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ロンドンの墓地で先人の足跡をしのぶ (時事通信「世界週報」2003年11月18日号より転載) 平成15年11月
在ロンドン総領事 竹内 春久 一人一人の日本人の人生とともに 英国在住の日本人は、在留届ベースで5万1000人、その大半の5万人が在ロンドン総領事館の管轄区域内に住んでいます。在留届を出さない方もかなりいると思われますので、実際の数はさらに多いと思われます。 これだけ日本の方がいれば、毎日、必ず何かが起こります。総領事館の窓口には年間延べ5万人のお客様が訪れます。旅券をなくした方、現金を盗まれた方、心のケアが必要な方、子供と連絡がつかないと言って日本から安否照会の電話をされる方、結婚、出産、死亡の届けをされる方――まさに、一人一人の方の人生にかかわっているのだという思いがします。 事故が起きれば、日本人が巻き込まれなかったか当然気になります。阪神タイガーズが優勝すれば、まさか、とは思いながらテムズ川に飛び込む人が出ないかと妄想が頭をよぎります。ちなみにリーグ優勝の際には、ファンがトラファルガー広場に集合し、何の問題もなく陽気に優勝を祝っておられました。念のため。 ロンドン以外の地域にも日本の方が数多く住んでいます。こうした方々が領事サービスを受けやすいよう、月1回のペースで地方に出掛け、「一日領事サービス」を開催することもしています。 当総領事館の管轄区域には、全日制の日本人学校がロンドンにあるほか、六つの補習校があります。学校を訪れて児童・生徒の元気な姿に触れると、こちらの方が元気をもらった気持ちになり、私の職務の中でも最も楽しいひとときですが、学校ができた経緯も学校ごとに違えば、規模もロンドン補習校の1200人からヨーク補習校の30人までまちまち。抱えている問題も様々です。画一的な対応ができるはずもありませんが、子供たちの顔を見るたびに、何かできることはないかと思います。かく言う私も、帰国子女の端くれです。 ロンドン近郊の墓地に眠る日本人 さて、日英関係は、三浦按針ことウイリアム・アダムスが日本に漂着してから400年、幕末・明治維新から数えても150年の歴史があります。江戸時代にも、難破、漂流していたところを救い上げられ、英国の土を踏んだ日本人漁師がいたことが知られていますが、日本人の英国渡航が本格化するのは幕末以降のことです。1862年に幕府遣欧使節が訪英したのに続き、1863年には長州藩から伊藤博文、井上馨らが、また、1865年には薩摩藩から森有礼らが、海を渡り、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)で学びました。今日、UCL構内にはこれらの先人たちを顕彰する碑が建てられています。これ以外にも、開国を受け、英国に渡って先進西洋文明を学び、近代日本の建設のため各分野で顕著な功績を上げた人々は枚挙にいとまがありません。 しかしこの時期、青雲の志を抱いて海外に渡航しながら、不幸にして英国で亡くなった先人も少なくありません。ロンドン近郊だけを見ても、このような人々のお墓が何カ所か確認されています。例えばサーレー州ウォーキングのブルックウッド墓地。山崎小三郎(長州藩、1866年没、22歳)、有福次郎(徳山藩、1868年没、22歳)、福岡守人(土佐藩、1873年没、21歳)、袋久平(佐賀藩、1873年没、24歳)。このほか、宮永孝氏の調査により、1868年に死亡した曲芸師松井菊治郎がこの墓地に埋葬されていることが知られていますが、お墓は確認されていません。 あるいはロンドン市内ケンザルグリーン墓地の柏木門三(小倉藩、1877年没、18歳)。同じくブロンプトン墓地の浅野長道(安芸藩、1886年没、21歳)――。 いずれも20歳前後の若さで亡くなっているのが痛ましいところです。その多くは結核により命を落としていますが、当時、日本から英国へは、船で約3~4カ月の厳しい旅路でした。せっかくたどり着いた異国の地で病に倒れた無念は今も胸を打ちます。 先人の努力の上に築かれた日英関係 その後、英国の日本人社会は、第一次世界大戦を経て拡大し、以後、1941年、日英が開戦するまで、千数百人が在住していました。1936年、英国に移住しこの地で一生を終えた方を祭るために、当時の在英日本人社会が建立したお墓がロンドン市内のヘンドン墓地にあります。ここには39人の方が眠り、136人の方の名前が氏名標に記されています。戦争で英国の日本人社会が崩壊したこともあり、戦後はここを訪れる人もない時期が続きましたが、近年、当地に永住する日本人を中心とした集まりの「英国日本人会」が尽力された結果、去る10月4日、この墓前で初めて慰霊祭が行われました。 現在、日英両国の間には深く広いきずながありますが、日英関係が今日の隆盛を見るまでには、開国以来、先の大戦を挟み、数多くの紆余曲折がありました。その間、多くの先人が血のにじむような努力を重ねた結果の上に、今日の我々がいることは言うまでもありません。このような知られざる先人の足跡を一人でも多くの方に知っていただくことも領事のささやかな仕事の一つと思うのです。 ◇ (後記)本稿は多くを日英史研究家大庭定男氏の著作および御教示に負っています。記して御礼申し上げます。ワンポイント・アドバイス 英国を訪れる日本人に最も人気の高い場所の一つがバッキンガム宮殿の衛兵交代。ここはまたスリの名所でもあります。英国では旅券の携帯義務はありません。ホテルのセーフティーボックスに保管して、見物にはコピーを持って出かけるのが良いでしょう。 |
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