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演説
小泉総理大臣演説

経済4団体等主催午餐会におけるスピーチ

平成14年3月22日
於:新羅ホテル

 アンニョンハシムニカ
 ハングクル パンムン ハルス イッソソ
 キップゲ センガクハムニダ
 (韓国を訪問することができ嬉しく思います。)
 本日、私は、日韓関係への私の思い、そして、両国関係の将来についてお話しをしたいと思います。
 このような場を整えて下さった、
 大韓商工会議所の朴容晟(パク・ヨンソン)会長、
 全国経済人連合会のキム・ガクチュン(キム・ガクチュン)会長、
 韓国貿易協会の金在哲(キム・ジェチョル)会長、
 中小企業協同組合中央会の金栄秀(キム・ヨンス)会長に、まず、お礼を申しあげたいと思います。

 日韓関係への私の思いは、日本と韓国の長い交流の深さへの思いであります。

 日本に見られる古墳の形態である前方後円墳が、韓国の全羅道地域でも発見されたことが近年話題となっています。これは、すでに5世紀後半に玄界灘を行き来する人々が多かったことを如実に示しています。
 日本と韓国の間に横たわる玄界灘は荒い海です。しかし、古代人は、そうした荒海を、越えられない壁と感じることはありませんでした。新たな世界を切り開くために、挑戦し、乗り越えていったのです。

 中近世になって、韓国の文化の高さを日本に知らしめたのは、15世紀から19世紀の長きにわたって続いた朝鮮通信使でした。江戸時代には、朝鮮通信使が江戸まで往復する6ヶ月の間、各地で日本の儒学者や文人、画家、医者などと交流し、当時の我が国の文化人や庶民達に大きな影響を与えたのです。

 このような朝鮮通信使とふれあった一人に対馬藩の儒学者雨森芳洲がいました。当時の日韓両国間には、友好関係を欲しつつも、豊臣秀吉による戦乱の影響から、互いに対する不信感が色濃く残っていました。そうした中で、朝鮮通信使の応対に努めた彼は、通信使と議論をたたかわせつつ、最後には互いに別れがたい関係を築いたのです。
 彼は、35才の時から3年間釜山に滞在し、韓国語を始めとして、韓国の歴史や風俗を深く学びました。こうしたなかで、彼は、民族固有の文化のもつ価値を深く知るようになりました。そして、互いを尊重しあい、信頼関係を大事にする「誠信のまじわり」こそが韓国に対する基本であると確信するに至りました。このような姿勢こそ、今日の我々が学ぶべき姿だと言えましょう。

 長い友好の歴史にもかかわらず、日韓間には一時非常に不幸な時期がありました。歴史をめぐる問題については、双方の権威ある専門家によって構成される「日韓歴史共同研究委員会」が設置され、学問的な良心に基づいて、自由な立場から共同で研究し、少しでも共通の理解を拡大するために努力することになりました。このような研究会の設置は歴史を直視するのに躊躇があってはならないという想いに基づくものです。歴史を直視し、両国の未来志向の協力関係が築かれていれば、日韓関係の将来は極めて明るいものとなるでしょう。

 日韓両国のために一身を捧げ努力してこられた方々は少なくありません。親子三代で児童擁護施設「木浦(モッポ)共生園」を運営してこられた田内さんについては、皆様もよくご存じだと思います。
 昨年新大久保駅で線路に転落した人を救うために自らを犠牲にした李秀賢(イ・スヒョン)さんは、多くの日本国民を感動させました。将来日韓関係のための仕事をしたいとの李秀賢さんの志は、日韓両国の若者達によって立派に受け継がれていくことでしょう。

 御参席の皆様、
 本日午前、私は尊敬する金大中大統領にお会いし、7項目の懸案事項が、解決されてきたことを確認いたしました。私と大統領は、ワールドカップの共催は、必ずや成功するものと信じています。日韓両国間の交流は、単にその幅を広げているのみならず、その深みをも増しているからです。
 1965年の日韓国交正常化当時、両国間を往来する人々は年間一万人に過ぎませんでした。現在、ほぼ同じだけの人々がわずか一日に両国間を往来しています。韓国は、最も多くの日本人が選ぶ海外旅行先です。

