二 わが国と各地域との間の諸問題
アジア関係 |
東南アジアの諸国を主たる対象とするわが国の経済協力は、この地域の経済的繁栄が、わが国の政治的、経済的安定に欠くことのできない要件をなす関係にある。他方東南アジア諸国は、産業の近代化に必要な経済の基盤が確立していない上に、開発に要する資本と技術が不足し、そのため経済開発が阻まれており、これら諸国は外国の援助ないし協力を求めている。このような事情の下に、わが国としては、国の財政が許す限りにおいて技術協力を中核とする経済協力に力を注ぎ、また賠償関係国に対する賠償協定の実施に当つても、わが国の賠償ができるだけそれらの国の経済的発展に直接貢献する方向に向けられるよう配慮を行つている。
しかし、わが国力からみて国の財政による対外経済援助には限度があるので、当分の間は、民間企業のこれら諸国との提携について、相互の利益のために最も好ましい形で、その成果を挙げうるよう側面から支援を与え、かつ、協力を行う方針をとつている。
昨年四月実施された日本輸出入銀行法の改正による融資条件の緩和、および輸出保険法の改正による海外投資保険制度の拡充は、いずれも民間企業の海外との提携促進に幾分なりとも寄与することを目的として行われたものである。
技術協力については、わが国は、引き続きコロンボ計画をはじめ、米ICA技術援助計画、並びに、国連およびその専門機関による技術援助計画に積極的に協力し、これらにより、わが国に受入れられる研修生の数は、年々増加を示し、ほとんど例外なく所期の成果を収めている。なかんずくコロンボ計画(第一号二四頁参照)に基く技術援助においては、わが国の同計画加盟いらいすでに満三年を経、昨年末までに各国に派遣された技術者、専門家の数は九五名、わが国に受入れられた研修生の数は一一五名に達し、いずれも内外におけるその効果が具体的に認められるようになつた。
発足当初コロンボ計画は、とかく、英連邦諸国に重点を置く印象を持たれていたが、その後、域内非英連邦諸国が、次第に加盟し、積極的にこの計画に基く援助を求めるようになつてきているものと観察される。
一方わが国の進歩せる技術水準が、次第に諸国の認識するところとなるにつれて、コロンボ計画に基く援助の要請は、その件数が増加しているばかりでなく、要請分野も農水産、土木建設からアイソトープの応用部門に至るまで、極めて多様化を示しており、限られた僅かな関係予算の範囲で、いかにして各国の要請に応ずるかが、最も苦心の存するところである。
一九五七年末までのコロンボ計画、ICA、国連等の諸計画を通ずる技術協力の実績は次のとおりである。
技術についで資本の不足もまた、東南アジア諸国にとり、いぜん深刻な悩みとなつておりながら、外資の受入条件が著しく不利なアジア地域においては、国際復興開発銀行、国際金融公社等の投融資も必ずしも円滑に行われず、また国連のSUNFEDもいつ発足するか見通しもつかないという事情のため、さきにわが国が提唱したアジア経済開発基金の構想がようやく各国の関心をひく傾向を示してきた。わが国としては、今後もこの構想の実現のために根気よく各国によびかけるとともに、関係諸国の積極的参加を得て、当初の構想を全面的に実施に移し得る段階にいたるまで、わが国独自の立場から、小規模ながら資本協力を実施に移すようにしたい。そこで政府では取あえず、国際的なアジア経済開発基金が出来たときには、これに対する出資に充て、これが出来るまでの間は、将来これに振替え得るような国際協力による投資の財源に充てるための基金を、日本輸出入銀行に設置することとなり、そのため同行に対し五十億円を出資することとなつた。
わが国に対する賠償請求権を放棄したカンボディアに対しては、すでに十五億円を限度とし、役務および資材による経済技術援助を三年間にわたり供与するとの方針により、経済技術協力協定の締結のため交渉を進めている。同じく賠償請求権を放棄したラオスに対しても、経済援助実施の方針を決定し、昨年末より本年初めにかけて先方の希望する上下水道および橋梁建設に関する技術調査団を派遣するなど、いずれもその早期実施のため努力をつづけている。
