総 説
一 国際情勢の推移とわが国の立場
一九五九年から一九六〇年へかけて、東西双方の主要国の動きを方向づけた出来事は、昨年九月のキャンプ・デービッド山荘におけるアイゼンハウァー米大統領とフルシチョフ・ソ連首相の会談であつた。戦後の東西対立の先頭に立つ両国の最高首脳が、国際問題を武力によらず平和的な話合いで解決する原則を確認し合い、東西頂上会談への途を拓いたので、これを契機として、いわゆる"雪どけ"を期待する声が高くなつた。一九六〇年の正月は、西方も東方も東西頂上会談への準備の中で迎えたので、西方がベルリンの危機をはらむソ連の高姿勢に煽り立てられながら迎えた一九五九年の正月よりは、気分的にはかなり明るい年明けであつた。
自由世界の側では、頂上会談に備えて、いち早く昨年十二月に、アイゼンハウァー米大統領が欧亜十一カ国を歴訪した機会に、パリで米、英、仏、西独の四カ国首脳会談を行なつた。西方側としては、頂上会談で論議される主題について、あらかじめ各国の意見を調整し、主張を一本化しておかなければ、折角頂上会談を開いても、ソ連のペースに巻き込まれて苦杯を嘗める恐れがあるからである。本年に入つてからのアデナウアー西独首相の米国訪問、マクミラン英首相の訪仏、訪米、ドゴール仏大統領の訪英、訪米など、いずれも東西頂上会談に備えての真剣な整調工作にほかならない。
一方ソ連側では、本年二月初めに、東欧諸国の政府、党首脳をモスクワに集め、ワルシャワ条約参加国の首脳会議を開いて「来るべき東西頂上会談においては、全面軍縮、西ベルリンの自由市化を含むドイツ平和条約、核実験の禁止、東西関係問題等の重要議題が審議されるべきものと考える」旨を宣言するとともに、これらの諸問題について、共産側には「鉄の団結」があることを誇示した。
東西双方とも、五年振りに開かれる東西頂上会談に備えて、できるだけ有利な立場に立とうと、懸命な地均し工作を行なつているのである。
自由主義世界と共産主義世界とのはげしい対立に基づく国際緊張を緩和しようとする努力が、東西頂上会談開催の形で進められる一方、昨年下半期から本年初頭にかけて、東南アジア、中近東、アフリカ、ラテン・アメリカなどいわゆる「低開発国」あるいは「工業後進国」に対する工業先進国の援助問題が、国際的な重要課題として取り上げられるようになつた。毎年年頭に発表される米大統領の一般教書でも、今年はとくに新しい時代の自由世界がとるべき態度として、自由世界の共通の目的のための相互協力と低開発地域に対する自由世界の積極的国際協力をあげており、西欧諸国と日本の協力に大きな期待が寄せられた。ディロン米国務次官は、この大統領教書の線に沿い、本年一月中旬。パリで開かれた大西洋経済会議で後進国援助を調整する新組織を提案し、ベルギー、カナダ、仏、西独、伊、ポルトガル、英、米の八カ国と欧州経済共同体委員会からなる"開発援助グループ"を設けることとなつた。この委員会には日本も参加を求められ、第一回会議は三月中旬ワシントンで開かれた。
中立主義国家あるいは親ソ的な後進国に対するソ連の経済援助供与は、数年前からかなり積極的になつているが、最近は米国の低開発地域援助に対して、とかく挑戦的に実施されるようになり、この面における東西の競争が目立つようになつた。本年二月には、ミコヤン第一副首相がキューバを訪問して一億ドルの借款を供与した。また二月から三月にかけ、フルシチョフ首相は、東南アジアを訪問し、インドに新たに十五億ルーブル、インドネシアに二億五千万ドル相当額の借款を供与する協定を結んだ。
東西の競争が、低開発国に対する経済援助競争の様相を強くするようになつたことは、一九六〇年代の新局面といえよう。
ここ数年来胎動しているアフリカ大陸の民族運動は、一九五九年から六〇年にかけ、新しい脚光を浴びている。アフリカにおける独立国は、昨年までにすでに十を数えていたが、本年は元旦早々フランスの信託統治下にあつたカメルーンが独立し、四月にはトーゴ共和国が誕生した。この夏には、続いてベルギー領コンゴーとイタリア信託統治領ソマリランドが独立する予定である。後者の独立は、やがて英領ソマリランド、仏領ソマリランドにも影響を与えるだろう。ナイジェリアも独立への準備を進めており、ウガンダ、タンガニカ、パストランドなどの自治も進むであろうし、ケニアの制憲会議も始まつている。
マクミラン英首相は、このようなアフリカにおける民族主義の抬頭にかんかみ、本年一月、長期にわたるアフリカ巡回の旅行を行つた。アルジェリアではドゴール政策に反対するコロン(欧州人の入植者)の暴動が起つたが、ドゴール仏大統領は断固これを鎮圧して、民族自決政策を基調とする既定方針を進める決意を表明した。
アジア・中近東・アフリカに及ぶいわゆるA・A地域における民族の政治的自覚は、戦後における国際潮流の一幹線であるが、それがいまやアフリカにおいて相次ぐ独立国の誕生となつて実りつつあるとともに、これらのいわゆる低開発地域に対する先進諸国の援助が、共産側の挑戦によつて東西援助競争の様相を濃くしだしたところに、本年初頭の一特徴が見出される。
パリにおける東西頂上会談では、軍縮問題をはじめ、ベルリン問題を含むドイツ問題や東西関係の改善などが討議されるだろうが、いずれの問題にも、容易には解けがたいしこりがある。例えば軍縮問題については、いぜんとして、「査察が先か、軍縮が先か」の根本的対立があり、ベルリン=ドイツ問題については、西側がベルリン駐留の権利保持とベルリンヘの通行の自由維持について決意を変えず、まず全独自由選挙で統一政府を作つてからこれと平和条約を結ぶ方式を主張するのに対し、ソ連は、西ベルリンの自由都市化と二つのドイツとの平和条約締結を主張して譲らず、西側がソ連の主張を容れなければ、東独との単独講和によつて自らの主張を貫徹するだけであると主張している。頂上会談が近づくにつれソ連の態度はますます硬化し、東西双方の競り合いがはげしくなつている。
