ソ連および東欧関係 |
北西太平洋の広大な公海上で、わが国の漁船が日ソ漁業条約に基いて漁獲する水差物が、年々莫大な量にのぼり、その全生産物が価格に見積つて年間三百億円を下らないことは周知のところである。この漁業に関しては、ソ連とわが国との間でさけ・ますの年間総漁獲量およびその他の諸問題について、年々審議決定する必要があるので、昨年度も、前記条約に基いて設置された北西太平洋日ソ漁業委員会の第二回会議がモスクワで開催された。
これより先、右会議に対して日本側は、在ソ門脇大使を代表に任命し、さらに平塚委員をも代表に加え、委員会会議には藤田、坂村、都村三委員の他、顧問六名、随員十五名を列席せしめたが、ソ連側からもこれに相当する顧問および専門家の参加があり、会議は予定どおり一月十三日から開始された。同会議に上程された問題のうちには、困難な交渉を必要とするものが多かつたので、会議は意外にながびく結果になつた。ことにさけ・ますの年間総漁獲量の決定問題は、第一回会議の場合と同様、委員会の論議だけでは結論を出しえなかつたので、結局政府代表間の交渉に移されることとなつた。しかし日本側では平塚代表が中途帰国したので、その後をうけて赤城農林大臣が代表として三月二十日にモスクワに到着し、続いて到着した高碕代表とともに、ソ連ゴスプランのイシコフ大臣を相手に交渉を続けねばならなかつた。
この会議と会議外の交渉とを通じて、審議決定された主要問題は概略次のとおりである。
諸問題の中で、最も重要なさけ・ますの年間総漁獲量の決定については、委員会において前年度の漁業に関する諸報告および資料の交換などがすみ、本質的問題の審議に入ることとなつた一月二十日の第五回本会議の席上、双方よりまず漁獲許容量とその他の規制措置に関するそれぞれの見解を述べた。その際日本側は昨年度の総漁獲量を十四万五千トンに決定すべきことを提案し、ソ連側からも対案の提示を期待したが、ソ連側はこの問題を決定する前に審議する必要ありとして、昨年度のさけ・ますの豊凶性の評価について長い声明を行つた。ソ連側は右声明の中で各魚種別の資源状態から見て一九五八年が不漁であるとの判断を下し、爾後さけ・ます資源の維持を確保するためには、その漁獲の規制につき幾多の追加措置を講ずる必要のあることを強調した。このようなソ連側の態度にかんがみ、まず資源状態についての検討から始めることになり、一月二十四日以来、科学技術小委員会を開き、資源状態の審議とともに、総漁獲量の決定に必要な資料をも審議し、さらにさけ・ます漁獲規制に必要な措置について審議を続けたが、双方の見解は容易に一致しなかつた。
他方平塚代表は二月十一日よりイシコフ大臣と会談を開始したが、回を重ねるに及んで同大臣は、日本側がオホーツク海の公海におけるさけ・ます漁業の全面的禁止を受諾すれば、漁獲量問題も解決されることを示唆するに至つた。また平塚代表の帰国後、ソ連側は三月三日の第十一回本会議で、一九五八年は不漁年であり、総漁獲量は不漁年に関して規定された八万トンを超えるべきではないとの見解を明らかにした。このような事情にかんがみ、新たに到着した赤城農林大臣は高碕代表および門脇大使等と共にイシコフ大臣との間に種々折衝を重ねたが、結局(1)一九五八年のさけ・ます総漁獲量は同年を不漁年と認め、例外として十一万トンとすること、(2)オホーツク海の一九五八における漁獲量は母船一隻により六、五〇〇トンとすること、(3)一九五九年一月一日以降オホーツク海の公海におけるさけ・ます漁業を停止することなどによつて妥結した。
漁獲規制についてはさけ・ますばかりでなく、かにおよびにしん漁業に関する各種の事項がすでに会議の議事日程中にかかげられたが、その中重要なさけ・ますの漁業禁止区域については、わが国側も大体前年のラインに近いものでソ連側と妥結した。だたしさけ・ます漁獲の新しい管理方法の設定および漁期の短縮問題に関しては、強くこれに反対した。また流網および釣漁具によつて生ずるさけ・ますの損傷を少くする措置およびさけ・ますの魚種別規制については、わが国側はこれに反対しながらも、調査研究することに同意し、べにざけの資源保存に関しては前年程度の措置を認めることに同意した。なおかにおよびにしん漁業については、ある程度ソ連側の要望をも容れて若干の規制措置をとることとした。
