をとることを同委員会に依頼すること

(c) 意思の変更やいわゆる苦情については特に文書には書かないが、当然運営の一環として運営の他の部面と同様の方式により処理さるべきこと。

而して前記取極案は、日赤から赤十字国際委員会に依頼すべき役割についての規定を含んでいる関係上、これらの役割につきあらかじめ国際委員会の承諾を得た上で正式に調印し、取極全体が即日発効するという段取りとすることにつき、交渉中に双方の意見が一致していた。しかるに北朝鮮側は、仮調印の前後より国際委員会の承諾を待つことなく、即時に正式調印するように迫つてきた。しかし日本側としては、既定方針どおりまず国際委員会の承諾を求めることとし、取極文書案文の仮調印後直ちにこれを国際委員会に提出して、日赤代表団から説明を行なつた。他方、政府もスイス駐在の奥村大使をして同委員会に対し随時日本側の立場などを説明せしめて、同委員会の承諾促進をはかり、さらに藤山外務大臣は、七月十五日ボアシェ委員長に電報を送つて、国際委員会が本協定に規定された役割を引き受けるように要請した。その後さらにボアシェ委員長と島津日赤社長との間にも電報の往復があつたが、八月七日に至り国際委員会は、ボアシェ委員長より島津日赤社長あての公文をもつて、同委員会が北朝鮮帰還問題につき日赤に対し援助を与える旨正式に通告し、ついで八月十一日の声明をもつてこれを公表した。

そこで日朝両赤十字社間の協定は、八月十三日カルカタにおいて葛西日赤代表と李一郷北鮮赤十字代表との間に調印され、本問題はいよいよ実施の段階に入ることとなつた。

日赤は、八月二十三日来日した国際委員会ジュノー副委員長の助言と政府各関係当局との協議に基づき帰還業務処理要領を決定し、これにしたがつて諸般の準備を進めるとともに、帰還希望者に帰還手続を周知徹底させるためのパンフレット「帰還案内」を作成した。

ところが同「案内」の内容が発表されるや、在日朝鮮人総連合会は、「案内」の定める手続の一部に行きすぎないし不適当な点があるとして、「帰還案内」中の関係条項の削除ないし修正を要求し、九月二十一日より全国各地で始められた帰還申請の登録をボイコットする挙に出たが、他方北朝鮮赤十字会もこれに呼応したので、帰還業務は一時暗礁にのり上げるに至つた。そこでわが政府および日赤は、本件打開策について慎重に検討を重ねた結果、十月二十六日に至り「帰還案内」中の問題点に関する「補足説明」を決定し、帰還業務の基本原則は曲げないが、実際の運用面で情勢に応じた措置をとりうるように改めた結果、十月二十七日朝総連側もこれを了承した。他方国際委員会も、右「補足説明」について日赤が行なつた照会に対し、十月三十日付電報をもつて、「同委員会は、個人の尊厳と自由意思を保障するための基本的諸条件が満されることを条件として援助を与えることをさきに約束した次第であり、かかる条件の枠内で最も適当な方法を日赤がその責任において選ぶべきである」旨を回示してきたので、ここに帰還業務は再び順調に進展することとなつた。

かくて北朝鮮帰還希望者の登録申請は十一月四日より再開され、十一月末日現在の申請者数は四、五四四名に達したが、この間日朝両赤十字の間で具体的配船計画も決定し、帰還船には北朝鮮側のチャーターしたソ連船トボリスク号とクリリオン号の二隻が使用されることとなつた。かくて十二月十四日帰還第一船は新潟を出港して無事清津港に到着し、年末までに前後三回にわたつて帰還が実施されたが、これによつて年内に総数二、九四二名が北朝鮮へ帰還した。

この間、一部の帰還反対者側による妨害行為が発生することも憂慮され、また事実若干の事件が起つたが、わが中央および地方関係当局の適切周到な警戒措置によりいずれも事大に至らぬまま帰還の回を重ねるにしたがつて、反対者側も漸次冷静を取戻し、帰還業務は軌道に乗つて本年を迎えた。

