在外邦人の保護・援助
近年邦人の海外における活躍はめざましく,年々多数の邦人が海外に進出(1968年中の旅券発行数33万余),国際社会における邦人の地位を一歩一歩高め,各地各界で名声を博しつつある。しかし,その反面海外において生活に困窮したり,罪を犯して外国警察に逮捕されたりする邦人の数もふえている。
現在海外には,商社員,留学生などの長期滞在の邦人は約53,000人,永住者(日本国籍をもつ移住者など)約272,000人,日系人(外国に帰化した移住者およびいわゆる2世,3世)約936,000人がいる。
外務省が在外公館を通じ1968年3月1日現在で調査したところによると,地域別の長期滞在在留邦人数は次表のとおりである。
長期滞在者を国別に見ると,米国が圧倒的に多く約20,000人,米国についではドイツ約3,000人,フランス同じく約3,000人,タイ国の約2,600人,カナダの約2,100人,となっている。
また,長期滞在邦人千人以上の上位7都市をひろってみると次のとおり。
ニュー・ヨーク 6,800,パリ 3,100,ロス・アンジェルス 2,900,バンコック 2,600,ロンドン 2,000,香港 1,700,デュッセルドルフ 1,400
次に,永住日本人の多い国をあげると
ブラジル 170,000,米国 58,400,アルゼンティン 13,300,ペルー 11,500,パラグアイ 6,700,ボリヴイア 4,900,カナダ 1,600
(以上数字はいずれも概数)
(1) 生活困窮者
中南米移住者のなかには,働き手である家長の死亡などにより遺族が困窮状態におちいった結果,帰国を希望するものがときどき出てくるが,家族の数が多いうえ本邦から遠いだけに帰国費用が多額となり,本邦の近親者でその費用を負担できるものは少ない。
そのような場合には,「国の援助等を必要とする帰国者に関する領事官の職務等に関する法律」にもとづいて,国から帰国費用を貸しつけて援助している。
生活困窮者は,もちろん,中南米移住者のみに限るわけでなく,あらゆる地域でいろいろな原因によって生じている。1968年度中に上のような方法で帰国を援助したものが24世帯59名あった。
(2) 精神障害者
外国に居住中または旅行中に精神障害を来たし,精神分裂病などの診断を受けた日本人がかなりある。その原因を見ると,家庭不和,貧困,ホームシック,劣等感に基因すると思われるものなどさまざまである。
こういう精神障害者の帰国については,長期間の乗船を要する船舶の利用は不適当なことが多いが,航空会社でも,病状によっては同伴者(ときに専門医)がなくては,受け入れないことがある。多くの場合,本邦の留守宅から人が行ってつれ帰ったり,現地の医者に同行を依頼するほどの余裕がないから,関係の在外公館では同行者を見つけだすのに苦心する。
1968年中にあった例で典型的なものとしては,このような日本婦人のカナダからの帰国を援助した場合があげられる。この場合には,その婦人の居住地からモントリオールまでは居住地の知人が,モントリオールからヴァンクーヴァーまでは在モントリオール総領事館の館員が,そこから東京までは会議出席のため出張していた外務省員が順にひきつぎ同行して解決できた。
同年パリで発生した精神障害者の場合にも,ヨーロッパ出張中の外交伝書使の帰途を利用して同行させた。
(3) 無銭旅行者
近年無銭旅行者または無銭に近い海外旅行者がめだって見られる。とりわけ,青年男女に多い。次のような例がある。
船で東南アジア観光旅行に出かけた21才の娘が,インドで予定を変更して,バスやヒッチハイクでヨーロッパまで足をのばした。彼女は帰国切符をもっていないうえ所持金が皆無となって在外公館に救いを求めた。その公館からの報告を受けて,外務省では家族を説得し帰国賃を払い込ませた。
