平成20年度 あなたの目で見る国造りの現場 ODA民間モニター報告書 Official Development Assistance
フィリピン共和国 Republic of the Philippines
各モニターの全体報告
石田 昭夫(団長) 石田 昭夫(団長)
熊本県 名誉教授
 フィリピンは、かなり貧しい開発途上国の一つであろう。私はこれまでフィリピンを含む東南アジアの国々は未経験であるが、このたびODA民間モニターとして初めてマニラ国際空港に降り立った。空港からマニラ市街地に向かうバス車窓から見た風景は、近代的ビル群がある一方でスラム街が混在しており、路傍には仕事を持たない若者たちが大勢たむろしていたり、かなり衝撃的なものであった。また、道路事情も悪く、バスや自家用車それに大型ジープを改装した乗り合いタクシーが無秩序的に混在し、随所に交通渋滞がみられた。太平洋戦争当時に日本軍と米軍により焦土と化した首都マニラにその当時の痕跡は見当たらないものの、戦後賠償を経てODAによりかなりの援助がなされてきているにも拘わらず、この国は一体どうなっているのかと驚きを禁じえなかった。
 今回、日本のODAプロジェクト9件を足早に視察した。短時間であるので十分な把握とは言えないにしても、有償資金協力・無償資金協力・技術協力のいずれのODAにおいても、それぞれに協力特性が十分に練られたものであり、在フィリピン大使館担当者および現地スタッフの真剣で精力的な取組が窺われた。これら9件のODAプロジェクト等により、貧困削減や生活条件の改善などが直ちに達成されるものではないが、その方向に沿ったODA実施の意義が十分に感じられた。しかしながら、ODAは、本来的には受取国の要請に基づく自助努力の支援であり、目標達成への触媒的な働きを期待するものである。その萌芽は今回の各プロジェクトにみられるものの、フィリピンが現状を脱却するには、これまで以上に政府をはじめ地域住民による持続的なより一層の自助努力が必要であろう。桂大使によれば、フィリピンの対日感情は極めて良好であり、また今後も日本を重要なパートナーと考えているとのことであり、これからもODAの果たす役割は重要である。
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山岸 勝広(副団長) 山岸 勝広(副団長)
神奈川県 教員(高校)
 在フィリピン大使館の意見交換で「この7日間は楽しかった」と答えた。実に充実した日々だった。多くの事を体験・発見・質問・議論した。疑問・悩み・不満・喜び・感謝の気持ちを仲間と共有した。人に1週間の事を聞かれても簡単には語れない。気になった事は、写真に撮った。千六百枚あった。撮れなかった場面も合わせると二千以上の驚き・感動があった事になる。
 出発前は、「自分にどんな手助けが出来るか」を知りたかった。今後の参考にしようと思っていた。今は、それが勝手な押し付けがましい考えだったと恥ずかしさを感じる。
 比人は、改善は望んでいるだろうが自分達の生活に満足し楽しんでいるように見えた。活き活きした小学校の子供達は、日本の受験勉強に疲れた子供や学習意欲の無くなってしまった子供達より幸せかもしれない。
 誇らしげに話をした高速道路の日本人技術者、森林を一緒に歩きフルーツを見て木に登って採ってくれた住民達、たった一人で現地の人達と仲良く活躍する青年海外協力隊員、無邪気で恥ずかしがりやの小学生、「この水は安心して飲める」と目の前で水をゴクゴク飲んだ比人、たった15ペソ(約45円)の弁当を食べながら質問に答えてくれた大学生、日本のODAを通じて、日本人も比人も幸せになっている。ODAを批判する声は多い。「ひも付き」、「押し付け」など。しかし実際の現場を見てから語って欲しい。
 フィリピン大学のIT人材育成プロジェクト(技術協力)は来年終了する。技術協力はお金を通じた支援ではない。プロジェクトは終わっても、完成した人材育成システムが存続し、毎年多数の人材を輩出し続けるだろう。この輩出された人材が比国の財産になる。いずれ日本や世界の脅威になるはずだ。ODAの貢献が金額では測れない例である。
