国際連合専門機関
(1) ILOとの関係
わが国は1951年にILOに復帰し,1954年にはILOの10大主要産業国の一員に選出され,以来ILO理事会の常任理事国として重要な役割を果してきた。現在のわが国の理事会政府代表は在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部中山大使,代表代理は労働大臣官房広瀬審議官である。
(2) ILO第52回総会
ILO第52回総会は1968年6月5日から27日までジュネーヴにおいて開催され加盟国118ヵ国中109ヵ国が参加した。本総会では「小作人,分益小作人および同種の農業労働者の生活および労働条件の改善に関する勧告(第132号)」が採択された。
(3) ILO第6回アジア地域会議
第6回アジア地域会議は9月2日から13日まで東京において開催され,アジア地域を中心とする21ヵ国からの閣僚を含む政・労・使の代表164名が出席した。
本会議が日本で開催されたのは1953年9月の第3回会議に次いでこれが2度目である。
日本の労働事情に対する従来のILOの印象は必ずしも好ましいものではなかったと思われていたので,この機会にわが国の労働事情を再認識してもらうため,15年ぶりの日本開催に寄せた政府,使用者側および労働者側の努力と期待は大きかった。ILO側としても,「ILO世界雇用計画」ひいては「第二次国連開発十年」にも結びつく「アジア労働力計画」を討議する第6回アジア地域会議を大きく評価し,モース事務局長が全期間を通じて会議運営の指揮にあたり,アジア労働大臣会合を主催するなど,これまでのアジア地域会議には前例のない動きを見せた。
会議は中山伊知郎議長のもとに,「アジア労働力計画」,「アジア労働力計画および人口政策」,「経営開発」,「社会保障」,「結社の自由」に関する決議を採択した。
(1) ユネスコとの関係
わが国は1951年ユネスコに加盟し,1952年設立された日本ユネスコ国内委員会を中心に積極的にその事業活動に協力している。なお現在,在ヴァチカン田村大使が執行委員に選出されており,またパリの本部にはユネスコ常駐代表として在仏大使館中村参事官が任命されている。
(2) 第15回ユネスコ総会
第15回ユネスコ総会は,1968年10月15日から11月20日までパリで開催された。
わが国首席代表の灘尾文部大臣は,副議長の一人に選ばれた。総会は1969~70年度事業計画および予算を決定したほか,執行委員会の委員数を4人増加して34人にするとともに従来より衡平な地域的配分を実現するために執行委員の選挙制度を改正した上で,19人の委員を選挙し,わが田村大使(在ヴァチカン)も選出された。なお,事務局長ルネ・マウ氏は,さらに6年の任期をもって再選された。
(3) ユネスコ執行委員会
第78回(1968年5月~6月),第79回(同年8月~9月),第80回(同年10月)には須山前執行委員のほか田村大使が執行委員代理として出席し,第81回(総会直後11月)には田村執行委員が出席した。
(4) ヌビア遺跡救済事業への協力
ユネスコの提唱によりヌビア遺跡救済事業が1960年開始され(総工費3億4600万ドルが見込まれている)。アブシンベル神殿移築工事は1968年9月完成したが,まだフィレー神殿の救済が残っている。わが国は,アブシンベル神殿救済のために1969年3月までに6万ドルを拠出した。
(1) FAOとの関係
わが国は,1951年FAOに加盟以来毎総会に代表団を派遣してFAO活動に協力してきた。わが国は,現在FAOの理事国として,また,その下部機構である「商品問題委員会」および「水産委員会」のメンバーとして世界の農業問題に対するわが国の意欲的な姿勢を明らかにしている。
(2) FAO第51回理事会
1968年10月7日より23日までローマのFAO本部で開催された第51回理事会には,わが国から武田農林省顧問を代表とする5名の代表団が参加した。右理事会では「世界食糧農業情勢」「世界指標計画」「世界食糧計画」「FAO機構改革」等の重要案件が審議された。
(3) FAO第9回アジア極東地域総会
