二 最近におけるわが国の外交

世界平和への努力

科学の進歩によつて世界が急速に狭まつている現代においては、いずれの国家もひとしく、全人類の発展という共通の大きな目標に向つて世界の平和を維持し、その福祉に寄与すべき責務を負うている。各国が自己の利益を守ることのみに専心しえた時代は去つて、今や個々の国民の平和と繁栄とは歴史的な国境を超えた共通の運命の下におかれるにいたつた。したがつて現代の国際社会の一員として各国が行う外交活動も、自国の発展を計りながら、同時に全人類の福祉を増進するという、より高度の目標に向つて進められなければならないのである。

第二次大戦の最大の惨禍を身をもつて体験した国民として特にわれわれは、地球上の人間が決して再びこのような惨禍を受けることのないように、その力をいたすことがわが国に課された使命であると考えている。わが国が戦後今日まで歩んできた外交活動の路もまた、ひとえにこのような世界平和への努力であつた。

この努力はつねに二つの方向に向けられて来た。わが国は、一方においてわが国自身の平和を確保し、国民生活の健かな発展をはかるとともに、他面また、世界のいずこであるとを問わず、およそ平和への支障となるようなものは速かにこれをとり除くことに協力してきた。そしてこのような努力を通じてわが国はつねに国の内外で自由民主主義の理念を実践することに努めてきたのである。

わが国は、まず世界の自由民主主義諸国との結びつきを強化することに努めてきた。このような結びつきは、わが国内部の民主主義の発達を保障するためのみではなく、国際社会の一員としてのわが国の安全を保障するためにも強化される必要があつた。けだし相反する政治理念に生きようとする二つの勢力の均衡によつて世界の平和が保たれている現在、わが国が自由民主主義の国家として存立して行くためには、われわれと同様の政治理念を信奉する諸国との結束を固めることが最も自然であり、また現実的な針路であると判断されるからである。

わが国内外の情勢を冷静に考えるならば、わが国が現在このような勢力の対立の外に中立の立場をとることによつて、単独に自由民主主義国としての存立を完うしえないことは明らかである。そこでわが国は、一方において自衛力を育成するとともに、他方米国との間の安全保障体制を維持することによつてその防衛を全うしようとするのであつて、これはわが国の国柄と世界の情勢とが要求する現在のわが国外交の基本路線なのである。

もとよりわが国は、世界の安全保障機構としての国連がそのすべての加盟国の安全と世界の平和とを十分に保障し得ることこそ最も望ましいと考えている。中近東の紛争、軍縮問題、核実験禁止問題等に関してわが国が国連を通じて果してきた努力は、このような願いに基くものであつた。しかし現在直ちに各国の安全と世界の平和を国連のみに委ねようとすることは、国連の機能の限界と現実の国際情勢とを無視するものといわなければならない。国連が真に世界平和維持の機構として確立されるように各国とともにその成長を助けて行くことが必要であるのは言うまでもないが、このためにはまず各国が自己の努力と責任とをもつて平和を確保するという心構えが必要なのである。

わが国は、その外交活動を通じて内外の平和を確保するに当つて、つねに民主主義的な方法によることを心掛けてきた。すなわち、国際問題はすべて平和的な話合いによつて解決するように努めるとともに、つねに他国の立場や信条を尊重し、いやしくもその内政に干渉したり、またその国民感情を刺激したりするような言動を避けてきたのである。

わが国は、今日なお多くの困難な外交問題に当面しているが、これらの問題を処理するに当つても、一貫してこのような態度をとつてきた。日ソ漁業問題、日中貿易問題、日韓交渉等はいずれも未解決の重要問題であるが、わが国は、その基本的な主張は堅持しながらも、つねに相手方の主張にも十分耳を傾け、できる限り双方が一致し得る点を発見するように努めてきた。このような努力はつねに大きな忍耐を必要とするのであるが、徒らに解決を焦つて一時しのぎの手段をとることは、決して国家百年の計に資するものではなく、また国際社会に安定をもたらすことでもない。平和はつねに忍耐強く建設されなければならないのである。

わが国はまたこのような外交方針はひとりわが国のみでなく、すべての国家によつてひとしく実践されなければならないと考える。平和は国際社会を形成しているすべてのものの協力がなければ保ち得ないものだからである。それ故にまたわれわれはこのような平和外交を実践するものである限り、たとえわが国と異る政治理念や社会構造を有する国家であつても、すすんで平和的な交際を行うことが世界の平和に寄与する所以であると信じている。

わが国の外交活動の内容は、単にわが国の安全を守り、また国際紛争を平和的に解決するということに尽きるものではない。わが国は、文化や経済等の面でも同様に国際的な結びつきを強化することによつて、各国民がさらに高い文化水準、経済水準に達することを願つてきた。世界各国が今日のように相互に強く依存し合つているときに、個々の国家の経済水準や文化水準にあまりに大きなへだたりがあることは、諸国民の平和と繁栄に資する所以ではない。それ故にこのような分野で多少とも恵まれている国家は、すすんでその力を貸すことによつて智慧と富の不均衡を少しでも是正することに努めるべきであろう。わが国が国際機関との協力や二国間の交渉等を通じて国際貿易の拡大を図るとともに、低開発地域の発展に協力し、同時にまた諸外国との人的知的交流をすすめているのはこのような意図によるものである。自らの国民生活を裕かにするとともに他国の福祉を増進することは、わが国外交の目標であるが、このことは、また現代の国際社会に生きようとするすべての者に等しく要求される道徳であろう。

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藤山外務大臣の訪加および訪米

カナダ訪問

藤山外務大臣は、スミス・カナダ外相の招待により九月三日東京を出発、カナダを訪問し、八、九両日にわたり、ディーフェンベイカー首相、スミス外相、フレミング蔵相およびチャーチル通産相等のカナダ政府首脳と会談した。これらの会談はいずれも極めて友好的なふんい気のうちに行われ、国際情勢、国連における日加両国の協力、軍縮および核実験停止に関連する問題等がとりあげられた他、とくに日加貿易の増進策についての検討が行われた。

