二 平和と安全の確保
わが国の外交の目標は、わが国が国際社会の一員として、つねに裕かに繁栄しながら、同時に世界の平和と人類の福祉に寄与することにある。今日の世界にあつては、もはや各国が外部の世界と離れて存在して行くことはできないのであつて、世界の平和と個々の国家の福祉とは、つねに関連し合つている。各国が平和と安全の中にそれぞれ健全な発展を遂げて、初めて国際社会全体の平和も維持されるのであつて、個々の国家の平和と安全がなければ、世界の真の平和は望み得ない。
文明社会における個人が、基本的人権として思想と表現の自由を保障されるように、国際社会においても各国民は自由にその欲する政体を選ぶことができる。これはいわば各国民の基本的権利であつて、他のいかなる国もこれに干渉することは許されない。
わが国は自由民主主義の国家として、何よりもまず人間の自由と尊厳を護る決意を有するのであつて、わが国としてはこれらが失なわれた世界は、たとえ戦争のない世界であつても、真の平和な世界とは認め得ない。故にわが国は、国際社会の中にあつても、まずこのような基本的人権が内に十分に保障された国家として、平和に繁栄することをはかり、このようにして作り出される国力と福祉とを通じ、人類の進歩と発展のために貢献して行きたいと思う。
わが国は、世界の平和維持機構としての国際連合によつて、わが国の平和と安全が十分保障される日が、一日も速く来ることを望んでいる。しかし国連の安全保障の機能にもなお限度があり、世界情勢が必ずしも十分に安定していない今日では、個々の加盟国は国連に協力しながらも、さらにそれぞれの努力と責任で、平和と安全を守ることが必要なのである。わが国が、同じく自由民主主義国である米国との間の安全保障条約によつて、まずわが国の平和と安全を確保し、もつて自由民主主義の健全な発達をはかろうとするゆえんもここにある。
他面またわが国は、全世界に平和が維持されぬ限りは、その中に生きる個々の国民の繁栄と福祉は期待し得ないという考えから、国際社会の一員としてあらゆる機会をとらえて世界平和の確保のためにその力をささげている。このような努力は、わが国が能う限り多くの平和愛好国と友好関係を維持していることにもあらわれているが、またこれと平行して、わが国は、国際連合を育成強化することに大きな力を注いでいる。けだし今日ほど世界の平和と人類の福祉のために国家間の協力が要請される時代はないのであつて、国際連合こそは、このような協力の場として、全人類の望みをつなぐものである。
わが国は国際社会を形づくるすべてのものが、それぞれの主権と立場とを相互に尊重しながら、その信ずるところに従つて溌らつと発展し、ともどもに世界の平和と人類の福祉に貢献することを希うのである。
第二次大戦後国際社会に復帰したわが国の安全保障は同じく自由陣営の一員である米国との安全保障体制に基づいて今日まで維持されてきた。
しかし、現行日米安全保障条約は、講和成立当時の特殊な事態の下に締結されたものであるためにわが国の国民感情にそぐわず、また今日の情勢に則しない点を含んでいる。終戦後すでに十五年、わが国の独立回復後八年を経過した今日わが国の国力、経済力の回復は目ざましく、一たんは全く失われた防衛力も相当の規模にまで再建されるに至つたが、同時にまたわが国の国際的地位もその間に著しく向上している。とくに米国との間には、いわゆる日米関係の新時代、すなわち双方が真に対等な国家として自由な提携の関係を築くべき時代に入つている。
このような情勢の推移にかんがみて、政府は現行日米安全保障条約を合理的に改善した新条約を締結し、日米両国が政治、経済、安全保障の各分野で真に対等な立場に立ち相互信頼を基として提携することを明らかにし、安定した日米関係を基礎としてわが国の安全をまもり、もつて世界平和の維持に貢献することが望ましいと考えた。よつて一昨年十月このための対米交渉を開始したのであるが、本年初頭交渉が妥結したので、一月十九日ワシントンにおいて「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が調印されるに至つたのである。新条約の重要な改正点について述べれば大要次のとおりである。
第一は、日米間の安全保障体制と、国際連合との関係を明らかにしたことである。新条約は、日米両国が国連憲章を尊重すべき旨を規定するとともに、両国が同憲章の目的と原則に従つて行動すべきことを明らかにしている。
すなわち新条約は、国連憲章の枠内でこれを補うための取極であり、これによつて侵略の発生を未然に防ぐことを目的とするものである。
第二は、米国の日本防衛援助義務を明らかにしたことである。すなわち、わが国の施政下にある領域に対して外部から武力攻撃が加えられた場合には、米国はわが国とともに共通の危険に対処するよう行動すべき旨を規定している。
なお、沖縄等現在わが国の施政下にない領域は条約地域より除外してあるが、将来これらの地域がわが国の施政下に戻る際は、自動的に条約地域に含まれることとなる。この間万一南方諸島に戦禍が及ぶような場合は、わが政府として同胞の福祉のためにできる限りのことをすべき旨を条約附属の合意議事録で明らかにしている。
