アフリカ

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スーダン概況

平成19年12月

基本データ

(1) 面積:
250万平方キロメートル(日本の約7倍、アフリカ最大の国、世界第10位)
(2) 人口:
3,623万人(2005年推計)
(3) 言語:
アラビア語(公用語)、英語も通用
(4) 人種:
アラブ系(40%)、アフリカ系(31%)、その他(ナイロン・ハム等)
(5) 主要宗教:
イスラム教(70%)、キリスト教(5%)、アニミズム(25%)
(6) 元首:
オマル・ハサン・アフマド・アル・バシール大統領
(7) 議会:
国民議会(二院制:上院52議席、下院400議席)
(8) 政府:
大統領:オマル・ハサン・アフマド・アル・バシール
外相:デン・アロル・クワル
(9) GDP:
360億米ドル(2006年)
(10) 経済成長率:
13.0%(2006年)
(11) 貿易総額
(輸出:62.6億ドル 輸入:80.7億ドル)(2006年)

I. 最近のスーダン情勢

1.政治情勢

  • 国内の安定化が内政上の最優先課題に位置付けられるが、右の実現に向けて、民主化、人権状況の改善、地域間の公正な資源配分等が求められている。
  • 2005年1月9日、20年以上続いた内戦を終結させる南北包括和平合意(CPA)が成立、同年7月9日に統一暫定政府が樹立され、現在、復興・再興への取組みがなされている。右和平合意の着実な履行が今後の課題。
  • 2003年2月頃より激化したスーダン西部のダルフールにおいて、同地域住民、特に婦女子に対する暴力行為の継続等により多数の国内避難民と難民が発生。深刻な人道状況に対する国際社会の懸念は強く、2004年4月のスーダン政府と反政府勢力との停戦合意後、アフリカ連合(AU)による停戦監視及び和平交渉の仲介がなされた。
  • 2006年5月、スーダン政府及び反政府勢力の一部による「ダルフール和平合意(DPA)」が成立したものの、ダルフール地域の人道状況は改善せず、国連の推定では現在までに約20万人のアフリカ系住民が殺害され、約200万人〜250万人の難民・国内避難民が発生。
  • このような人道・人権状況を改善するため、2006年8月末、国連は安保理決議第1706号を採択し、南部スーダンに展開中の国連PKO部隊(UNMIS)のダルフールへの展開を決定したが、スーダン政府は右決議の受入を拒否。
  • 同2006年11月、国連、AU、スーダン政府は、3段階による国連とAMIS部隊の共同で、ダルフールに平和維持部隊を展開することで原則合意。
  • 2007年4月、スーダン政府は右の第2段階である「重量支援パッケージ」の受入を表明。また、同6月、同政府は第3段階の「AUと国連による共同展開(ハイブリッド・オペレーション)」の無条件での受入に合意した。
  • 同年6月、スーダン政府は、同地域へ展開予定の約2万人規模の平和維持部隊となる「AUと国連の共同展開」の無条件での受入を表明。
  • 同7月末、国連安保理は約2万6千名という大規模のPKOミッション「ダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID)」展開を決定する決議第1769号を採択。
  • ダルフール問題の解決のためには、国連とAUの主導のもと、ダルフール和平合意(DPA)の履行と右合意への非署名派の参加、並びに同地域への「国連・AU合同ミッション(UNAMID)」の早期展開のため、スーダン政府よりの協力が今後の課題。
(1)国内の政治・人権状況

(イ)スーダンは、イギリス統治時代にアラブ系人口の多い北部と黒人系の多い南部の交流を禁止していたこともあり、独立前から北部と南部の違和感は大きく、北部スーダンが政治・経済・文化的支配を拡大することを恐れた南部との間に、1955年に内戦が勃発した。1956年に英・エジプト両国から独立し、1972年に南部の自治権を認める「アジス・アベバ協定」により一旦停戦したものの、1983年に当時のヌメイリー大統領が右協定を反古にしたことから内戦が再燃、爾来20年にも及ぶアフリカ最長の内戦を継続した。

(ロ)北部政権は1989年にバシール中将(当時)による軍事クーデターが発生。イスラム原理主義を標榜する国民イスラム戦線(NIF)が翼賛団体として政治を主導する体制を樹立したが、次第にイスラム色を後退させ、1998年6月には新憲法を制定、1999年12月には「政治結社設立に関する法」の制定により複数政党制を採用し、NIFは国民会議党(NCP)に改称された。バシール大統領は、1996年の国民議会での選挙、2000年12月の国民による直接選挙でいずれも再任し、現在まで現職。なお、飲酒の禁止や鞭打ち・手足切断等の刑罰を含むイスラム法(シャリーア)は、現在も施行されている。