 日韓両国の地方自治体などを中心とした地域間の交流や、NGOなどを中心とした草の根レベルでの交流も非常に活発になってきています。
 韓国の食文化が、めざましい勢いで日本の家庭に定着しただけでなく、最近では、韓国の映画、ファッション、音楽などが日本の国内で高い評価を得ています。韓国における日本大衆文化の段階的開放政策が、このような傾向にさらに拍車をかけました。

 ワールドカップの共催は、我々に大きな機会を与えています。その成功によって、我々は両国の長い歴史に新しいページを刻むことになります。日韓の青年は、その意義を決して忘れないでしょう。
 私がソウルの開会式に参列し、金大中大統領を横浜での決勝戦・閉会式にお迎えすることは、私個人にとっても大きな喜びであります。世界中の人々は、日韓両国が協力する姿を目撃し、大きな喝采を送るに違いありません。

 御参席の皆様、
 私は、日韓関係の将来は、無限の可能性を秘めていると感じています。両国の間には、共通の未来を構築するための十分な基盤があります。何よりも、日本と韓国は、民主主義と市場経済という「価値観」を共有しているのです。日韓両国とも同じ価値観を有する米国との同盟によって安全保障を実現しています。我々は相互信頼を深め、「将来に向けての目標の共有」を目指すべきです。

 我々は、国際社会の一員として、アジア太平洋地域で、更には、世界で名誉ある地位を占めようと努力しております。そのために、日韓両国が、地域および世界の平和と安全に共同で取り組む時期に来ています。すでに、東チモールでのPKOにおいて両国の共同作業が行われており、今後はアフガニスタン復興支援といった分野でも協力したいと思っています。

 両国の協力は、知的分野でも始まっています。「日韓フォーラム」など、日韓両国のオピニオン・リーダー達の対話の場では、日韓両国間の問題に限らず、広くアジアや世界の問題で、両国が如何に指導的役割を担い、貢献することができるか話合われています。今後は日韓両国の知的リーダーたちが、協力して世界に対しメッセージを発出していくようになればすばらしいことと思います。

 韓国のことわざに、「トゥソニ マジャヤ ソリナンダ(二つの手が合わさってこそ音が出る)」、すなわち、協力してこそ成果があがるとのことわざがありますが、日韓両国の関係もまさにそうではないでしょうか。

 日韓両国は、1億7000万人の人口を持ち、5兆ドルにのぼる巨大な単一経済圏となる可能性を秘めています。先日、日韓両国のビジネスリーダー達が集まり、日韓FTAの創設に向けた共同提言を発表しました。こうした日韓経済関係の未来図こそ、日韓両国での「目標の共有」の一例だと思います。

 私は、今回の韓国訪問の機会に、日韓双方の政府、産業界、そして学界による包括的経済連携構想に関する共同研究の場を設けるよう提案しました。このような場で日韓関係の明るい未来図を描いてもらいたいと思います。

 御参席の皆様、
 昨日私は、国立国樂院でカヤグムの演奏を聞くとともに、弾き方を教えてもらい、カヤグムを弾いてみました。カヤグムの哀愁を帯びた音色は、韓国の方々が愛してこられた文化であり、心の旋律ですが、日本人である私の心にも強く響きました。まさに、日本人と韓国人の感性に響く共通の言語のように感じられたのです。

 私は、この2002年を、私たち日本と韓国にとって、歴史に残る年として、後世の人々が「21世紀の日韓関係は2002年に始まった」と言われるような時代にしていきたいと思います。ここに参席しておられる皆様とともに力を合わせ、一致協力して、新たな日韓関係を構築していこうではありませんか。

 それでは、皆様に再びお会いできることを期待しつつ、お話を終えたいと思います。
 カムサハムニダ。(ありがとうございます。)


小泉総理大臣演説 / 平成14年 / 目次


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