このような経過の後、四月二十一日に至つてさけ・ますの年間総漁獲量決定につき最後的交渉が成立したので、同日夜半第二回会議の議事録に両国委員の署名を了した。
モスクワにおける昨年の漁業交渉の際、日・ソ漁業条約第五条の規定に基く漁業視察団の相互交換に関して、日ソ漁業委員会の両締約国政府に対する勧告が行われたが、その後漁期の開始とともに、両国政府間にその具体的な視察計画の実行につき交渉が進められ、七月に至つて話合が成立した。その結果、わが国からは藤永水産庁調査研究部長を団長とし、外務省員三名をも加えた一行十三名が七月十七日東光丸で函館湾よりナホトカ港に到着、一カ月に亘つてソ連の極東漁業を視察した後、八月十七日帰国した。
またソ連側は、ヴァニヤーエフ・カムチャツカ地方経済会議々長を団長とする視察団一行十三名が、八月七日リオン号でウラジオより函館港に到着し、同じく一カ月に亘つて日本漁業を視察した後、九月七日新潟港より日離した。
昨年春のモスクワにおける日ソ漁業交渉の際、日本側赤城代表(農相)からイシコフ漁業部長に訪日を要請した経緯があつたので、三浦農相はソ連側漁業視察団がわが国に滞在している頃を見計らい、約一週間の予定で同部長を招待することに定めた。イシコフ部長は、わが国の招待を受諾し、八月二十七日随員ジュイコフ氏を伴つて来日、政府要路と会見を行うとともに、東京、塩釜、清水、焼津等各地の漁業を視察した後、九月七日前述のヴァニヤーエフ氏ら漁業視団察一行とともに新潟港より離日した。
なお同部長は、八月二十八日藤山外務大臣の招きによつて同大臣と会談した。その際藤山外務大臣は、近海漁業問題につきソ連側が再考慮すべきことを求めたが、イシコフ部長は、「近海操業の問題は領海の問題とも関連しており、従つて日ソ平和条約と切離しえない関係にある。日本側が平和条約締結の決意を固め、平和条約が結ばれれば日ソ間の友好的な雰囲気も高まり、近海操業問題の解決も容易になるのではないか」と答えた。
一昨年以来、日ソ間の重要懸案の一となつている近海漁業問題の解決が、昨年に至つてソ連側が問題を日ソ平和条約締結問題にからませてきた結果、難航するに至つた。その経緯は前号(第二号)に詳述したところであるが、わが政府は、その後あらゆる機会をとらえて忍耐強くソ連側と折衝し、ソ連側が再考の上、誠意ある態度を表明するよう要望した。しかし昨年中には、わが政府の努力は遺憾ながら実を結ばず、問題は本年に持越されるに至つた。ソ連側との折衝の経緯は、おおよそ次の通りである。
第二号に述べた如く、二月五日、イシコフ・ゴスプラン漁業部長が突然在ソ門脇大使にたいし、「日本政府は、日ソ共同宣言の署名より相当の時日を経過したにもかかわらず、今なお平和条約を締結する用意を表明しないことにかんがみ、ソ連政府は、近海漁業問題を審議する条件がまだ熟していないと認める」旨の回答を行い、また二月七日、フェドレンコ・ソ連外務次官も門脇大使に対し、イシコフ部長の回答がソ連政府の意向であることを確認した。そこで門脇大使は直ちにこれを反駁したが、二月十八日、わが政府は、同大使を通じソ連政府に対して覚書を送り、ソ連の回答に遺憾の意を表明するとともに、従来の交渉の経緯に照し、ソ連側の態度が首尾一貫しないものである点を指摘した。右覚書は、日ソ平和条約問題にも言及し、ソ連がわが国の正当な要求に理解ある態度を示す場合は、わが国はいつでも具体的交渉に入る用意があること、わが国は日・ソ共同宣言以来両国間の友好善隣関係増進に努力してきたのであるが、わが国としては平和条約締結のため具体的交渉が行われるまでの間においても、両国間の友好関係を阻害する頻々たる雰細漁民の漁船拿捕事件を未然に防ぐことが両国の利益に合致することを確信するが故に、なんらかの実際的措置をとることが緊要であると考えて協定案を提出したのであること、しかるにソ連政府がこの態度を急変して平和条約問題を持出したため、問題が停滞を見るに至つたことは遺憾であり、またわが国民の失望にたえないところである。わが政府は、ソ連政府が本問題を再検討の上、平和条約締結までの暫定的措置として、この際平和条約交渉と切離して速かに交渉に応ずるよう要望して熄まない、という趣旨を述べたものであつた。