これらは,いずれも放浪の果てに所持金を費消し,生活費をかせぎ出すてだても尽きて,わが在外公館に泣きついてきたものである。
なお,ホテル代不払いのまま退去して,ホテル側からわが在外公館に支払いを督促してほしいと依頼してくる事件が各地に発生している。
動乱のさいに在留邦人の生命,身体,財産の安全をはかることは,在外公館の重要な任務の1であるが,このような保護対策と大きく取り組む必要性は,1968年度には,ヴィエトナムとチェッコスロヴァキアの2国において発生した。これらの場合における経験は,それ以外の地域で騒乱が起きた場合の在留邦人保護対策に役立っている。
(1) ヴィエトナム
ヴィエトナムにおいては,1968年1月末のテト攻撃にはじまる解放戦線側の攻撃激化に伴い,大使館では在留邦人保護のため,在留邦人の所在の完全な把握につとめ,緊急時の連絡体制を整備するとともに,同年2月には大使から現地の日本人会長を通じて全邦人に対し,婦女子とくに幼少の子女を伴っている婦人は特別な事情がないかぎり一時帰国するか近隣国に退避するよう勧奨した。また,緊急用物資を現地へ送った。(この項一部「わが外交の近況」(第12号)の記事と重複)
その後5月に入り,解放戦線側のサイゴン砲撃が激烈かつ無差別化したのに伴い,6月には,仕事上その他でやむをえない人や家族について同様の勧奨を行ない,また,外務本省および近隣公館においてはヴィエトナムヘの渡航を止めるよう指導した。その結果,テト攻撃当時在留邦人は554名(男415,婦女子139)であったのが,7月末には286名(男241,婦女子45)に減少し,人的被害を最少限に止めることができた。
(2) チェッコスロヴァキア
1968年8月21日未明,ソ連軍は突如チェッコスロヴァキアへ侵入を開始した。当時同国には154人の邦人が滞在していたが,情報に接するや直ちに現地大使館はプラハ市内のホテル等に滞在する邦人と連絡をとり,同国国営バス会社の協力を得て大半の邦人を順次ドイツ(西)に脱出させた。そのほかにもオーストリアへ自家用車や列車で脱出した者もあり,数日内に在留邦人のほとんどは国外に避難することができた。
大使館により安全を確認された在留邦人については,外務省からいちいちそれぞれの留守宅や所属会社に通知した。
海外渡航者の増加につれて,日本人で国外において罪を犯し外国警察に逮捕されたり,本邦まで送還される者が多くなっている。1968年において起った邦人犯罪事件のなかには次のようなものがあった。
(1) 詐欺事件
明治100年記念で叙勲ムードのたかまっている北米各地の日系人の間をまわり,勲章まがいのものを授与すると称して金を集めてあるく日本人がいるとの報告が米国各地の総領事館からあった。そこで外務本省では北米,中米,南米にある諸公館に通報して在留邦人や日系人に対し警告するよう手配する一方,同人につき調査した結果,同人は執行猶予中の身でありながら,それを秘して旅券の交付を受けていることが判明した。よって,旅券の返納を命じて帰国させたが,すでに多数の日系人,日本人がこの詐欺で被害をこうむった。同人は帰国後警視庁に逮捕され,詐欺,旅券法違反で取調べを受けた。
(2) 麻薬犯罪
1968年には,邦人旅行者で麻薬運搬,吸飲などのかどで外国警察に逮捕された事例が,パキスタン,トルコ,デンマーク,フィンランド,インド,イタリア,ソ連などにおいて発生した。
(3) 公海上における漁船員の傷害事件
本邦漁船員による殺傷事件も頻発している。1968年7月15日西アフリカのスペイン領ラス・パルマス島沖の公海上で,沖縄漁船内において乗組員が同僚を刺殺した事件もその1である。この事件では外務省は海上保安庁に対してこれを通報し,加害者が性質,経歴などから極めて危険な人物と認められたので,同庁は海上保安官2名を現地に急派し,関係者の取調べ,証拠収集を行なうとともにポルトガルおよびロンドンにあるわが大使館や各地警察とも密接な協力のもとに,被疑者を本邦まで護送した。(羽田からは沖縄警察官によって那覇まで護送した。)