(ハ)NIF内でのバシール大統領とイスラム主義指導者ハサン・トラービー氏の権力争いから、1999年12月12日、大統領はスーダン全土に対して国家非常事態宣言を布告(国家非常事態は現在まで継続中)するとともにトラービー氏が議長を務める国民議会を解散。トラービー氏は、その後、野党民衆会議党(PNC)を結成するが、2004年4月にクーデター未遂により逮捕され、現在、PNCは非合法化されている。

(ニ)2002年7月、スーダン最大野党ウンマ党からムバーラク・アルファーディル率いる派閥(MF派)が分離し、同年8月に政権参加して以来、現在まで連立与党。

(ホ)ダルフール情勢に関する国際社会の懸念は深く、2004年に国連事務総長により設置されたダルフール情勢に関する国際調査委員会(ICI)が2005年1月に提出した報告書は、スーダン政府による意図的なジェノサイドの存在を否定したものの、スーダン政府に支援されたと目されるアラブ系民兵組織、通称ジャンジャウィードが、国際法上の犯罪である国際人権・人道法の重大な違反に責任を有すると述べている。

(へ)スーダンの人道・人権状況については、スーダン国内メディアが実質的に情報・通信省の検閲下におかれ、言論・表現の自由等が保障されているとは言い難く、欧米のNGO等からは、2004年中に同国政府によって取られた人権活動家の拘束、野党の非合法化等の強硬措置の違法性も指摘されている。

(ト)2005年1月に北部政権と南部政権であるスーダン人民解放運動/戦線軍(SPLM/A)との間で南北包括和平合意(CPA)が成立、7月に暫定憲法が成立し、同月北部出身のバシールが大統領に、南部出身のジョン・ギャランが第一副大統領(兼南部大統領)に就任して統一暫定政府が樹立された。7月30日にギャラン第一副大統領が死亡したことで、後任としてサルヴァ・キールSPLM指導者が第一副大統領兼南部大統領に就任。9月20日、統一内閣の陣容が発表された。また、南部においても閣僚が発表され、10月24日に南部政府が成立した。

(チ)南北包括和平合意(CPA)においては、2009年に大統領選挙及び南北での中央・地方総選挙の実施、2010年末を目処に南部独立を問う住民投票の実施が決まっており、この着実な実施が今後の課題と言える。

(2)南北和平

(イ)2002年より、米国・英国・ノルウェー(トロイカ)と周辺アフリカ諸国(ケニア、ウガンダ等)の積極的仲介の下、中央政府と南部反政府勢力との間で和平交渉が進展し、2005年1月9日、南北包括和平合意(CPA)が成立、1983年以来のアフリカ最長の内戦が終結した。南部地域は、6年間の移行期間後、住民投票により統一か独立かを決定する予定。CPAの成立を受け、和平当事者双方の代表者からなる国民統一移行チーム(JNTT)が結成され、2005年4月3日、スーダン政府とSPLMからなる合同委員会が開催され、国民憲法委員会の立ち上げに関わる取組と包括和平合意(CPA)の履行に関して協議を開始した。

(ロ)2005年3月24日、国連安保理は、国連スーダンミッション(UN Mission in Sudan: UNMIS)の設立を内容とする決議第1590号を全会一致で採択。現在、UNMISでは約1万名の軍事要員及び数百名の文民警察官が南部地域に展開中で、CPA履行の支援等を任務として活動している。

(ハ)2005年4月11日及び12日、スーダンの復興支援のために、60以上の国、地域、機関が参加して、スーダン支援国会合(於:オスロ)が開催され、2005〜2007年の3年間の支援要請額約41億ドルに対し、国際社会より総額45億ドルの支援が表明された。なお、わが国は、2007年8月末までに、約1.8億ドルの支援を実施済み。

(ニ)2005年7月9日には、スーダン南北統一暫定政権の発足など、南北和平プロセスについて大きな進展が見られ、6年間の移行期間が正式に開始。現在、国際社会の支援を得つつ、スーダンの再建・復興が実施されている。