一九五七年度コロンボ計画協議委員会会議は、昨年九月三十日から十月二十四日まで、ヴィエトナム共和国の首都サイゴンにおいて開かれ、過去一年間におけるこの地域の経済開発に関する諸問題を討議し、報告書を採択した。
わが国からは石井副総理が代表として出席し、この地域の経済開発に関するわが政府の所信を明らかにするとともに親しく各国代表と東南アジアの開発につき意見を交換した。
わが国民間企業の東南アジアに対する経済協力は、合弁事業、事業提携および技術協力の三つの協力形態によつて進められており(第一号二五頁参照)目下実施中のこれら各形態別経済協力件数は、いずれも漸増の傾向をたどつている。また、わが国民間企業が東南アジア各国の提携相手と話合いを行い、近く実現の見込みにある協力案件もかなりの数にのぼつている。
目下相手国側と折衝中の経済協力案件のなかで、重要なものの一例をあげれば、日印共同によるインドのルールケラ地区鉄鉱山開発計画がある。この計画は、わが国が同鉱山の開発に協力し、年間生産予定鉱量五百万トンのうち年間二百万トンをいわゆるべース・オアとしてわが国に輸入しようとするものである。
本計画に協力の手初めとして、わが国鉄鋼業界の代表等からなる調査団は、政府の全面的支持の下に、昨年十二月から現地調査に着手した。この計画の特徴は、開発所要資金約五千万米ドルのうち、約二千二百万ドルを米国の「アジア経済開発のための大統領基金」からの融資に期待する点にあり、わが国と東南アジアの経済協力のなかに他の第三国の援助が加わる最初のケースとして注目されるものである。この計画でわが国がインドに対して行う協力としては、約八百万米ドル相当額の鉱石輸送用機関車などを長期繰延払いの条件で供給することが予定されているほか、鉱山の開発鉱石輸送線の新設、鉱石積出港湾設備の拡充などの分野において、わが国技術陣の貢献する面が多岐にわたることが予想される。
このほか、タイ国の要請により、同国南西部海岸寄りのタルタウ島に、日・タイ合弁で遠海漁業のための漁港を建設せんとする計画が進められているが、わが国専門家による実地調査の結果、年間延隻数五百隻以上の本邦中型まぐろ船および二百隻以上の底曳船を収容するに足る理想的な港湾建設の可能性のあることが判明した。この計画の利点は、わが国にとつては、漁場の狭隘化傾向にある中、小型漁船がその打開をはかり得る点にあり、他方、タイ側から見れば、食糧その他の漁業用諸物資が供給できるほか、まぐろ漁業に不可欠な餌魚を供給するタイ人沿岸漁業者の助成と、現在タイ国にはない深海漁業に対する機運の助長、および漁業基地に多数の労務者を吸収できるとともに、同島における森林等未開発資源の開発および各種工場等建設の可能性を生むことが期待でき、同国経済の発展に寄与する面が少くない。
なお、わが国の民間企業が、現に東南アジアにおいて実施中の主な経済協力の内訳は大要左の通りである(三二年十二月現在)。
合弁事業(計二九件) タイ鉱業二、貿易二、インド漁業一、工業三、パキスタン 金融業一、セイロン 漁業一、工業二、貿易一、台湾 工業四、インドネシア 金融業一、マライ 鉱業三、ラオス 貿易一、香港 漁業二、貿易一、倉庫業一、船舶仲介業一、ヒルマ 漁業一、貿易一
事業提携(計八件) フィリピン 鉱業三、森林業一、マラヤ 鉱業一、インドネシア 金融業二、ポルトガル領ゴア 鉱業一
技術協力(計六〇件) タイ 建設工事一、インド 工業一七、鉱業二、セイロン 工業、台湾 漁業一、工業一七、インドネシア 工業一、マラヤ 鉱業一、シンガポール 漁業三、沈船引揚一、ヴィエトナム 漁業二、工業一、建設工事一・香港漁業一、鉱業一、フィリピン 鉱業三、工業一、建設工事一、ビルマ 漁業二、建設工事二
賠償実施の基本的な考え方は、要するに、賠償の履行はわが国の義務ではあるが、これを単に消極的な義務の履行に終らせず、求償国の経済の回復から進んでその発展に積極的に寄与し、ひいてはわが国との貿易その他経済関係の緊密化に資するように配意するということである。(第一号二九頁参照)