なお韓国側は、北朝鮮帰還問題に対して終始強硬な反対態度を示しており、昨年八月から日韓全面会談を無条件で再開したにもかかわらず、同年十二月北朝鮮帰還第一船の新潟出港の期日が迫るや、十二月十二日わが国側に対し、「日韓全面会談で在日朝鮮人問題が解決しないうちに日本側が北朝鮮帰還を一方的に実施することは不当である」とし、抗議し来つた。右と同時に韓国側は、本件を国際司法裁判所に付託することにわが政府が同意するよう、およびわが政府が付託を希望する場合には、暫定的措置として北朝鮮帰還を直ちに停止するように提案した。

これに対しわが政府は、日本政府としてはすでに第四次日韓全面会談再開以前から、本件はもつぱら個人の自由意思に基づいて処理する方針である旨を再三再四明確にしてきていること、人道上の問題について国際的に最高の権威をもつ赤十字国際委員会もこれを承認し、現にその指導と援助の下に帰還業務が行なわれていること、および世界の多数の国もこのような日本政府の処理方針を支持していることなどを指摘し、本件は国際司法裁判所に付託すべきものではなく、またその必要もないと考える旨を回答し、韓国側が本件に関するわが国の正当な立場を認識するように要請した。

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3 フィリピンとの航空業務行政取極の締結

フィリピン航空会社(PAL)は、終戦後の一九四八年十月、SCAPの措置によつて本邦への乗入れを開始したが、サン・フランシスコ平和条約の発効以降は、航空法に基づく運輸省の行政措置により一九五四年三月まで事業を継続し、その後同国の国内事情によりこの事業を中止していた。

その後一昨年九月、比政府から日比間航空路開設のための予備会議を東京で開催したい旨を申し越したので、わが国はこの申し入れに応じ、同年十月十日から同月二十九日まで東京で予備会談を行なつた。これに引き続き湯川駐比大使が比国関係当局と交渉を行なつた結果、昨年三月二日マニラにおいて、日本国とフィリピン共和国との間の航空業務に関する書簡の交換がそれぞれの国を代表する湯川大使とセラノ(Felinberto M.Serrano)外務大臣との間で行なわれた。

この取極の成立の結果、日比両国の指定航空企業の相互乗入れが可能となるので、日比の友好関係は一段と増進されるものと思われる。

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4 東南アジア諸国との租税条約の締結

所得に対する二重課税を回避し、もつて通商経済および文化交流の促進をはかるために、わが国は、世界各国との間に租税条約を締結することに努めているが(すでに、米国およびスカンディナヴィア三国とわが国の間にはそれぞれこの種の条約が締結されている)、わが国としてはとくに経済面で密接な関係にある東南アジア諸国との間にこの種の条約を締結することが必要であると考えたので、一昨年来、これが締結促進のために努力を続けて来た。その結果昨年五月東南アジア諸国中最初のものとしてパキスタンとの間に租税条約が締結され、すでに発効し、ついで本年一月にはインドとの間に租税協定が署名された(目印租税協定は、インド側ではすでに批准のための国内手続を終つており、わが国でも国会の承認を求める手続を了している)。

わが国としては他の東南アジア諸国との間にもこの種の条約を締結すべく、引続き努力を続けている。

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5 ビルマ賠償再検討予備交渉の開始

わが国は、一九五五年四月十六日に発効した日緬平和条約により、ビルマに対し十年間にわたつて二億ドルの賠償と五千万ドルの経済協力とを行なうことに同意したが、同時に同条約の第五条第一項(a)IIIによつて「日本国は、また、他のすべての賠償請求国に対する賠償の最終的解決の時に、その最終的解決の結果と賠償総額の負担に向けることができる日本国の経済力とに照らして、公正なかつ衡平な待遇に対するビルマ連邦の要求を再検討することに同意する」ことを約束している。