第三は、条約の実施全般について、日米間で協議を行なつてゆくこととし、とくに重要な事項、すなわち米軍の配置および装備の重要な変更ならびに戦闘作戦行動のための施設、区域の使用については、別に交換公文により、わが政府との事前協議にかからしめることを明らかにしている。これらの協議事項について、米国がわが政府の意向に反する行動をしないことは条約署名の際における共同コミュニケに明らかにされているとおり、アイゼンハウァー大統領が、岸首相に確認しているところである。
第四は、従来の日米間の安全保障体制をより広汎な政治、経済上の協力という基礎の上に置いたことである。日米両国の間にはすでに政治、経済上の協力のための強固な基礎があるが、新条約は両国が今後ともますますこの方面の協力を進めるために努力すべきことを明らかにしている。
第五は、条約の有効期間についてはつきりした定めをしたことである。すなわち、まずこの条約は、日米両国政府が国際連合自身による安全保障措置ができたと認める時まで効力を有するものとし、次に条約が発効した後十年たてば、日米いずれの国も、一年の予告期間をもつて、条約を廃棄できることとした。このように条約に終期を設けるとともに、他方、安全保障について国家が協力する場合には、その基礎がある程度安定している必要があることを考慮して、前述のような期間の定め方をしたのである。
次に、新条約締結とともに現行行政協定に代るものとして署名された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」について述べると、同協定は、現行行政協定を運営する際に得られた経験と諸外国間の類似の協定等の例を参考として現行行政協定に改善を加えたものであつて、その主な改正点は次のとおりである。
第一に、行政協定では米軍は施設の外においても権利を行使し得る形になつていたが、今後は施設外では原則として日本政府が必要な措置をとるようになつた。
第二に、米軍人、軍属および家族の日本国外への送出について一定の場合に米国側にその責任を負わせることとした。
第三に、部隊として行動していない米軍人と、軍事郵便局の取り扱う郵便局のうち公用以外のものとには、いずれもわが国当局による税関検査の免除を取り止めることとした。
第四に、米軍のための労務に関しては、間接雇用(米軍が労務者を直接雇用するものではなく、日本政府を通じて雇用する形をとるものであつて、日本政府が法律上の雇用主となる雇用形態)を原則とする建前をとり、また保安解雇(米軍の軍機保持等の保安上の理由に基づく解雇)の問題についても、解決の方法を講じた。
第五に、特殊契約者(米軍のための契約の履行のみを目的としてわが国に来ている米国業者)については、米軍は日本政府と協議した上で一定の条件の下でのみこれを指名しうることとし、また不適格な業者の指名を取り消しうることとした。
第六に、国有財産に物的損害が与えられた場合にその請求権を相互に放棄するのは、わが国側については自衛隊用の財産のみに限ることとした。また、米軍人または米軍の被用者の行為から損害を生じた場合、その行為が公務執行中のものであつたかどうかについて日米間に争いが生じたときは、日本人の仲裁人が判定することとした。
最後に、防衛分担金に関する条項は、新規定から削除した。このように新協定は、現行行政協定を相当大巾に改善したものであつてこの種の協定としては、外国の諸協定に比較しても遜色のないものと思われる。
新条約は、国連憲章に従つて武力の不行使を定め、かつ条約地域をわが国の施政下にある領域に限ることによつて、わが国が攻撃されない限りは発動しないこととなつている点等にかんがみれば、全く防衛的性格のものであつて他のいかなる国をも脅かすものではない。この条約の真の目的は、むしろその発動をみるような事態すなわち侵略の起ることを未然に防ぐことにあるのである。
政府は、国会の承認を得てすみやかに新条約を批准することによりこの条約に基づく安全保障体制を基礎として、後顧のうれいなくわが国民生活の繁栄をはかり、もつて極東ひいては世界の平和と福祉に資したいと考えている。
国際連合は、その八十二の加盟国から遊離した存在ではなく、加盟国自身が国連を動かしているのである。従つて平和維持機構として設立された国連が、世界の平和と安全を確保するという使命を十分に果しうるためには、まずその加盟国が相互に協力することが前提となるのである。而して国連憲章の規定からみれば、とくに五大国間の協力が絶対に必要なのであるが、実際にはこのような前提条件が遺憾ながら欠けているという現状である。ではこのような現状の下で、どのようにすれば国連を真に有効な平和維持機構として発展させることができるであろうか。このためにはまず国連憲章を改正すべしという議論があり、これは世界連邦論者が最も強く主張しているところである。しかし現状においては、憲章の規定上いかなる憲章の改正も五大国の協力がない限りは行ないえないことはいうまでもないが、それはしばらく措くとしても、憲章を改正すれば理想的な機構ができると考えることは、国際社会の現実の姿を無視ないしは軽視した空論というべきである。このことは、国連憲章の起草に参加したひとびとが描いていた理想の国連と現実の国連とを比較してみただけでも、容易に理解しうるところである。いかなる機構でも、これを動かす構成員の実体から遊離した機構は十分にその機能を発揮し得ないのであるが、とくに国際機構についてはそうである。