ビルマおよびフィリピンに対する賠償の実施は、この考え方に対する彼我双方の理解の基礎の上に、今日まで進められて来ており、また最近妥結を見たインドネシアとの賠償協定、ならびにやがて妥結を見ることが予想されているヴィエトナムとの賠償協定のそれぞれの実施についても同様のことがいえる。このような考え方が好ましい成果を生みつつあることが、すでに二年半の実施の実績を有するビルマに対する賠償においてとくに、後述の通り現実に立証されるにいたつている。
ビルマおよびフィリピンに対する賠償およびこれに伴う経済協力の概要
ビ ル マ
まず実施状況についてみるとビルマ賠償は、昭和三十一年一月からその調達が開始され、第二年度末(昭和三十一年四月より昭和三十二年九月末)までの賠償契約認証額は、一七三億円に達し、昭和三十二年十月一日から始まつた賠償第三年度では、昭和三十二年十二月末現在で約四五億円の契約が認証された。
以上により賠償実施開始いらい昨年末までの認証総額は約二一八億円となり、この契約に基く実際の支払総額は昨年末で約一六五億円(四、六〇〇万ドル強)に達した。前記成約高を品目別に見ると、鋼材(構造材、GIシート、パイプ、レール等)四七億円、鉄道車輌二五億円、重電機械二八億円、自動車二四億円、舟艇一六億円、中小プラント類二二億円、電気器具材料等二一億円、消費財軽機械(ミシン、自転車、ポンプ等)一一億円、建設機械九億円、建設資材(セメント、煉瓦、パイプ、銅版その他)三億円、役務供与一二億円となつている。
以上のような賠償供与物資のビルマにおける反響を見ると、鉄道車輌、自動車、電気器具、自転車、ミシン、軽機械類等は、ビルマ大衆の生活にも深い関係を有しているために、予想以上の好評を博し、ビルマ経済の進展に著しい貢献をし、かつ、わが国商品の新しい輸出市場の礎石が逐次育成されつつあるということができる。ビルマは最近における外貨不足により自動車、家内工業用軽機械類は通常貿易による輸入が困難なために、このような物資の賠償による供与は、ビルマ経済において特に顕著な重要性を有している。電気器具、自転車、ミシン等は、従来ビルマに対しては未進出であつたが、在来の英国製品よりはるかに安価で、性能、デザイン等も遜色なく、非常な歓迎を受けている。なお、これらの物資についてのクレームも、現在までのところほとんど見られない。しかし今後さらに、価格、修理、アフターケアー等の面において検討を要する余地があるといえよう。
経済協力については、一昨年末、ビルマ工業大臣を長とする使節団来日により、(イ)出資割合をビルマ九、日本一に引下げ、(ロ)その代り機械設備等による日本よりの長期延払輸出を認めるという趣旨の原則的了解が成立した(第一号三一頁参照)。現在この線に沿つて綿紡績関係の合弁事業設立計画が進められ、このほかに鉄鉱石およびアンチモニーの開発計画等も目下その交渉が進行中である。
フィリピン
フィリピン賠償の初年度計画は、一昨年十一月三十日に両政府間で決定され、十二月一日第一回の入札が行われて、賠償ミッションによる調達業務が開始された。第一年度(昭和三十二年七月二十二日まで)における契約認証総額は、約八五億円に達し、その支払は五四億七千九百万円であつた。昨年六月二十九日、フィリピン側が提出してきた第二賠償年度実施計画案は、年間支払財源九十億円に比し過大な内容であつたので、フィリピン側と折衝の結果、第二年度実施計画の合意に到達するまで、暫定的にフィリピン側が緊急に調達を必要とする物資、役務については、個別的に第二年度実施計画の一部とも合意するといういわゆるピース・ミール方式をとることとし、第二年度のうち昨年十二月末まで、この方式のもとに認証された契約額は約五〇億円となつている。
ミッションが一昨年第一回の入札開始いらい、昨年末までの入札合計は、五十六回に達し、その認証総額は、二八一件約一三六億となつている。その内訳は、機械類八二億円(このうち船舶一三隻、三三億円)、鉄鋼三五億円、セメント八億円、送電線材料五億円、消費材四億円である。以上のほかに契約認証を要しないものとして、沈船引揚約二三億円、ミッション経費九千万円が支払われた。
