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ボスニア・ヘルツェゴビナは2005年、紛争終結から10周年を迎えました。
独立宣言直後に紛争が始まったことから、紛争のイメージが強いこの国ですが、10年が過ぎて首都サラエボでは紛争の傷跡を見つけるのが難しいくらいになってきました。
今、ボスニアは「戦後復興」という特殊な国から、EU加盟を目指す「普通の国」へ生まれ変わろうとしています。
日常生活が戻ったサラエボ
戦後復興を支援してきた日本の援助も、10年が経って大きな転換点に差しかかっています。
紛争終結の直後は、紛争で破壊された電力網、病院、市民の足となるバス等の「モノ」を直したり新しく供与する支援が重点的に行われていました。
しかし、10年が経過して、このような復興支援の必要な時期は終わりに近づき、自立した経済発展のための「ノウハウ」が求められるようになってきました。
復興支援に大きく貢献した日本への期待は高く、投資の促進、中小企業の振興、エコ・ツーリズムによる地域開発等への支援が始まりつつあります。
紛争終結後修復され、世界遺産にも登録された
モスタルの「スターリ・モスト」
一方で、まだまだ紛争の傷跡から立ち直れないで苦しんでいる人達もいます。
特に紛争で住み慣れた町を追われた人達の中には、未だに元居た町に戻れずにいたり、元の町に戻っても経済的に自立できずに苦しんでいる人が大勢います。
紛争中最大の悲劇の一つが起こった町スレブレニツァでは、JICAから派遣された大泉専門家が地域住民の自立のために活動しています。
民族間の融和も大きな課題ですが、日本の支援は民族間の対話の「きっかけ」になることも少なくありません。
紛争で分断された人々が観光開発を通じて新しい協力関係を築いたり、民族毎に別々の教室で授業をしている学校が民族合同の授業を始めることを考えたり、「平和の定着」を目指して、いろいろな試みが進められています。
この国が「普通の国」に戻るには、経済の発展と共に、こうした住民ひとりひとりの生活の改善と安定が欠かせません。

スレブレニツァでの農村社会調査 |

JICAの支援で作られた観光案内所 |
ボスニアの人達は誰もが日本人に対してとても優しく接してくれます。
紛争終結直後に日本政府が供与したバスや道路建設機材は今でもよく使われていて、一番困っていた時に日本が助けてくれたことを覚えているからです。
日本のような遠い国の人達が助けてくれたことに、彼らはとても感謝してくれています。
私も11年前に神戸で阪神大震災を経験したので、その気持ちは良く分かります。
「戦後復興」で大きな貢献をした日本が、ボスニアが「普通の国」になる努力を最後まで応援したい。
それが、ボスニアで働いている日本人の願いです。

サラエボ、バニャ・ルカ、
モスタルに供与されたバス。
日の丸を付けて今も走っている。 |

日本の支援で建てられた小学校。
今では平和教育の支援も
行われている。 |
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