米国訪問

藤山外務大臣は、カナダ訪問に引続き、国際連合第十三回総会に出席のため米国を訪問したが、九月十一、十二の両日、ワシントンでダレス国務長官、ディロン国務次官等、米国政府要路と会談した。これらの会談においては、国際情勢の検討を初め、日米間安全保障取極めに関する討議ならびに日米貿易関係、アジアの経済開発問題、その他日米両国が関心を有する事項について広範な意見の交換が行われた。藤山外務大臣は、国際連合総会出席後九月二十九日帰国した。

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日米安全保障条約改定問題

独立回復後わが国の安全保障は、日米安全保障条約を基幹として在日米軍により主として行われてきたが、安保条約成立以来、国際的地位の向上、経済力の回復、自衛力の漸増等、我国内外の情況に著しい進展があつた。すなわち国内においては一昨年五月、政府は国防の基本方針と決定し、「民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守る」という目的を達成するため、「国際連合活動を支持し、国際間の協調を図り、世界平和の実現を期する」が、「外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する」方針を明らかにした。また同年六月、国防会議において右の「国防の基本方針」に従い、国力と国情に応じた必要最少限度の自衛力を整備するため、差当り昭和三十三年度から三十五年度(一部は三十七年度)までの三カ年について防衛力整備計画を策定した。本計画は、陸については昭和三十四年度末までに、十八万人、海については昭和三十五年度末までに艦艇一二・四万トン、航空機二二二機(一部は三十七年度末まで)、空については昭和三十五年度末までに一、三二四機までを目標として増勢整備することを決定したものである。他方日米間においては、一昨年六月、岸総理大臣は、米国を訪問し、アイゼンハワー大統領との間に「日米関係が共通の利益と信頼に確固たる基礎をおく新しい時代に入りつつあること」を確認した。その際日米間の安全保障関係についても討議された結果、「合衆国によるその軍隊の日本における配備および使用について実行可能な時は何時でも協議することを含めて安全保障条約に関して生ずる問題を検討するために、政府間の委員会を設置」し、この委員会は「これ等の分野における日米関係を両国の国民の必要と願望に適合するように今後調整することを考慮する」ことになつている。右に基き昭和三十二年八月安全保障に関する日米委員会が設置され、ハイ・レベルで日米間の相互理解と意志の疎通を図つてきた。

昨春の総選挙後、岸内閣の成立を機として安全保障の分野における日米関係を検討し、これをより安定し、信頼性ある基礎に置こうという気運が日米双方の間に醸成された。藤山外務大臣は、まずマッカーサー在京米大使との間に準備的話合を行つた後訪米し、九月十一日および十二日の両日にわたりダレス国務長官その他米国政府主脳部と日米間の諸問題について、隔意ない意見の交換を行つた。その際安全保障の問題に関しては、日米安保条約の締結以来すでに七カ年を閲した現在、新たなる両国関係を基礎として本問題に関する取極を調整するという見地に立つて、外交経路を通じさらに協議することになつた。かくして新条約についての話合が藤山、ダレス会談に引続き東京で行われることとなつた。

現行の日米安保条約の問題点としては、左の六点を挙げることができるであろう。

第一に、現行条約は米軍に日本に駐留する権利を与えているが、条約上米国が日本を防衛しなければならぬという義務が明確にされておらず、この点から、本条約は片務的であるという非難が生じている。もちろん条約の目的からみれば、義務が明記されていないからといつて、米国が日本を防衛しないということは事実上あり得ないことであるが、条約上この点が明文化されることはもとより望ましいことである。

第二に、現行条約では、米国が「極東の平和と安全の維持」のため日本側に協議することなく一方的に在日米軍を使用できることとなつており、これでは日本が自己の意志に反して自動的に戦争にまき込まれるのではないかという議論がある。元来この条約は、国連憲章の趣旨に沿つて作成されたものであるから、現実の問題として在日米軍を無制限に使用することはあり得ないことであるが、そのような不安と危惧を日本国民に与えるとするならば、駐留米軍の日本領域外での作戦行動を協議事項とする等の方法によつて、日本側の意志が尊重されるようにする必要がある。

第三に現行条約では、在日米軍の配備と装備については、米国が自由に決定できる。従つて例えば米国は日本の意向を無視しても核兵器を日本国内に持込み得るという議論が生ずる。もちろん米側は、日本政府および国民の核兵器持込反対の意向を充分に諒解しているので、事実上その必要はないと考えられるが、この問題について何等かの了解を明にしておくことが望ましいと考えられる。

第四に、現行条約では日本に内乱が発生した場合、在日米軍の援助を得てこれを鎮圧するといういわゆる内乱条項、および日本が米側の同意を得ずには第三国に基地を供与しないとの条項があり、これらの条項は独立国としてふさわしくないという議論がある。

第五に、現行条約はその前文において国連憲章の目的と原則に従つて行動すると謳われているが、条約本文の中に明記されていないので、安保条約と国連憲章第五十一条との関係を明確に規定することが問題となる。

最後に、現行条約には規定されていない条約の有効期限および改廃手続の規定をもおく必要があろう。

これを要するに、現行安保条約改訂の目的は、日米共同安全保障を基調とする根本方針に則り、現行条約を事態の進展に応じ、かつわが国民の要望に沿うよう調整して、我国の安全保障に違算なきを期するとともに、日米関係を安定性と信頼性ある基礎に置こうとするところにある。

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国際連合における活動

わが国は、国連加盟後わずか一年で、国際間の平和と安全の保障に第一義的責任をもつ機関である安全保障理事会の理事国は選出され、昨年はその任期の第一年であつた。この一年間において、第二次大戦後最も不安定な地域である中近東、北阿地域は、再び画期的な変革を遂げ、全世界に大きな衡撃を与えたのである。すなわち春には、アルジェリアの戦乱と北阿諸国の完全独立の要求が、ついにフランス第四共和制を瓦解せしめる直接の原因となり、夏にはイラク革命が中近東の政治地図を新たに塗りかえることとなつた。