この規定に基づいて、ビルマ政府は、昨年四月わが政府に対して対ビルマ賠償の再検討を求める旨、またビルマ政府からの全権団派遣に先立ち、予備的交渉を開始したい旨を申入れて来た。

よつて同年七月下旬より四回にわたり、在京ビルマ大使とわが国の事務当局との間で非公式予備会談が行なわれたが、この交渉でビルマ側は、ビルマが戦時中に蒙つた損害は、フィリピンやインドネシアの蒙つた損害と比較して決して少くなく、賠償協定でわが国が約束した対ビルマ賠償額はこれら二国が受けた賠償額に較べて公正なものではないとして、賠償の増額を要求した。右に関し彼我間で種々議論が行なわれた。わが国より、経済協力を促進することはビルマ経済の発展および日緬関係の緊密化のために有益である旨述べ、一案として経済協力の具体的促進方法について検討を行なうことを提案したが、ビルマ側は経済協力は賠償増額とは無関係であるとして、わが国の提案には応じなかつた。

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6 ビルマの対日輸入全面停止と解除=ビルマ米輸入量の増加と賠償再検討交渉の再開

昨年十一月、ビルマから来日した代表団とわが国との間に一九六〇年度産ビルマ米の売買交渉が行なわれた。ビルマ側は初め一〇万トンの買付を希望したのに対し、わが国は国内需給事情より三万トンの買付を提案した。しかし、これはビルマ側の容れるところとならず、代表団は痛く失望の意を表して帰国した。ビルマ政府はこの米買付交渉の結果を不満として、十二月初めから対日輸入制限の動きをみせていたが、十二月二十一日に至つて対日輸入信用状の開設を全面的に停止するという経済断交にも等しい措置をとるに至つた。これに対しわが国は直ちに、ビルマ政府のこのような措置は両国の友好関係から見て甚だ遺憾であるとして、その撤回を求めるとともに、このような措置が続く限り、わが政府は日緬間の諸懸案について交渉を行ない得ない旨を申入れた。しかしながらわが国のビルマに対する大巾な輸出超過の傾向にもかんがみ、わが国としては当面の対日輸入停止措置を早急に解除せしめるため、この際ビルマ米の買付を増加することに決定した。そこで本年二月二日、ビルマ側の対日輸入停止措置撤回を条件にビルマ米の一万五千トン増量買付(本年度のビルマ米買付総量は四万五千トンとなる)を行なう用意がある旨を申入れたところ、ビルマ側は漸くこれを受け容れ、二月十日より対日輸入停止の措置を解除した。

またこれによりわが国のビルマ賠償再検討に関する予備会談も二月二十日再開されることになつた。

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7 賠償の実施と賠償に伴う経済協力

賠償の実施に関するわが国の基本的な考え方は、それが単にわが国の負つている義務の履行にとどまらず、併せて求償国の経済の回復、発展に寄与し、ひいてはわが国との経済関係および友好関係の緊密化に資するように配慮することにある。今日までビルマ、フィリピンおよびインドネシアに対して実施されて来た賠償は、いずれもこのような考え方の基礎の上に進められて来たのであるが、本年一月十二日賠償協定の発効とともに実施の段階に入つたわが国の対ヴィエトナム賠償についても、また同様のことが言えるであろう。

各求償国に対するわが国の賠償の実施は、ビルマについてはすでに約五カ年、フィリピン三カ年半、インドネシア約二カ年の実績を有するのであるが、これらはいずれも後述のように着々とその成果を挙げており、単に相手国の経済開発や民生安定に寄与貢献するにとどまらず、賠償を通じてわが国の重機械や技術の真価が海外に認められるに至り、ないしはまたわが商品の市場開拓という面の効果も次第に顕れて来ている。

