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北岡伸一国連次席大使寄稿論文
「国連大使、現場からの提言:常任理事国入りは日本が果たすべき責任である」


2004年春、東京大学教授から外交の最前線に転身した
国連大使が、常任理事国入りの大義と道筋を描き出す

(中央公論新社刊「中央公論」1月号より転載)


平成17年1月

国連重視主義が必要だ

 国連代表部に着任してから、7ヵ月あまりが経過した。この間、偶然もあって、安保理改革が私の仕事の中心となっている。短いコメントを含めれば、主要な新聞だけで、10回以上、このテーマについて書いている。しかし、これまではいずれも断片的なものばかりだったので、今回、少しまとまったものを書いてみようと思う。
 そのためには、そもそも安全保障理事会が何をしているのか、さらに、国連は何をしているのかというところから始めるのが、迂遠なようで早道のように思われる。というのも、よくメディアの方々から、「日本は安保理に入って何をしたいのか」という質問を受けるのだが、少し話してみると、その前提として、現在、安保理の活動や国連の活動について、基本的な知識に乏しい方が多いからである。よい専門書もあるのだが、あまり読まれていないようだ。実際のところ、私も最近まで知らなかったことが少なくない。
 かつて私は国連中心主義という言葉を批判して、日本人は国連を神棚にあげてしまい、本当に大切にしていない、もっと国連の機能と限界を直視して、積極的にコミットする国連重視主義が必要だと述べたことがある。以上のような国連の実態についての理解の欠如は、悪しき意味での国連中心主義の弊害のように思われる。

国連は何をしているのか

 そこで、少しく原点に返ることにしよう。
 まず国連の目的である。国連憲章第一条を要約すれば、国連の目的は、国際の平和と安全を維持することである。そのために、平和に対する脅威を防止・除去し、侵略行為その他の平和の破壊をやめさせ、国際紛争等の平和的解決を行う。また、諸国間の友好関係を発展させ、世界平和の強化のための措置をとる。そして、経済的・社会的・文化的・人道的性格を持つ国際問題を解決し、人種・性・言語・宗教による差別をなくし、人権および基本的自由を尊重するよう助長奨励する。これらを、主権国家の平等や、国際法の原則を踏まえつつ、国際的な集団行動として行っていこうということである。
 ここで付け加えておきたいのだが、国連が平和を守る唯一の方法だというわけではない。自衛や同盟などの伝統的な手段もある。実際、冷戦時代における大国間の平和は、勢力均衡で保たれていた。しかし、冷戦の終焉によって大きな変化が生じ、平和維持のための国連の役割はきわめて大きくなっている。これについては、後述することとする。
 さて、国連は、平和と安全の問題ばかりを扱っているわけではない。現に経済社会理事会という、形式的には安保理と並ぶ組織があり、さまざまな活動を行っている。広い意味でいえば、貧困や差別も平和に対する脅威だから、こういう面への取り組みも重要だ。
 いくつか例を挙げよう。
 私が着任して最初に開いた大きなパーティは、先住民に関する会議のためのものだった。世界には多くの先住民がいる。彼らは多かれ少なかれ差別を受けている。彼らの権利をいかに守るかは、その国に任せておけないことが多い。少数民族は反体制派であることが少なくないからである。
 夏には、障害者の権利のための条約をめぐる審議があった。障害者とは何かという問題から始まって、その権利を条約化する作業を行っている。障害者のために何ができるかは、国によって違う。日本でも、障害者に対する手当ては決して十分ではない。自らそれを反省しつつ、世界の標準を設定して、少しずつ向上させていこうということである。
 経済でいうと、水をめぐる会議があった。水は衛生に関係し、災害に関係する。きれいな水さえあれば、多数の病気が防げる。堤防がきちんとしていれば、洪水が防げる。そうした知識を分かち合い、協力しようという会議だった。
 また、LLDC(Land Locked Developing Countries)、つまり海に面しない、内陸の途上国のためのパーティを開いたこともある。モンゴル、ラオス、パラグアイ、ウガンダなど、たくさんあるが、こうした国々は、貿易において大きなハンディを負っている。そうした共通の問題を話し合い、解決していこうという取り組みである。日本はLLDCではないが、かなり以前から、こうした国々と深くつきあっている。
 現在、日本が取り組んでいるものに、国連防災世界会議というものがある。自然災害に対処するためのノウハウを共有し、これに備えようという会議を神戸で開くことになっている。日本自身、準備不足のために大きな犠牲を出したことがあるし、先のカリブのハリケーンでも、準備のある国とない国とで、大きな差が出た。予想以上に世界の国々が関心を示して、参加してくれることになりそうである。
 こうした活動では、ただちに大きな成果は期待できないにせよ、少しずつ成果を挙げているように感じられる。日本はヒューマン・トラフィッキング(人身取引)について、国際的な批判を浴びたことがある。東南アジアから密入国した女性が、暴力団に脅され、過酷な待遇を受けていた事実があった。現在、日本は、送り出し国、経由国の協力を得ながら、問題の解決に乗り出している。このような形で、国際的な関心の高まりは、問題の解決に寄与することがあるわけである。

