第2節 軍縮問題
1.軍縮会議及び国連等における軍縮討議
(1)軍縮会議(CD:ConferenceonDisarmament)
ジュネーヴの軍縮会議は,具体的な軍縮措置について交渉を行う唯一の多国間交渉機関である。85年の軍縮会議は,2月5日から4月23日まで,6月11日から8月30日まで開催された。議題は84年と同じく,(イ)核実験禁止,(ロ)核軍備競争の停止・核軍縮,(ハ)核戦争の防止(ただしすべての関連事項を含む),(ニ)化学兵器,(ホ)宇宙における軍備競争防止,(ヘ)非核兵器国の安全保障,(ト)新型大量破壊兵器・放射性兵器,(チ)包括的軍縮計画の8議題が取り上げられた。
このうち,核実験禁止,核軍備競争の停止・核軍縮及び核戦争防止の3議題については各国の立場の相違から実質的な検討を行うためのアド・ホック委員会の設置について合意が成立しなかった。また,残りの5議題については作業が行われたものの必ずしも具体的成果・進展には結び付かなかった。
85年は年頭に新たな米ソ軍備管理交渉の開始の合意をうたった米ソ外相共同声明が出され,また,11月には6年半振りの米ソ首脳会談が開催される
など,新たな軍備管理・軍縮の進展を期待する気運が高まった年ではあるが,具体的な軍縮措置の合意に向けての状況には依然として厳しいものがあった。
我が国は,軍縮に関する唯一の多国間交渉機関である軍縮会議を重視し,85年においても,核実験禁止に関する安倍外務大臣のステップ・バイ・ステップ方式提案(84年6月)のフォローアップの一環として「国際的地震データ交換システム実現のため必要な具体的措置」についての作業文書を提出するなど,具体的かつ実効ある軍縮措置の実現を目指して努力した。
(2)第40回国連総会
国連における軍縮問題の討議は,78年の第1回軍縮特別総会における決定に基づきもっぱら総会第一委員会で行われている。今次総会第一委員会は米ソ首脳会談の開催を終盤に控えていたことからその影響が注目されたが,諸決議案に対する各国の投票態度に実質的な変化は見られず,また東西間の対立,及び軍縮の進展のなさに対する非同盟諸国の不満という基本的図式も変わらなかった。こうした中で,今回注目された決議の一つとして,「宇宙における軍備競争防止」があげられる。本件については当初ソ連案,中国案,西側案,ポーランド案及び非同盟案の5本が競合し,調整が難航したが,結局非同盟案への一本化が成功したことはやや明るい材料であった。また,西側諸国が従来より主張してきた軍備管理・軍縮措置における検証の重要性に関する決議(我が国,共同提案)がコンセンサスにて初めて採択されたことは評価すべき成果であったと言えよう。
なお,82年の第2回軍縮特別総会における我が国の提案に基づき国連軍縮フェローシップ参加者25名が来日した。
(3)国連軍縮委員会(UNDC:UnitedNationsDisarmamentCommission)
85年の国連軍縮委員会は,5月6日から31日まで行われた。議題は,従来より伝統的議題たる「核・通常兵器軍縮」,「軍事費削減」及び「南アの核能力」のほか,今回新たに「軍縮の分野における国連の役割」,「海軍軍備制限」及び「第2次軍縮の10年」が追加された。会期前の主たる関心事項は,伝統的議題の審議をいかに終結し,新議題にいかに取り組むかということであったが,実際には新議題への対応振りを巡る手続問題に時間を費し,実質審議を必ずしも十分尽くすことができなかった。
(4)第3回核不拡散条約(NPT)再検討会議
70年に発効した核兵器の不拡散に関する条約(我が国は76年批准)は,5年ごとにその運用状況を検討するための会議を開催すべき旨を定めており,75年,80年に続いて85年には8月27日より9月21日まで,ジュネーヴにおいて第3回の再検討会議が開催された。
80年の第2回再検討会議においては,核兵器国と非同盟国の対立から最終文書を採択し得なかった経緯があり,今回の会議の動向が注目されていたが,会議全体の議論を通じて本条約の目的である核拡散防止,原子力平和利用,及び核軍縮に対する各国の支持が表明されたこと,及び,これを反映して条約の履行状況及び勧告を含む最終文書がコンセンサスにて採択されたことは核不拡散体制の維持・強化の観点から大きな成果であった。
なお,我が国代表団の首席代表である今井軍縮代表部大使は,原子力平和利用関係を扱う第3委員会の議長に選出され,会議のとりまとめに貢献した。
2.主要軍縮問題
(1)核実験全面禁止
軍縮会議においては,82年及び83年には核実験禁止の「検証と遵守」を検討するアド・ホック委員会が設置されて審議が行われたが,84年に至り東側及び非同盟諸国が検証問題の検討を打ち切り,直ちに核実験全面禁止条約案の審議を開始すべきであると主張したため,「検証と遵守」につき十分審議を尽くすべきであるとする西側諸国と対立した。85年においてもかかる対立が持ち越され,結局本件に関するアド・ホック委は設置されなかった。
他方,軍縮会議では76年に地下核実験探知のための国際地震データ交換制度を検討する地震専門家アド・ホック・グループが設置されており,同グループは現在も活発な活動を続けている。
我が国は,従来より核実験禁止を核軍縮分野における最重要課題の一つとして重視してきており,前述のとおり地震データ交換システムに関する作業文書を提出したほか,アド・ホック・グループに地震専門家を派遣するなどして作業に貢献し,また,実質的な審議の早期再開を強く訴えてきている。