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濱嶋 修(副団長) 濱嶋 修(副団長)
愛知県 教員(中学校)
 フィリピンでの忘れられない光景。日中、学校に行かずに、道路脇の家の前で、通り過ぎる車を眺める子ども。靴も履かずに、ゴミ山でゴミをあさる子ども。異臭を放つ汚れた川の中、笑顔で泳ぐ子ども。旅行客が多いレストランの前、「こんばんは。お金ください。」と日本語でお金をせびる幼い兄弟。母親の腕に抱かれて、無言で我々のバスの窓をたたきながら物乞いをする乳飲み子。そして、無邪気な笑顔で元気に勉強する小学生。全て現実のフィリピンである。彼らを支える教育関係にはODA全体の2%しか使われていない。今以上に本気の教育改革を期待したい。
 仕事中に腰を下ろして談笑する作業員や椅子を並べた店の前で我々に気軽に手を振る人々、だれも気さくで楽観的。しかし、勤勉さや向上心はあまり感じられない。これが、この国の陰と陽。視察先の大学で会った学生たちの学力やデザイン等の創造力は日本人を遙かに凌ぐものだった。完全、不完全を合わせた失業率が約20%。その中には大卒の人も数多くいるという。これらの人々が本気になり、潜在能力が開花したとき、他国に先を越され国際競争力でも下位に甘んじてきた『眠れる獅子』はきっと目を覚ますに違いない。
 奇しくも視察直前に、ベトナムでのODAがらみの汚職が大きなニュースとなった。我々民間人は「600億円の円借款」と言われてもどこにどれだけ、そして正当に我々の血税が使われているのかは正直わからない。関係者の方々の良心と良識に委ねるしかない。しかし、ただお任せではいけない。そこで提案。年に一度『ODAの日』を作り、年度内の各国への援助状況を報道機関と連携して大々的に報告する日を設定する。そうすれば全国民がモニターとなれるのではないだろうか。
 帰国前日、大使館での最後の意見交換の際に、お世話になった大使館の書記官に任期中の公正なODAの遂行をお願いして、視察のしめくくりとした。今回、国民を代表して日本のODAについて学ばせていただいた。その経験を生かして、現状を積極的に周囲に伝え、かつ今後の動向を継続してモニターしていくことこそが、我々の使命であることをしっかりと肝に銘じておきたい。
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中野 達之 中野 達之
北海道 大学生
 2006年に財務省が行ったアンケート調査で、ODAは「減らすべき予算」の第1位となっている。それから2年、日本人のODAを見る目はいまだ穏やかなものではあるまい。
 私がODAに特別な関心を持つようになったのは高校3年生になったばかりの春、2ヶ月間の中国留学だった。留学先の高校では中国が諸外国に果たしている役割が装飾に満ちた言葉で教えられていたが、日本が中国に対して行ってきたODAを知る者は誰一人としてなかった。莫大な税金を投じたODAに大きな失望を感じたことを、今でも強く覚えている。
 5日間で9つの案件。十分な理解をできたとは言えない視察だったが、その全てがフィリピン人のためになっている、あるいはこれからなるであろうことに今、私は確信を持っている。外務省、JICA、そしてフィリピン人自身。皆が力を合わせてフィリピンの人々のために働いている。短い間ではあったが、それが肌から伝わってくるようだった。
 しかし、そのODAが果たして日本人のためにはなったのか、という疑問は残る。日本人が厳しい目を向けるのも、そこだと思う。
 もちろん、ODAが真に相手国の人々のためのものでなくてはならないことは論を俟たない。ODAには「要請主義」という言葉がある。ODAは相手国の要請によって行われ、日本人の押し付けになってはならない。それは決して違えてはならない原則だ。
 フィリピン大学IT研修センターではフィリピン人と日本人の利益が一致する可能性を見せられた。一方で、港湾や道路の整備は日本企業の進出を助けるだろうが、その費用対効果は妥当なものなのだろうか。疑問は残る。
 「人のため」が同時に自分のためであっていけない法はない。自分のためにならないことは続かない。続かないことは効果を挙げない。相手のためであり、日本人のためでもある。そんなODAを今よりもっと模索してほしい。そう感じたモニターだった。