これ等の事件は、直接間接に安保理事会の関与するところとなり、同理事会は最近数年間のうち最も頻繁に会合した。わが国は、任期早々にしてこれ等の問題に直面することとなつたのであるが、その際つねに国連憲章の目的および原則に従い、国連の権威高揚に資するために、是々非々の態度を以つて臨むことを基本方針としてきた。とくに自由諸国の結束、就中米国との協調に意を用いつつも、同時にまたAAグループの一員として、民族自決を念願する新興AA諸国の立場に対しても十分な同情と理解を示すことを忘れなかつた。このようにしてわが国は、平和を維持し、国際的緊張を緩和するために、理事会の審議においてはつねに忌憚なく公正な意見を述べ、もつて国際社会の信用を獲得し、わが国の地位を高めることに努めたのである。このようなわが国の態度は、また海外においても十分認められるところとなつた。例えば昨年末の国連発AP電は、この一年を回顧して、「日本は、東西両陣営の橋渡しを試みる慎重な仲介者としての各声を得て安保理事会理事国としての第一年を終えた」との書き出しをもつて、日本の業績に最大限の讃辞を送り、さらに日本がAAグループの代表として理事会内で行動したことも一再に止らなかつたことを指摘し、「松平大使がギニアの国連加盟についてAA諸国から選ばれてそのスポークスマンとしての役割を果したことは、かつて日本に占領された諸国民にとつては、ごく最近までは考えられなかつたことであろう」と述べている。

国連第十三回総会は、一方において中近東情勢がその直前の緊急総会において一段落し、他方軍縮問題については十月三十一日から開かれることになつていた核実験中止に関するジュネーヴ会議に焦点が向けられ、また台湾海峡問題、べルリン問題が種々の政治的情勢のため国連に提起されなかつたことなどにより、若干の例外を除いては前総会の議題を踏襲する結果となり、特別の盛り上りもなく比較的平穏に議事が進行した。もちろん討議の内容には見るべきものも少なからず、かつ多くの傾聴すべき意見も述べられたが、全体として第十三回総会を特色づけるほどの成果がなかつたことは、各国総会出席者および新聞論調も認めている通りである。わが国の活動も、したがつて控え目ではあつたが、加盟以来の努力によつて得られた国連内における信望を基礎とし、安保理事会におけると同様の基本的態度をもつて行動することにより、地道にわが国の国際的地位を高めるのに成功したことはたしかである。以下、軍縮関係諸問題および地域紛争諸問題に関し、わが国が国連においてとつた態度を概説する。

軍縮核実験中止問題その他

わが国は、国連第十二回総会において安全障理事会の非常任理事国に選挙されたことにともない、昨年一月以降軍縮委員会の構成国ともなつたが、ソ連のボイコット宣言により行詰りに陥入つた国連における軍縮討議を再開することに当面の目標を置き、このため関係国との意見の交換、軍縮委員会委員長あて外務大臣書簡による所信の表明等の措置をとつた。

また原水爆を搭載する米軍用機の北極圏飛行に関するソ連の苦情が安保理事会により審議された際にも、わが国は米国の提案する北極圏査察制度の設置が、この問題の根本的かつ建設的な解決に役立つのみならず、軍縮問題全般の行詰りを打開する契機ともなることを期待して、ソ連の歩み寄りをもたらすため議場の内外において極力斡旋に努めた。

核実験中止問題は、昨年三月三十一日のソ連による核実験停止声明、七月一日からジュネーヴで開催された核実験停止査察に関する専門家会議の成功、八月二十二日の米、英両国による核実験停止声明、十月三十一日からジュネーヴで開催中の核実験中止に関する米、英、ソ三国会議の進展等ようやく活発な動きを示すに至つた。わが国は、ジュネーヴ三国会議に先立ち明らかとなつていた米、ソの対立点、就中ソ連の主張する即時恒久的中止か、米英の主張する一年毎の中止期間の延長かの問題を打開することを目途として、国連第十三回総会における軍縮問題の審議に臨み、満場一致による決議を成立せしめるために努力した。

しかしながらこの努力が不幸にして失敗に終つたあとは、国連総会における対立がジュネーヴ会議に悪影響を及ぼさぬことを希望して、スウェーデン、オーストリアとともにジュネーヴ三国会議の成功を期待する趣旨の決議案を共同提案し、その他の諸案には棄権した。このわが国等三ヶ国案は、十一月四日、五五対九、棄権一二をもつて採択された。

軍縮審議行詰り打開のための、あるいは核実験中止問題に関する対立解決のためのわが国の努力は、必ずしも具体的な成果によつて報いられるには至らなかつたともいえるが、わが国が常に軍縮問題に対する国連の責任を強調しつゝ問題の解決に努力した誠意は、高く評価され、これらの問題の進展に好影響を与えたものと認められる。

大気圏外の問題は、第十一回総会における軍縮問題の討議に際し、米国がその軍事的利用の禁止を提案したのが国連に提起された最初のものである。しかしながら、大気圏外の軍事的利用禁止の問題は、在外基地の撤廃と同時に実施されるのでなければ安全の均衡を害するとのソ連の主張のため、なかなか進展しなかつた。

こうした状況にかんがみ、わが国は第十三回総会において、問題の多い軍事的利用禁止は一応当面の目標から外し、大気圏外の平和利用の促進と規制のために国際協力を進めることが適当であると考え、このための措置を準備する特別委員会を国連内に設置するという趣旨の米国起案の決議案の共同提案国となつた。ソ連も、結局右の立場に歩み寄りを見せたものの、委員会の構成については合意に至らず、右決議案は、ソ連側反対のまゝ採択された。

右の総会決議により、わが国はスペース・リサーチにおける実績を認められて準備委員会の構成国となり、この新しい分野における国際協力に直接貢献するための地歩を得ることとなつた。

地域的紛争に関する問題

テュニジア問題に関しては、わが国は完全な独立を達成しようとするテュニジアの願望に十分同情と理解を示すと同時に、同じ自由陣営に属するテュニジアとフランスとが安保理事会において対決し、互いに非難し傷け合うが如きことを避け、両当事国が、問題を話合いによつ平和的に解決することが両国のために最も望ましいとの信念を以て行動した。事態は結局わが国の希求した方向に沿つて解決し、幾多の紆余曲折を経た後、テュニジアはフランスとの直接交渉により、年来の懸案である駐テュニジア仏軍の撤兵を実現することに成功した。

