東 欧 地 域

1 ヴィエトナム問題をめぐる日ソの応酬

(1) 一九六七年一月二七日スダリコフ・ソ連外務省極東部長は駐ソ中川大使に対して、要旨次のとおりのヴィエトナム問題に関するソ連政府声明を手交した。

ソヴィエト政府は一九六五年三月二二日と八月三一日及び一九六六年二月一七日付覚書において、日本の領土と人的物的資源が米国のヴィエトナムにおける侵略のために利用されている事実に対し、日本政府の注意を喚起した。しかし日本政府は必要な措置をとらなかったばかりでなく、米国のヴィエトナム侵略行動に対する日本のある種の共犯行為が拡大されつつあることは種々の事例が証明している。日本のこのような立場及び行動はアジアにおける事態の尖鋭化を助長するだけである。ソ連政府は日本政府が国際平和維持の責任を自覚し、東南アジアにおける緊張を激化させるあらゆる行動を停止させるための措置を講ずるよう要望する。

(2) これに対して、同年二月一六日北原欧亜局長よりヴィノグラードフ在京ソ連大使に対し、要旨次のとおりの日本国政府声明を手交した。

ヴィエトナム問題に関する日本国政府の基本的立場は、一九六五年四月六日、同年九月二八日及び一九六六年二月二六日付覚書において繰り返し明らかにしたとおりであり、ヴィエトナム紛争の性格について、日本国政府はソ連政府とは相異なる認識を有する。ソ連政府が徒らに事実を誇張し、あるいは曲解することによって日本国政府の立場を批判し、また非難することは、問題の解決に何等建設的な効果をもたらすものとは思われないのみならず、日ソ両国間の友好関係に沿うものとは認められない。日本国政府は、両国政府がそれぞれの立場の相違にも拘わらず率直な意見の交換を行ないヴィエトナム問題解決の方途を見出すために積極的な協力を行なうことを希望する。

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2 日ソ領事条約及び領事館設置問題

日ソ領事条約締結交渉は日ソ双方の草案を基礎にして一九六五年七月三〇日より、モスクワにおいて開始された(交渉開始に至る経緯については「わが外交の近況」第十号一四六頁参照)。交渉には約一年を要し、六六年七月初旬交渉は実質的に妥結し、日ソ領事条約は同年七月二九日、椎名外務大臣と訪日中のグロムイコ外務大臣との間で署名調印された。

同条約は前文及び四三条の条文からなる条約本文と、条約本文と不可分一体をなす議定書及び交換公文から成っている。日ソ領事条約は、戦後、領事官も国家代表的性格を強めているので、これを特権・免除等において外交官と同様に取扱うべきであるとするソ連の立場と、領事官に国家代表的性格を認めず、従って特権免除についても本質的には領事官の職務遂行に関連してのみ認められるべきであるとするわが方の立場との妥協の上に作られたものであるので、従来わが国が他国と結んだ領事条約、例えば日英・日米領事条約におけるよりも、より広い特権・免除を領事官に認めている。また派遣国の国民が接受国官憲によって逮捕、拘禁された場合の領事官の通信、面会権等につき議定書及び交換公文において詳細に規定していることも日ソ領事条約の特徴の一つである。なお同条約は批准される必要があるのでわが方は第五五特別国会において国会の承認を求めることとしている。同条約は批准書交換の日の後三〇日目に発効する。

日ソ領事条約が締結され、またわが方においては昭和四一年(一九六六年)度予算において在ナホトカ総領事館設置が既に認められている経緯もあるので、早急にソ側と領事館設置交渉を開始することが決定され、一九六六年一〇月三一日モスクワにおいてソ側に対し交渉開始を申入れ、ナホトカ及び札幌に総領事館を相互に開設することにつき交渉した結果一九六七年五月一九日右交渉は妥結しソ側との間に往復書簡を交換した。

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3 日ソ海難救助協定運用改善交渉

日ソ海難救助協定は一九五六年五月モスクワで署名され、同年一二月発効し、翌五七年から両国間に海難救助協力のための無線連絡が運用され、今日に至っているが、その運用は必ずしも円滑には行なわれず、例えば日本船の海難通報についてソ連側から回答がない場合が多く、その他使用電波の追加、通信局の拡充の必要が生じてきたので、第十一進洋丸事件を契機とし、同協定の運用を改善すべきであるとの観点から、一九六六年六月イシコフ漁業相の訪日の機をとらえ、同漁業相との会談において本間題をとりあげ、わが方が協定上改善すべき個所を指摘する文書を手交し、できれば同年秋にでもソ連側と交渉に入りたい旨を述べたところ、ソ連側はこれに同意した。

その後在ソ大使館を通じ、イシコフ漁業相に手交したわが方の考え方に対するソ連側の見解を督促してきたところ、一九六七年三月末にいたりソ連側の回答に接した。ソ連側の回答は大筋においてわが方の考え方を受入れたものであるので、文書により合意すべく交渉中である。

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4 要人の往来

(1) イシコフ・ソ連邦漁業大臣の来日

イシコフ・ソ連邦漁業大臣は、夫人とともに、日本政府の招待によって一九六六年六月一九日来日し、同二九日まで滞在した。その間、同大臣は佐藤総理大臣、椎名外務大臣及び坂田農林大臣とそれぞれ会談を行なったほか、さらに北海道及び関西への視察旅行を行なった。

佐藤総理大臣、椎名外務大臣及び坂田農林大臣と同大臣との会談では、北方周辺水域における操業の取決めおよび安全の確保に関する問題、公海漁業問題、海難救助協定問題および漁船だ捕問題等に関して意見の交換が行なわれた。

イシコフ漁業大臣の本邦訪問については、日ソ両国の共同コミュニケ(資料篇参照)が発表された。

(2) グロムイコ・ソ連邦外務大臣の来日

グロムイコ・ソ連邦外務大臣は、夫人とともに、一九六六年七月二四日より三〇日まで日本政府の賓客として本邦を訪問した。同大臣にはスダリコフ・エヌ・ゲ・ソ連邦外務省極東部長、ザミャティン・エル・エム・ソ連邦外務省報道部長等が同行した。

同大臣は、本邦滞在中、日ソ領事条約に署名したほか、佐藤総理大臣、椎名外務大臣と会談し、また、工場などを視察したほか、京都、大阪を訪問した。

同大臣の本邦訪問は日ソ外交史上初めてのソ連邦外務大臣の本邦訪問であり、同大臣が本邦滞在中行なった日本政府首脳との会談では、領土問題を含む日ソ両国間の懸案並びにヴィエトナム問題、核拡散防止及び軍縮などの国際問題につき意見の交換が行なわれた。なお、右会談において日ソ両国政府間に定期協議を開くことが合意された。

グロムイコ外務大臣の本邦訪問については、日ソ両国の共同コミュニケ(資料篇参照)が発表された。

(3) 川島特派大使の東欧三カ国訪問

川島自由民主党副総裁は佐藤総理の特使として藤枝泉介、秋田大助および浜野清吾の各特派大使顧問を同伴し、一九六六年一〇月三日から一一日までユーゴースラヴィア、ブルガリアおよびルーマニア三国を親善訪問した。

同特派大使は訪問先の党、政府最高首脳と、わが国とそれぞれの国との関係の発展に関する問題並びにヴィエトナム問題、欧州問題、核拡散及び軍縮問題など国際情勢に関する問題につき意見を交換した。同特派大使はユーゴー訪問の際、佐藤総理のチトー・ユーゴー大統領あて親書を手渡した。

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