(ホ)2007年10月、スーダン人民解放運動(SPLM)は、2005年1月の南北包括和平合意(CPA)署名以降、共にスーダン国民統一政府の政権を担ってきた国民会議党(NCP)がCPAの履行を怠っているとして非難し、右政権に参画しているSPLM出身の大臣、顧問等全てを召還し、政権への参加を一時的に停止する旨表明(なお、その理由として、SPLMはCPA諸規定の内、特に北部部隊の南部スーダンからの撤退、及び北部と南部の境界線画定作業の遅れが著しいとしてNCPへの不満が存在していることがある。)。

(へ)以上のように南北包括和平合意(CPA)履行の遅れが懸念されており、アビエ地域等の暫定統治地域の帰属問題、石油収入の均等配分問題の解決、及び南北統一政権内の信頼醸成が今後の課題。

(3)ダルフール情勢

(イ)スーダン西部のダルフール地域で、スーダン政府・アラブ系民兵と反政府勢力との間の紛争(ともにイスラム教徒)が2003年より激化。国連が2004年1月に警鐘をならしたのを機に同地域での人道支援活動が本格化し、現在までに国連人道機関や国際NGOを含め総勢約1万名以上が人道支援活動に従事している。

(ロ)2004年8月以降、アフリカ連合(AU)による停戦監視と仲介の下で、和平交渉が断続的に進行する一方、悪化の一途を辿るダルフール情勢を巡り国際社会の懸念が高まり、2005年3月29日、安保理決議第1591号により、スーダン政府に対する制裁措置(武器禁輸措置の拡大(2004年7月30日の安保理決議第1556号では非政府主体のみが対象であったものをスーダン政府も含める)、渡航禁止、資産凍結)が導入された。2006年4月25日、安保理決議第1591号に基づき、元スーダン国軍司令官を含む4名がダルフール和平阻害等に関与したとして制裁対象者に指定することを決定する決議第1672号が採択された。

 また、2005年3月31日、ダルフールにおける事態を国際刑事裁判所(ICC)へ付託する安保理決議第1593号を採択。ICC首席検察官は国連から提示されたリスト(安保理決議に基づき設立されたダルフール情勢に関する国際調査委員会(ダルフール情勢についての報告書を2005年1月31日に発表)が作成したもの)も参考にしつつ独自の捜査を実施。2007年5月には、ICCは長期に亘る捜査の結果、スーダン政府高官を含む2名に対し、ダルフール紛争における「人道に対する罪」で逮捕状を発出した。

(ハ)ダルフールの治安維持プロセスのため、2004年4月28日にAU平和・安全保障理事会において、同地域へのAU部隊(AU Mission in Sudan:AMIS)派遣が決定された。しかしながら、広大な地域を有するダルフール(フランス国土とほぼ同規模)へ脆弱な装備しか持たずに展開している右部隊は、治安改善の実行力に乏しく、2006年5月16日、安保理決議第1679号により、AMISを国連オペレーションに移行する準備を促進することを決定。

 また、8月31日、安保理決議第1706号により、UNMISのダルフールでの拡大及びAMISへの支援強化、及び右展開に対するスーダン政府の合意を慫慂することを決定したものの、同政府は右決議の受入を拒否。同年11月、国連、AU、スーダン政府は、国連とAMIS部隊の共同でダルフールに3段階による平和維持部隊を展開することで原則合意に至るも、スーダン政府は合意内容に数多の留保をつけ、事実上同部隊展開を拒否。

(ニ)一方、2007年に入り、ダルフールにおける治安状況は悪化の一途を辿り、以前から報告されている武装勢力による強盗行為、スーダン政府軍の支援を得ているといわれるアラブ系民兵(通称:ジャンジャウィード)と反政府勢力との武力衝突、チャド反政府勢力によるダルフール地域への越境攻撃等が継続。また、同年4月上旬には、チャド国境近くに展開していたAMIS部隊所属のセネガル兵士5名が武装集団の攻撃により殺害される事件が発生。また同月中旬には、北ダルフール州にてパトロール中のAMIS部隊のルワンダ兵士が武装勢力に襲撃され、同兵士1名が死亡。9月末、南ダルフール州のAMIS駐屯地が武装勢力による大規模な攻撃を受ける事件が発生し、AMIS要員10人が死亡。今次事件は、2004年7月にAMISが展開して以来、単独の事件としては最悪であり、またAMISの軍事施設が直接のターゲットとなったのも初めて。右犠牲者を含め、現在までに約30名のAMIS部隊要員が殺害されており、併せ、昨年12月以来、AMIS部隊の将校1名が武装勢力に誘拐されたまま、行方不明となっている。