レバノン・ジョルダン問題に際しては、わが国は、同問題が戦争をももたらす危険を包蔵するものであることに鑑み、極めて慎重な態度をもつてこれに臨んだ。すなわち中近東の不安定な情勢は、アラブ・ナショナリズムに対する十分な理解の上に立つて対策を講ずるのでなければ改善され得ないという態度に基き、米軍の派遣に対して遺憾の意を表し、その撤兵実現を期待する旨を理事会において明白に述べるとともに、米軍の撤兵を実現せしめるための現実的解決という観点から、条件付で国連軍を派遣する趣旨の米国決議案に賛成した。しかしながら米、ソおよびスウェーデンによる決議案がいずれも否決されるや、わが国は問題をあくまで国連により解決して国連の権威を保つため、国連レバノン監察団を強化することにより米軍の撤退を可能ならしめるという趣旨の決議案を独自に提出した。同決議案は、ソ連を除くすべての理事国の賛成を得たが、ソ連の拒否権により否決された。かくして問題の審議は国連緊急総会に移されるに至つたのであるが、その後は藤山外務大臣自ら国連に赴き、本件解決に一段の努力を行つた。幸いにアラブ諸国は、アラブ諸国共同一致による決議案を提出し、同決議案が満場一致採択されるに及んで、本問題は落着した。

安保理事会あるいは第十三回総会において審議されたその他の問題についても、わが国は、つねに前述の国連外交に関する基本方針にしたがつて事態の平和的解決のため積極的に貢献したのである。

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共産圏諸国との関係

ソ  連

昨年におけるわが国とソ連との関係については、モスクワで行われた北西太平洋日ソ漁業委員会第二回会議および日ソ貿易支払協定に関する交渉が妥結をみた他、在ソ邦人の帰還が一回行われた。その他、実務的関係において解決をみるに至つたものもあるが、他方、重要な懸案として前年度より持越された近海漁業問題は、ソ連が領土問題に関するわが国の公正な主張と相容れない平和条約の締結を問題解決の先決要件としたため難航し、またわが漁船にたいする不法な拿捕が相次いで起るなど日ソ関係の発展にとつて好しくない事態が未解決のまゝ残されている。しかし政府は、日ソ共同宣言の精神に沿い諸懸案を円満に解決し、もつて両国間の友好関係を増進すべく、ソ連より申入れのあつた文化協定や航空協定についても、日ソ双方の満足し得るような条件で成立するよう努力したが、昨年度中においては、なお交渉は成立に至らなかつた。

中  共

中共は第四次日中民間貿易協定に対するわが政府の回答を不満として、四月十三日南漢宸国際貿易促進委員会主席の声明書以後対日非難を激化し、五月九日には陳毅外交部長声明をもつて日中間のあらゆる関係を中断する旨発表し、爾来、貿易、漁業、人の往来、文化交流等一切の関係を中絶するに至つた。中共の対日要求は人民日報等の中共側機関紙によれば畢竟中共側のいわゆる「三原則」すなわち「岸内閣が中国人民を敵視し、二つの中国をつくり出す陰謀を続け、日中両国の正常な関係の回復を妨げる」ことを中止せよというにあるもののようである。中共はその後も引き続き対日非難を続行したが、十一月十九日に至り、陳毅外交部長声明をもつて日本が「中立」政策をとることを希望する旨を表明した。

しかしながらわが政府としてはかねてより、日中双方が根拠のない誤解や不信を棄てて、貿易や文化の交流を通じ相互に利益を招来するよう努めるとともに、善隣友好関係を樹立すべきであるという方針をとつており、双方は政治信条、社会制度を異にしながらも、互いにアジアの重要な近隣国として世界の平和と安定に協力することが必要であると信じている。

わが政府としては、この意味から日中双方がそれぞれ相手方の政府の立場を尊重し、内政不干渉の原則を堅持し、善意と誠意をもつて日中関係打開の建設的努力をはらうことを期している。

また貿易、漁業、人の往来等については日中交流の必然性に基く双方の繁栄を政治的立場の故に阻害すきべきではなく、善隣友好と平等互恵の建前で相互に有無相通ずる関係を樹立すべきものと考えている。

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戦後処理の進捗

日 韓 交 渉

一昨年暮に調印された日韓間取極に基く抑留者の相互釈放の実施は、北鮮への送還を希望する韓人不法入国者の取扱いをめぐつて日韓双方の主張が完全に対立したため難航を極め、日本人抑留漁夫九百二十二名の送還も予定よりはるかに遅れて、昨年五月十八日に至りようやく完了した。

日韓両国間の諸懸案を解決して国交を樹立することを目的とする全面会談は、昨年四月十五日、日本側沢田廉三、韓国側林柄稜をそれぞれ首席代表として、一九五三年十月第三次会談決裂以来四年半ぶりに再開された。

右全面会談は、昨年七月北鮮への送還を希望する韓人不法入国者の仮放免の問題が発生したため、同八月中旬より九月末までの期間一時的に中断を余儀なくされたが、この期間を除いては、年末まで約七ヶ月間にわたつて継続された。

右会談においては、従前の会談におけると同様の四つの議題、すなわち漁業問題、請求権問題、船舶問題、在日韓人の法的地位の問題について数十回にわたり討論および意見の交換が行われた。漁業問題については、わが政府はその解決こそ爾余の案件解決の鍵となるべきものであるとの観点に立つて会談に臨んでいるが、特に韓国側のいわゆる李ラインに関する主張は従来の国際通念に反するものであり、またわが国民生活にも多大の影響を与えるべきものであることに鑑み、政府は、単に国民の利益に合致するのみならず、世界の良識ある人々を納得せしめ得るような公正妥当な方法で解決を図ることを目的とし、資源保存と操業調整の見地に立脚した実際的かつ合理的な提案を行つてきた。しかし遺憾ながら昨年中には右漁業問題も含めていずれの議題についても、基本的な考え方についてすら意見の一致を見るに至らず、会談は同十二月二十日から年末年始の休会に入つた。政府としては交渉再開の上は、その基本的な主張は堅持しつゝできる限り互譲の精神をもつて交渉の妥結を図るべく、一段の努力を期している。

(交渉の詳細については各説参照)

インドネシアとの国交正常化

インドネシアとの賠償問題は、一昨年十一月岸総理大臣の同国訪問の際、スカルノ大統領との間に原則的な合意が成立して急速に話合が進んだ結果、昨年一月二十日、ジャカルタにおいて日本側全権委員藤山外務大臣とインドネシア側全権委員スバンドリオ外務大臣との間に、平和条約、賠償協定その他の関係文書の調印が行われた(詳細は第二号四三頁以下参照)。