なお経済協力については、昨年六月末フィリピン銀行団が来日して日本輸出入銀行と協議した結果、日本業者のフィリピン側業者に対する延払輸出の条件についての原則的了解が成立した。しかし日本からの経済協力を受け入れるべき産業分野についてのフィリピン政府側の指定がおくれているため、具体的な経済協力案件として実現したものはまだない。
インドネシア
これまでのいきさつ
インドネシアに対する賠償問題は、一九五一年末に第一次交渉が行われていらいしばしば話し合いが行われたが、合意に達せず、一九五三年十二月調印された六百五十万ドル、六十隻の沈船引揚に関する中間賠償協定も、インドネシア側が批准しないため、未発効状態にとどまつた。(詳細は第一号三四-三五頁参照)
しかしその後この問題が未解決状態のまま数年を経過する間に、対ビルマ、対フィリピン賠償問題の解決をみるにおよび、インドネシア賠償も速かに解決しようとする機運が、日・イ両国に高まつて来た。とくに一九五七年四月ジュアンダ内閣が成立していらい交渉は活発となり、七月両国首相間に交渉促進についての書簡が交換され、九月には東南アジア移動大使小林中氏が現地に派遣され、十月にはハッタ・インドネシア元副大統領が来日し、これ等の機会において両国当局間に賠償問題解決のための交渉が進められた。かくて、両者の見解は従来に比しいちじるしく接近をみたものの、賠償額、およびこれに関連し約一億七千七百万ドルにのぼるわが国の対インドネシア貿易債権の取扱い等の基本問題について、完全な合意をみるにはいたらなかつた。
平和条約、賠償協定の締結
ところが一九五七年十一月、岸総理が第二次東南アジア諸国訪問旅行を行つたさい、同二十七日ジャカルタにおいて、スカルノ大統領と会談を行い、賠償問題についても話合つたが、そのさい、従来の交渉の結果をさらに歩みよらせ、「インドネシアの日本に対する貿易債務は棒引とし、賠償を二億二千三百万米ドル相当額とする」との基本原則に合意をみた。
この合意を基礎として、わが国が賠償交渉の政府代表としてジャカルタに派遣した小林中氏は、ジュアンダ・インドネシア首相との間に賠償協定、ならびに賠償問題の解決に伴い両国間に正常国交関係を樹立すべき平和条約案の大綱について協議をとげ、その後両国政府当局の間でこれら案文の作成準備が進められた。やがてさる一月二十日にいたり、日本側全権委員藤山外務大臣、インドネシア側全権委員スバンドリオ外相との間に、左記の諸文書の調印をみた。
これ等諸協定のうち主なものの要旨は次のとおりである。
平和条約 (イ) 両国間の戦争状態は平和条約発効の日に終了し、両国間には永久の平和・友好関係が存在する。(第一、二条)
(ロ) 両国は両国間の経済関係を緊密化するため、貿易、海運、航空関係の条約締結交渉を速かに開始するものとし、これらの条約が締結されるまでの間、相互に第三国に与える待遇と無差別の待遇を与える。(第三条)
(ハ) インドネシアは、その管轄内にある日本国および日本国民の財産を処分する権利をもつ。ただし外交、宗教、慈善関係等一部のものは除く。(第四条)
(ニ)インドネシアは、別に定める場合を除いて、戦争から生じた日本に対する請求権を放棄し、日本は、戦争から生じたインドネシアに対する請求権を放棄する。(第四、五条)
賠償協定 (イ) 日本は、二億二千三百万ドルに等しい円の価値を有する日本の生産物および役務を、十二年間に賠償としてインドネシアに供与する。(第一条)
(ロ) 供与される生産物は資本財とし、両政府の合意によりそれ以外のものをも含ましめることができる。賠償は、両国間の通常の貿易を阻害しないように、かつ日本に外国為替上の負担を課さないように行われる。(第二条)
(ハ) 両政府は、各年度に供与される生産物および役務を定める実施計画を協議により定める。(第三条)
