四 核実験禁止問題
政府は三月九日および四月十五日の二回にわたり、ソ連政府に対し、人道的立場から核兵器実験を即時自発的に中止するよう要請したが、八月二十七日ソ連のタス通信はソ連がまたまた核および熱核兵器の実験を行つた旨を発表した。この種の実験が繰返えされることにより、わが国民のみならず、人類一般に及ぼす被害の甚大なるべきはいうまでもなく、しかも、ソ連は無警告でこれを行つている事実は無視しえない。そこで政府は九月二日在ソ門脇大使をしてソ連政府にこの種実験の即時中止を重ねて要請する抗議を申入れしめた。これに対し、先方は他の諸国が実験を継続している以上、ソ連のみ一方的に中止できないという従来の弁明を繰返すのみで、十月三日ソ連外務省は在ソ大使館あて口上書をもつてこの趣旨の回答を寄せてきた。
さらに十月七日、ソ連のタス通信は、同月六日再び強力な水爆装置の実験を行つた旨を発表したので、同十一日在ソ門脇大使を通じて、ソ連が人道的考慮に基き、一大英断をもつて率先この種実験の中止を中外に宣明するよう、文書をもつて申入れた。これに対し十月十四日ソ連外務省発在ソ大使館あて口上書をもつて、ソ連の立場は、前述の十月三日付口上書にのべられている旨の回答を寄せてきた。
なお、十二月五日、在日ソ連大使館は外務省あての口上書をもつて、核実験停止問題についてのソ連政府の見解を送付してきたが、それは、なんら新しい内容をもつものでなく、国連総会等でしばしば繰返されたソ連の主張を盛つたものであつた。
米国政府は、すでに昭和二十九年、三十一年の春太平洋において、また三十二年の夏にはネヴァダ州において核爆発実験を行い、日本政府はそのつど実験の中止を要望する旨の申入れを行つて来ている(第一号一三六-一三九頁参照)。ところが昭和三十二年九月十五日、米国政府は三十三年四月から再びエニウェトック水域で核爆発実験を行う予定である旨を発表した。これに対し、日本政府は直ちに九月十七日在京米大使館を通じて、この実験地域は日本の商船漁船の航路に近接していることにかんがみ、日本政府は重大な関心を有すること、および核実験の継続によつて世界の放射能の量が危険な水準にまで増大しないとの確実な保証のない現在、すべての核実験は中止されるべきであり、米国が予定された実験を中止するよう要請する旨の申入れを行つた。
これに対し、米国政府は、十月七日在京米大使館を通じて、核実験に対する同国政府の立場は、岸首相から米英ソ首脳に送られた国連軍縮委員会における日本の核実験停止案の支持を求めた九月二十四日付親書に対する十月一日付のアイゼンハワー大統領の返簡(特集三、四五頁参照)のなかにすでに明らかにされている旨を回答して来た。
英国政府は十月二十六日国連に対し、今冬クリスマス島付近において核実験を実施する旨を通告した。
これに対し十月三十日日本政府は在英西大使を通じ、英国政府に対し、日本政府は核実験の有害な影響を深く憂慮し、人道的考慮にもとづき実験を中止するよう本年初からたびたび申入れ、また、藤山外相訪英のさいにもこれを要請したが、今回英政府が実験実施を決定したことは遺憾であるとして、その中止方を申入れた。
十一月一日、英外務省は十一月三日以後クリスマス島周辺が危険区域になる旨通告し、この区域内における人命、財産に対する安全確保のため予防措置は十分講ずるが、この区域外の危険は予想されない旨を発表した。
十一月八日、英国政府はわが方の実験中止要請に対し回答を寄せ、八月二十九日の英、米、仏、加提案の線に沿つた軍縮に関する第一段階の国際協定の一部としての核実験の停止には同意するが、この協定が成立するまでの間は、自由諸国の利益のため実験実施の自由を保留する故、日本政府の要請に応じられないこと、およびすべての実験はバミューダ会談の宣言においてのべられたとおり、世界の放射能の量を危険な水準以内の極小部分を超えない程度にとどめるような方法でのみ行われることを明らかにした。
同時にわが方は英国政府に対し、核実験に関連してわが国民の生命財産がこうむるべき損害に対する補償要求の権利を留保する旨を通告したが、二十一日英国政府は、補償要求が提出されれば、注意深く検討するが、これに対する英政府の態度は個々の場合によつて定まるものであり、故意に危険区域に立入つたものはなんら補償要求は出来ない旨の回答を寄せた。
十一月八日に核兵器実験が七日に実施された旨の発表が行われたが、実験は一回で終了し、十一月十九日に危険区域が解除された旨二十六日発表された。