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最近のタイ情勢と日本・タイ関係

平成24年1月

タイの政治情勢

1. 内政

(1)クーデターからアピシット政権発足に至る経緯

(イ)2006年2月以降、親タクシン首相(当時)派と反タクシン派双方の大規模な集会が開催され社会的対立が激化し、同年4月の選挙は、野党がボイコットする等の異例の事態となった。その後、憲法裁判所により選挙は違憲無効と判断され、選挙のやり直しが検討される中、2006年9月、ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部によるクーデターが発生し、タクシン政権は終焉を迎えた。

(ロ)その後、2006年10月、スラユット首相(就任当時は枢密院顧問官)の下で暫定政権が発足した。2007年5月、司法当局は、タイ愛国党の前年の選挙違反疑惑に対して、解党処分と党幹部の5年間の政治活動の禁止を決定した。党の解党に伴い、愛国党主流派は、それまで議会で議席を有していない小政党だった国民の力党に移籍するとともに、サマック元バンコク都知事を党首に迎えた。

(ハ)2007年12月、下院議員選挙が行われ、タイ愛国党の流れを汲む国民の力党は、下院480議席中、233議席を獲得し、第一党となった。2008年1月、サマック党首が首相に就任し、翌2月に同首相の下で、政権が発足した。

(ニ)その後、サマック政権打倒を揚げる反タクシン派の民主化市民連合(PAD、黄シャツグループ)による反政府運動が高まる中、2008年9月憲法裁判所により、サマック首相が報酬を得てテレビ番組に出演していたことが違憲と判断され、同首相は失職するに至った。これを受け、同月ソムチャイ副首相兼教育相が国会で首班指名を受けて、新首相に選出され、新政権が発足した。しかしながら、激化する反政府デモに有効な対応策がとれない中、2008年12月に2007年12月の選挙違反を理由に、憲法裁判所により、国民の力党は解党処分となった。その後、国民の力党の一部及び連立与党が民主党支持に回ったため、民主党を軸にした連立に向けた協議が行われた結果、同月15日にアピシット民主党党首が首相に選出され、政権交代が行われた。

(2)最近の政治・社会情勢

2009年3月下旬より、アピシット政権に対して、タクシン元首相支持の反独裁民主戦線(UDD、赤シャツグループ)が反政府デモを断続的に実施した。同年4月にパタヤで開催が予定されていたASEAN関連首脳会議は会議場へのデモ隊乱入により延期となる事態が発生した。政府はバンコク及びその周辺に非常事態宣言を出し、事態を収拾した。2010年2月、最高裁判所は、タクシン元首相の国内資産を没収する判決を出した。UDDは不満を高める中、3月中旬より国会の即時解散を求めてバンコク都内において大規模な反政府抗議集会を実施。4月10日、デモ隊と治安部隊との間で衝突が発生。邦人1名を含む多数の死傷者が出た。その後、5月19日、政府治安部隊はデモ隊への行動を開始し、治安部隊が包囲網を狭めるなかで、UDD幹部がデモ集会の終結を宣言した。本年3月からのデモ集会にともなう一連の混乱による死亡者数は、約90名にのぼった。その後、タイ政府による国民和解のプロセスとして、国家改革委員会や事実究明委員会など各種委員会が立ち上げられ、和解に向けた取組みがなされたが、基本的な社会の対立構造の解決には至らぬまま、アピシット首相は、2011年5月、下院を解散した。7月3日に行われた総選挙の結果、タクシン元首相の実妹たるインラック氏を比例第1位に推したタイ貢献党が、500議席中265議席を獲得し、民主党に100議席以上の差をつけて第1党となった。8月10日、プミポン国王への宣誓を経て、タイ貢献党他5党連立のインラック氏を首相とする政権が発足した(連立与党で500議席中300議席を占める)。同政権は、7月からの降雨によりもたらされた北部及び中央部を中心に発生した大規模洪水被害により、政権発足直後から非常事態に直面することとなった。

2. 外交

タイは伝統的に柔軟な全方位外交を基本とし、ASEAN加盟国として域内諸国との連携・強調を維持しつつ、日本、米国、中国といった地域に影響力を有する主要国との良好な関係の維持に努めてきた。

地域協力に関しては、タイは、イラワジ・チャオプラヤ・メコン経済協力戦略(ACMECS。現在の参加国はタイの他、カンボジア、ラオス、ミャンマー及びベトナム)等の積極的なイニシアティブを打ち出すなど、タイは、メコン地域における中心国としての役割を果たそうとしている。

2008年7月より2009年末まで、タイはASEANの議長国を務めた。2008年12月に開催が予定されていたASEAN関連首脳会議はPADの空港占拠事件により開催が延期され、2009年4月にパタヤで開催される予定であったが、UDDのデモ隊が会場に乱入したことにより、当日になって再度延期された。2009年7月にプーケットにてASEAN関連外相会議が無事開催され、首脳会議は2009年10月21~25日にタイ南西部のホアヒンで開催された。