(ニ) インドネシア賠償使節団は日本人業者と直接に契約を締結し、この契約は、日本政府がこれを認証する。(第四条)
経済開発借款交換公文 (イ) 日本国民は、四億ドルに等しい円の借款を、商業上の基礎により、インドネシア政府または国民に対して行う。
(ロ) 両政府は、借款の提供を促進する。
請求権処理議定書
両国間の旧清算勘定その他の綜合差引残高として日本がインドネシアに対し有する請求権の額は、一七六、九一三、九五八・四一ドルとし、日本は右金額の請求権を放棄する。
なお、本条約の発効後、両国間の貿易その他経済活動を、速かに、できるだけ活発に行われるようにすることは、この交渉においてわが方がとくに眼目とした点であるが、これに関しては前記のように平和条約第三条に無差別待遇保障規定がおかれたほか、とくに別途議事録をもつて、この無差別待遇が、入国、滞在、居住、事業および職業活動に関して、相手国の国民および船舶に与えられる無差別待遇を含む旨の合意が確認されている。
これら諸協定はいずれも両国政府の批准をうけて発効することとなつているが、両国ともすみやかに批准を行うための措置をとつているので、遠からず発効の運びとなると予想される。かくて、一九五一年いらい懸案となつていた対インドネシア正常国交樹立および賠償問題は解決を見、日本とインドネシアは、もはや戦争状態のあとを払拭して、同じアジアの平和愛好国たる隣人としての協力関係に入ることとなつた。
ヴィエトナム
これまでのいきささつ
旧仏領インドシナ三国のうち、カンボディアは一九五四年十一月二十七日に、またラオスは一九五六年十二月十九日に、わが方に対し、それぞれ両国の対日賠償請求権を放棄する意図を明かにした。しかしヴィエトナムは、戦争期間中戦闘行為または食糧の欠乏により相当数の死傷者を出したほか、工場、住宅の破壊、物資の無対価徴発等による損害を蒙っている。同国は、一九五一年のサンフランシスコ対日平和会議に参加対日平和条約に調印したが、右会議のさいも日本からの賠償を期待している旨を明かにし、爾後同条約第十四条(a)Iの規定によりわが方に賠償を請求し来り、しばしば話し合いを続けて来た。その間一九五三年九月沈船引揚に関する中間賠償協定(金額二百二十五万ドル)が仮調印されたが、ヴィエトナム側はその後これをご破算とし、一九五六年一月、あらためて二億五千万ドルという巨額の要求を提出してきた。わが方はかかるヴィエトナム側の態度に対し、暫く静観した後、同年八月同国が経済開発計画の一端として考慮しているダニム発電所建設計画(約三千万ドル)の実現を援助するため、その一部を賠償として日本国民の役務および資本財で支払い、他を経済協力とする案を提示したところ、ヴィエトナム側はいぜん自案を固執して当方提案を拒否した。(詳細は第一号三六頁以下参照)
最近の発展
かように日本とヴィエトナムの間の立場は、従来かなり大きい開きがあつたのであるが、わが方としては引続き誠意をもつて賠償問題の早期解決をはかる方針をすてず、前記のような交渉の停滞後も政府は昨年九、十月、および十二月の二回にわたり経済団体連合会副会長植村甲午郎氏をサイゴンに特派し、トー副大統領ほかヴィエトナム政府首脳部と交渉を行わしめた。右交渉におけるわが方の案は、同年八月末提示した案にともないダニム発電所計画(約三千万ドル)の建設を、一部賠償、一部を経済協力によつて援助することを中心とするものであるが、これらの交渉の結果ヴィエトナム側においてもある程度当方の立場に接近を見せて来た。しかしなおこれ等の交渉においては合意を見るまでにいたらなかつた。けれども従来に比すれば両国において相互の立場に対する理解ははるかに深まつて来たといい得る。政府としては今後さらに努力を続けて、現在賠償問題として唯一の未解決状態に残ることとなつた。この問題をすみやかに解決し、同国との国交を各方面で伸張せしめるよう努力している。