昨年におけるわが国の賠償実施のあとを顧みると、各求償国に対する賠償がいずれも順調に進展したほかに、後述するようにフィリピンのマリキナ・ダム建設計画および電気通信拡張改善計画に対する賠償引当の借款交渉、インドネシアに対する船舶、ドックヤードおよびアジア・オリンピック用ホテル建設のための賠償引当の借款交渉がいずれも妥結している。すなわち昨年九月および十月、わが国とフィリピンおよびインドネシアの両国政府との間にそれぞれ交換公文が行なわれ、諸計画に必要なクレディットが供与されることとなつたが、賠償を通じて(すなわち賠償引当借款という形式で)これらの国との経済協力が進展していることが特に注目される。また、賠償によつてインドネシアの留学生および技術研修生を教育訓練する計画(後述)は、インドネシア政府が提案したものであるが、この計画によつて多数の留学生、研修生がわが国に留学、研修することは、その習得した知識、技術が単にインドネシアの発展に寄与貢献するのみならず、同国とわが国との将来の政治的、経済的、文化的関係にも大きな影響をおよぼすものと考えられるので、この意味で極めて大きな意義をもつものである。

各求償国に対する賠償実施状況の概要は左のとおりである。

(1) ビ ル マ

対ビルマ賠償は一九五五年四月十六日に開始され、昨年十月からその第五年度に入つたので、すでに全期間(十カ年)の半に達しようとしているのであるが、昨年十二月末までに約三六〇億円(賠償義務額七二〇億円の五割に当る)の賠償契約が認証されており、支払済すなわち賠償義務履行済のものは約三二六億円に達している。

右の賠償供与の内容を品目別にみると、最も大きなものは、初年度より賠償を通じて建設されている。バルーチャン水力発電所(出力八万四千KW、本年三月末竣工)計画関係の資材および役務で、累計約九〇億円に達しているが、この発電所の完成は、ビルマの経済および民生に多大の寄与をなすものと予想される。このほか各種鋼材、銅製品、紙製品、繊維製品等の原料別製品合計七二億円、ビルマ鉄道計画の鉄道車輛等三五億円、バス、トラック、オートバイ、乗用車、自転車等三八億円、舟艇一八億円、各種機械類三七億円、電気機器類三七億円、検査、輸送、ビルマ人の技術訓練等の役務関係七億円、中小プラント類六億円が供与されている。

これらの諸物資のビルマにおける反響はいずれも極めて好評で、ビルマ国民が本邦の商品に馴染むことによつてわが輸出市場の基礎が築かれている。またわが国の技術者で賠償によりビルマに派遣されたものは、累計四〇〇名に達しているが、これらの技術者はバルーチャン水力発電所計画関係、車輛修理工場、養蚕、陶磁器製造、乳業等の各工場でビルマ側に協力して技術指導を行ない、同国の経済開発のために多大の成果をあげている。

ビルマに対する賠償の中、建設計画としてはバルーチャン発電計画およびビルマ鉄道計画が主要なもので、これ以外には、各種の資材が政府各機関および州政府によつてこのような建設計画とは関係なく調達されていることが注目される。

わが国はまた、賠償および経済協力に関する協定により、賠償の外に日緬合弁の共同事業をビルマに設立するという形式で同国に対して経済協力を行なうことになつているので、協定発効当時から多くの業種について調査団がビルマに赴き、合弁事業設立のための調査を行ない、またビルマ政府との交渉を行なつてきた。この種の計画は、現在なお交渉中のものも若干あるが、まだほとんど実現していない。これにはビルマ政府が一九五七年以来その対策の重点を工業化政策より民生安定へ転換したことおよびビルマの政情が不安定なこと等の事情があるが、本年二月のビルマ総選挙の結果、同国の政局も安定の方向に向つているとみられるので、経済協力の基礎も漸次に形成されて行くものと思われる。わが国としては、このような情勢の推移に応じて経済協力を推進するようにその方法を十分に検討する必要があろう。