ところがソ連側は、依然としてその態度を変えず、三月十八日門脇駐ソ大使に対し、右の二月十八日付のわが国側の申入れに対して、日本政府がソ連との平和条約締結の用意を表明していないので、近海漁業問題を審議する条件はいまだ熟していないと考えるという紋切型の主張を繰返えすとともに、領土問題は解決済であつて日本側のいかなる要求にも応じられないと述べた回答を伝達してきた。
このようにして、近海漁業問題は、日ソ両国の態度が鋭く対立したため難航状態に陥つたが、わが政府は、漁期を控えてこのような状態を打開する必要に迫られ、五月十九日再び門脇大使を通じ、前述三月十八日付のソ連政府の回答に対し、わが国の見解を明らかにし、わが国側は近海漁業問題の実際的解決の方法を見出すことにつき、ソ連政府と協議することが本旨であり、その形式の如何にこだわるものではないことを述べ、ソ連側としても日ソ友好善隣関係促進の大乗的見地に立ち、交渉を開始するため本問題を再検討するよう要請した。
ソ連政府は、その後久しきにわたりこの要請に対する回答を渋つたので、わが政府は、十月十一日門脇大使をしてソ連外務省を督促せしめた。しかし遺憾ながら年末に至るまでには、わが方の満足しうるような回答に接することができなかつた。
日ソ間に領土問題が未だ解決されず、樺太、千島、歯舞、色丹がソ連の事実上の占領下にあるためわが国の漁業操業水域が戦前に比して著しく狭められたこと、本州、北海道の沿岸および沖合の水産資源が近年とみに減少しつつあること、その結果として北海道、本州の漁船は、漁業資源の多い樺太、千島、歯舞、色丹の岸(水産資源は陸岸に接近するほど多くなる)に接近して操業をせざるをえなくなつているが、一方ソ連は、領海十二海里説を採り、距岸十二海里周辺の海域で多数のわが国漁船を拿捕し、その乗組員を抑留するという措置に出ている。
領海三海里説を堅持するわが国としてはソ連の十二海里説を承認するものではないが、事実上ソ連側との紛議を避けるため、わが国漁業者に対し十二海里以内に立入らぬよう国内指導を行う一方、ソ連側に対しては、累次にわたり拿捕漁船の返還、抑留漁夫の釈放を強く要求してきた。
ソ連はわが国の漁船を拿捕した場合、これを志発島、国後島、樺太あるいは沿海州の基地に連行して取調べの上、領海の侵犯領海内における不法漁撈、時にはスパイ行為の容疑をもつて起訴し、裁判の結果多くの漁船には船体、漁具、漁獲物の没収、船長または漁撈長には一年ないし三年の禁錮刑を科している。船長または漁撈長以外の乗組員については、容疑の晴れた他の漁船を釈放する際に同乗させて送還するか、時にはわが海上保安庁巡視船の派遣を求めて洋上引渡しを行つている。
昨年中にソ連側により拿捕されたわが国漁船の数は、後掲の表のとおり一昨年に比して幾分減少している。これら、拿捕事件に関し、わが政府は、同年中に在ソ大使館を通じて数次にわたつてこれら拿捕漁船の返還と抑留漁夫の釈放を要求した。
終戦以来昨年末までにソ連側によつて拿捕されたものは、海上保安庁の資料によれば漁船七三七隻、乗組員六四一九名に上つており、そのうち五八四隻、六三七二名が帰還している。したがつて、一五三隻、四七名が未帰還であるが、右一五三隻のうち一一隻は沈没または大破のため船体を放棄しており、結局一四二隻が今日なお抑留されている。また、未帰還者四七名のうち一一名は死亡しており、生存残留者は三六名である。
一昨年七月に開始された第十二次より第十五次に至る四回の引揚は昨年一月に終了したが、八月十四日にいたつてソ連側より在留日本人およびその家族たち朝鮮人三六六名を送還すると通告してきたので、政府は九月二日白山丸を真岡港へ派船し、邦人とその家族の朝鮮人計四六四名、他に抑留漁夫八名を引取つた。