PKOの膨張

 とはいえ、国連の最大の課題は平和の維持である。戦争ほど多くの犠牲を出すものはないからである。その際、国際社会の意思決定の中心となるのが安保理であり、その決定は全加盟国を拘束する。
 この半年で、安保理で大きな問題となったのは、まずイラクであった。6月8日、安保理は決議1546を採択し、イラク暫定政権を承認し、多国籍軍を認め、イラク復興に対する国際社会の協力を呼びかけた。そのとき、日本では、自衛隊が多国籍軍のなかで活動できるかどうか、議論になったことは、記憶に新しい。もっとも、イラクのような治安状況が劣悪なところでは、国連が直接にできることは限られている。
 それ以外の紛争については、現在国連は世界に16のPKOを派遣している。その予算は通常予算の16億ドルを上回っている。2004年の予算は、当初26億ドルだったのが、増加して39億ドルとなっている。各PKOの膨張やスーダンにおけるPKOの可能性を考えると、2005年はさらに増加して、50億ドルを超える可能性があるといわれている。かつての最高は93年、旧ユーゴスラビアやソマリアの紛争当時の36億ドルで、その後98年には10億ドルまで下がったが、その後、また増加して今に至っている。
 PKOにおける最大の問題は、紛争の多く(統計的には五割)が再発することである。これでは賽の河原である。再発を防ぐには、紛争が終わったあと、きちんと平和を定着させることが大切である。また、紛争は予防が重要なのは言うまでもない。したがって、紛争の兆候が見られたら、さっそく何らかの手を打って、紛争解決後も、戦っていた兵士を日常生活に戻し、武器を回収し、難民が戻り、人々が仕事を持ち、子供たちが学校に行くようになるまで、安心できない。このように、全体像を持ちながら、継ぎ目のない支援(シームレス・アシスタンス)を行うことが必要だといわれるようになっている。しかし、こうしたアプローチでは、短期的には、さらに資金が必要となる。
 実際、どこまで国連が関与すべきか、難しい問題である。国連が派遣している最大規模のPKO、コンゴ民主共和国におけるMONUCは、その一例である。
 コンゴ民主共和国は、日本の数倍の国土を持ち、人口は5000万人をこえる。多くの鉱産資源を持っており、大きな未来を持つ国だといわれていた。しかし、現在でも一人当たり所得は90ドル、一日25セントにすぎない。郵便局も銀行も、ないにひとしい。
 MONUCは、ここの治安を維持しながら、2005年には選挙を実施して引き上げることを目標としている。主たる現場は東部であるが、本部は西部の首都のキンシャサにある。この間に、陸上交通路がないので、輸送はもっぱら飛行機であり、専用の飛行場と50機以上の飛行機をもっている。現在、1万800人の要員がいるが、これでは足りないので、2万4000人に増やす計画がある。その一部が、10月に承認され、1万6700人となる予定である。
 しかし、日本の数倍の国土に2万4000人ほどの軍隊で十分だろうか。選挙ができるのだろうか。選挙のためには有権者登録をしなければならず、そのためには、まず国民の確定を行わなければならない。気の遠くなるような作業である。また、選挙結果が僅差の場合、その後にまた混乱が起こる可能性はないのだろうか。いろいろ疑問はわいてくる。
 この費用は、年間7.5億ドルである。約800億円ほどである。そのうち日本は二割を負担している。これが2005年に二倍の規模になれば、相当増えることは間違いない。
 アフリカの紛争の多くは、西洋の植民地支配にその根源があると、多くの人が感じている。どうして日本がそこまでつき合わなくてはならないのかと思う人もあるだろう。
 しかし、日本は世界の中ではもっとも自由で豊かな国の一つである。その日本がコンゴのようなところに、あるいはスーダンのようなところに無関心でいいとは私は思えない。どうせその二割の費用を出すのである。黙って出すよりは、口も出すべきである。積極的に関与して、PKOの規模、任務、シナリオについて、発言していくべきだ。最初は特別の名案もなく、四苦八苦するかもしれないが、初心者は誰でも経験することである。

国際裁判と正義

 紛争解決のあとに来る難問の一つに裁判がある。正義=Justiceの問題である。大きな不正を犯したものを放置しておいては、その後の法秩序の維持が難しい。責任者はきちんと処罰しなくてはならない。しかし、それは報復であってはならないし、文明的な手続きで行われなければならない。そういうわけで、国際裁判が行われている。旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)とルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)がその例である。
 ここには、大きな問題が三つある。
 第一に、費用がかかりすぎるのである。徹底して証拠調べをやって世界の一流裁判官を招いて行うから、高くつくのである。とくにICTRは日本が安保理にいなかったときに決定されたものであって、それに対して二割の分担金を支払うのは納得しにくい話である。
 第二に、正義は大事だが、これをあまり徹底すると、社会の亀裂を深めることになる。和解もまた重要である。かりに中国で文化大革命当時の暴力や不法行為を徹底的に暴くとすれば、大変な摩擦を引き起こすだろう。そのような徹底した追及を行わないのは、賢明なやり方だと思う。
 第三に、しかも、正義というのは、その地域の人々に納得できるものでなくてはならないだろう。国際裁判推進の主力であるヨーロッパ諸国における正義の観念と、たとえばルワンダにおける正義の感覚とは、かなり違うのではないだろうか。
 それで、日本はカンボジアについて、KR(クメール・ルージュ)裁判というものを提唱している。これは、国際社会が支援する国内裁判である。また、ルワンダなどでは、国際社会が法律インフラを作る手助けをしてくれたほうが、よい裁判を安くできるという声もある。
 日本は東京裁判を行われたこともあるし、明治時代には、条約改正を進めるにあたって、外国人を大審院の判事に加える案が浮上して、大きな政治問題となり、井上馨、大隈重信という二代の外務大臣が失脚し、条約改正は挫折したという経緯がある。国際社会のレイトカマーである日本の歴史には、多くの経験が詰まっているのである。これをぜひ、世界に発信したいものである。そのもっとも効果的な場は安保理なのである。