(2) フィリピン

対フィリピン賠償は昨年七月二十三日よりその第四年度に入つたが、昨年末現在の契約認証総額は三九一億円であり、このほか契約認証を要しない沈船引揚等の費用を含めて支払総額は三一一億円に達している。前記認証額を品目別にみると、船舶(外航船一四隻、内航船、罐詰工船、漁船等)一九六億円、プラント類(セメント、紙パルプ、麻袋、紡績、製材、ガラス、肥料、糖蜜等各種プラント類)七八億円、自動車(五三〇台)一五億円、鉄道車輛(二八八輛)一二億円、セメント、アスファルト鋼材等、基礎資材五三億円、家内工業用機械、土木建築用機械等機械類一〇億円、役務(マリキナ・ダム調査設計、邦人技術者派遣、海上輸送運賃、保険、検査等)六億円となつている。

フィリピン賠償で注目されるのは、賠償調達の対象たる品目の主要部分を占めているものが船舶、各種産業プラント類等であつて、これら賠償物資が同国の海運をはじめ各種産業の育成に直接利用されていることであるが、これら各種の賠償物資は、またわが国の賠償を現地に印象づけ、同国の対日感情を好転せしめる上にも大いに役立つている。

フィリピンに対する経済協力に関しては、経済開発借款に関する日比間の交換公文によつて、二十年間に二億五千万米ドルの長期貸付または類似のクレディットを民間商業ベースで供与すべきことが規定されているが、本邦業者が、フィリピン業者に対して日本輸出入銀行の延払金融により、物資または技術を供与した事例はすでに相当数に上つている。

さらにマリキナ河多目的ダム建設(注一)に関しては、一九五七年十二月岸総理大臣がフィリピンを訪問した際、ガルシア大統領からわが国の協力について要請があり、さらに一昨年九月比側からマリキナ河多目的プロジェクトならびに電気通信拡張および改良プロジェクト(注二)について正式にわが国の協力を要請してきた。

フィリピン側の要請は、これら両計画に必要な機械、設備、物品および役務をわが国から調達するため、賠償を引当とする借款を得たいというものであるが、両計画はいずれもフィリピンの経済的発展に寄与するものであり、また日比両国の友好関係を促進すべき好個の計画であるので、わが国としてはその実施に協力することとした。その後具体案につき両国間で検討した結果、昨年九月七日両国政府の間に交換公文の署名が行なわれた。

この交換公文によれば、前述した両計画実施のために本邦業者が必要な生産物および役務を比側に供与し、その代金を延払により返済するという形式をとり、比側が、この代金および利子相当分の全部または一部のドルによる支払を行なわない場合には、支払の行なわれない金額に相当する役務および生産物は、賠償として供与されることになつている。なお供与される信用の額はマリキナ計画については三、五五〇万ドル、電気通信計画については、一、二三〇万ドルをそれぞれ限度としている。

(3) インドネシア

インドネシアに対する賠償は、一昨年四月に開始され、昨年四月よりその第二年度に入つているが、昨年十二月末現在契約認証総額は一一五億円、支払総額は九五億円に達している。

認証額のうち主要なるものは船舶(内航貨客船および貨物船一六隻)三五億円、製紙プラント一〇億円、米穀増産計画のための農業開墾用機械および精米所等一〇億円、ダンプ・トラック、ロードローラー二〇億円、その他の機械類八億円、肥料(硫安、尿素)六億円、繊維品一〇億円、役務(ブランタス治水計画、調査設計、検査、沈船調査等)八億円等である。

右のうち船舶一〇隻は、すでにインドネシアに到着し、同国内各島嶼間の連絡に利用されているが、さらに東部ジャワのブランタス治水計画が賠償によつて実現すれば、多年洪水の被害に悩んでいた同地域住民がこの災害から免れるだけでなく、新たに灌漑の便も得られることとなるので、その効果は極めて大きい。また第二年度以降九年間にわたつてその実施が計画されている留学生および研修生の教育訓練計画は、近く具体化の上、その第一陣が来日する見込であるが、前述のように賠償によつて二千名以上の多数の留学生、研修生がわが国で教育、訓練を受けることは、今後の日イ関係に及ぼす影響という点のみよりしても、極めて大きな意義をもつものというべきである。