[注] なお旧仏領インドシナ地域には、昭和十五年九月以降終戦時まで日本軍が駐留し、日本側はこの期間を通じ、インドシナ地域において貿易決済、重要物資買付および軍費調達等のための支払を行う必要を生じたが、その支払方式については、日仏両国政府間の協定により、昭和十八年一月一日までの期間は、金および米ドルで支払を行い、その後の期間については円(特別円)で支払を行うことになつていた。金支払分は全部で約三十三トンに上つていたが、戦時中金の現送が困難であつたためすべて日銀に保管され、一九五〇年に至つて始めてフランス側に引渡され、支払を完了した。但しドル勘定および特別円勘定についてはそれぞれ約四十八万ドルおよび約十三億円(当時の表示額)の未払残高が生じ、これの支払いが、いわゆる「特別円問題」として日仏間の懸案となつていたが、昨年三月、ドル勘定の残高約四十八万ドルはそのまま支払い、特別円勘定の残高については、十五億円を支払うことをもつてフランス側と合意に達した。(第一号三八-四〇頁参照)これらの支払いは、日本側による軍費、諸物資調達のため、日仏両国政府間の協定に基いて仏側から提供されたピアストル貨に対して、日本側が行つたものであるが、本文にのべたヴィエトナムに対する賠償は、前に述べたような戦争損害に対して支払わるべきものである。すなわち前者は、取引上の債務の決済として行われたものであり、後者は戦争損害の補償に資するために行われるものであり、まつたく別個のものである。
抑留者相互釈放および全面会談再開のための交渉の妥結
交渉の経過
一昨年三月いらい在京韓国代表部との間で行われていたこの交渉が、昨年六月十六日の岸総理の訪米出発当日、関係各文書に調印する寸前にまで漕ぎつけたにも拘らず、ついに妥結にいたらなかつた次第は、本書第一号でのべたとおりである。
その後交渉は、韓国側の要請に基き昨年七月末以降再開され、事務折衝が、板垣アジア局長と在京韓国代表部柳泰夏公使との間で、同公使が一時帰国した十月を除き引きつづいて行われて来た。
しかしながら、この交渉にあたつて韓国側が提案して来た取極案文の「辞句的修正」のうちには、単なる辞句の修正に止まらず、案文の実質的修正となる点もあつたため、実質的修正または実質に触れるような修正には応じられないというわが方の基本方針とも対立し、交渉は難航を極めた。藤山外務大臣も十一月下旬には韓国代表部の金祐沢大使と数度会談し、意見の調整をはかつたが、容易に意見の一致をみるにいたらなかつた。
十二月初旬に至り、赤十字国際委員会は、十月末インドのニューデリーで開催された第十九回国際赤十字総会が採択した「家族再会に関する決議」の線にそい、日韓両国政府に対し、日韓抑留者の相互釈放問題について勧告してきたが、韓国政府は、十二月十四日これを正式に拒否した旨伝えられた。
交渉の妥結
十二月二十五日、金大使は本国と打合せのため帰国し、二十八日帰任したが、翌二十九日、藤山外務大臣と同大使の会談が行われた。この会談の結果、大局的見地から日韓両国とも互譲の精神によつて交渉の妥結をはかることに意見が一致したので、わが方は三十日取極案文を審議するため臨時閣議を開催し、その了承をえた。
かくて一昨年三月末いらい開始されたこの交渉は、幾多の迂余曲折を経たが、十二月三十一日午後十一時三十分、藤山外務大臣と在京韓国代表部金祐沢大使との間で、相互釈放および全面会談再開に関する取極文書が調印され、ここ数年らいの懸案であつた抑留者の相互釈放に関する交渉はついに妥結をみた。
取極文書の種類内容は大要次の通りである。
(一) 日本政府は、第二次世界大戦の終了前からわが国に引続き居住している韓人で入国者収容所に収容されているものを釈放し、韓国政府は在韓抑留日本人漁夫を送還し、かつ第二次世界大戦後の韓人不法入国者の送還を受入れる旨の了解覚書。
(二) 日韓全面会談を昭和三十三年三月一日から東京で開催する旨の覚書。
(三) 日本政府は、(イ)久保田発言を撤回し、また(ロ)財産請求権問題については、日韓請求権の解決に関する平和条約第四条の解釈についての米国政府の見解の表明を基礎として、在韓日本財産に対する請求権の主張を撤回することを通告した日本側口上書およびこれの受領を確認する韓国側返簡。
相互釈放実施に関する折衝