安保理の意思決定

 安保理の権限が拡大しており、しかも全加盟国を拘束することは、以上のとおりである。
 では、安保理の意思決定はどのように行われるのか。
 安保理の決議案は、従来、米英仏が中心となり、これに中国とロシアの意見を取り入れて作られることが多かった。他に任期2年の10の非常任理事国があるが、これらの発言権は小さい。安保理メンバー以外については、さらに小さい。日本のように大口のドナーであり、アメリカの同盟国である場合、ある程度の影響力があるが、それでも限界がある。常任理事国の地位は圧倒的なのである(イラク問題の衝撃は、米英と仏が対立したことにある)。
 一つ例をあげよう。
 1998年8月、北朝鮮がミサイルを発射したとき、日本は安保理に行動を求めた。しかし中国が反対したため、二週間以上たって、ようやく北朝鮮の行動に懸念を表明する文書が出された。しかもそれは、安保理決議や議長声明という強い形式のものではなく、議長による口頭のプレス・ステートメントという弱い形式のものとされ、またその内容も、突然のミサイル発射は航海や漁業の安全を脅かし、信頼醸成に逆行するというものにトーンダウンされていた。
 このとき日本は安保理の非常任理事国だった。もし安保理の外にいれば、そもそも文書の発出は難しかったかもしれない。そしてもし常任理事国だったならば、もっと早く、もっと強い文書が可能だったかもしれない。

分担金は減らせない

 以上で、安保理に入っていることのメリットは自明だろう。しかし、むしろ分担金削減を求めるべきだという議論もあるので、ここで分担金の問題に触れておきたい。
 日本は国連通常予算の19.5%を支払っている。これは、アメリカの22%に次ぐ。他の常任理事国は、英仏が6%程度、中国が2%(途上国扱いのため)、ロシアが1%であるから、この四国の合計よりも日本のほうが大きい。
 PKO予算については、国際の平和と安全に直接関わるということで、安保理で決めるため、常任理事国は通常予算よりは余分に払っているが、それでも日本は19.5%であり、アメリカを除く4ヵ国の合計より多い。
 なぜこんな数字になっているのか。まずアメリカは世界の総生産の33%ほどを占めているが、一国があまりに影響力を持ちすぎるべきではないと主張し、その結果、分担金の上限は22%と定められてしまっているのである。
 他方で、途上国については割引がある。日本はその分を負担する。日本だけでなく、ドイツや英仏も、それなりに世界におけるGDP比以上の金額を支払っている。
 私は、安保理の常任理事国ともなれば、それ以外に、特別に負担すべきものだと思うが、PKO予算における若干の負担増を除けば、そうした制度はない。一時期、ソ連が18%支払い、中華民国(台湾)が6%支払っていたことを考えれば、現在の一部常任理事国はタダ乗りと言われても仕方がないだろう。
 その結果が19.5%である。理不尽だと思うが、変えようがない。もし、アメリカが国連に完全に背を向ければ、国連は崩壊する(日本が脱退しても、国連は、かなり困るだろうが、崩壊はしない)から、アメリカの言い分はある程度飲まざるをえない。また、途上国は多数であるから、途上国割引をなくすことはきわめて難しい。そして常任理事国に特別の負担を上乗せすることは、彼らの拒否権を考えれば難しい。
 次の分担金の見直しは2006年であるが、日本の分担比率は、1%減らすことも容易ではなく、大幅に減らすことは、国連脱退の決意でも固めないかぎり、不可能だろう。

国際社会にとってのメリット

 このように、分担金を大幅に減らせないなら、日本の選択肢は、黙って資金を出し続けるか、資金を出し、かつ発言もするかである。私には、安保理常任理事国入り慎重論(実質的には反対論)は、現金自動支払い機外交推進論としか思えない。
 さらに重要なことは、安保理常任理事国となることは、日本外交の選択肢を大きく広げるということである。たとえば今後の中国のさらなる台頭に対し、日本が安保理に安定した位置を占めているかどうかは、重要なことである。
 慎重論者の中には、安保理に入って、日本はアメリカにノーと言えますかという人がある。日本とアメリカは基本的な利害は一致しているので、多くの場合、同調することが多いだろう。しかし、常任理事国であるのとないのと、どちらがノーと言いやすいか、明らかではないだろうか。この点、私は、いわゆる慎重論は、むしろ対米追随外交礼賛論だと考える。
 さて、国際社会にとって日本の常任理事国入りのメリットはどういうところにあるだろうか。
 何よりも、日本が国連に対して安定した支援をし続けるということである。
 国際政治において、内政と外交との関係は、微妙なものである。内政の支持がなければ外交はできない。アメリカが国連に対して距離を置くのは、国民の間で人気がないからである。日本においても、国連への支持において、かげりが見られる。
 たとえば巨額の財政赤字である。90年代に、日本は気の遠くなるような財政赤字を積み上げてしまった。現在、税収は歳出のほぼ半分しかない。これを均衡させ、さらに債務を返済しなければならない。そのとき、今日のレベルの対外貢献を維持できるだろうか。
 常任理事国という特権的な地位があればともかく、そうでなければ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国連機関に対する任意拠出金が削減される可能性が高い。ODAについてもそうなる可能性がある。
 私は、日本が強い経済を維持することが、そもそも重要な国際貢献だと思う。しかし、前述のコンゴ民主共和国のような例を考えれば、やはりODAも増やし、国連の資金負担も継続していくことが必要だと思う。すでに国連に冷淡なアメリカに続き、日本とドイツが国連に対して冷淡となれば、この三国で世界の総生産の五割以上なのである。そうした支持しか得られない国連が、今後とも有力な地位を占めていけるだろうか。21世紀に、国連が有力な地位を占め続けるには、有力な貢献国を重要な地位につけておくことが必要なのである。