近隣国との関係に関しては、カンボジアとの関係が緊張していた。

タイとカンボジアの国境問題に絡んで、2008年7月上旬にプレアビヒア寺院がカンボジアにより世界遺産登録されたが、その登録やカンボジア政府によるタクシン元首相の同政府顧問への任命(2009年10月)を巡り、両国関係が緊張し、時折、国境地域において小規模な銃撃戦が発生(2008年10月、2009年4月、2010年1月、4月)してきたが、2010年8月、タクシン元首相が、カンボジア政府の顧問を辞任した頃から、両国関係は急速に回復、相互に召還していた大使を帰任させるなど二国間関係は正常化してきていた。しかしながら、本年(2011年)1月から、プレアビヒア寺院近くにある両国が領有を主張する別の寺院にカンボジア側が設置した石碑及びカンボジア国旗を巡り問題が発生。タイ側は近隣地域で軍事演習を行うとともに、カンボジア側も同地域に軍を移動させるなど情勢が緊張していた。本年2月から断続的に戦闘が発生し、双方に死傷者が出た。2月、本件に関する国連安保理の非公開会合が開催され、武力衝突に深刻な懸念を表明するとともに、双方に最大限の自制と、恒久的停戦、対話を通じた平和的解決を求め、ASEANの努力を支持する内容のプレス・ステートメントを発表した。

また、ASEAN議長国であるインドネシアの呼びかけに応じ、タイ・カンボジア情勢に関するASEAN非公式外相会議が実施され、両国がASEAN議長国インドネシアから停戦監視団を受け入れる旨の議長声明が発出された。

しかしながら、4月に再びタイ側スリン県,カンボジア側オッドーミエンチェイ州の国境地帯(プレアビヒア寺院から西に約200km)において交戦が行われた。

カンボジアが、国際司法裁判所に対し、1962年の同裁判所の判決の解釈を要請した件に関し、7月18日、同裁判所は、暫定的非武装地帯からの両国の軍事要員の撤退、両国がASEANが派遣する非武装地帯への監視団を受け入れることを含む仮保全措置を指示した。タイ、カンボジア両国は、これを支持する姿勢を示している。

その後、2011年8月インラック政権が成立すると、両国関係は急速に回復した。

タイの経済情勢

1. 経済政策

タクシン政権は、輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とし持続的成長の確保を目指す一方、貧困撲滅と所得拡大による草の根レベルでの国内経済の強化を目指した。また、タクシン政権下では貿易の拡大のため、各国とのFTA締結が積極的に推進された。同政権下で、経済は回復基調に乗り、2003年には経済危機時の対IMF債務を返済し、6.9%と経済危機後最高の実質GDP成長率を記録した。

その後の政変を経て成立したスラユット政権は、発足間もなく、国王の提唱する「足を知る経済」を標榜し、数値のみならず倫理や数値に現れない幸福感も重視する方針を打ち出し、タクシン政権下での経済拡大路線を見直す姿勢を打ち出した。同政権下では、開かれたタイの経済政策は不変であるとされたが、外国人事業法の改正や短期資金注入規制措置の動きを巡っては、外資が規制されるのではないかとの不安感から、外国人投資家から懸念の声も出た。

サマック政権は、政変により冷えこんだ外国投資家からの信頼回復を重視したが、内政の混乱により、短期間で崩壊した。その後、世界金融・経済危機による外需減退を受け、輸出が減少し、製造業等では大幅な減産となった。これに加え、2008年11月末に発生したバンコクのスワンナプーム国際空港の閉鎖等の内政の更なる混乱が、観光業を中心に経済全体に悪影響を与えた。2008年全体の成長率は2.6%となった。アピシット政権となった2009年は、前年の世界的な経済危機の影響から同年全体の成長率は-2.6%となったが、同年の第2四半期から回復傾向を示しはじめた。2010年は、第1四半期に対前年同期比12.0%、第2四半期は同9.1%と高い成長率を達成したが、下半期に入り、世界経済の減速とともにタイ経済も減速を始め、第3四半期は前年同期比6.7%と回復幅を縮め、 2010年全体の成長率は7.8%となった。2011年は当初3.5~4.5%と予想されていたが、洪水被害を受け、タイ政府はこれを1.5%に下方修正した。

2. 主要経済指標

日タイ関係

1. 日本との関係

日タイ両国は600年にわたる交流の歴史を持ち、伝統的に友好関係を維持している。近年は両国の皇室・王室間の親密な関係を基礎に、政治、経済、文化等幅広い面で緊密な関係を築いており、人的交流は極めて活発である。タイにおける在留邦人は46,232人(2010年10月在留届ベース)、タイへの日本人渡航者数は約103万人(2010年)、バンコク日本人学校生徒数は2,555人、シーラチャー日本人学校生徒数188人(2011年4月現在)に上る。