わが国は日ソ共同宣言第五項に基き、ソ連政府に対しソ連邦内で消息不明となつている邦人一一、一七七人の調査方を依頼してあるが、その後わが政府の調査および一昨年十二月二十五日ソ連側から通報のあつた調査結果の一部を整理し、削除、追加等の補正を行つた結果七、七六九名となつた。よつてわが政府は、昨年八月四日在ソ大使館を通じて必要な訂正資料をソ側へ提供し、調査結果の通報方を督促した。
なお留守家族援護法改正に関連し、未帰還者に関する特別措置についての昭和三十三年八月一日付閣議了解事項の方針に基き状況不明者の調査究明を推進する諸方策が講ぜられることゝなつたので、わが政府は、十一月二十二日在ソ大使を通じソ連政府に対し引揚問題に関する総括的な申入れを行い、調査結果の通報、死亡資料、邦人墓地、埋葬状況等に関する資料等の提供につきソ連側の協力を要請した。また、政府は在ソ邦人の実体を明らかにするため、政府保有の資料によつて地点別の残留者リストを作成し、これを住所の判明している未帰還者約五百名に送付し、回答を求める措置を講じた。
日ソ間の国交回復以来、ソ連側は、折にふれて非公式に、日ソ両国間の直接航空路の開設につき、わが国の態度を打診してきた。その後昨年三月二十二日にいたり、在京ソ連大使館は正式に外務省に対し、ハバロフスクと東京、もしくは日本領土内のその他の地点との間に、相互主義の原則に基いて、両国間の直接航空路を設定する交渉を、東京またはモスクワで行うことを提案してきた。
わが政府は、これに対し六月十八日、(一)日ソ両国間の直通航空路が、東京-モスクワ間、もしくはそれ以遠の間であること、(二)同時乗入れの実施についてあらかじめソ連側の同意が得られるならば、わが国側においても協定交渉に応ずる用意があることを回答した。
この回答に対してソ連側は、八月二十七日わが政府にたいし前述のソ連提案を再び検討するよう求めるとともに、「ハバロフスク・モスクワ間には国際的路線がなく、この方面では外国航空機は飛行を行うことはできないが、ソ連領内で行われている国際路線(例えばコペンハーゲン=モスクワ、ベルリン=モスクワ)の飛行を日本の航空会社に許可するようにとの提案があれば、これを検討する用意がある」と申入れてきた。
このソ連側の申入れに対して、わが政府は十月二日、東京=モスクワ間、または東京=モスクワ以遠の路線を開設することが相互主義の原則に即しもつとも妥当なものであると思われるし、また、ハバロフスク・モスクワ間に国際路線がないという理由で、同地域に新な国際航空路線を設定するための交渉を行いえないとすることは理解し難いと反論し、ソ連側が、六月十八日のわが国の提案を重ねて検討し、これを採用するように希望する旨を回答した。これに対してソ連側からは年末に至るまで回答がなかつた。
以上は日ソ間定期航空路の開設に関する交渉であるが、これとは別に昨年二月十七日、ソ連側はわが政府にたいし、公演のため来日するレニングラード国立交響楽団員一二五名を輸送するために、TU-一〇四A型機二機の本邦乗入れ許可を求めてきた。わが政府はこれに対し、航行の安全と技術援助のため、日本側誘導員を各機二名あて(航空士一、無線士一)同乗させることを条件として許可する旨を回答したところ、ソ連側はこれを応諾した。よつて政府は、運輸省および防衛庁より、それぞれ二名計四名の同乗員を派遣した。これによりソ連機は、四月十二日羽田に到着し、即日出発した。
ついで五月二十一日、レニングラード交響楽団員の本国送還のため、同じくTU-一〇四A型機二機が同一条件で羽田に到着し、即日出発した。
さらに十二月二日、ソ連TU-一〇四A型機二機が、本邦で公演する「モスクワ芸術座員」輸送のため、同様の条件で第三回目の羽田乗入れを行つた。
ブルガーニン・ソ連首相は、一昨年十二月十日北大西洋同盟理事会を前にして、長文の書簡(いわゆる「ブルガーニン書簡」)を米、英、仏その他のNATO加盟諸国首脳に送つたが、同日ソ連政府は、わが国をも含む国連加盟国にあてて前述ブルガーニン書簡と同趣旨の「国際緊張緩和と首脳会談開催に関する口上書」を送付した。さらにソ連政府は、昨年一月八日NATO加盟国に対し、大体において前回と同趣旨の「国際緊張緩和に関するソ連政府の提案」を送付し、翌九日在ソ日本大使館にも前述の「提案」を送付してきた。