常任理事国の資格は十分ある

 では、次に、日本に常任理事国の資格があるかどうか、あらためて考えてみよう。
 もちろん十分な資格があると私は考える。その第一は、言うまでもなく財政貢献である。これについては、説明は不要だろう。
 他方で、日本の軍事的貢献は不十分だという批判がある。たしかに、PKOにおける要員派遣では、南アジアの国々がトップにあって、日本はあまり多くない。
 しかし、要員派遣については、一人月約1000ドルが払い戻される。これは途上国にとっては相当の金額である。その一部は政府に入り、一部は兵士のものとなる。したがって、PKOに参加を希望するものが列をなす国がいくつもある。また、装備の更新もできるし、訓練にもなる。こうして、国防に利用できる大きな軍隊を維持することができている。
 さらに言えば、要員派遣は任意である。いやなら出さなくてもよい。しかし財政は分担率が決められていて、義務である。多くの要員を派遣している国の努力や犠牲を軽視するつもりは毛頭ないが、財政貢献が高く評価されるのには理由があるのである。
 ところで、こうした数値の面以外で、日本の軍事的役割は不十分だという批判がある。7月から8月にかけて、アーミテージ国務副長官、パウエル国務長官は、日本が安保理常任理事国となった場合、憲法を見直すことが必要かもしれないという趣旨の発言をしたと報じられ、国内でもこれに同調する意見があった。その一方で、軍事的な役割を果たすことになるから、常任理事国になるのは反対だという議論がある。いわば右と左に反対論があるわけである。
 しかし、第一に、ややタテマエ的なことを言えば、軍事的義務について、常任理事国と非常任理事国と、あるいは理事国以外の加盟国との間に、なんらの区別はない。
 第二に、世界の共通の目標のために、危険に直面する覚悟は必要であるが、それは、1992年のカンボジアPKO以来、いくつものPKOに参加して、日本も担うようになってきた。
 第三に、安保理の活動の中で、すでに述べたとおり、純軍事的役割以外の周辺的部分の比重が増えている。PKOにおいてはすでに述べたとおりであるし、多国籍軍の任務においても、2003年6月のイラクに関する決議では、復興支援が含められるようになった。
 第四に、現在の常任理事国でも、すべての国が十分な役割を果たしているわけではない。
 以上に関連して、一部の論者が、集団的自衛権の行使すらできない現行の憲法(解釈)のままで常任理事国になるのは偽善だと述べたことがある。しかし、外交とは多かれ少なかれ偽善的なものである。もう少し上品な言い方をすれば、それぞれの国内事情を斟酌しながら交際していくものである。
 たしかに、安保理に入って、日本が参加できないような役割を他国に果たすよう要請するような機会が来るかもしれない。それは、あまり居心地のよいことではないかもしれない。しかし、最初から完全を求めるのは無理である。そのときにはまた憲法を見直せばよい。後述するとおり、2005年にも常任理事国問題の山場が来るのに、憲法改正が先決だというのは、時勢をわきまえない議論である。
 要約すれば、日本は軍事的役割もある程度は果たすようになっており、安保理の活動内容の変化によって、日本の活動の比重は増大しており、さらに財政貢献は突出している。これが5%程度の負担なら、軍事的役割の小ささは問題となるが、20%の負担では、問題とならない。
 要するに、現在のままでも相当の活躍はできる。完全な準備がなくては常任理事国になるべきではないというのは、金メダルが取れなければオリンピックに出るなという議論に等しい。もし銅メダルが狙えるなら、あるいは入賞できそうなら、当然出場すべきである。スポーツの例をさらに引けば、国際舞台に参加すれば、最初はなれないことも多く、とまどったり、失敗したりすることも多いだろう。しかし、そこで苦労し、学習し、工夫して、選手は強くなるのである。アフリカや中東でたいした貢献はできそうにないからやめておこうというのは、建設的な態度ではない。

