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Vol.79 2011年11月7日
ブータン~国民総幸福量(GNH)を尊重する国

日本との外交関係を樹立して2011年で25周年を迎えるブータン。本年は10月にご成婚されたジグミ・ケサル国王陛下と王妃陛下が11月に来日されます。国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出し,世界中から熱い視線を集めるブータンとはどのような国でしょうか。

仏教が息づくヒマラヤ奥地の王国

ブータン
ヒマラヤを背にしたブータン北部の町 写真提供:関健作/JICA

ヒマラヤ山脈南麓に位置するブータン王国は,九州とほぼ同じ面積(約3.8万平方km)でありながら,北部の高山帯は海抜7,000m以上,南部の亜熱帯は300mと標高差の厳しい地勢を持ち,多種多様な生物が生息しています。インド中国という大国に挟まれた国土に生活する約70万人の約8割はチベット系住民ですが,ネパール系住民や少数民族も暮らす多民族国家です。正式な国名は,国旗にも描かれた竜の国を意味する「ドゥック・ユル」で,チベット系仏教(ドゥック派)を「国家の精神的な遺産」としています。宗教建築物や人々の習慣など生活のいたるところに仏教が根づいていますが,ヒンドゥー教など他の宗教の自由も保障されています。就労人口の約6割が農業に従事し,公用語はゾンカ語,普通教育はほぼ英語で行われています。

 
 

王制から立憲君主制へ

ブータン略史
国王の執務室があるタシチョ・ゾン 写真提供:野町和嘉/JICA

現在のブータンの国土にあたる地域は,17世紀前半にチベットから移住した高僧ガワン・ナムゲルが布教を通じて勢力を拡大し,全土の実権を握りました。彼の死後,地方の豪族による群雄割拠の時代が続きますが,1907年に地方の有力者であったウゲン・ワンチュクが中央集権国家としての体制を固め,世襲制の国王に就きました。周囲の国々が植民地支配や二度の大戦をくぐり抜けるなか,ブータンは主権を守り,着実に近代化を進めていき,1990年代末から第4代ジグミ・シンゲ国王主導のもと,王政から議会制民主主義を基本とする立憲君主制への移行の準備を開始。初めての総選挙を経て2008年には国会が招集され,ブータン初の憲法が採択,施行されました。

 

国民からの尊敬を集める国王

ジグミ・ケサル国王とジェツン・ペマ王妃 写真提供:ブータン政府

ブータン王室への国民の人気は絶大で,立憲君主制へと移行する際にも多くの人々が王制の存続を希望していました。2006年に王位継承した5代ジグミ・ケサル国王は,国内各地を訪れ,民主主義の大切さを国民に訴え,2008年の総選挙前には国民に投票を呼びかける勅令を出すなど,重要な局面で政治力を発揮しています。1980年生まれで世界最年少の元首とされる国王は,親日家でもあり,訪問した国々でも話題になる人物です。10月にとりおこなわれたご成婚の儀はテレビで生中継され,国中が祝賀ムードに沸きました。

 
 

国民総幸福量(GNH)の考え方

ブータンの1人当たりの国民総所得は1,920米ドル(世界銀行,2010年)であるにもかかわらず,国勢調査(2005年)ではブータン国民の約97%が「幸せ」と回答しています。「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」と,1970年代にGNHの概念を提唱したのは,先代のジグミ・シンゲ国王でした。GNHは,経済成長を重視する姿勢を見直し,伝統的な社会・文化や民意,環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方です。その背景には仏教の価値観があり,環境保護,文化の推進など4本柱のもと,9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標が策定されています。国家がGNH追求のために努力することは憲法にも明記され,政策を立案,調整するGNH委員会が重要な役割を担っています。

国民総幸福量(GNH)
 

“幸福”の実現を目指した政策展開

多くのオグロツルが飛来するポプジカ谷 (写真提供:関健作/JICA)

