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国際協力「ちょっといい話」
各地で拾ったいい話(第四話)
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第四話 小さな村の大きな挑戦 歴史をひもとき、村おこし

 宮崎には同じ名前の自治体が存在する。北郷(町と村)、南郷(町と村)の二つである。南郷町は北郷町と共に日南市に次いで92年5月にポーツマス市と姉妹都市盟約を締結した。
 「南郷村」について語ってみたい。宮崎市から北へ車で2時間、県の内陸に位置するこの村は歴史的にも、現在も国際的な自治体である。
 南郷村は韓国との極めて緊密な交流で知られている。
 その昔、紀元660年、唐と新羅の連合軍に破れた百済(くだら)王の一行は日本の幾内に亡命したが、大和朝廷の政争に巻き込まれ、そこから逃れるために2隻の船で九州を目指した。
 そして、最終的に日向の国の南郷村に到達したのである。
 この地にはその歴史的な痕跡が至るところに残っている。
 南郷村の人口は2,900人である。昭和30年には7,800人も住んでいた。しかし青年層の人口流出が続き、過疎化、高齢化が進み、村は輝きを失っていき、村人は自信を失ってしまったのである。このままでは大変なことになると、いろいろな提案が出された。
 とにかく村民に自信と誇りを回復させることができればと、村に伝わる“百済王伝説”に焦点をあて、ここから村おこし運動である「百済の里づくり」が始まったのである。昭和61年のことである。
 “百済の里づくり”がもとで始められた韓国との交流も、最初は相互交流というよりも、南郷側の一方的な押しかけ交流であった。
 ところが、百済王を神として祀り、いままで大切に守ってきた南郷の人々の生き方に、儒教の精神の強い韓国の人々が感激し、マスコミまでも大きく報道され、一気に南郷村への関心が高まったのである。
 韓国を訪ね、百済王の由来を調べたい南郷村の人々、南郷村にある百済王を祀る神門神社を訪ねたいと言う韓国の人々。このような両国民の意思が国際交流を活性化することになったのである。  その交流ぶりをいくつか挙げてみたい。
 まず南郷村民のほぼ半数近くが韓国を訪問している。パスポートの保有者は九州の自治体の中で、第2位だそうである。一方、韓国からの観光客も着実に増えている。
 南郷村と百済古都「芙餘」との姉妹都市盟約の締結。さらに中学校の姉妹縁組。
 中学生同士の相互のホームステイ。
 歴史調査団の相互派遣。また語学の相互学習。韓国からの国際交流員の招聘。
 挙げればきりがない。
  若者たちのUターン
 南郷村は新しいタイプの村おこしで成功を収めつつある。村民の団結心を生み出した。
 このプロジェクトが始まって以来、若者たちに大いなる刺激をあたえた。
 最近の3年間で140人の若者がUターンして故郷に戻った。花嫁が近隣都市からも沢山やってくるようになった。村の青年たちに自信と輝きが戻ってきたのである。
 南郷村は村あげての努力により、大きな成功を収めつつあり、村民ばかりでなく、韓国の人々にも感動を与え、真の国際交流の実を結んでいると言えよう。
 南郷村は、この村おこしの成功により、「第16回サントリー地域文化賞」「小さな世界都市大賞」などいくつもの賞に輝いている。
 過疎化に悩む日本中の市町村に、ヒントを与えよき模範の村になるよう更なる発展を祈りたい。


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