思うに東西双方がたがいに話合いによつて国際問題を解決し、共存しうる共通の場を見出そうとする動きは、科学兵器の非常な発達と東西双方の集団的安全保障体制を背景として生れ出たものである。こうした国際緊張緩和への努力が成功することは、世界の等しく希望するところではあるが、真の意味の"雪どけ"や国際緊張の緩和は、ただこれを希望しただけで実現するものではない。長年にわたる東西間の複雑な利害関係の対立等を考えると、その実現のためには今後幾多の曲折を経るであろうし、またその間予想し得ないような障害も現れるであろうが、東西双方とも忍耐強い努力をもつて交渉を継続する必要があると見なければならない。
しかしとにかく東西頂上会談を始めとして、各国首脳が互いに訪問し合い、隔意のない意見の交換を行なうという最近の風潮は、国際緊張緩和への努力の現われと見るべく、わが国としてもこのような世界における緊張緩和の努力に対しては、積極的な協力を惜まない。わが国がこのような東西間の話合いによつて第二次大戦後の重要な政治的諸懸案の解決されることを強く期待し、その解決のためにできるかぎりの協力をすることはもちろんである。軍縮問題についても核兵器を含む全面的軍縮について交渉が進展し、有効な管理を伴う国際的軍縮計画について合意が達成され、人類全体の願望に応える時期が一日も早く到来するよう衷心から希求し、そのために三月十五日から開かれた十カ国軍縮委員会に対しても、国連の内外において可能なあらゆる支持と協力を与えるに吝かではない。
だが現実に東西の間でこれまで解決し得なかつた諸問題が、一回の東西頂上会談によつてたやすく解決されるとは考えられない。今回の頂上会談も、一連のこの種の会談の最初のものとして開かれるのであり、真の意味の"雪どけ"をはかるためには、今後何回かの頂上会談あるいは他の会談について、根気よく交渉を続けることが必要であろう。その途上においては、自由主義諸国が、お互いに十分な理解と信頼の上に立つて、強力な協力関係を作り上げ、これを保持しなければ、共産側との交渉を効果的に進めることはむずかしい。
フルシチョフ・ソ連首相が昨秋東独政府代表をクレムリンに迎えた際に、「われわれの微笑を、マルクス、エンゲルスおよびレーニン理論の断念ととる者がいたならば、それは度しがたい自己欺瞞に陥つているのだ。結局において社会主義(共産主義)が勝利をうるに違いないが、これには何も武力を用いる必要がない。平和競争でたくさんだというだけのことだ」と述べているところでもわかるように、ソ連の"平和共存"はイデオロギー闘争を止めようとするものではない。言い換えれば、いるゆる"雪どけ"といい、また"平和共存"といつても、東西間の基本的関係を変えるものではない。それは東西双方ともそのイデオロギーと体制を保持しながら、戦争によらず、平和の裡に共に生きるための共通のルールと、これが実施を可能ならしめる現実的諸条件をつくり上げることである。そのためには何よりも東西間において解決可能な問題を一つ一つ取り上げて交渉し、これを通じて戦後の冷戦下に激化した双方の猜疑心と警戒心を除去しなければならない。このような国際緊張緩和の努力において東西双方とも遵守すべき最少限の原則は、第一に内政不干渉であり、第二に国際間の理解増進を阻げるような悪宣伝の中止である。
わが国としても自由民主主義世界の一員としての基本的立場を堅持しながら、平和追求のための努力に協力し、また自らも努力を払わねばならない。ということは、何も共産主義国家を敵視するという意味ではない。現にわが国はソ連とも国交を正常化し、また昨年中においても、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア諸国との外交関係を回復した。わが国が、世界のいずれの国ともよき隣人として平和の中に共存することに努力するのは当然である。とりわけわが国は、アジアの一国としてアジア諸国との友好関係を深めるために努力しなければならない。このためにとくにわが国に最も隣接している韓国との国交正常化の問題を一日も早く合理的基礎の上に解決する必要があるし、さらに歴史的にわが国と密接な中国大陸との関係を将来にわたつて考慮して行く必要がある。両者間の関係の調整は、世界政治の流れの中で解決されなければならぬ多くの要素を含んでいる。もちろんわが国独自の立場からも中共側の誤解を解き、現状の打開をはかる必要はあろうが、中共側でも、いたずらに高姿勢をとるようなことをせず、この際わが国の善隣外交の立場を正しく理解し、日中貿易の促進と善隣関係の樹立に資するよう、進んで現在の障碍除去に努力して欲しいものである。
自由民主主義を根幹とした善隣平和外交を推進し、その基礎の上に立つて日本の経済的繁栄と国民の福祉増進に協力することは、わが国外交の目標である。わが国は、自由主義先進国の"開発援助グループ"に参加したほか、本年初頭から国連経済社会理事会の理事国としてその活動を開始したが、とくに国連を通じて低開発諸国の経済開発に協力することは、単にこれら諸国の繁栄と福祉に資するだけでなく、同時にまた世界の平和とわが国自身の繁栄にも資するところが少なくないだろう。