ブータンはGNHを基本方針とする独特の政策をとっています。例えば,医療費と教育費は無料で,たばこの持ち込みや高山への登山は禁止です。伝統文化を重んじ,公的な場所では民族衣装の着用を義務づけています。また,国土の森林面積の割合を60%以上に維持することを定め,森林や伐採業務を国有化。自然環境保護を国是とするブータンは,近年のエコロジーの流れもあって世界から注目を浴びています。絶滅危惧種であるオグロヅルが飛来するポプジカ谷では,オグロヅルを保護するために住民が地上の電線施設を一時断念しました(現在は地下ケーブルにより電化が実現)。この話はGNHの理念を象徴するエピソードです。一方で,都市への若者人口流入や雇用不足などの問題も起こっており,政府は急速な近代化ではなく持続可能な発展を目指しています。

 
 

非同盟中立を外交の基本方針に

ブータンは長い間鎖国政策を取り,主に隣国のインドを介して外交を展開してきましたが,1960年代に入り徐々に国際社会との輪を広げ,1971年に国連加盟,1980年代に入り近隣諸国を中心に対外関係を拡大しました。なお,現在は25カ国とEUとの間に外交関係を樹立していますが,米国,中国,ロシアなどとの外交関係はありません。ブータンは地域協力機構のSAARC(南アジア地域協力連合)を重視しており,なかでもインドとは,経済面,国防面等で密接な関係にあります。ヒマラヤ山脈の雪解け水を利用した水力発電を主とする電力の輸出をはじめ,貿易量の大部分をインドが占めています。

ユニークな観光政策

断崖に建てられたタクツァン僧院 写真提供:野町和嘉/JICA

自然や仏教遺産など豊かな観光資源を持つブータンでは,その保護などの理由から観光は一部制限されており,外国人旅行客の滞在費用(宿泊,食事,国内移動,ガイド料などを含む)は1日200米ドル(人数や季節で変動)の公定料金が設定されています。2010年には日本からは米国に次ぐ3,136人の観光客が訪問しました。

 

高い評価を受ける日本の経済協力

日本から派遣された農業開発の専門家 写真提供:野町和嘉/JICA

ブータンの国連加盟を日本が支持したことから,両国の政府間の交流は始まります。1986年に外交関係を樹立した後も,日本の国連安保理常任理事国入りを支持するなど,ブータンは日本にとって重要な友好国といえます。日本からブータンには,1988年より青年海外協力隊の派遣が開始され,また農業開発支援や電話網,放送網の全国への拡大,橋の架け替えなどのインフラ整備等の支援が行われてきました。現在は,円借款によって,全世帯の電化を目指した地方農村部への配電網整備が進んでいます。相手国の立場を尊重する日本の経済協力は高く評価されています。

ブータン農業に貢献した「ダショー西岡」

農業専門家の西岡京治氏は,海外技術協力事業団(現:国際協力機構)から,まだ国交がなかった1964年にブータンに派遣され,1992年に現地で亡くなるまで,農業の機械化や新しい作物の導入,米の品種改良など農業開発に力を尽くしました。その献身的で誠実な活動は,ブータン官民の信頼を集め,外国人として初めて「ダショー」(ブータンの爵位,英国のサーに相当する)を国王から授与されました。

 
 

ますます深まる日本とブータンの親交

小学生らによる「日本の友達のためのスポンサーウォーク」 写真提供:JICA
被災地・福島県の小学生と給食をともにするティンレイ首相 写真提供:相馬市立桜丘小学校

多くのブータンの人々は,日本人に好感を持っています。それは,経済協力への評価はもちろん,顔だちや主食の米など互いの類似点が多いことも理由の1つです。着物に似ている男性の民族衣装「ゴ」や,伝統工芸品の竹細工,漆器,手漉き紙など,ブータンの風土や習慣は,日本人にとっても親近感がわくものです。 2011年3月の東日本大震災の際には,翌日に国王主催で被災者の安全を祈祷する式典が開催され,100万米ドルの義援金が送られました。そのほかにも,全国主要寺院での三日間にわたる一斉法要や,小学生らによるスポンサーウォークなど,ブータンからの支援は多方面にわたります。このような支援や,2011年9月のペンジョール上院議長一行や,ティンレイ首相の来日同首相の福島県訪問),11月の国王王妃両陛下の来日を通じて,今後も両国の絆がますます深まることが期待されます。

 
 
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