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六分一 遥 六分一 遥
東京都 大学生
 日本でODAに対していい評判を聞くことはあまりない。実際、私自身も懐疑的に思う部分はあったが、モニター事業に参加することでその重要性を再認識させられることとなった。洪水や汚染された水等、満足な施設、体制さえ整っていれば当然の如く保障される命を危険と隣り合わせのところに置いている人達がフィリピンにはあまりにも多い。人道上の見地から援助を行うことはすなわち日本国憲法前文の精神を追求することにもなるだろう。
 また、石油・エネルギーなどの資源や食糧の多くを海外に依存する日本にとってODAは相互依存や貿易・投資促進の観点から見ても非常に重要である。軍事力を持たない日本にとって国際協力は外交力の基盤だ。途上国に対してこうした政治的意図を持って援助を行うことに嫌悪感を抱く人も中にはいるかもしれない。しかし国民の血税を使って事業を行っている以上、「見返り」を求めることが悪いことだとは思わない。ただしその「見返り」はこちらからアプローチせずとも自ずと返ってくるものだということは明記しておきたい。それが今回の視察で感じたことである。民衆のレベルの話をすれば、視察した事業先では総じて好意的な対日感情を勝ち得ていた。皮肉なとらえ方かもしれないが、日本が先の大戦でフィリピンに対して行った蛮行を考えれば非常に大きな成果である。それはいずれもっと高いレベルで返ってくるだろう。
 嘆かわしきは最大の功労者である現地で働く日本人の活躍を大部分の国民が知らずにいることである。政府に政策対話や対外的発信力、企業の不正に対する監視の強化を要望すると共に、国民には「知ること」に対してもっと貧欲になることを望みたい。
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原 貴美 原 貴美
東京都 大学生
 国際社会で生きるにあたって、国際協力はかかすことのできないものであると視察を終えて帰国した今、改めて感じた。
 今となっては経済大国となり、フィリピン人の連想するイメージが“ハイテク”となった日本も、戦後すぐは多くの国々からたくさんの支援を受けていた。その支援があったからこそ、今の日本があるのだ。だとしたら次は、日本が助けを求める国に対して支援することは当然だと思う。
 今回の視察で、支援を要請してきたフィリピンに対し、日本は誇る支援をしていたと感じた。日本の支援は、とても緻密であり、ハード面の支援もソフト面の支援も、将来を見据えた計画が立てられていてよく出来ていた。何より、現地で働く日本人スタッフの指導力の高さと熱意あふれる仕事ぶりには、とても感心させられ、ODA事業に期待がもてた。ODA事業を知っていたり、携わったフィリピン人たちはみな、日本の支援に対して感謝し、高く評価していた。
 しかし、今回の視察では、日本のODA事業について関係者にしか話を聞く機会がなく、貧しい人や一般市民の人に話を聞けず、日本の支援について知っているのか、彼らのように貧しい人たちにも支援が行き届いているかどうかという点で、疑問が残った。話の聞ける身分が限られていたこと、行動がDoor-to-doorで限られていたことで、一般市民や貧しい人たちの生活を知ることができなかった。一般市民の生活に直接、反映されるような事業を考えてもいいように思う。
 この視察で感じた事柄を、素直な感想を日本人に伝えていけたらいいと思う。フィリピンの国づくりと自立のために、日本は“将来を担う人づくり”にとても貢献していたと伝えたい。日本人一人一人が、の納税者としての自覚を持ち、ODA事業に、フィリピンに関心を持っていけたらいいと思う。関心を持つことで、ODA事業はもっと良くなるだろうと思う。
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目代 恵子 目代 恵子
富山県 教員
 フィリピンの子どもたちはどのように生活しているのだろうか、そんなことに興味を持って応募した今回のモニターだった。恥ずかしながら今までODAについてほとんど知らなかったが、今回いろいろな案件を見せていただいた中で、援助といっても様々な形で行われていることを学んだ。