右の諸協定は、昨年三月十三日インドネシア国会において全会一致をもつて承認され、またわが国においても三月十三日衆議院を、四月四日参議院をそれぞれ全会一致で通過したので、四月十五日東京において藤山外務大臣とスバンドリオ外務大臣との間に批准書の交換を行つた。これによつて一九五一年以来の懸案であつた賠償問題は解決し、わが国とインドネシアの間には正常な国交関係が樹立されるに至つたので、同じく四月十五日付をもつて在京インドネシア総領事館は大使館に昇格され、わが国は、ジャカルタに大使館を設置するとともに、総領事館を併置することとなつた。ついで黄田駐インドネシア大使は同年七月、アスマウン駐日インドネシア大使は九月、それぞれ初代大使として信任状を捧呈した。ここにおいて、日本とインドネシアは同じくアジアの友好国として積極的な協力関係推進の第一歩を踏み出すことになつた。

ヴィトナムとの賠償交渉

わが国の賠償問題は、ビルマ、フィリピンおよびインドネシア(「わが外交の近況」第二号参照)に関してはすでに解決を見、その実施はそれぞれ後述(各説)のように円滑に進捗しているので、現在求償国としてはヴィトナムが残るのみとなつたが、同国に対しても、わが国は賠償問題早期解決の誠意を示して、引き続き同国政府と交渉を継続している。

すなわち一昨年九月には植村甲午郎特使がヴィエトナムに派遣されて、ヴィエトナム政府と交渉に当り、また同年十一月、岸総理大臣が同国を訪問した際にもヴィエトナム首脳と協議した他、十二月には植村特使が重ねて派遣されたのであるが、妥結にいたらなかつた。ついで昨年七月久保田大使が現地に赴任するに及んで、ヴィエトナム政府との交渉が再開され、その結果、相当の進捗をみたのであるが、なお若干の問題が残されているので、現在これらの解決のため現地で交渉が続行されている。(詳細については各説参照)

在日インド財産補償問題

日印平和条約第五条に基き、インド人から提出された在日インド財産に対する戦争損害補償請求は、一二一件(請求金額総計約十六億二千万円)であり、これらの補償請求は、大蔵省当局により、連合国財産補償法に基いて処理されてきた。しかしながらインド人は、ごく少数の例外を除き、昭和十八年三月以降その財産に対する敵産管理を解除されており、かつ自由に経済活動等を行うことが認められていたので、戦争損害の実態を把握することが現実に困難であり、他面また、インド人請求者の提出する立証書類は、多くの場合著しく不備であるために、その処理が進捗せぬまゝ、両国間の懸案となつていた。

よつて本件補償問題の処理を促進するため、日印両国政府は、昨年に入つて平和条約第十条に基く政府間の「協議」を行うことに合意し、同四月一日より東京において両国政府代表団の間で右「協議」を行つてきたのであるが、同十月一日にいたり全請求について案質的に円満解決をみた。

右「協議」において取上げられた補償請求件数は九四件であり、右に対して支払が合意された金額は約一億五千六百万円である。この金額に協議開始までに解決した事案二十七件に対する支払決定金額合計約一億一千六百万円を加えれば、在日インド財産補償総額は約二億七千二百万円となる。

なおインド政府は、前記在日インド財産補償問題の解決が遅れていることを不満として、日印平和条約第四条に基く在印日本財産の返還を遅延せしめたため長く懸案となつていたが、前述のごとく補償問題が同条約第十条に基く政府間の「協議」によつて順調に処理されている結果インド側も好印象を得、また一昨年の岸総理、ネール首相の相互訪問以来とみに高まつている日印友好関係も反映して、昨年七月十五日、インド政府は本件財産の返還を行うべき旨を正式に申し越した。右によつて返還される財産の内訳は左のとおりであるが、インド政府は同国の外貨事情にかんがみ、同財産の大部分がインド国内において投資されることを希望している。

(イ) 預  金    一四、八九八、七〇九ルピー(邦貨換算十一億二千六百万円)

(ロ) 株  式    一九七、一三一株

(ハ) 公  債    二件

(ニ) 建  物    一件

英仏蘭等諸国の対日クレーム

平和条約第十八条に基く戦前クレームの中でも巨額に上るものは、日華事変に際して第三国人が身体財産に蒙つた損害に対するものである。就中英国人に関するものは要求額約二〇億円にも達しており、これを未解決のまゝおくことは、日英間の国交にも大きな影響を与えるものであるから、現在両国政府間の折衝によりすみやかに解決すべく努力が重ねられている。

平和条約第十五条に基く旧連合国関係の対日クレームのうち、若干のものは日仏財産委員会および日蘭財産委員会に付託されたが、その他はすべて解決をみた。中立国の提起したクレームは、さきにスイス、スペインおよびスウェーデンの提起にかゝるものが解決されたが政府としてはその他のものをも早期に解決するよう鋭意努力している。

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経済外交の方向

いわゆる経済外交の内容としては、自国の経済の対外発展を図るために政府が当事者となつて相手国政府との折衝に当るという面のみならず、民間の対外経済活動を容易にするために政府が協力するという面がある。また国際連合をはじめ国際通貨基金やガットのような国際機関における活動もその重要な内容であろう。このような意味での経済外交は、戦後いずれの国においても外交の大きな分野となつてきているが、わが国の場合には、その地理的、通商的な環境や輸出商品の構成に特殊な事情があるので、他国とは異る複雑な問題を多くはらんでいる。以下このような問題を概観し、今後のわが国の経済外交政策の方向を考えてみることとしたい。

戦後のわが国経済外交の第一の目標は、敗戦の結果国際社会への復帰が遅れたために生じた各種の不利な条件を改善し、広く各国との間に平等互恵の基礎に立つ通商関係を築いて、貿易上公正平等な待遇を獲得することにあつた。その目標は、ガットへの加入や通商航海条約の締結により着々実現されている。しかしながらイギリス、フランスを始めとし今なおわが国にこのような平等な待遇を与えることを躊躇する国が少くないので、われわれは今後もこの目標に向つて一層の努力を払わなければならない。

