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モザンビークは、日本の約2倍の面積に約1,900万人が住むアフリカ大陸の南東に位置する国です。日本人には、あまりなじみがないかもしれませんが、15世紀の大航海時代にポルトガルがアジアに進出した時の中継地となり、日本でも有名なフランシスコ・ザビエルや天正の少年遣欧使節が旅の途中6ヵ月滞在した場所です。また、織田信長が接見したアフリカ人はモザンビーク人?と言われるほど、実は日本との関係が古くからある国です。

サン・セバスチャン要塞 (モザンビーク島:世界遺産)
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フランシスコ・ザビエルが
礼拝していた場所に 建てられた教会(モザンビーク島)
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1975年にポルトガルから独立したモザンビークは、植民地体制下の闘争と、独立以降の16年もの内戦の結果、国土は荒廃し最貧国の1つと数えられました。その後、1992年に停戦が成立し、国際社会の支援(日本もアフリカで初のPKOを派遣しました)の下、1994年に初の民主選挙が行われ、貧困からの脱却と平和に向け新生モザンビークがスタートしました。

内戦後放置された戦車 |

内戦で埋められた地雷を示すマーク |
その後の発展は凄まじいものがあります。経済成長は毎年、平均約8%を記録し、その様は、日本を含む国際社会に賞賛され、今では開発復興のモデル国とまで認識されるに至っています。
マプトの街並み(マプト湾から望む)
しかし、いまだ国民の半数以上が絶対貧困の状況で、UNDPの人間開発報告書でも最貧国の1つとの位置付けのままです。このような中、2度と内戦を繰り返すまいという政府の強い意志と、成果を出している国への支援を惜しまないと言うドナーの思惑が一致して、様々な支援が行われています。
特に最近では、2005年2月に国際レベルで合意された「パリ援助効果向上宣言」の下、「援助協調・援助効果向上」をキーワードに、各ドナーができるだけ共通の手続き(調達、資金の拠出方法等)を取ることで相手政府の負担を軽減する努力(援助手続きの調和化)や、ドナーがばらばらに支援して折角の効果を低減しないよう、ドナー間で協調する努力(ドナー連携)等が行われています。
モザンビークは、この分野で自他共に認める援助協調先進国であり、政府への直接財政支援には18ものドナーが参加し、多くの分野に共通の基金(コモンファンド)が設置されています。また、複数のドナーによる合同の技術支援も行われています。ただ、各ドナー固有の援助実施方法や自国民への説明責任があり、調整もなかなか容易ではありません。
日本は、モザンビークの独立当初より支援を行っており、特に近年は教育、保健、給水、橋梁インフラ、農業等、社会開発と経済開発の両方を織り交ぜたプロジェクト支援を行い、モザンビークの貧困削減・発展に貢献しています(2004年までの累計770.88億円)。
今後は、「パリ宣言」署名ドナーとして、これまで以上に「政府システムへの調和化と他ドナーとの連携」を目指しながら、如何により効果的な支援を行っていくのか、モザンビーク政府や他ドナーと共に、より良いモザンビークの未来を考える日々が続きます。
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