[注] この計画によれば、留学生は向う五年間にわたり毎年約一〇〇名宛、合計約五〇〇名が派遣され、五年間わが国に滞在して工業、漁業、農業、鉱業等、主として自然科学の分野で教育を受けることになつている。また技術訓練生は、向う七年間にわたり、毎年約二五〇名宛合計約一、七五〇名が派遣され、約二年半滞在して、同じく主として自然科学の分野で訓練を受けることになつている。

インドネシアに対する経済協力に関しては、フィリピンの場合と同様わが国との間に経済開発借款に関する交換公文があり、二十年間に四億米ドルの商業上の投資、長期貸付または類似のクレディットを供与すべきことが規定されている。

なお昨年十月十六日、二千万米ドルまでの船舶および造船所設備ならびに八百万ドルまでのホテル建設資材および設備の供与のため、賠償を引当とする借款(フィリピンのマリキナおよび電気通信設備計画に対する借款と同様の形式によるもの)に関する公文が日・イ両国政府の間で交換された。ちなみにこのホテルは、一九六二年ジャカルタで開かれるアジア・オリンピックに備えて建設されるものである。

この借款は、昨年五月インドネシアのジュアンダ首相よりわが国に対して提案され、さらに同年六月スカルノ大統領訪日の際重ねて要請があつたものである。

(4) ヴィエトナム

ヴィエトナムに対する賠償協定は、昨年十月第三十三回国会における審議を経、同十二月二十三日の承認を得たので、本年一月十二日批准書の交換によつて発効した。(賠償協定および関係取極は付録資料参照)

この協定では、一四〇億四千万円(三千九百万ドル)におよぶわが国の生産物および邦人の役務を、協定発効から五年間に賠償としてヴィエトナム共和国に供与することになつている(これら生産物および役務は、協定の付層書に掲げられている計画の中から選び出される計画にとつて必要な項目から成る)。

なおこの協定と同時に発効した借款に関する協定によれば、わが国がヴィエトナム共和国に対し、二七億円(七五〇万ドル)を限度とする貸付を協定発効から三年間に行ない、この貸付は、両国政府の合意する計画の実施に必要なわが国の生産物および邦人の役務の調達にあてられることになつている。

また右の両協定署名と同時に、経済開発に関する交換公文が両国政府の間に署名された。これは尿素工場の建設その他の計画のために、賠償協定発効後五年を経過した後に、わが国の業者が三二億七千六百万円(九一〇万ドル)までの長期貸付を行ないうるように、わが政府が関係法令の範囲内で能う限りの努力をすべきことを合意したものである。

(5) ラオスおよびカンボディアに対する経済技術協力

 ラ オ ス

ラオスとの経済および技術協力協定は昨年一月二十三日に発効したが、この協定は、わが国がラオスの経済開発を援助することを目的としたもので、二年間に一〇億円の援助をわが国の生産物および役務の供与によつてラオスに与えることを定めている。政府は、この協定の発効後その実施についてラオス側と協議した結果、昨年五月十五日両国間に初年度の実施計画に関する合意が成立したが、この計画によれば、首都ヴィエンチャンの上水道建設ならびにナムグムのダムの調査予備設計および橋の建設のための調査が行なわれることとなつている。しかしその後現地通貨の不足のため、これらの計画の実施は停頓状態にある。

 カンボディア

カンボディアに対する経済および技術協力協定は昨年七月六日に発効したが、この協定は、わが国とカンボディアとの友好関係を強化し、かつ相互の経済および技術協力を拡大することを目標として、わが国の生産物および役務をカンボディアに供与することにより、三年間に五億円の援助を与えることを約したものである。

この協定に基づく第一年度実施計画は、昨年八月二十六日両国政府の間に合意されたが、この計画によれば、わが国は、農業技術センター、付属診療所および種畜場の建設、首都プノンペンの上水道敷設に必要な資材役務(見積約一二億円)の供与を行なうこととなつており、現在これら諸施設の準備が現地で進められている。