 行く先々で熱烈な歓迎を受けODAが人々に心から感謝されているということを感じた。オルモック市では謝意を伝えたいと地元の特産物である200個近くのパイナップルをいただいた。また小学校では、学校をあげて私たちを迎えてくれた。なんとか感謝の気持ちを伝えたいとするフィリピンの方々の思いが私の胸を熱くさせた。しかし一方小学校で出会った一部の先生方は日本の援助が「もらえて当たり前」と思っているような印象を受けた。今までフィリピンは多くの国から様々な支援を受けている。それに慣れてしまっているということも影響しているように思う。ODAの「貧しい人にパンをあげるのではなく、パンを自分の力で買えるようにすること」という精神が生かされるには、フィリピンの人自身が自分たちの力で歩めるように意識を育てていく必要もあるのではないか。
 また、フィリピンはとても多様性に富んだ国だった。バスの窓から見えるのは高層ビル街、活気のある市場、人が溢れかえっている道路、バラックに住む人たち。その風景の中で「豊かさ」とはなにか「幸せ」とはなにかについて考えさせられた。生活の利便性が高まり高収入を得て生活するのも「豊かな」生活であるし、また一方では地域の人たちが手を取り合い土にまみれながら一緒に果物を作ったり分けあったりする地域共同体もまた「豊かな」生活であるだろう。多様性があるフィリピンであるからこそ、その地域の人がどのような「幸せ」を求め、どのような未来に向かって歩みだそうとしているのか、そのためにはどのような援助が必要なのか、しっかりと捉えていってこそより効果的なODAを行うことができるのではないかと感じた。
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山口 徹 山口 徹
岐阜県 高校生
 「ODA」=「政府開発援助」。授業やテストでよく見かける言葉だった。しかし、言葉を知りながら活動内容等は知らなかった。ただでさえ、日本は国の借金が多いのに海外の国を支援する必要なんて無いと思っていた。今回、実際にフィリピンへ視察に行き学校では学ぶことのできない現状を見ることができた。高速道路・港湾・小学校校舎の建設や、森林保全・洪水対策・母子保健・水質改善・人材育成といった事業を行っていた。インフラ整備、教育、安全な水、医療といった、どれも日本では問題となっていないことがこの国では未だにできていなかった。また、地域によって格差があり、生活している環境そのものが大きく違っていた。都市部はどんどん発展していく一方、農村地帯は取り残されているかのように見えた。豊かな生活を送れている日本が今後、世界に向けてしていかなければならないことを改めて考えさせられた。日本とは明らかに違う生活・文化ということは、どんな国でも当たり前なことであり、尊重していかなければならない。しかし、その基本となる生活基準を高めていくことが必要だと感じた。仕事中でも笑顔で手を振ってくる人々、楽しそうに学校に通って勉強していた子供達。反対に生活のために物乞いをする人、自分達に花を売ろうと必死になっていた子供達。言葉にならない思いが胸を締め付けた。同じ国の中でこんなことが続いていていいのだろうか?自分達はそんな人々を見て見ぬふりをしていていいのだろうか?日本と同じなんかにしなくてもいい。ただ健康で幸せな生活へと近づけていくことが必要だと思う。これからもODA事業がフィリピンをはじめ、多くの国で活躍し、多くの人々にとって役立つものになってほしいと思う。自分が今できることは、今回の視察で感じたこと、ODA事業の必要性を多くの人に伝えていくことだ。また、将来自分ができることを実行したい。これからのODA事業の発展に期待し、支援をしなくてもよい状態になってほしい。
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石垣 真 石垣 真
静岡県 高校生
 私は、このフィリピンODA民間モニターに参加する前は次のようなことを思っていました。
 本当に現地の人たちが、日本の援助により本当に豊かな暮らしを営むことができているのか?
