六 戦犯の釈放と抑留邦人送還の努力

1 戦犯問題の概況

サンフランシスコ平和条約発効当時一、二四四名を数えていた戦犯も、政府の各関係国政府に対する減刑ならびに釈放要請の結果、英、仏、フィリピン、中国、オランダおよびオーストラリア関係戦犯ならびにA級戦犯者全員が釈放あるいは仮出所を許可され(第一号一五七頁参照)、昭和三十二年末で巣鴨刑務所に服役中の者は、米国関係BC級戦犯四五名のみとなつた。

A級戦犯については、平和条約発効当時終身刑十三名が巣鴨にいたが、逐次仮出所を許可され、昭和三十一年三月末で全員仮出所の実現をみるにいたつた。(十三名中一名は在所中死亡したため十二名が仮出所し、その後二名死亡現在仮出所中の者は十名である。)

BC級戦犯については、中国関係が昭和二十八年八月日華条約発効により全員釈放されたのをはじめ、フランス関係は同年六月および昭和二十九年四月の二回にわたり釈放された結果全員釈放、フィリピン関係は昭和二十八年七月および十二月両度の大統領特赦により全員釈放されるにいたり、またオランダ関係は昭和三十一年八月在所者全員に仮出所が許可され、さらに英国関係は昭和三十二年一月およびオーストラリア関係は同年六月末にそれぞれ全員釈放の許可があつた。

残りの米国関係戦犯についても、政府はかねてから米国務省、国防省および議会方面等に早期仮出所および戦犯問題の全面的解決につき要請し、昭和三十二年中には三十八名の仮出所が許可され、目下巣鴨刑務所に在所中の者は四十五名となつている。

この仮出所者数の月別内訳は左のとおりである。

一 月    四        七 月    四

二 月    二        八 月    〇

三 月    四        九 月    三

四 月    三        十 月    七

五 月    四        十一月    四

六 月    三        十二月    〇

                 計    三八

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2 戦犯釈放促進のための調査会の設置

米国関係BC級戦犯の早期釈放については、昭和三十二年六月岸総理ワシントン訪問のさい、ダレス国務長官との間に原則的な討議が行われた。そのごこれに基いて在京米国大使館との間に交渉を続けた結果、米国政府から、これら戦犯の裁判記録を提供越すことになり、日本政府で新たに設置する調査会をして、この裁判記録を含めて戦犯関係のすべての事案を勘案させ、その結果に基き、米国政府に対し、これら戦犯の赦免および仮出所に関しさらに適当な申入れを行うとの諒解に達した。

そこでこの調査会の設置を昭和三十二年十二月十三日の閣議にかけ、その決定により、同日外務省に設置された。

この調査会の委員は次の三名である。

中央更生保護審査会委員  木内良胤

法務省保護局長      福原忠男

巣鴨刑務所長       須田寿雄

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3 在ソ抑留邦人の引揚げ問題

昭和三十一年十二月、日ソ共同宣言発効とともに、ソ連側のいう服役者名簿記載者は同宣言第五項に基き釈放され、けつきょく昭和三十年八月から三十一年十二月まで入回にわたり累計一、三〇八名が送還され、名簿記載者で未帰還のものは五六名となつた。わが方の調査によればその内訳は、(イ)朝鮮人、中国人等で残留したもの二一名、(ロ)死亡資料のあるもの一三名、(ハ)入院患者一名、(ニ)残留希望者その他理由不明のもの二一名となつている(入院患者は昭和三十二年七月、樺太経由送還され、また死亡資料のあるもの一三名に対しては、昭和三十三年一月六日ソ連側より死亡の確認があつた)。

また昭和三十二年三月十六日に、在京テヴォシャン大使から通告のあつた、(イ)無国籍の取扱いを受けている邦人七九三名、(ロ)そのうち帰国を希望するもの二二五名、ならびにその家族である朝鮮人一四六名の入国に関しては、ソ連側が集結の準備がととのわないとの理由で遷延をかさねたが、けつきよく左に掲げる四回に亘つて樺太真岡(ホルムスク)へ配船された邦船によつて総数一、六一九名(内訳邦人五八○名、朝鮮人一、〇三九名)の引取りを行つた。

なおソ連側から昭和三十二年十二月二十五日に帰国者リスト一、一二二名ならびに前記三月十六日テヴォシャン大使より通報のあつた調査結果判明の(イ)死亡者八九五名、(ロ)帰国済み一三九名のリストの提供があつた。

この一、一二二名のうち前記第十四、第十五両次の二回で引取つた者は一、○〇六名(邦人、朝鮮人とも)で、残留者は一一六名となるが、その多くは希望残留、死亡者等と推定されている。ただしソ連側の帰国希望者リストに記載されていないが、在ソ大使館へ帰国の嘆願書を出しているもので未帰還のものは約一六〇名あり、これらのものは大部分朝鮮人と結婚して、朝鮮人の取扱いを受けているか、あるいは正式に朝鮮ないしソ連の国籍を取得しているものと認められる。

またテヴォシャン大使通報の調査結果について、政府資料と照合、検討の結果左の通り判明した。

(一) 死亡者リスト八九五名中

(イ) 日本側で死亡を確認しているもの        二九四名

(ロ) 未確認のもの                 五七七名

(ハ) 調査を要するもの                二四名

(二) 帰還済み一三九名中

(イ) 帰還者                    三名

(ロ) 死亡を確認しているもの           四五名

(ハ) 未帰還のもの                九一名

ソ連側は、日本人で帰国を希望するものに対しては帰国を阻止しない旨をしばしば言明しているにもかかわらず、本人の意志に反して今日まで残留を余義なくされているものの存するのは、手続上の関係や、国際結婚等の家庭の事情によるものと想像されるが、在ソ大使館では、在留邦人に対し調査票の記入を求めて調査を進めているから、実体が明かにされるとともに適切な措置を講ずるよう準備中である。また状況不明者に関する調査についても、ソ連側の通報はごく一部に限られており、かつ死亡者についても場所、死亡状況等の通報がないので、さらに完全な資料提供の促進方を申入れている。

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4 中共地区の抑留邦人の送還および行方不明者消息調査の問題

現在、中共地区には抑留者(いわゆる戦犯)三八名(このうち八名近く帰国見込み)および、中国人の妻となつた者等の一般残留邦人約七千名があるほか、三五、七六七名の消息不明者がかぞえられている(第一号一六〇頁参照)。これら消息不明の邦人に関しては、留守家族に対する政府の人道的責任に基き、これらの人々の生死の別、および生存者の帰国の意思の有無を明らかにする必要があるので、昨年五月、在ジュネーヴ総領事を通じ、この調査方を中共側に依頼ずみである。政府としては、日赤を通じて個別の照会を行う方法をも含め、こんごとも中共側の協力にまち、極力解決方努力したい所存である。

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