本年初頭、大野外務次官と金大使との会談において、抑留者相互釈放に関する了解覚書に基づく釈放、送還を早期に実施の段階に移すための日韓間事務連絡会議を開催することに決定した。よつてわが方から板垣アジア局長を代表とし、法務省、水産庁の関係各省も参加して、韓国代表部柳公使等との間に今日(一月二十八日)まで一月七、十四、二十、二十七、二十八日の五回にわたり右会議を開催し、抑留者名簿の交換、送還のための船舶の手配等の具体的細目について打合せを行つた。
一月二十七日の会議において韓国側より提出されたリストによれば、九二二名の抑留漁夫の帰国が予定されているが、政府としてこれ等漁夫の中には、三年以上の長期にわたつて抑留されている者もあり、本人はもちろんその帰国を一日千秋の思いで待つ留守家族の心情を察し、一刻も早く帰国できるよう韓国側と鋭意折衝中であり、わが方はすでに終戦前から引きつづき日本に在住する韓国人刑余者四七四名のうち一月二十七日現在において二〇五名の国内釈放を了した。
日韓全面会談の再開
前述の通り、全面会談再開に関する覚書により、第四次日韓会談は、本年三月一日から東京で開催されることに決定した。
日韓会談の端緒は、昭和二十六年十二月二十六日から開始された予備会談にまでさかのぼる。当時、わが国としては、連合国軍総司令部のあつせんもあつたが善隣友好の基本的外交方針の手初めとして、地理的、文化的にも最も密接な関係にあり、同じ自由陣営に属する韓国との間に正式な国交を開きたいとの念願から、とくにサンフランシスコ平和条約の発効に先立ちこの会談を開始したものであつた。
それいらいこの方針の下に、日韓全面会談が、昭和二十七年(二月-四月)および昭和二十八年(四月-七月及び十月六日-同月二十一日)の三回にわたり、(1)基本関係樹立問題、(2)財産請求権問題、(3)漁業問題、(4)在日韓人の国籍処遇問題、(5)船舶問題(日韓間船舶所属問題)の五項目を議題として開催された。
しかしながらこの三回にわたる日韓全面会談も、主として財産請求権問題および李ライン問題を含む漁業問題について、双方の意見が対立したため不調に終り、とくに第三回会談は、いわゆる久保田発言を契機として決裂した。
その後わが方は、全面会談再開のため種々の努力を尽して来たが、今回ようやく会談再開の運びとなつたものである。
三月一日から開催される第四次日韓会談は、従来の会談と同じく前記五項目を議題とするが、そのなかには李ライン問題をふくむ漁業問題、財産請求権問題等困難な問題があり、日韓双方とも善隣友好の大局的見地に立つ互譲の精神で円満な解決をはかることが期待される。
日タイ特別円協定に関し、特にこの協定の第二条に規定する経済協力の実施が、両国間に懸案となつている。(詳細は第一号四〇頁参照)
そのご八月二十六日小林東南アジア移動大使がタイ国訪問のさい、渋沢大使とともにナラディップ・タイ国外相を訪問し、この問題の急速解決についての日本側希望を伝え、また九月二十六日渋沢大使は政変後新たに首相に任命されたポット・サラシンを訪問し新内閣によつてこの問題を早期に解決することにつき会談した。
本年に入り一月十七日、渋沢大使はタノム新首相に対し、再度日本政府の本件早急解決希望に関し申入れるとともに、その解決策としてさきに日本側が提案した精油所建設計画につき同首相の研究方を要望した。
ネルー・インド首相は、令嬢インディラ・ガンディー夫人ほか随員四名をともない、昨年十月四日から十三日まで、国賓として日本を訪問した。同首相は、滞日中、天皇、皇后両陛下に拝謁し、岸総理大臣および藤山外務大臣と数回にわたつて懇談するとともに、わが国における産業、文化、社会関係、諸施設の見学および広島、京阪神地方の視察を行い、さらに各種の歓迎行事に出席した。
ネルー首相の離日(十月十三日)にさいしては、岸・ネルー両首相の名で共同コミュニケが発せられたが、同コミュニケ中にうたわれた主な事項は次のとおりである。
(イ) 日印両国間には困難な問題は存在しないことを認め、両国の理解と協力をさらに増進する希望を再確認した。