歴史認識問題について

 もう一つ、常任理事国となるについて、近隣諸国の理解を得ることが大切だという意見がある。歴史認識や戦争責任の点で、日本にはその資格がないという意見である。
 近隣諸国の理解は重要ではある。しかし、近隣諸国同士は必ずしも仲の良いものではない。イタリアはドイツの常任理事国入りに対し強く反対している。パキスタンはインドに対して強く反対している。
 それに比べ、日本の近隣諸国の反対はそれほどではない。韓国は常任理事国の拡大に反対する「コーヒークラブ」の一員である。しかし、その理由は、常任理事国の拡大についてはコンセンサスを作るのは難しいので、当面、非常任理事国の拡大を目指すべきだということである。それゆえ、ドイツについては、イタリアと大きな差はないという理由で反対している。日本については、本音は反対かもしれないが、明言してはいない。付け加えておけば、分担金の格差は、ドイツとイタリアでは2対1以内だが、日本と韓国とでは10対1程度である。
 また、反対の大きな理由とされる歴史認識の問題は、中国と韓国の国民の間では大きな問題だが、国連の場ではそれほど強力な議論ではない。
 なぜなら、つい最近まで戦争や内乱をしていた国が国連にはたくさんある。その中で、60年以上前のことを非難することは、ここではやや不自然である。
 通常、戦争をすれば、責任者を処罰して、国境線を引きなおし、賠償金を支払って、それで終わりである。それが国際常識である。日本はそれを全部やってきた。中国には賠償金を支払っていないが、それは中国が放棄したからである(中華民国も中華人民共和国も、それなりの理由で放棄に踏み切ったわけだが、ここでは詳述しない)。
 それに比べ、アメリカはベトナムに対して謝罪や賠償をしただろうか。中国は79年にベトナムに攻め込んだが、これについて謝罪や賠償をしただろうか。
 植民地支配についての国際水準はどうか。イギリスやフランスやオランダが、旧植民地に対してどのような謝罪や経済協力をしたか、そして成果が挙がっているか、疑問なしとしない。
 もちろん、中国や韓国の理解を得られるように努力することはきわめて重要である。そもそも戦争や植民地支配は非難されるべきものであるし、また、多くの国の外交は国民世論によって決まるのであり、政府の独断で決まるものではないからである。ただ、日本の常任理事国入りを理論的に阻止しうるような議論ではないということを指摘したかったまでである。

3分の2の賛成を得るために

 ここで、常任理事国になるためには、どういうことが必要なのか、形式的な条件について確認しておく。安保理構成国については、憲章23条に規定があり、五つの常任理事国の名前と、10の非常任理事国を選挙で選ぶということが明記されている。したがって、常任理事国を増やす場合でも、非常任理事国を増やす場合でも、憲章改正が必要である。
 憲章改正のためには、国連総会における全加盟国の3分の2以上(191のうちの128)の賛成と、全常任理事国を含む全加盟国の3分の2以上の批准が必要である。常任理事国は最初の投票では反対または欠席でもかまわない。批准してくれればいいのである。実際、かつて1963年に憲章が改正されたとき、常任理事国のうちで賛成したのは1ヵ国だけで、二国が反対、二国が棄権だった。
 したがって、まず総会で128票以上をとり、かつ常任理事国の賛成を取り付けることが課題である。
 加盟国一般をとってみれば、日本に対する評価はとても高い。もし、常任理事国を一国だけ増やそう、その国については選挙で決めようということになれば、日本は圧勝すると思う。なぜなら、ドイツに対しては、ヨーロッパの国が多すぎるという声があり、アメリカは消極的である。また、インドやブラジルについては、どれほどの国際社会への貢献ができるか疑問だという声がある。
 しかし、日本一国だけという改革はほとんど不可能である。
 これまで国連憲章は三度改正されているが、安保理常任理事国を増やすというほど大きな改革は一度も行われていない。60年に一度の改革である。そうなると、多くの国が、もっと多くのことを盛り込んでほしいと主張するのも無理はない。
 100を超える途上国からなるNAM(非同盟運動)は、常任理事国を増やす場合には、途上国からも入れるべきである、したがって、日本だけ、あるいは日独だけというような先進国のみを追加することには反対であると決議している。
 アフリカ諸国はハラレ宣言なるものを行っており、それは、アフリカに常任議席二つを確保し、それをアフリカの中でローテーションで担当するというものである。常任とローテーションとは矛盾する概念であるが、ともかく、日本だけ、あるいは日独だけというのは難しいのである。
 それゆえ、日本はドイツ、インド、ブラジルと提携して、G4というものを結成し、一緒になって安保理改革の動きを高めてきたのである。インドとブラジルは、大口の貢献国ではないが、それぞれの地域の大国である。