つぎにわが国の貿易に内在する特種の事情として、われわれは次のような点に気がつくのである。

(1) わが国輸出の三割以上を占める繊維製品を始め、雑貨、玩具等の軽工業品には、大部分の相手国において伝統も古いかわりに現在では斜陽化している競合産業が存在するので、わが国からの競争に対して非常に敏感である。概してこの種の産業は、いずれの国においても地理的に広く分散し、またこれに従事する人口が多いため、その盛衰は経済問題たるに止まらず、社会問題ひいては政治問題化する傾向が強い。わが国の輸出品に対し、米国、カナダ、豪州、欧州の諸国において輸入制限運動のたえ間がなく、また十四に及ぶガット加盟国が今なおガット第三十五条を援用し、わが国の輸出品全般にわたり最恵国待遇を与えることを躊躇しているのも、主としてこのような事情によるものである。しかしながらわが国は、なお長きにわたり購買力の多い先進工業国に対し労働集約性の高い消費財を輸出することに力を注いで行かなければならない。世界の貿易は工業国相互の間において最も高い伸長度を示しているのである。

(2) 将来のわが国輸出の根幹をなすべき資本財、重機械、化学工業設備等の輸出については、欧米先進国は、戦前よりの伝統的実績がある上、戦後もわが国に先んじて世界各地に地盤を確保した。最近わが国の重化学工業製品の国際競争力は漸次向上してきたとはいえ、世界の主要市場への割り込みのためにはなお多くのハンディキャップを克服して行く必要があり、依然として直接、間接に政府の積極的な支援を必要としている。しかもこのようなわが国からの資本財の輸出先である低開発諸国は、第一次産品の世界的生産過剰とその価格低落とに加え、昨年前半の欧米各国の景気後退に基く需要減退のための輸出不振、大規模な経済開発計画の遂行に基因するインフレの昂進等のために一般的に国際収支が悪化し、輸入制限を強化せざるを得なくなつている。しかしながらわか国経済の将来のためには、これらの国の市場は絶対に軽視することを許さない重要性を持つのである。

(3) 輸出の確実な伸張のためには安定した輸出市場を持つことが何よりも重要である。例えば米国およびカナダは、相互に緊密な経済交流を行つているのみならず、中南米に伝統的な市場を有しており、英国は、欧州大陸に密着しているのみならず、広大な英連邦特恵市場を率いている。また独逸は、その周辺に購買力の旺盛な多数の国を控え、輸出入の七割以上をこれら欧州諸国との間に行つている。ところがわが国の場合には、伝統的な市場であつたアジア大陸は戦後根本的に変貌しており、先進諸国の例に見られるような安定した市場に恵まれておらず、またこれを育成するためにも多大の困難が予想されるのである。

このような条件の下において、わが国の経済外交の方針は勢い複雑とならざるを得ず、また多大の柔軟性が要求されるのも当然である。ことに輸出商品とその仕向地との関係上、先進工業国市場と低開発国市場とについては自ら異つた施策を必要とするであろう。

先進国の市場を考える時、最近の重要な出来事としては、昨年末欧州主要諸国がその通貨の交換性を回復したこと、および今年の一月一日から欧州経済共同体(いわゆる共同市場)が発足したことが挙げられる。交換性の回復は、国際経済交流における為替・貿易の自由化という大きな方向に一歩を踏み出したという意味で極めて意義深いものであり、わが国としても早晩その影響を免れることはできない。また欧州経済共同体は、従来から西欧諸国の間でO・E・E・C(欧州経済協力機構)等を通じて進められていた広域経済圏内部における貿易自由化の傾向がさらに進んだ経済統合の形をとつて現われたものであり、われわれとしてはそれが域外に対する差別待遇を伴う経済ブロックに堕することなく、世界貿易全体の拡大に役立つことを衷心希望するのである。先進国市場に対するわが国よりの消費財がとかく輸入制限運動の対象となり自由化からおき去りにされることは前述したところであるが、これに対してはわが国としては最恵国待遇の確保に努めるとともに、さらに進んで相手国政府との個別的交渉により日本品に対する門戸を開放させなければならない。しかしながら彼に対して自由化や輸入制限緩和を要求する以上、我としても彼の要求に応じて工業製品に対する輸入の門戸を開く用意がなければならぬのは当然である。貿易は無差別と同時に互恵の基礎においてのみ発展の可能性があるからである。わが国にこの用意がないかぎり、世界の貿易自由化の趨勢に取りのこされる危険があると言わざるを得ない。

このような政府間の交渉とならんでわが国として大切なことは、国内的に秩序ある輸出体制を確立し、安値輸出の急激な増大等に対する相手国の恐怖心を除去することであろう。このためには単に窓口である商社の過当競争を抑制するにとどまらず、わが国経済の全般的体制につき抜本的対策を講ずることが必要であろう。

しかしながら先進国の間に促進されている貿易の自由化は、低開発国の国際収支の悪化や第一次産品の価格低落ないし輸出不振にはかならずしも救いをもたらすものではない。これら諸国は、なお当分の間双務的色彩の強い貿易政策にたよらざるを得ないであろう。前述のように低開発国市場を大いに重要視しなければならないわが国としては、これらの国の特殊の事情に応じた実際的措置によつて貿易拡大の道を切開いて行かねばならぬ。しからざる場合にはわが国の輸出が大幅に縮少することすら危惧されるのである。このような方法としては資本財輸出に伴うクレヂットの供与の外、効果の最も直接的なものとしては、ある場合にはたとえ割高であつてもこれらの諸国の産物の買付を促進して、購買力を付与することが考えられる。

このようにして未開発諸国からの買付を行うことの意義は、単に目前の輸出を維持するというだけにとどまらず、これら諸国の経済力を強めるための協力というさらに大きな目標にも連なるものである。低開発諸国の柔軟性に乏しい経済構造を改善するためには、これらの諸国の経済の開発と多角化とを促進して行かなければならない。このような経済開発の促進はこれらの諸国に利益をもたらすものであると同時に、これらの諸国がわが国の安定した市場となり得る可能性をも生むものである。ここに長期的経済外交政策として、借款供与、開発輸入、企業進出、技術協力等種々な形の経済協力を推進する意義と必要性とがあるのである。

