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Vol.29 2009年3月11日
オランダ~日蘭通商400周年

1609年、江戸幕府の初代将軍・徳川家康がオランダに朱印状を交付し、通商関係を開始してから今年で400周年になります。鎖国時代も西洋の国で唯一交流を続けてきたオランダの成り立ちと日本との関わりについて解説します。

国土の4分の1が「海抜0m以下」

オランダ王国は、人口約1,600万人(2008年11月現在)、九州とほぼ同じくらいの大きさで、欧州でも比較的小さな国です。国土の4分の1が海抜0m以下(最高地点でも海抜322.5m)にあり、昔から風車を利用して水をくみ上げ、それを運河に流して土地を干拓してきました。このため、運河の堤が土地より高く積まれ、水面は土地よりも高くなっているところもたくさんあります。

オランダ
 

戦争が絶えなかったオランダ

現在のオランダ・ベルギーにあたる地域はかつて「ネーデルラント」と呼ばれ、毛織物の生産や欧州諸国間との中継貿易で繁栄していました。神聖ローマ帝国の支配を経て、15世紀末にはスペイン・ハプスブルク家の領土になりましたが、スペインの圧政に対し、1568年に独立運動が勃発。80年戦争を繰り広げた結果、1648年、ほぼ現在のオランダにあたる地方が、オランダ連邦共和国として独立しました。

 
 

日本との交流の始まり~デ・リーフデ号の漂着

日本とオランダの交流は大航海時代にさかのぼります。当時、欧州諸国は金、銀、香辛料などを求めて新大陸の発見に力を注いでいました。1598年、5隻のオランダ船がモルッカ諸島と日本を目指し、ロッテルダム港を出港しました。船団は、南米やアジアに広がるポルトガルとスペインの拠点を襲撃する任務も負っていたため、大砲や鉄砲で武装していましたが、4隻は外国船に襲われるなどし、1隻のみが航行を続けました。その1隻、デ・リーフデ(博愛)号が1600年、臼杵湾(大分)に漂着。ここから日本とオランダの交流が始まりました。

 

朱印船貿易

江戸幕府の初代将軍となる徳川家康は、漂着したオランダ船に興味を持ち、乗組員のヤン・ヨーステンらを心から歓迎。幕府相談役の地位を与え、航海術を学んだり、西洋諸国に関する情報を集めたりしました。1609年、幕府から発行された朱印状に基づき、平戸(長崎)にオランダ商館が設置され、本格的な通商関係が始まりました。ちなみに、東京駅がある「八重洲」の一帯は、ヤン・ヨーステンの屋敷があったことに由来し、「ヤヨース」がなまったものです。

 

鎖国時代も続いた交流

1637年の島原の乱をきっかけに、幕府はキリスト教(カトリック系)の弾圧を本格化し、鎖国に踏み切ります。しかし、プロテスタント系のオランダ人は布教を目的としていなかったため、その後も200年以上にわたって日本が交流する唯一の西洋国となります。これにより、日本ではオランダ語で西洋の学問を研究する「蘭学」が発展し、西洋ではシーボルトらによって日本の社会や文化が紹介されました。開国後の1858年、日本はオランダと修好通商条約を締結し、正式な外交関係を樹立することになります。

 

オランダから伝わった治水・灌漑技術

長年の交流を通じて、オランダから日本に伝えられたものはたくさんあります。その一つが治水・灌漑技術です。国土の4分の1が海抜0m以下にあるオランダは、高い水工技術を持っており、スエズ運河やパナマ運河の建設にも活用されました。日本に招かれた土木技術者デ・レイケは、洪水が頻繁に起こっていた木曽三川(愛知、岐阜、三重)で堤防建設や護岸工事を行うなどし、国内のインフラ整備に大きな貢献を果たしました。

 

日本語になったオランダ語

オランダの風景私たちが普段使っている日本語のなかにも、オランダ語が元になっているものがあります。例えば、ビール(bier)、オルゴール(orgel)、おてんば(ontembaar)、ランドセル(ransel)、ポン酢(pons:柑橘類)などはオランダ語の音をそのまま真似たもので、病院、盲腸、炭酸などはオランダ語の意味を漢字に転換したものです。

 

良好な投資環境:税制と人材

大航海時代、世界初の多国籍企業「オランダ東インド会社」を設立したオランダでは、現在もユニリーバ、ハイネケン、フィリップスなど多くの多国籍企業が活躍しています。オランダ語は、英語とドイツ語の中間にあるような言語とも言われるため、オランダ人は英語やドイツ語に堪能な人が多いことでも知られています。さらに、海外企業が投資しやすいよう、税制面での優遇制度も整えられており、日本からも三菱自動車、富士フイルム、キッコーマンなど300社以上が進出しています。

 
 

オランダは欧州の物流拠点

オランダは中継・加工貿易を中心とした通商国家です。「ユーロポート」と呼ばれるロッテルダム港の貨物取扱量は、約4億70トン(2007年)で欧州一を誇っています。アムステルダムのスキポール空港は、旅客数が4,700万人(欧州第5位)、貨物取扱量が160万トン(同4位)。道路、鉄道、ライン川を利用した内陸水路も他国の主要都市へと続いており、欧州全体の物流拠点になっています。

 

国際法の首都:ハーグ

首都はオランダ最大の商業都市アムステルダムにありますが、国会、王宮、政治機関、最高裁判所などはハーグに置かれています。ハーグは「国際法の首都」とも呼ばれ、国際司法裁判所(ICJ)国際刑事裁判所(ICC)、旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)、化学兵器禁止機関(OPCW)といった国際機関が設置されています。

 

日本学の街:ライデン

シーボルトが帰国後に住んだライデンには、日本の動植物の標本や陶磁器などを展示しているシーボルトハウス、欧州最古の日本学科があるライデン大学など、日本とゆかりの深い施設もあります。

 

日蘭外交関係開設150周年、日蘭通商400周年

日本オランダ年2008-2009のマスコットデ・リーフデ号の漂着から400年以上にわたり、日本とオランダは政治、経済、文化などさまざまな分野で友好関係を築いてきました。皇室とオランダ王室との親交も深く、従来より頻繁な往来が行われています。昨2008年は両国の外交関係が設立されてから150周年、2009年は通商400周年にあたる記念の年です。両国では今後、各種イベントを通して、未来に向けた交流を促進していきます。

 
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