準常任理事国案の難点

 さて、安保理改革の議論が進んできたのは、なんと言ってもハイレベル・パネル(High Level Panel on Threats, Challenges, and Change、以下、パネルと略称)の動きが大きい。
 アナン事務総長がパネルを任命したのは、2003年11月のことである。2003年の2、3月、安保理はイラク問題で分裂し、機能不全に陥った。この現状を何とかするために、事務総長は16人の委員を任命した。議長はタイのアナン・パンヤラチャン元首相、アメリカからはスコウクロフト元安全保障担当大統領補佐官、ロシアからはプリマコフ元首相、オーストラリアのエヴァンス元外相、日本からは緒方貞子・元難民高等弁務官などであった。
 このパネルの最大の課題は、新しい脅威への対応だった。1945年の国連設立当初と今日とのもっとも大きな違いは、非国家主体が脅威の中心となり、また大量破壊兵器が拡散していることである。9.11以後、テロリストが大量破壊能力を持つとき、先制攻撃は不可欠であるという考え方がアメリカを中心に急速に台頭してきた。それに加えて、イラクに大量破壊兵器保有の可能性があり、かつ繰り返し国連の決議を無視していた。こうした新しい脅威に対して、どう対処すべきかを考察するのが、第一の目的だった。
 したがって、パネルが組織改革とくに安保理改革に踏み込む可能性は、低いように思われていた。安保理改革の可能性が出てきたのは、6月頃からではないかと思う。パネルの議論の中から、やはり組織改革とくに国連の中心である安保理の改革にまで踏み込まなければ意味がないという議論がかなり出てきたのである。
 これは、パネルの議論の論理的展開がそうなったという面もあるし、また日本が大いに働きかけたこともあり、また他の国々で言えば、とくにドイツのプロイガー大使が果たした役割は大きかったと思う。少なくとも、メディアや専門家の中ではまったく機運のなかったところを、盛り上げてきたのである。
 ところで、このハイレベル・パネルから提言されたのが、事務局長のステッドマン・スタンフォード大学教授が中心となってまとめたといわれるステッドマン案である。これは、任期4(ないし5)年で再選可能な常任理事国というカテゴリーを作り、これを8ないし9ヵ国選び、12(ないし15)年後に安保理全体のあり方を見直すというものである。
 この案が、7月のロンドンの『エコノミスト』誌に、有力案としてリークされた。しかし、これは日本のような国にとっては大きな問題を含むものだった。国連という場では、平等原理がかなり強く、同じ国が当選し続けることは難しく、必ず交代しろという声が強まるからである。ドイツやインドやブラジルは3回に1回、日本でも3回のうち2回しか当選しないかもしれない。日本は今よりは安保理に入る頻度は増えるが、それでも大変な努力をしなければならないし、次の選挙をにらんで行動するようになり、本当に正しいと考えることのために全力投球できなくなる可能性が高い。
 しかもこの準常任理事国案には、多くの技術的難点がある。準常任理事国として立候補できる国とできない国の間の線をどこに引くのか、ただでさえ二層になっている安保理内の構造を、三層にしてしまう、などの問題があった。
 従来、常任と非常任の両カテゴリーの拡大を主張していた日本は、ドイツなどとともに反対を表明し、運動を広げていった。その結果、9月の国連総会において、191ヵ国のうち、安保理改革が必要だと述べる国が166、両カテゴリーの拡大を必要だと述べる国が113、とくに日本を常任とすべきだと述べる国が53ヵ国ということになった。とくに両カテゴリー拡大論は、準常任理事国案反対論なのであった。
 その際、小泉首相にも9月の国連総会に出席して、常任理事国入りに向けての強い希望を述べていただきたいと考えていた。幸い、そういう方向になった。
 小泉首相の演説は迫力もあり、なかなか好評だった。議席に人が少なかったのではないかとか、あのスピーチでどれほどの人を説得できるだろうかという人がいたが、これらはまったくの誤解またはためにする議論である。重要なのは、日本が強い決意を述べたという事実そのものなのである。日本は本気なのか、では、これから、そういうつもりで日本と交際しなければならないと、多くの国が考えるようになるのである。
 これまで、わけ知りの人々のあいだに、安保理改革の機運など盛り上がっていませんよ、という人が多かった。機運というのは、自ら作るものである。日本が最大の受益者となりそうな改革で、他人が機運を作ってくれるのを待っていては、100年かかっても何も実現しはしないのである。
 一般に、事情通の人ほど、大きな変化を見通せないことがある。冷戦の終焉やソ連の崩壊やドイツの統一を予言した専門家がどれほどいただろうか。

勇気を持って決議案の提出を

 パネルのレポートは、2004年12月2日に提出される予定である。本誌が出るころには、公表されているはずである。その内容は多岐にわたるが、安保理改革については、おそらく二案が提示されるようである。その一案は、常任を6(アジア2、ヨーロッパ1、アフリカ2、アメリカ大陸1)、非常任を3拡大しようというものである。第二案は、準常任理事国を8創設し、非常任理事国を1増やそうというものになりそうである。
 そのあとの措置について、アナン事務総長は11月1日に加盟国宛の書簡を出している。それによれば、事務総長はレポートに簡単なコメントを付して、ただちに加盟国すべてに送付する、そして加盟国の議論を待って、3月に何らかのレポートを発出する。その後、9月に予定されている首脳会合において、後述するミレニアム開発目標に関するものとパネルの提言に関するものと、合わせて一括決定に至りたいと述べている。
 ここから推測していくと、次のようになる。首脳会合で一連の決定がなされるとしても、そのためには、ほとんどの合意が、事前に成立していなければならない。とくに安保理改革のような複雑で巨大な問題に対し、首脳会合で結論を出せるものではない。9月までにかなりの合意ができていなければならない。
 したがって、2005年3月以降、9月以前のどこかの時点で、決議案を提出して、総会に採決を求める事態が予測される。
 これに対して、大きな改革はコンセンサスで決めるべきだという声もある。
 しかし、完全なコンセンサスは不可能である。それに、歴史上、およそ大きな変革で、コンセンサスでできたことなどあるだろうか。勇気を持って敢行するものがあって、初めて変化は起こるのである。そして、われわれが決議案を提示して、3分の2の多数が取れそうな展望が見えてくると、中間的な立場の国は勝ち馬現象を起こして、3分の2をはるかに超える多数になる可能性があると見ている。