 私は去年の夏、フィリピンに行ってきました。その時も、このことを疑問に思っていました。しかし、調べようと思いましたが、結果は調べられず仕舞でした。しかし、今回の視察でほんの少しですが解決したかも知れません。
 まず、教育です。フィリピンにはストリートチルドレンがたくさん居すぎていると思いこんでいました。視察先のマリンタ小学校では、生徒が廊下で授業を行ってしまう現状を見ました。他の人からは校舎が足りないと言うかもしれませんが、僕はすごく勉強熱心だなと思いました。
 次に生活に欠かせない水です。水といえば日本では蛇口をひねると水がでますが、フィリピンでは、一部を除いてそうではありませんでした。しかし、安全な水にするためのポンプなどを使って伝染病を防いでいる施設を見ました。
 いずれにせよ、日本の援助のおかげで何もかも出来ることが、分りました。
 しかしながら問題点があります。汚職・予算不足など、いろいろとあります。まず、それらもしっかりとするには、広く国民に理解してもらうことだと思います。ただ、ODAとは何かと日本人に聞いてもわからないと思います。
 僕は、学校祭でこのODAについて発表をします。まず、できることから行ない、徐々に理解者を増やしたいと思います。
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川畑 恵実 川畑 恵実
大阪府 高校生
 今回、訪問が決まるまで、ODAが、どのような活動をしているのか正直、知りませんでした。応募する前は、それ以前の問題でODAと言う単語を知りませんでした。視察する事で、実際にODAが、どのような事をしているのか知ることができるし、良い機会に恵まれたと思っています。
 9つの視察案件には全て説明が有り、とても解りやすかったのですが、解らない説明は、とことん解らずに説明を聞いていました。
 私は、将来、看護師になるのが夢で、日本以外の国の衛生環境・健康状態が、とても気になっていました。まず第一に「衛生環境イコール水質」だと、勝手に思っていたので、看護と水質関係の視察案件は、とても興味深かった。それは、どちらも人の命に関わっているからだ。
 それぞれの案件を視察する前に聞く各案件の説明だけだと、それほどまでに、税金を使って支援しなくても良いのではないのか?と思っていました。しかし、案件を視察する事によって、その考えは、頭から離れました。現地の人達は、本当に支援を必要として、ODAは、それに応える、その関係が、すごく大切な事だと気付かされました。
 視察してきた事により、ODAの事を、よく知らない人に、私が出来る説明は少ないかもしれないが、ODAが、どのような活動をしているのか、視察してきた、そのままの事を伝えていきたい。そして関心を持つ人が増えると良いなと思う。
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川口 塔子 川口 塔子
鹿児島県 高校生
 視察中、私は日に日に分からなくなったことがある。それは、この国が最終的に目指している「完成形とは何か?」ということだ。依然としてこの国の格差は大きい。このカオスな現状で経済発展を推し進めるということは難題にも思える。国家経済開発庁によると、「自国の完成形のモデルとして“一村一品制”の日本を挙げる」と主張していた。しかし、私は先行きこの国が我が国と同様の発展を遂げるとは思えないのだ。その理由に、今回視察して私が考えた、ODA支援の現状を挙げたい。私は、支援が一切の無駄であるということは決して思わない。支援の先に人があり、そこに笑顔があったのは事実である。しかし、戦後補償の一環として開始された比国へ対するODA支援は、その歴史の長さ故、当国の“当たり前”になってはいないか、ということに対して懸念を隠せない。その様子は、ほんのわずかな時間であったが、視察中、地元住民と直接コミュニケーションをとったことによる感想である。国民性として、向上心や心持ちが低いという印象が極めて強かった。だが、彼らは大変人当たりがよく、優しい人種である。レイテ島で目の当たりにしたのは、十亀隊員を取り囲む地元の人々の大変温厚で優しい雰囲気だった。その包み込まれた雰囲気は、見ているこちらまで温かな気持ちにさせられた。戦後の日本と比較すると、これらは顕著な違いではないだろうか。汗水垂らし労働し「勤勉」だけを胸に発展を遂げた日本と、決して豊かとは言えないが、穏やかに幸せな暮らしを営んでいる比国。だからこそ、支援の形も日本流では押し付けがましいようにも思えて仕方がない。ハード面での支援で、決まって住民との対立が起こるのはその点にあるのではないか。その点、個人的に新JICAには期待を寄せているのは事実だ。また、海外出稼ぎによって経済を支えている比国にとってのデメリットは、やはり優秀な人材を当国に残せないということだ。今後、「教育者の育成」として我が国のODAに要請してもらえることを祈りながら、今後の比国の真の完成形を見届けたいと思う。
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