これらソ連政府の見解および提案は、いずれも米国をはじめNATO諸国の軍事態勢の強化と西独の軍国化の進行に警告を発するとともに、国際緊張の緩和、平和の維持のために、軍備拡張の停止、核兵器の不使用と実験の禁止、東西不可侵協定の締結、中欧における核武装禁止地帯の設定、東西首脳会談の開催等を呼掛けたものであつた。これにたいしわが政府は、昨年二月二十四日、在ソ大使館を通じてソ連外務省に口上書を送り、ソ連政府が一昨年十二月十日付の口上書に述べた意見および提案に関して、わが政府の見解を示すとともに、領土問題、漁業問題等の日ソ関係諸問題についても、その見解を表明した。その要旨は次の通りであつた。
「日本政府は、一九五七年十二月十日付口上書に述べられたソ連邦政府の意見および提案を至大の関心をもつて検討し、若干の論点についての日本政府の見解を次のように披瀝する。
まず第一に、新たな戦争発生の危険を防止し、平和を強化し、かつ国際間の友好的協力を増進する問題について述べれば、日本政府は、とくに平和の維持に主たる責任を分担する諸国が国連においてその責務に応じて認められた特権を濫用することなく、国連の公正な精神を実現するため真摯な努力を払うならば、現在の世界の不安が国連の手によつて除去されるに至るものと信ずる。しかし日本政府は、緊張の増大しつつある現下の国際情勢においては、緊張緩和に役立つものならばいかなる方法でもただちに試みらるべきものであると考え、主たる責任を分つ諸国の最高水準の代表者が、そのため会談を行うことには賛成である。しかしこのような会談は、深い思慮と慎重な外交的準備の後に開催されるべきものであると信ずる。
第二に、前記の口上書においてソ連政府が言及した核兵器の完全禁止の提案については、日本政府は、世界に卒先してその必要を提唱しきたり、第十二回国連総会においても核実験の停止を提唱し、核兵器の禁止をも含む軍縮問題の打開を計つた。しかるに五七年十一月四日国連総会第一委員会においてソ連代表が軍縮委員会および同小委員会への不参加を表明して以来、軍縮問題はその討議の場を失つたままになつた。この事態は、世界諸国民の眼に軍縮問題自身のソ連によるボイコットと映ずる結果を招いており、ソ連政府の意図に反する結果となつているといわざるをえない。軍縮協定成否の鍵は、少数の関係大国間の折衝にかかつている事実にかんがみ、ソ連政府が一日も早く軍縮委員会を通ずる討議の再開に応ぜられんことを希望する。
第三に、前記口上書においては、NATOその他の集団安全保障機構に非難が集中されているが、日本政府は、これらの機構が侵略または攻撃を目的としているものではないと了解しており、従つてそれらの存在が国連憲章の精神に反するものとは考えない。
第四に、日本政府は、前記口上書において外国への依存とその抑圧からの解效のため、アジア、中近東の若い民族国家が独自の法則と自国民の意思に従つて成長し、発展して行く努力の正当性が強調されている点については、賛意を表するものであり、これら友邦諸国の平和的発展のため今後とも国連の内外において最大の努力を傾ける決意を有する。他面ソ連政府においても東欧諸国民の現状に関する多くの批判に耳を傾けられんことを希望する。また日本政府は、ドイツ国民が自由に表明する意思に基き単一の国家を形成することは、ヨーロッパの安定ひいては世界平和のために不可欠の要件であると考える。
第五に、日ソ両国の関係は、一九五六年十二月、日ソ共同宣言に基く外交関係の復活により正常化され、五七年始めには日ソ漁業委員会が開かれ、同年十二月には通商条約および貿易支払協定が署名されるに至つた。
しかしながら日本政府は、領土問題に関する見解の不一致のため両国間に平和条約の締結が遅延していることを遺憾とするものであり、この機会に、ソ連政府が日本国民一致の願望を容れて日本の固有の領土である島嶼の不当な占有を中止し、すみやかに両国関係の一層の正常化のための措置をとられることを希望する。
次に日ソ間の重要な懸案の一つである漁業問題に言及すれば、漁業は日本国民にとり死活の問題であり、とくに北洋漁業は日本国民の重大関心事である。ソ連政府においても日本国民にとつての漁業資源の重要性を考慮して、本問題に関して友好的協力を示すよう希望する。