拒否権は必ずしも必要ではない

 決議を通すことは簡単ではない。たしかに110ヵ国以上が両カテゴリー拡大に賛成である。しかし、安保理改革に重大な利害関心を持っている国は多くない。日独など、なりたい国が数ヵ国、イタリア、パキスタンなど、反対している国が数ヵ国あるが、大部分の国は、強い意見を持っていない。どちらかといえば、両カテゴリー拡大論、日本にも賛成、しかし、そうならなくても、さほど困らないというのが本音だろう。
 しかし、かつてより、展望は明るい。97年、98年にラザリ案(常任5、非常任4拡大案で、今回の案はその変形)が失敗したときに比べ、推進者はより強力になっている。日本もドイツも政府が本気である。他方で、反対派のほうは弱体化している。コーヒークラブからは、離脱する国が出ている。
 さて、この決議案には、大きく分けて二通り種類がある。
 一つは、憲章23条を改定するために、一段階でやろうというものである。すなわち、日本、ドイツ、インド、ブラジル、それにアフリカからの一ないし2ヵ国(おそらく、南アフリカ、エジプト、ナイジェリアのうちのどれか)の名前を入れた決議案を出すというものである。
 第二は二段階論である。常任理事国をアジアで2、ヨーロッパで1、中南米で1、アフリカで1ないし2増やすこととし、それをどの国とするかは、選挙で決めようという提案である。これは、日本における国連改革のための有識者会議の提言と似ている。
 この二案にはそれぞれ利害得失がある。一段階論は、より簡単であるが、より反対が多いかもしれない。たとえば、日本はいいがドイツには反対という国や、その逆の国が、反対または棄権となる可能性がある。二段階論は、反対は少ないが、手間隙がかかる。その分、落とし穴もいろいろある。
 もう一つの問題は拒否権の取り扱いである。
 9月の国連総会におけるスピーチで見ても、新しい常任理事国を増やすべきだという国は多かったが、拒否権を与えることに賛成の国はほとんどいなかった。パネルの提言の中にも、拒否権はないということになっている。
 日本は、拒否権において新しい常任理事国と旧常任理事国の間に差別があってはならないという立場である。しかし同時に、現在の拒否権には問題が多く、濫用を防ぐ措置が必要だという意見である。
 実際、日本にとって拒否権は決定的に重要なものではない。拒否権は国際社会が何事かをすることを阻止する力である。アメリカはイスラエルを守るために拒否権を必要としている。しかし日本は、多くの点において国際社会の多数の側にいる。日米同盟を強固に維持する限りにおいて、拒否権は必ずしも必要ではない。したがって、議論の推移を見つつ、どこかの時点で、拒否権については柔軟であることを明らかにすることがありうるだろう。
 もう一つの大きな問題はアフリカである。
 アフリカ諸国が独自の立場をとっていることについて、すでに述べた。しかし、常任枠の拡大という議論が勢いを増すなかで、9月の総会で、ナイジェリアが常任理事国入りの意思を明らかにし、南アフリカとエジプトもこれに続き、さらにリビアも意思を表明した。
 かつてのハラレ宣言の立場がどうなるのか、もう少し様子を見る必要がある。さきに述べた二段階方式の場合は、アフリカのどの国にするか決定する必要はないが、一段階論の場合には、どれか一ないし二国を選んでリストに掲載し、場合によってはG4をG5またはG6として運動していかなければならない。その場合、選ばれなかった国に好意を持つ国々を反対派にまわす恐れがあるので、慎重な見極めが必要である。

ブッシュ再選は悪くない

 では、仮に総会の3分の2の多数が取れたとして、常任理事国の態度はどうだろうか。
 まずフランスは積極的に改革を支援している。いろいろな理由はあるが、われわれの主張とほぼ同様であって、有力な貢献国を参加させ、途上国の中の有力国を参加させることは、必要だという考えである。また、フランスの国益にとっても、ドイツの参加は望ましく、そのためには日本の参加が必要であるからである。
 またイギリスも、フランスほど積極的に協力してくれるわけではないが、日独印伯およびアフリカということに賛成である。ロシアははっきりしないが、反対ではない。
 難しいのは残るアメリカと中国である。
 アメリカは日本だけなら賛成である。しかし、それでは何の解決にもならない。かつてドイツにも賛成だったが、最近はドイツ支持とは言わなくなった。また、アメリカは安保理の効率性という観点から、数があまり増えることには反対である。
 アメリカを、日本だけは支持という立場から、一歩進んで、日本を含むパッケージで支持という立場に転換させることが、きわめて重要なわけである。それは大変に難しいが、可能性がないわけではない。私は、11月の選挙でケリー候補が当選し、上院が共和党優位のままで推移すれば、4年間は無理だろうと思っていた。なぜなら、共和党の上院は、ケリー「新大統領」による国際主義的アプローチにすべて反対するだろうからである。
 その点、ブッシュ大統領が再選され、上院と下院も共和党支配となった現状は、大統領さえ決断すれば、大胆な政策をとりうる状況になっている。
 私はしばしば沖縄返還をたとえ話として取り上げている。1960年代の沖縄返還交渉は、きわめて難しいものだった。沖縄を返還すること自体、アメリカは好まなかったし、ましてや核抜き本土並み(基地に対する事前協議制度の適用)は、米軍の手を縛ることだったからである。
 このように、短期的に不利益の多い沖縄返還をアメリカは決断した。その結果はどうだったか。日本はアメリカにとって、より安定し、信頼できる同盟国となり、日米同盟は一段と強固なものとなったのである。
 日本の常任理事国入りは同様の効果を持つ。日本をより信頼してその行動の自由を拡大することは、アメリカにとって利益である。この点にかんがみて、アメリカが積極的な日本支持に転じることを、期待したい。
 そして、もしアメリカが賛成に回り、残りは中国だけとなれば、10年以上かけて到達した結論を否定することは難しいだろう。中国も日本の協力を必要とする問題がたくさんある。そこで、日中関係に大きな打撃を与えるような行動をとるとは思いにくいのである。いずれにせよ、大きな条約の批准には数年かかることがまれではない。中国でいえば、2008年の北京オリンピックまでには必ずチャンスがあると考える。