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経済協力の推進

低開発地域の経済的発展が恒久的な世界平和のために極めて重要な意義をもつことは各国が均しく再認識しているところであるが、わが国としても、これらの地域に対する経済協力を積極的に推進する方針をとつている。

このような施策の第一として、さきにわが国に対する賠償請求権を抛棄したラオス、カンボディア両国に対するわが国の経済協力を挙げなければならない。すなわち、ラオスに対しては、同国との間に経済技術協定に基き、約十億円をもつて首都ヴィエンチャン市に上水道を建設する等の事業を実施することとなつている。また、カンボディアとの間には約十五億円をもつて農業および牧畜センターを建設する等の事業を内容とする経済協力協定を締結するために交渉が行われている。

この種の施策の第二として、技術協力の推進を挙げなければならない。元来低開発諸国の経済開発をはばんでいるものは、これら諸国における資本と技術の不足であるが、なかんずく技術の不足は、資本導入のための良好な環境を造り出すことを妨げている。従つてこれら諸国における技術の不足を補うことこそ、低開発諸国の経済開発のための先決問題であるということができよう。わが国はこのような観点に立脚し、東南アジア(コロンボ計画による)中近東、中南米に対し、技術協力を推進するとともに、またICA、国連等に基く技術にも参加している。これらによる専門家派遣および技術研修生受入れ等は、現在著しく進展しているが、なお各国からの要請に遠く応じ切れない現状である。わが国としては今後とも予算の許す限りにおいて、その積極化を図る方針であるが、同時にまた現地で技術指導を行うための技術研修センターをアジア諸国および中近東諸国に設置することも計画している。これは、各国の要望に応じ、工業、農業、漁業等各種技術研修のためのセンターを設置し、必要な機材の提供および指導員の派遣等を行うものであるが、この他わが国としては巡回医療車による医療面の協力をも行う予定である。

またメコン河綜合開発計画に関しては、わが国は、従来とも国連、米、仏、ニュージーランド、カナダ等の諸国と協力してきたのであるが、本年一月その第一回踏査団を現地に派遣した。わが国は今後とも引続き本計画の調査に協力する方針である。

なお、わが国民間企業の東南アジア、中近東、中南米等に対する進出も漸次顕著となつているが、政府はその健全な発展を図るため、適切な指導と援助を与えることにしている。因みに昨年九月末までのわが国海外投資額累計は、約四〇〇億円であるが、中南米に対するものは約一四〇億円、東南アジアに対するものは約七五億円となつている。

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海外移住の促進

昨年度における渡航費貸付移住者送出予定数は一万人であり、政府および関係機関は、年度末(本年三月末日)までにできるだけこの予定数に近い送出実績をあげるよう努力している。

移住局では昨年九月、海外移住五ヶ年計画を策定し、三十四年度以降左記の目標によつて合計十万一千人の移住者を送出することにしている。

三十四年度  一一、○○〇

三十五年度  一五、○○〇

三十六年度  二〇、○○〇

三十七年度  二五、○○〇

三十八年度  三〇、○○○

もちろん、この計画を完遂するためには、年度の進行に伴い、現地受入機関を整備拡大し、また輸送船を増強することが不可欠の条件になつてくる。

わが国の人口事情からみて、海外移住を強力に推進し奨励することが重要であるのはいうまでもないが、政府は、単に移住者を送り出すことのみに専心しているのではない。移住者が現地に到着後定着し自立するための指導と援助をも行つているのであつて、将来とも予算の許すかぎりますますこれを強化して行く方針である。

前述した現地受入機関というのはこのための機関であるが、その現在の配置状況については、各説として日本海外協会連合会の項に詳述した。右のほか、移住者の営農資金等貸付および移住者入植のための土地の購入と分譲とを目的として特殊会社日本海外移住振興株式会社が設立されており、すでに資金の融資、貸付および土地購入等の業務で、相当の実績をあげている(各説同社の項参照)。

移住の促進振興を目的とする施策を行うに当つて、とくに重要なことは、これが単にわが国のみの利益の追求であつてはならないということである。すなわち、わが国として移住者受入国の開発を促進し、その繁栄に貢献しようとする積極的な熱意が必要である。その第一の条件は、移住者の質的向上をはかり、また移住国への同化を促進することである。健実で、優秀な移住者を多数送り出すとともに、これらの移住者ができるだけ早くその国の人になり切ることである。

わが国の海外移住事業を拡大するための第一の施策は、移住者受入国の数を増やすことである。昭和二十七年以降の渡航費貸付移住者合計二八、二八四人(昨年十二月末日現在)の七七%はブラジルに赴いたものであるが、政府はブラジル以外の国についても、より多くの移住者が受入れられるよう関係国の門戸を拡大することに努めるとともに、従来移住関係のなかつたその他の諸国に対しても、新たな道が開けるよう機会ある毎に働きかけている。

一九五六年八月ボリヴィアとの間に移住協定が締結された後、わが国は引き続きブラジル、パラグァイ両国との間に、それぞれ移住協定締結の交渉を続けてきた。ブラジルについては最近順調に予備交渉が進捗しており、またパラグァイについても同国に対する河川用船舶建造の借款供与との見合いで、三十年間八万五千人の移住に関する協定が近く成立の見込みである。

パラグァイの造船計画と邦人移住問題との関連については、前号にも記したが、当初パラグァイ政府は、航洋船五隻、河船等三隻、浮ドック一基をわが国で建造するための資金として約一、二〇〇万ドルの借款をわが国から得られるならば、向う三十年間にわたり年間五千人計十五万人の邦人移住者を受入れるという意向を有していた。これに対し、わが国は調査団を派遣して検討した結果、当初の計画から航洋船五隻を除外し、河川用貨物船五隻ほか二隻の建造に対し、十三億四千万円の借款を日本輸出入銀行からパラグァイ政府に対し供与することとした。当初考えられていた。十五万人が八万五千人となつたのは、この借款供与額の減額の結果によるものである。