近年,わが国の海外における経済発展に伴い,家族を同伴して諸外国に在留する邦人は,逐年増加しており,1968年3月1日現在約5万3千名に及んでいる。このうち,小学校,中学校の義務教育期に相当する子弟はおよそ5,500名に達するものと推定される。
これらの在外邦人が後顧の憂いなく在外諸活動に専念できるよう,その生活基盤の確立,特に子弟教育の保障の重要性が叫ばれている。また,在外邦人子弟は数ヵ年の在留後,再びわが国の学校教育を受けるものであり,帰国後の円滑な編入学のためにも在留期間中における教育が重要である。
このような要請に応えるため,外務省は,在留国の教育事情に対応し,国内と同様の教育を施す日本人学校,または国語,数学などを中心として指導する補習学校などの教育施設を設立し,教師の派遣,教育内容の向上,施設設備の充実整備などの諸施策を行なっている。
(1) 日本人学校
明治以降,台湾および朝鮮を除いた諸外国で在留邦人の多い諸都市には「在外指定学校」として日本人学校が50数校設立されていたが,1945年の終戦に伴いすべて閉鎖された。
戦後,1956年バンコック市に日本大使館付属日本人学校の開設により,在外邦人子弟教育が再開された。1962年,外務省はバンコックの日本人学校に東京学芸大学付属小学校教諭を派遣し,以後,毎年数校づつ,日本人学校を設立するとともに,派遣教師の増員を図ってきた。
1968年度においては,マニラ,テヘラン,メキシコおよびブエノス・アイレスの4地域に日本人学校を新設し,既設校を含め19校となった。
その所在地,児童生徒数,教師数および教師の推薦機関は,191ページの表のとおりである。なお,1969年度には,ジャカルタ,リマ,およびシドニーにも設立する予定である。日本人学校は,小学校を中心とし,地域によっては幼稚園または中学校を併設し,それぞれ国内の幼稚園,小学校,中学校の教育課程とほぼ同一の教育課程を編成し実施している。
日本人学校については,外務省は,文部省から推薦のあった教師の旅費および滞在費を全額負担して派遣するほか,校舎借料を全額負担し,さらに,教材教具の購送,管理運営の指導等を行なっている。一方,文部省からの依頼に基づき教科書の無償配布および教師用図書資料の送付等も行なっている。
日本人学校の教師は,文部教官(国立大学付属学校教諭)派遣講師(公立学校教諭および大学新卒者)ならびに現地採用講師(現地在留邦人より採用)からなっているが,1968年度予算では,文部教官については3名の増員を図り13名,派遣講師については,12名の増員を図り52名となった。同時に教師の待遇の改善を図ることとし,文部教官,派遣講師の滞在費の単価を増額するとともに文部教官については配偶者の同伴旅費を計上した。なお,教師の身分関係を明らかにするため,1968年度から文部教官,派遣講師に対し外務大臣名による委嘱辞令を交付することとした。
(2) 補習学校
北米,欧州地域等の先進諸国においては,在留国の学校に就学するかたわら,帰国後の編入学を考慮し,国語,数学等の指導を行なう補習学校が開設されている。1968年度における補習学校の所在地,児童生徒数,教師数等は,次のとおりである。
補習学校の教師は現地在留邦人の中から,教諭免許状を有する人が委嘱されており,その謝金の一部を補助している。
なお,在外邦人子弟教育は,わが国の経済的発展および国際的地位の向上に伴い,今後,ますます充実,振興を図る必要があるが,外務省では1968年度に東南アジア,中近東,アフリカおよび北アメリカ地域について在外邦人子弟教育の実態調査を実施し,在外邦人子弟の教育制度,教育の形態,教師の身分保障等の諸問題の解決に資することとした。