ODA増加の必要性

 あと二つ、大きな課題について触れておきたい。
 2000年に合意されたミレニアム開発目標において、途上国に対する援助を飛躍的に増やそうという合意がなされた。国連加盟国の多くは途上国であり、途上国の関心は開発である。
 ところが、日本の開発援助は減少の傾向にある。かつて日本は世界最大のODA拠出国であった。最近はアメリカについで二位である。しかも、他の主要国が増加しつつある。このまま推移すれば、日本は英仏独に抜かれ、五位になる。下手をすれば、オランダやイタリアにまで抜かれるかもしれない。
 そもそも日本のODAは一人当たりの金額ではGDPの0.2%ほどであって、先進国の間ではアメリカと並んで世界最低である。そして日本の援助は有償援助が中心であって、成功すると、お金が返ってくる。それはよいことなのだが、世界の統計では、これは援助の実際の実施額から差し引かれる。その結果、ますます日本の低落傾向が目立ってしまう。
 私は有償援助も意義のあるものだと思うし、大きな成果を挙げてきたと思う。その結果、東アジアは発展してきた。しかし、南アジアやアフリカで同じ方法が成功するかどうか、なんともいえない。要するに、日本は新しい援助戦略を模索しなければならない地点にさしかかっているのである。
 世界が援助の増加に転じている今、日本も、さらに多くの国々の信頼を深めるためにも、政府開発援助をもう一度増加の方向に転じることが必要である。
 もう一つは、政府が一体となり、総力を挙げて取り組むことである。
 常任理事国入りは、60年に一度の大事業である。少なくとも、戦後外交史の中で、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約の改定、沖縄返還と並ぶ事業である。非常の事態には非常の対応が必要である。政府外務省の人事にせよ、予算にせよ、ここに思い切った資源を投入する覚悟が必要である。

常任理事国入りの大義

 1944年10月、ワシントンDCの郊外にあるダンバートン・オークスで開かれた会議において、国際連合の基本的な枠組みができた。その情報を入手した外交評論家・清沢洌は、これを紹介し、コメントする文章を書いている(清沢洌『暗黒日記』所収)。
 その中で清沢は、とくに憲章改正について大国(このときは米英ソの三国)が拒否権を持っていることについて懸念を表明し、日独のような国はいずれ復活するだろうが、これらを柔軟に取り入れなければ新しい国際秩序はうまくいかないかもしれないと述べている。
 清沢の指摘は、今日まさに的中している。
 かつて国際秩序の再編は、戦争や革命の結果として起こった。現在の国連も第二次大戦の結果、生まれたものである。しかし、主要国の間の戦争は、当分ありえない。それはもちろん好ましいことであるが、それだけに、重要な秩序の再編を平和のうちにスムーズに成し遂げる必要がある。
 あらゆる組織にとって、新しい現実に対応するため、自らを変えていく能力が、決定的に重要である。それが、強い生命力を持つ組織であるための条件である。国連のようなシステムには有力な国が重要な位置を占める必要がある。さもなければ、国連は21世紀に有力な機関として生き延びることは難しいかもしれない。かつて第一次大戦後の国際連盟にアメリカが参加しなかったことが、いかにその力を弱めたことか。他方で、1971年、中華人民共和国が常任理事国として国連に入ったが、これも力を反映させるという点ではよいことであった。
 日本のような、核を持たず、アジアの国であって、途上国経験を持つ、シヴィリアン・パワーが、安保理の常任理事国となることは、重要であり、むしろ日本の責任というべきだろう。それはたんなる日本の国益を超えた、世界秩序に対する日本の責任である。こうした大義があり、ある程度の展望があるとき、日本は当然、全力でこれに取り組むべきであろう。


きたおかしんいち 1948年奈良県生まれ。東京大学法学部卒業。立教大学教授を経て、東京大学教授。専攻は日本政治外交史。2004年4月より現職。著書に『清沢洌』(サントリー学芸賞)、『自民党 政権党の38年』(吉野作造賞)、『「普通の国」へ』『日本の自立』などがある



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