さらにまた日本政府は、戦争終了直後ソ連内に移送されたと認められる日本人の所在および死亡者の氏名に関し、ソ連政府が人道的見地より今後とも誠意ある協力を供与されることを切望する。
第六に、日本政府は、ソ連政府が現下の対立する二つの世界の一方の中心にして、他の主要国と共に世界の平和維持に至大の責任を有していることを改めて指摘するとともに、誠意をもつて平和を希求するいかなる国家に対しても、その誠意が事実によつて立証されるかぎり、全幅の協力を惜しまないものであることをここに重ねて表明するものである。」
7 核兵器、台湾海峡情勢および安保条約改定の問題に関するソ連政府の対日申入れ
ソ連政府は、昭和三十三年度において、わが国民の重大関心事である核兵器の持込みに関する問題、台湾海峡の情勢に関する問題および日米安全保障条約改定の問題に関連して、「よき隣邦としての立場から警告する」と称して、再三にわたりわが政府に対する申入れを行つてきたが、その経緯は大要左のとおりである。
核兵器持込み問題に関するソ連政府の申入れ
昨年五月十五日、ザブロージン在京ソ連代理大使は、山田外務次官に対して外務省あて口上書を手交し、わが国に核兵器の持込みが行われているという趣旨の新聞報道やわが国政治家の発言があるが、果してこれは事実であるかと質問してきた。
これに対し外務省は、五月十七日ソ連大使館あて口上書をもつて、「わが国が核兵器の国内持込みを認めていないことは周知の事実であり、核兵器の持込みに関するソ連側の非難が全く無根拠なものであることは国会における質疑応答によつて明白である。日本政府はこの際改めて関係国が核兵器の禁止に関しすみやかに全面的な合意に達するよう要望する」との趣旨の反駁を行つた。
さらに六月十六日、ザブロージンソ代理大使は山田外務次官に対し、五月十七日付のわが外務省の口上書に対する回答として再び口上書を手交した。ソ連政府は、この口上書の中で、「日本政府が前にソ連政府に送つた上書は五月十五日付のソ連大使館口上書が提起した質問に対する回答を含んでいない、日本政府は、米国の核兵器の国内持込みに関する報道を否定していないのみならず、二月十一日の衆議院予算委員会における今澄議員の質問に対する岸総理大臣の答弁および三月二十七日の衆議院内閣委員会における石橋議員の質問に対する藤山外務大臣の答弁は、このような可能性を認めている。ソ連に近接する日本への核兵器の持込みは極東の平和と安全を脅威するに足るものというべく、ソ連は日本のよい隣邦として本問題の重要性について再び日本政府の注意を喚起するものである」との趣旨を述べてきた。
よつて外務省は、この六月十六日のソ連側口上書に対する正式回答として、八月二十三日ソ連大使館あて口上書をもつて、「日本国政府はいやしくも隣国に対して脅威を与えるがごとき意図は有しない。従つてソ連国民およびその友好国民の間に生じた不安感というものは全く根拠がない。ソ連が核兵器を含む強大な軍備を有しておる事実、および近接する諸地域に有力なる軍隊が配備せられている事実は、ソ連側の説明にもかかわらず、現実の問題として日本国民を脅威している。日本国政府は、ソ連側口上書が"それぞれの国家の国防問題が当該国家の排他的権限に属するものである"と述べていることをテーク・ノートする」と申入れて、前回と同様ソ連側の主張を反駁した。
台湾海峡の情勢に関するソ連政府の申入
昨年九月十六日在京ソ連大使館はわが外務省に対し、台湾海峡の情勢に関する次の如き要旨の口上書を送つてきた。
「最近米国は、台湾方面において中華人民共和国にたいして向けられた一連の挑戦的な危険な行動を起した。そのため極東の事態は尖鋭化し、平和にとつて重大な危険をはらむ状態がつくられた。
右に関連して米国および日本の新聞、ラジオには、米軍当局が日本の領域内に配置されている米軍部隊をも準戦体制に置いたとの報道が現れたが、右報道は、米国武装兵力がその挑発的な侵略行為を実施するため日本の領土を直接的に使用していることを証明するものである。