国連憲章の規定は、国連の成立以来現実に則応していわば事実上の改正を経てきたが、今後も情勢に応じてこの種の改正が行われて行くものと思われる。すなわち憲章の中のある規定はその死文化により、またある規定はその解釈と運用により、形式的な規定の改正は行なわれなくとも、実質的な改正が行なわれて来たということができる。国連は、決して固定した不変の機構ではなく、柔軟性と適応性とを備えた機構である。もつとも、たとえば加盟国の増加に伴つて理事会のメンバーを増加するということのように、客観的にその必要が認められても憲章の規定を改正しない限りは現実の要請に応じえないという場合もないわけではない。わが国は、このような規定の改正はつねに主張してきたし、またそのための研究も怠つていない。しかし、憲章の改正は、国際社会の現実を無視しては行なうことはできないし、単なる理想論に基づいて憲章の改正を主張することは実効がない。
従つて、わが国としては、国連憲章の改正を主張するよりも、むしろ現在の機構の下で国連が平和維持機構として発揮し得る限りの能力を十分に活用し、またこれを強化しながら、いわゆる冷戦の緩和、解消に向つて辛抱づよい努力を続けることが必要であり、加盟国が世界平和の維持のために真に協力し合う場を築き上げて行くことこそはるかに重要な先決問題であると考える。このような地道な努力をおいて他に、国連を真に有効な平和維持機構として発展させる方法はないのであつて、わが国の国連における活動の基本方針も、このような考え方に基づくのである。しかし、このことは、わが国が東西の利害が直接対立するいわゆる冷戦問題について、中立的な立場から仲介すべきことを意味するものではない。現にわが国は、このような問題については、自由陣営の一員としての立場を堅持し、この立場から、つねに公正妥当と信ずる途を歩んできた。わが国が国連において特別の役割を果しうる問題は、むしろ西欧諸国といわゆるアジア、アフリカ諸国との間の利害が対立する問題である。このような問題については、わが国は、これら双方の諸国と密接な関係を有することにもかんがみ、双方から、善意の仲介者としての役割を果すことを期待され、また要請されてきた。わが国は、このような期待と要請にはつねに誠意をもつて応えてきたし、また今後とも応えて行く方針である。このような役割を果たすことによつてわが国は逐年その国連内の地位を高めてきたのであつて、加盟後三年にして、今日すでに確固たる地位を占めることができたといつても過言ではない。
昨年はわが国にとつては、安全保障理事会の非常任理事国としての任期の第二年目(すなわち任期の最後の年)に当つた。任期第一年目の一昨年は、チュニジア問題、レバノン・ジョルダン問題等主として中近東問題のために、理事会が繁忙を極めたことに比べれば、昨年はラオス問題が世界の注目を惹いた以外には、理事会としては比較的閑散な年であつた。しかしながら、ラオス問題については、わが国は極めて重要な役割を果すこととなった。すなわちわが国の渋沢大使は、理事会の決議に基づいて設置された小委員会の委員長として、アルゼンティン、イタリアおよびチュニジアの各代表とともにラオスに赴いて事実を調査した上、理事会に対して極めて公正な報告を提出した。この小委員会が現地に派遣されたことは、また結果として、ラオスの不穏な事態を平静化するのに与つて力があつた。わが国が、安全保障理事会の一員として、アジアの平和の維持のためにこのような役割を果すことができたのはまことに幸いであつた。なお、とくに十月には、わが国の松平代表が理事会議長として事務総長および関係各国代表と密接な連絡をとりつつ、ラオス問題収拾のために努力したことは特記すべきことである。
第十四回総会は、東西間の新たな話合いの雰囲気を背景として、とくに米ソ巨頭会談の結果たるいわゆる「キャンプ・デービッド精神」が一般に強調される中に開催された。藤山外務大臣は一般討論演説で、国際緊張緩和のための努力の必要、軍縮交渉の促進と核実験中止協定の早期締結、平和維持機構としての国連の強化活用等、平和の確保に関するわが国の所信を加盟各国に訴えた。総会の議題に関しては、わが国は、核実験中止問題、サハラ核実験問題に関して妥当な決議を成立せしめるためとくに積極的な役割を果した。このほかわが国が、軍縮問題、大気圏外平和利用問題、アルジェリア問題、各種信託統治地域問題等についても、議場の内外で積極的な活動を行なつたことはいうまでもない。
総会外におけるわが国の活動としてとくに掲げておきたいのは、大気圏外平和利用特別委員会におけるものである。すなわちわが国の松平代表は、同委員会の委員長として大気圏外平和利用に関する報告をまとめ、これを第十四回総会に提出した。ちなみにこの報告の作成に当つては、わが国の代表代理として出席した畑中東大教授が、とくに重要な役割を果した。
わが国は、安全保障理事会の非常任理事国としての任期終了の後も、引続き国連の活動に積極的に参加するため、経済社会理事会の理事国として立候補し、十月十二日の総会でこれに選出された。同理事会は、生活水準の向上と人権の尊重を主な任務とする機関であつて、経済的社会的活動を通じて世界の平和を強化することを究極の目的とするものである。わが国は、今後このような面からも国連を通ずる平和のための外交を推進して行く方針である。