なお以前から、カンボディア、ラオス、パキスタン、イラン等の諸国より日本人農業移住者を受入れたいという要望があつた。右についてはすでにわが国から何回か調査団を派遣し、あらゆる角度から検討を続けているが、これらの諸国に対して通常の農業移住者を家族単位で大量に送り出すことには種々の問題があり、困難の模様である。先方の要望は、いずれもわが国農業の優れた技術を導入することを狙いとするものであるから、わが国としては当面経済協力または技術協力の形式をとることとし、これに伴つて少数の農業、工業、もしくは漁業関係者を移住せしめることを考慮している。

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相互理解の増進

要人の訪日

昨年中にわが国を訪れた外国要人は左のとおりである。

アジア地域

(1) スカルノ・インドネシア大統領(一月二十九日-二月十五日)

(2) ラーマン・マラヤ連邦首相夫妻(五月二十一日-二十七日)

(3) プラサド・インド大統領(九月二十六日-十月四日)

(4) ガルシア・フイリピン大統領夫妻(十二月一日-六日)

これらはいずれもわが国の国賓として迎えられ、本邦滞在中に天皇陛下と会見し、岸総理大臣、藤山外務大臣などと懇談した後、産業、社会、文化施設等を見学した。

これら要人の来訪は、わが国とこれら諸国との友好親善関係を一層緊密化するものとして、大きな意義を有するものであつた。

米  国

(1) W・ウィリアムス商務次官は大阪国際見本市視察のため米国通商使節団を率いて三月十九日来日し、四月十五日まで本邦に滞在した。

(2) N・H・マケルロイ国防長官は極東、中近東の視察旅行の途次十月四日来日し、総理大臣、外務大臣、防衛庁長官に表敬、防衛問題に関し政府要人と会談した後、十月十三日台北向け離日した。

(3) R・B・アンダーソン財務長官はニューデリーにおけるIMF総会に出席の帰途、十月二十五日佐藤大蔵大臣の招請により来日し、総理、大蔵、外務各大臣と会談した後十月三十一日帰国した。

(4) J・W・フルブライト上院議員はIMF総会出席の帰途十一月二日来日、フルブライト計画につき政府要人と会談した他、関西地方を視察して十一月十五日帰国した。

英連邦諸国

(1) 豪州議員団(デヴィドソン郵政大臣を団長とし、上院議員二名、下院議員四名、秘書一名より成る)は、一月二十三日着京、衆参両院、政府その他の要人と会談の後東京、関西において政治、経済、教育、文化各施設を視察し、十日間の日程をおえて、二月二日東京で解散した。団長はその後郵政大臣の資格でさらに四日間滞在し、その間、田中郵政大臣と会談したが、その結果、後に日豪間直通電話および直通テレックス業務が開設されるに至つた。

(2) グベデマ・ガーナ蔵相は、九月中旬モントリオールにおける英連邦蔵相会議に出席した後、九月三十日本邦に立ち寄り、十月四日まで滞在した。この滞在は、わが国側の招待によるものではなかつたが、ガーナ政府要人の最初の訪日でもあり、政府は、会談、視察などのため全面的に便宜を与えた。同大臣もこれを多とし、非常に満足して離日した。

(3) ボンナム・カーター英自由党副党首は、台湾より米国へおもむく途次十一月十一日訪日し、同十五日まで滞在した。この訪問もわが国の招待によるものではなかつたが、同副党首の英国における地位にかんがみ、政府は、同氏の関西旅行の経費等を支弁するなど全面的に便宜をはかつた。同副党首は国会において日本側婦人議員とも会談し、成果をあげて離日した。

(4) D・M・フレミング加大蔵大臣はIMF総会出席の帰途、外務省の招客として十一月六日来日した。同大臣は滞日中天皇陛下に謁見を賜つた他、総理、外務、大蔵、通産各大臣と会見し、また関西方面経済事情の視察を行つて十一月十一日帰国した。

西欧諸国

政府は、昨年十月二十五日から三十一日まで、ドイツ連邦共和国副首相兼経済相ルートヴィヒ・エアハルト博士を政府賓客としてわが国に招待し、ついで本年一月八日から十七日にわたりオーストリア首相ユリウス・ラープ博士を国賓として招待して、両国との友好関係の緊密化をはかつた。またフランスからは、昨年四月十二日から二十日まで上院議長ガストン・モネルヴィル氏が、また十二月八日から十四日まで国務相アンドレ・マルロー氏が、それぞれ来日し、わが国各界の要人と交歓をとげた。

中近東諸国

(1) メンデレス・トルコ首相

アドナン・メンデレス・トルコ首相は、四月二十一日より二十五日までの間国賓として来日した。その間、同首相は天皇陛下に謁見し、またゾルル外相を伴つて数次にわたり岸総理大臣および藤山外務大臣と会談し、両国が共通に関心を有する事項について率直な意見の交換を行つた。

(2) イラン国皇帝

モハマッド・レザー・パハラヴィー・イラン国皇帝陛下は、五月十九日随員十名と共に来日し、六月一日まで滞在された。その間皇帝陛下は、天皇、皇后両陛下に謁見を賜わり、岸総理と会見、また京浜、中京、関西等各地を視察された。

(3) その他

以上の他、マリキヤール・アフガニスタン蔵相、エプテハージ、イラン計画庁長官、ハスーナ・アラブ連盟事務総長等多数が、政府の招請により来日した。

文化の交流

政治面経済面などの対外諸政策が真にその成策を収めるためには文化交流の振興が不可欠の基盤をなすものであることはいうまでもなく、各国とも多額の予算と充実した政府の組識をもつて国際文化交流事業に活発な活動を行つている。

わが国の対外文化交流体制は予算的にも機構的にも欧米諸国に比してかなり隔つているが、政府は、各国との文化協定の締結に努めるとともに、民間の熱意と自発的な推進力を尊重しつゝ、最近世界各地で高まつているわが国に対する関心に応えて、各種の国際的文化交流事業のあつせんを行い、また、適当な企画や催物等に対してできる限りの支援を与えている。その件数も近年激増し、その分野も留学生の招致ならびに派遣、学者文化人の交流、国際的な展示会、展覧会、音楽会、演芸会あるいは国際映画祭等の各種催物、各種図書資料等の交換、日本語教授、スポーツ交歓、学術調査および探険隊の派遣など多岐にわたつており、また交流の相手国も、欧米のみならずアジア、アフリカ等多彩を極めている。

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