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8 要 人 の 訪 日

(1) スカルノ・インドネシア共和国大統領来訪

スカルノ・インドネシア共和国大統領は、ウィルヨノ最高裁判所長官、スウィト外務次官ら公式随員十一名、非公式随員、報道関係者二十八名を伴つて昨年六月六日来日し、同月十九日まで滞在した。これは、同大統領として一昨年一月末の非公式来日に次ぐ戦後二回目の訪問であるが、日・イ平和条約が昨年四月発効し、わが国とインドネシア共和国との正式国交関係が樹立されたので、わが国は、同大統領の到着後三日間国賓の礼をもつて正式にこれを接遇した。同大統領は滞日中、天皇、皇后両陛下および皇太子殿下その他の皇族と会見し、また岸内閣総理大臣、藤山外務大臣らわが国政府首脳部とともに、日・イ両国間の親善友好関係の増進、経済協力の促進、賠償の円滑な実施をめぐる諸問題につき懇談した。さらに同大統領は、わが国の国会、産業、文化、教育、スポーツ、厚生福祉関係の諸施設を視察した。

スカルノ大統領は、トルコ、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、ソ連、ヴァチカン、ブラジル、アルゼンティン、メキシコ等の諸国を歴訪した後、北ヴィエトナムを訪問する途上、米国経由でわが国を公式訪問したものである。なおわが政府は同大統領に対して大勲位菊花旭日大綬章を贈つた。

(2) スバンドリオ・インドネシア外相の訪日

スバンドリオ・インドネシア外務大臣は、昨年六月スカルノ大統領が来日した際にインドネシア側からわが国に対して申出があり、その後主としてインドネシア駐在黄田大使を通じて交渉が進められていた対インドネシア賠償問題、借款等に関する経済協力の問題等について最終的結論を得るため、ススカ・アジア・太平洋局長およびハムザ賠償部長を帯同し、昨年十月十三日中共を経由して来日した。わが政府はこれを機会に、かねて懸案であつた借款問題その他について折衝を行なつた結果、双方とも最終的合意に達し、十月十六日外務省において本件に関する両国政府間の書簡の交換を行なつた。これによりわが国は、インドネシアに対し船舶および造船所設備一、七〇〇万ドルを賠償第二、第三、第四年度にわたり、二、〇〇〇万ドルを延払により供与し、またホテル建設資材八〇〇万ドルも同様延払により供与することとなつた。

元来インドネシアは大小多数の島嶼よりなつているので、船舶、造船関係施設の充実を図る必要があり、また第四回アジア・オリンピック大会がジャカルタで開催される予定であるため、ホテルの建設を急いでおり、これらはいずれもインドネシアにとつて緊急度の高いものである。従つてわが国との間に前述の合意が成立したことは、日・「イ」両国の経済協力の一環として極めて有意義であるのみならず、両国の親善関係を一層緊密ならしめるものと思われる。

(3) デサイ・インド大蔵大臣の訪日

デサイ・インド大蔵大臣は、ワシントンにおけるIMF総会に出席の帰途、ロイ大蔵次官ほか随員四名を帯同し、昨年十月十七日から同二十一日までわが政府の賓客として来日した。同大臣は、滞日中天皇陛下に謁見し、岸総理大臣に儀礼訪問を行なつたほか、藤山外務大臣、佐藤大蔵大臣、池田通産大臣および古沢輸出入銀行総裁等と懇談し、またわが国の産業、文化関係施設を視察した。

デサイ大臣一行は、とくに佐藤大蔵大臣ほか政府関係当局との間に、わが国が行なつている対印資本協力たる円借款および追加信用の使用促進に関して種々懇談するところがあつた。

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[注一] マリキナ河多目的建設計画とは、マニラ北東約三〇キロにあるモンタルバン峡谷に大アーチダムを建設し、発電(年間一億四千百万KWH)、給水、灌漑および洪水調節を行なおうとするもので、総経費は約五、四〇〇万ドルである。

[注二] 電気通信拡張および改良計画とは、フィリピンの主要政治、経済の中心地に自動電話および自動電信設備を設け、公共事務および民間取引の促進に資そうとするもので、総経費は約二、四五〇万ドルである。