ソ連政府は、右報道が事案ならば、日本が中華人民共和国に対する米国の侵略行為の参加者となるが如き状態が生ずべきことにつき日本国政府の注意を喚起し、日本政府が米国武装兵力の侵略的行動に利用される可能性を阻止するため適宜の措置を講ずべきことを希望するものである。」
このソ連大使館の口上書に対し、外務省は、即日非公式見解として、「わが国の外交方針は一切の紛争は平和的に解決さるべきであるとの立場に基いており、いかなる意味でも侵略行為を自ら行わず、またこれに加担することはありえない。台湾海峡の情勢については武力により現状を変更せんとする試みは、その政治的主張のいかんにかかわらず、世界平和に対する重大な脅威に通ずるものである」と述べた。
ついで十月二日、政府は九月十六日付ソ連側口上書に対する正式回答として、要旨次のような口上書をソ連大使館にあてて送付した。
「本年九月十六日付ソ連大使館口上書において、ソ連政府は、台湾海峡における米国の行動が侵略行為であると主張し、日本国領土が米国軍隊のために利用される可能性を指摘しているが、日本政府は、世界平和の維持をその外交の出発点としているので、他国に対し自ら侵略を行い、あるいは侵略行為に加担するようなことは到底ありえない。
台湾峡海方面における米国の行動が侵略行為であるという断定は、今回の危機が中共軍の武力行使によつて招来されたという現実の事態よりみて根拠を欠くものである。
現国際情勢下においては、たとえ当事者の政治的主張がいかなるものであるにせよ、武力により現状を変更し、あるいは暴力的手段に訴えて紛争の解決をはからんとすることは、戦争の危機を増大し、世界平和に対する重大な脅威を与える惧れがある。
従つて日本政府は、ワルソーで行われている米中大使会談の如き平和的話合によりまず当事者間で武力を用いないことが合意され、ついで将来にわたり平和と安定を確保する解決が斉らされることを強く希望するものである。
さらに十一月二十七日、フェドレンコ駐日ソ連大使は、藤山外務大臣に対してわが外務省あての口上書を手交するとともに、「十月二日の日本外務省の回答においては重大な問題が回避されており、中華人民共和国に対する侵略行為のために日本の領土が米国の武装兵力によつて利用される結果が、平和のため、また日本自体のためにも重大であることにたいし、改めて日本政府の注意を喚起する」と申入れてきた。これに対して藤山外務大臣は、「日本政府の見解は十月二日の回答に尽されており、何らつけ加えることはない。国際関係についての日本の立場は、日本政府自身の決定すべきことであり、他国がこれに容喙すべきものでない」と反駁した。
日米安保条約改定問題に関するソ迎政府の申入れ
十二月二日、グロムイコ・ソ連外相は、門脇在ソ大使に対して日米安全保障条約改訂問題に関するソ連政府の覚書を手交し、「日本は中立政策の実施によつて極東における平和と安全に重要な建設的寄与をなすものであると考える。ソ連は日本の中立を尊重する旨の厳粛な誓約をする」と通告してきた。
このソ連政府の覚書の内容は、概略左のとおりである。
「本年十月四日東京において、一九五一年九月米国および日本の間に調印されたいわゆる安保条約の改定に関する日米交渉が開始された。
安保条約は、日本国民の意思に反し、またその民族的利益に背いて締約されたものである。その結果米国は、現在日本領土上に多数の軍事基地を保有している。
合衆国の対中華人民共和国侵略行動の実施に当つては、アメリカの武装兵力が日本領城から台湾島および台湾海峡水城に投入されている。これらはいずれも日本領土上に存する合衆国の軍事基地がアジアの平和を愛する諸国民に脅威を与え、ソヴィエト連邦および人華人民共和国を直接目標とするものであることを物語つている。
日本とソヴィエト連邦、中華人民共和国および米国を含む他の諸国との友好関係の発展は、今日欠除している極東諸国家間における必要なる信頼を確立するに役立つであろう。その故に日米関係がますます米国の指導下に侵略的軍事ブロックの性格を帯びつつある事実は、ソヴィエト国民を悩まさずにおかないのである。