特に経済面において両国は非常に緊密な関係にあり、タイから見て日本は貿易額、投資額、援助額ともに第一位である。日本にとってもタイは東南アジア地域における重要な生産拠点かつ市場であり、バンコク日本人商工会議所の加盟企業は1,356社(2011年12月現在)を数えている。

これまでの緊密な経済関係を更に強固なものにすべく、日タイ経済連携協定(JTEPA)の締結に向け、2003年12月に首脳間で交渉開始が合意された。その後、2005年9月の日タイ首脳会談で大筋合意に至り、2007年4月、スラユット首相が訪日した際、安倍総理との間で同協定への署名が行われた。同協定では貿易のみならず、投資、政府調達、協力等幅広い分野における経済関係の強化が目指されている。2007年11月1日、同協定は発効した。

また1998年以降、外交・防衛当局者協議を行っているほか、2003年2月、アフガニスタンにおけるテロ対策に際し、海上自衛隊艦船によるタイ陸軍工兵部隊重機の中東への輸送を行う等、両国は防衛面において緊密な関係を築いている。また、2011年第3回外務省ハイレベルによる日タイ政務協議を行った。

なお、2007年、日タイ両国は、1887年に日タイ修好宣言に調印して近代的外交関係が開始されてから120年目を迎えたことから、2007年を「日タイ修好120周年」とし、幅広い分野で交流促進のための行事が行われた。

近年両国は二国間関係にとどまらず、メコン地域開発をはじめ、地域、国際場裡の諸問題についても緊密に協力している。

2011年3月、東日本大震災に際し、タイ王室、政府、国民から多大な支援があった。

2011年7月から発生したタイの大規模洪水被害に際しては、我が国から、排水ポンプ車隊を含む様々な調査団、専門家チームの派遣、レーダー観測機による被災地情報の収集、緊急物資、緊急無償資金の供与、ASEAN+3緊急米備蓄制度の下での支援等が実施された。また、市民、企業、NGO等により義援金の供与等の支援が実施された。工業団地が冠水し、日系企業も多くの被害を受けたことから、我が国政府は、資金面での支援や、タイ人労働者の日本での就業を一時的に一定の条件の下認めるなど、タイの経済復旧・復興とサプライチェーンの維持・早期回復にも資する日系企業支援を実施した。また、2010年11月、12月に行われた首脳会談、外相会談においても、我が国として、新たなチャオプラヤ-川流域洪水対策マスタープランの策定を行うことなど、タイの復旧、復興、今後の治水対策を全面的に支援する旨タイ側に表明した。

2. 要人往来

(1)皇室・王室

日タイ両国の間では親密な往来が行われている。2006年には、6月にプミポン国王の即位60周年記念行事に御出席のため天皇皇后両陛下がタイを御訪問になった。タイからは8月にシリントーン王女が、10月及び11月にチュラポン王女が訪日された。また、2007年3月には秋篠宮殿下がキングモンクット工科大学から名誉学位(水産学)授与のためタイを御訪問され、同10月、2008年9月、2009年11月にはチュラポン王女が訪日された。2010年は10月にシリントーン王女殿下が、11月にはチュラポーン王女殿下が訪日された。

(2)首脳

2007年4月、スラユット首相が訪日し、安倍総理との間で日タイ経済連携協定への署名を行った。2009年2月、アピシット首相が訪日し、麻生総理との間で首脳会談を行った。2009年10月、鳩山総理がASEAN関連首脳会議のためにタイを訪問し、2009年11月、アピシット首相が日本・メコン地域諸国首脳会議のために訪日し、それぞれ日タイ首脳会談を行った。2011年11月、インドネシアのバリ島で行われたASEAN関連首脳会議の際、野田総理とインラック首相の間で日タイ首脳会談が実施された。

(3)外相

高村外務大臣は2008年1月に、日メコン外相会議に出席のため来日したニット外相と、2008年5月には、来日したノパドン外相との間で会談を行った。2009年1月、中曽根外務大臣はバンコクでカシット外相との間で会談を行った。2009年7月ASEAN関連外相会議でプーケットを訪問した中曽根外務大臣はカシット外相との間で会談を行い、日・タイ受刑者移送条約に署名した。また、日メコン外相会議でカンボジアのシアムリアップを訪問した岡田外務大臣は、カシット外相との間で会談を行った。2010年1月アジア中南米協力フォーラム出席のため訪日したカシット外相と岡田外務大臣との間で会談を行った。2010年7月ASEAN関連外相会議でベトナム・ハノイを訪問した岡田外務大臣は、カシット外相との間で会談を行った。また、2010年8月岡田大臣はバンコクを訪問し、アピシット首相、カシット外相との間で会談を行った。他、同年10月ハノイにおいて前原大臣とカシット外相との間で会談を行った。2011年11月、ハノイにおけるAPEC外相会合に出席した玄葉外務大臣とスラポン外務大臣との間で会談を行った他、同年12月には両外相間で電話会談を行った。

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