(ロ) 核実験の停止および軍縮に関する協定を実現させるため協力するよう、日印両国の国連代表部にそれぞれ訓令することに決定した。
(ハ) 通商協定の速かな締結およびその他懸案解決の促進を希望する旨を表明した。
(ニ) インドから日本への鉄鉱石の安定した供給に関する長期的取極め、インドの日本からの資本財輸入に対する金融等につき専門家レベルで協議させることに同意した。
(ホ) インドにおける技術研修センター設置に関し、日本が援助することを申し出で、詳細に関し両国政府間で速やかに協議することとした。
(ヘ) インドの対日資本財輸入に対する円クレディットの供与により日本がインドの第二次五カ年計画の遂行に協力することに原則的に意見が一致した。
(ト) 文化協定に基いて教授、学生、科学者、芸術家の相互訪問の奨励、映画の交換等の可能性につき協議した。
(チ) 岸総理からネルー首相に対し科学、技術、経済、文化に関する書籍の寄贈を申し出で、ネルー首相はこれを受諾した。
ネルー首相の訪日は、さきの岸総理大臣の訪印に応えて行われたもので、両国首脳の交歓により日印間の友好関係は大いに増進され、両首相間の会談に基いて、インドにおける技術研修センターの設置、インド鉄鉱石の開発、対印円クレディットの供与、日印通商協定の締結を始め、在印日本資産の返還、在日インド資産の補償等の諸問題が着実に具体化しようとする方向に進みつつあり、また、日本式庭園の造園師派遣およびインドヘの図書寄贈(インドの五カ年計画に役立つような技術的文献千六百余冊)等の文化交流も活発に行われることとなつた。
わが国とフィリピン間には昭和三十一年五月、平和条約および賠償協定の調印をみ、そのさい両国全権委員間に、「正常なる国交関係の回復に伴い、両国は均衡のとれた貿易の如き共通の利益の問題に注意を注ぎ得ることになり、この目的のために両国は・・・・友好通商航海条約のための交渉を早期に開始することを期待するものである。」むねの共同声明の発表をみた経緯がある。ところが、その後両国の貿易関係は、フィリピン側がわが方商社駐在員等入国希望者の入国、滞在について、きわめて制限的な立場をとつているので、十分な発展を妨げられている実状にある。すなわち、現在同国に渡航を希望するものは、賠償実施等の政府関係者のほかは、主に貿易商社駐在員である。ところがこれ等の者の本来の活動を行うためには、支店設置が許され、恒久的な滞在と、諸種の事業活動が許されることが必要なわけである。しかしこれらはいずれも通商航海条約またはそれに類する基本的取極により確立されねばならない事項であるが、このような取極は、早急に行うことは困難な状態にある。つまり、現在これ等貿易関係入国希望者は、いずれも商用短期入国者として入国を許されているわけであるが、前記のような基本的取極がないため本格的な事業活動を行いにくいばかりでなく、査証取得自体が困難であり、たとえ得られた場合でも、往々二、三カ月にのぼる長期間を要している。しかも入国後も短期の滞在しか許されず、頻繁に滞在延長手続を重ねて漸く通計一年程度しか滞在できないため、本来の事業活動を行うのに多大の支障をこうむつている現状である。
このような状態の是正には、根本的には前述の通り両国間に基本的合意が成立し最恵国待遇の保証が確立されるよう措置することが望ましいが、このような合意の達成にはなお時日を要するものと危倶されるので、政府は、この基本的合意の準備とは別に、前述のような現状を緩和する暫定的な取極を作る方針をとり、一九五七年十月いらい、フィリピン側と交渉を進めている。この取極案は、日本、フィリピン両国が、相互的基礎のもとに、一定数の相手国々民の入国と滞在条件を簡易化しようとするもので、この原則にはフィリピン側も積極的に同意している。しかし具体的な入国許容数、滞在許可期間等について、両者の見解になお若干の懸隔があり、いまだ妥結を見ていない。しかしこの問題はその性質にもかんがみ速かな処置が望まれるので、外務省は在マニラ大使館を通じフィリピン側と鋭意交渉の進捗に努めている。