合衆国と日本との間の軍事条約締結に関する交渉について、当事国間の権利および義務の平等を謳う偽りの宣伝が随伴している。これらの宣伝は、危険な計画と日本領土における米国軍事基地を確保し、日本の武装兵力を日本国民の民族的利益と相容れない侵略計画の実現のために使用することを予定する押しつけの義務が、日本民族にとつて片務的である性格を陰蔽ぜんとするにある。
日本には、一九五〇年二月十四日のソヴィエト連邦、中華人民共和国間の友好、同盟および相互援助に関する条約が日本を脅かすかの如く述べて、日本領土における米国軍事基地の存在を擁護せんと試みる分子が存在する。この条約は、明らかに両国に対する侵略の場合に対する防禦的性格の手段を予想するものであり、いかなる程度にもせよ、日本またはいずれかの他の国家に向けられたものでない。ソヴィエト連邦および中華人民共和国は常に平和共存の政策を推進しており、いかなる国に対してもなんら侵略的意図を有するものでない。
日米軍事条約の締結は、ただ単に日本における米国の軍事基地の保持のみでなく、帝国主義的政策と東洋民族の解放運動弾圧の機関であるSEATOのような軍事集団に日本を引き込み、それを通じて米国の庇護の下につくられた侵略ブロックの全組織の中へ引き込むこととなるであろう。
前記ブロックの指導者の計画実施に参加するために日本国外に自己の軍隊を派遣することを日本が約束することは、極東における平和の利益と全然相反し、さらに日本国家の安全のためにも相反することである。新日米軍事条約の締結は、極東の情勢をより一層複雑化し、この地域における軍事衝突の危険をさらに深めるだけである。原子、水素およびロケット兵器のごとき大量殺りく兵器は、比較的小さい領土に密度の大きな人口と物質的およびその他の資源の集中度の大きい国家にとつては、とくに生死の危険となるものである。
日本の安全は、再軍備と戦争を拒否し、中立を守る可能性を日本に与える日本自身の憲法の規定を厳格に遵守することによつてもつとよく保障せられるであろう。日本の自主的な平和愛好の政策のこの道-中立の道-こそ、国家の真実の独立と真の安全保障の確立をもたらすものである。
ソ連政府は、日本が中立政策の実施によつて、極東における平和と安全および国際協力の増進に重要な建設的寄与をなすものであると考える。ソ政邦が日本の中立を尊重する旨の厳粛な誓約をすることはいうを俟たない。」
外務省は、近藤情報文化局長談の形式で、前述ソ連政府の覚書に対し、十二月三日次のように反論した。
「わが国は憲法に定められた自由民主主義と平和主義の原則をその国策の基本としており、それ故に日本政府は、国連憲章の原則と精神に基き、世界の平和と安全のためあらゆる努力をしてきたし、今後もその立場を堅持する。したがつてわが国の政策は、他のいかなる国をも脅威するものでない。
現行安全保障条約は、純粋に自衛的性格のものである。ソ連は、中ソ同盟条約は防衛的であるといいながら、日米安全保障条約を攻撃的であるとつている言が、これはおかしなことであり、承服できない。
ソ連は、現行条約は日本国民の意思に反して結ばれたものであると云つているが、現行条約は、当時日本国民の間で論議をつくし、国会の承認を得て結ばれたものである。しかし現行条約を現状に沿うよう合理的に改正しようのと日本国民の要望が強くなつたので、政府は、この国民的要望に応じて、改正のため米国と交渉を始めたものである。
わが国が自らの安全を守るためにいかなる道を選ぶかは、日本国民自らが決定するところである。現在の改正交渉の目的は、安全保障条約の防衛的性格を変えようとするものではない。従つてソ連の非難は、日本国民からみればはなはだ的外れである。
ソ連は声明の中で、日本に中立をとれといつている。しかしながら自由民主主義を信奉する日本としては、志を同じくする他の自由諸国と協力し、世界平和に貢献することを基本的方針としている。日本を無力化し、孤立化せしめようとするいかなる企図にも、日本国民の大多数が反対するであろう。
わが国は、自由諸国との協調を基本的方針としているが、同時に、社会体制の異なる国との善隣関係を維持することを希望している。しかしながら他国の外交政策に対して容かいするが如き今回のソ連政府の声明は、善隣関係の促進に役立つものとは考えられない。」