(2)化学兵器
軍縮会議は,69年以来全世界的かつ包括的な化学兵器禁止条約作成の作業に取り組んできており,我が国は,本件条約の実現を非核軍縮の最優先課題としてその実現に努力してきている。
米国は,84年4月に,化学兵器の廃棄及びその生産,保有,移転等を禁止する包括的な条約案を軍縮会議に提出した。ソ連は米条約案に規定されている検証と遵守に係わる措置が非現実的であるとして強い難色を示している。85年においても,条約の下で禁止又は規制の対象とすべき化学物質の範囲,既存の化学兵器の宣言及び廃棄,並びに検証と遵守の問題等についてアド・ホック委員会において活発な議論が行われた。
本条約の作成作業は,その内容が複雑多岐にわたるため未合意事項も多く,早期にこれらの問題が解消される見通しは必ずしも明るくない。しかしながら,85年11月の米ソ首脳会談において両国が条約締結のために一層努力することを合意したことは,今後の交渉に新たな弾みを与えるものと期待される。
(3)宇宙における軍備競争防止
我が国は,最近の宇宙開発技術の進展に鑑み,宇宙における軍備競争の防止に関しても今後十分な検討が進められるべきであるとの立場をとっている。
85年の軍縮会議においては本件に関するアド・ホック委員会が初めて設置され,実質的な審議が開始された。
また,宇宙開発の先進国である米ソ両国が本件について果たすべき役割は極めて重要であり,85年3月から再開された米ソ間の軍備管理・軍縮交渉における本分野での議論も注目されるところであるが,本件については米ソ間の立場の隔りが大きく,これまでのところ何らの具体的進展は示されていない。
3.米ソ軍備管理交渉
軍備管理に関する米ソ問の交渉は,83年末のソ連による中距離核戦力(INF)交渉及び戦略兵器削減交渉(START)の一方的中断によりとだえていたが,84年11月になって両国は新たな交渉に入ることに合意,85年1月の米ソ外相会談において,交渉の対象を宇宙兵器及び核兵器(戦略核と中距離核の双方)に関する問題の総体とすること,並びに交渉の目的は宇宙での軍備競争の防止,地球上での軍備競争の停止,核兵器の制限と削減,及び戦略的安定の強化を目指した効果的取決めの作成であることなどを述べた共同声明が発表された。
これに基づいて,85年中及び86年4月現在まで,ジュネーヴにおいて4ラウンドの交渉が行われた。
米国は交渉当初よりSTART,INF交渉時以来の提案を引き続き維持する旨明らかにしていたが,ソ連側はこれに対する具体的立場は明らかにしなかったため,第1ラウンド(85年3月12日~4月23日)及び第2ラウンド(5月30日~7月16日)においては交渉の進展は見られなかった。しかしながら,7月初めに6年半振りの米ソ首脳会談の11月開催が発表されたことから軍備管理分野の合意達成に対する期待も高まり,ソ連は9月末,初めて具体的数値を含む提案を行った。これを受けて,米国も11月1日にソ連案を踏まえた提案を行った。
ソ連の提案は戦略核兵器の50%削減,及び中距離核の展開の中止と最大限の削減等に関するものであるが,いわゆる宇宙打撃兵器の全面禁止を戦略核削減の前提条件としていること,中距離核分野で欧州のみを対象地域としアジアを除外していること,戦略核兵器の定義を「双方の領土に到達する能力のある核兵器」というソ連に一方的に有利なもの(米国の中距離核及び空母艦載機等は含まれるが,ソ連のSS-20等は含まれない)としていることなど,米国及び西側諸国の立場からは受け入れ難い点を多々含んでいた。
これに対し米国は,戦略核兵器の約50%削減,欧州部中距離核ミサイルの140基までの削減,及びアジア部での同率削減を対案として主張した。
注目の米ソ首脳会談は11月19,20日の両日ジュネーヴで行われ,21日に共同発表が発出されたが,軍備管理分野については,「適切に適用された米ソの核兵器の50%削減にかかる原則」及び「中距離核兵器にかかる暫定合意の考え方」が,両国の「共通の基盤が存在する諸分野」であること,またこれらに関する話し合いを早期に進展させるべきことなどが合意された。
その後,86年1月15日に,ゴルバチョフ書記長は,核軍縮に関する新提案を行った。これは,3段階を経て2000年までに核兵器を廃絶することを内容としているが,米ソ間の基本的対立点につき柔軟性を示すものではなく,中距離核の取扱いについてもで欧州にのみ重点を置くものであった。これに対し2月24日,レーガン大統領は,我が国をも含む同盟諸国と緊密な協議を経て,まず適切に適用された攻撃核兵器の50%削減,及びINF合意の交渉を第一歩として達成すべきであること,中距離核兵器については89年末までにグローバルに全廃するとの提案を含んだ対ソ回答を行った。86年1月16日から3月4日まで行われた第4ラウンドにおいては,具体的進展はなかった模様である。
このように,85年及び86年初頭においては,首脳会談開催を中心として米ソ間に活発な動きがあったが,両国の基本的立場の相違は依然として大きく,実質的な進展を見るに至らなかった。今後の交渉の見通しも次回の首脳会談開催の問題と絡んで現時点では極めて不明瞭であり,いずれにせよ今後ともかなりの紆余曲折があるものと考えられる。