1968年11月4日より15日までバンコックで開催された右地域総会には,わが国から武田農林省顧問を代表とする7名の代表団が出席した。本地域総会では「世界指標計画」の地域別研究のほか,FAO地域機構の再編成問題が論議の焦点となった。
(1) WHOとの関係
わが国は,1951年WHOに加盟して以来,毎年,世界保健総会に代表団を派遣するほか,大気汚染,食品衛生等に関するWHO専門家諮問部会に参加する等,保健衛生分野における国際協力に貢献している。なお,わが国は,技術援助の一環として,結核,痘そう撲滅,コレラ,マラリア対策専門家の派遣,WHO研修員の受入れを行ない保健衛生分野における後進国援助に貢献している。
(2) 第21回WHO総会
1968年5月6日より25日まで,ジュネーヴのWHO本部で開催された第21回世界保健総会には,わが方から曾田国立公衆衛生院長ら5名の代表団が出席した。右総会では,WHO分担率の改正,1969年度事業計画および予算等につき討議が行なわれた。
(1) ICAOとの関係
わが国は,1953年1CAOに加盟して以来,毎総会に代表団を派遣し,ICAO関係会議に積極的に参加するなど国際協力の下でのわが国航空の健全な発達に努めている。なお,総会毎に行なわれる理事国選挙にも,わが国は,1956年以降毎回当選してきている。
(2) ICAO第16回総会
第16回総会は,1968年9月3日より28日まで,ブエノスアイレスで開催され,わが国より在アルゼンチン河崎大使を首席代表とする9名の代表団が出席した。わが国は,従来Bカテゴリー理事国であったが,右総会において初めてAカテゴリー(航空運送において最も重要な国)より理事国に立候補し,最高点で当選した。
わが国は,1877年欧米以外の国としては最初にUPUに加盟して以来,UPU連合員として郵便業務の国際協力に貢献してきている。なお,第16回万国郵便大会議は,1969年10月1日より約6週間にわたり東京で開催される予定であり,わが国は,1968年9月末にUPU全加盟国に対し,右大会議への招請状を発出し,目下その準備に万全を期している。
(1) ITUとの関係
わが国は1879年ITUの前身である万国電信連合に加盟し,ITU設立後も国際電気通信の改善および合理的利用のため,ITUの活動に積極的に参加し,1959年以降管理理事会の理事国に選出されてきた。
(2) 第23回会期管理理事会
第23回会期管理理事会(1968年5月11日~31日,ジュネーブ)には,わが国より郵政省柏木電気通信監理官ら4名が出席した。右理事会では,宇宙通信,技術協力および憲章草案の作成等の諸問題が討議された。
(1) IMCOとの関係
わが国は,1958年IMCOに加盟して以来,理事会,海上安全委員会の有力なメンバーとなっている。
(2) 第4回臨時総会(1968年11月26日,28日,ロンドン)
右総会では,「沿岸国の海水汚濁損害防止措置に関する条約」および「油濁損害の賠償責任に関する条約」採択のための国際会議を1969年11月ブラッセルで開催することを決定した。
(3) 1966年国際満載喫水線条約の受諾
わが国は,1966年4月ロンドンで採択された国際満載喫水線条約(1930年条約の改訂)の受諾書を1968年5月15日IMCOに寄託し,右条約は,寄託の30日後にわが国について発効した。
(1) WMOとの関係
わが国は,1953年WMOに加盟し1955年第2回世界気象会議以来毎回同会議に代表団を派遣し,そのほか,気象関係セミナーをわが国で開催するなどWMOを通じての国際協力に努めてきている。
(2) 第20回執行委員会
1968年5月30日から6月30日までジュネーヴで開催された第20回執行委員会では,世界気象監視(WWW)計画に関連する事項を含む諸問題が討議されたが,わが国より執行委員の柴田気象庁長官ほか1名がこれに参加した。
ECOSOCの決議に基づき,1968年10月7日より11月8日まで,ウィーンにおいて,国際連合の主催による国連道路交通会議が開催され,右会議において,「道路交通に関する条約」および「道路標識および信号に関する議定書」(1949ジュネーブで採択)の改正草案につき審議が行なわれたが,わが国よりも,在オーストリア新関大使を首席代表とし,警察庁鈴木交通局長ら計13名の代表団が参加した。