(ホ)上記の膠着状態を打開するため、スーダン政府への経済制裁をも辞さない米英を中心とした国際社会の圧力や、スーダンとの外交・経済関係の結びつきが強いことから、これまで消極的な対応をとってきた中国が、来年の北京オリンピック成功を期して同政府に説得した結果、2007年4月、スーダン政府は国連の支援によるAMIS部隊強化のための第二段階である「重量支援パッケージ」の受入を表明。また、同6月、スーダン政府は上記の第3段階である「AUと国連による共同展開(ハイブリッド・オペレーション)の無条件での受入に合意。また、7月末、国連安保理は約2万6千人という大規模のPKOミッション「ダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID)」展開を決定する決議第1769号を採択した。ダルフール問題の解決のためには、ダルフール和平合意(DPA)の履行と右合意への非署名派の参加、並びに同地域へのUNAMIDの早期展開のためのスーダン政府の協力が今後の課題(なお、AMISの活動期間は数次の延長を経て本年12月末までとなっており、現在約7,000名の要員がダルフールに展開中)。

(へ)一方、ダルフール問題の政治プロセスとして、ンジャメナ(チャド)、アジスアベバ(エチオピア)、アブジャ(ナイジェリア)と場所を変えつつ継続した和平交渉は、2005年7月5日、ナイジェリアのアブジャにおいてスーダン政府とダルフール反政府勢力である2派(スーダン解放運動(SLM)及び正義と平等運動(JEM))との間で政治問題の解決に関する原則宣言(政治基本原則)に合意。紛争当事者は停戦合意を遵守するとともに、スーダン政府はアラブ系民兵組織(ジャンジャウィード)の武装解除を実施することとなった。また、最終合意に向けた交渉は反政府勢力内部の主導権争い等により遅滞していたが、2006年5月5日、スーダン政府と反政府勢力の一部(ミナウィ派SLM及び15勢力)がダルフール和平合意(DPA)に署名した。

(ト)SLMヌール派及びJEMは右合意への署名を拒否し続けているが、昨年12月より本格化した国連とAUの主導による政治プロセスが、本年に入り2度に亘るトリポリ会合等による周辺諸国地域会合により正統性を与えられたことにより、今後、国連とAU主導の政治プロセスが着実かつ目に見える形で進展することが重要。とりわけ、ダルフール和平合意(DPA)非署名派を同プロセスに参加させるよう、国際社会が国連とAUのイニシアチブを支持していくことが不可欠。

(チ)2007年10月末、シルテ(リビア)にて、国連・アフリカ連合(AU)共催によるスーダン・ダルフール和平会合が開催。エリアソン国連ダルフール問題担当特使、サリムAUダルフール問題担当特使が共同議長を務め、紛争当事者として、スーダン政府、反政府勢力、そしてダルフール地域住民の代表が参加。また、近隣4ヵ国、我が国(初参加)、米、仏、中、英、蘭、EUなど22カ国・機関も参加。しかしながら、ダルフール和平合意(DPA)主要非署名派であるSLMヌール派及びJEMは同和平交渉には参加せず、本会合の最大の目的であった停戦合意の達成には至らなかった。

参考:スーダンに関する主な安保理決議
決議 採択日 内容
第1556号 2004年7月30日 スーダン政府に対し、アラブ系民兵の武装解除、人権侵害行為の責任者処罰を要請。また、非政府主体に対する武器禁輸措置の発動を決定。
第1564号 2004年9月18日 スーダン政府が民兵の武装解除等やAU停戦監視ミッションへの協力を行わない場合、石油部門を含む制裁措置の発動を考慮。また、国連事務総長に対し、国際調査委員会(ICI)を設置しジェノサイドが発生したか否かの決定を含め報告を行うよう要請。
第1574号 2004年11月19日
(於:ナイロビ)
3320名に拡大されたアフリカ連合の停戦監視団につき、国連加盟国に対し、必要とされている支援を強く要請するとともに、スーダン政府及びダルフールの全反政府勢力に対し、AUと完全に協力することを要求。
第1590号 2005年3月24日 国連スーダン・ミッション(UNMIS)設立を決定。
第1591号 2005年3月29日 武器禁輸措置の適用範囲をスーダン政府に拡大。安保理メンバー国から構成される委員会を設置し、決議採択より30日以内に紛争当事者が安保理決議の求めるコミットメントを遵守していると認定した場合を除き、同委員会により指定される個人に対し渡航禁止措置及び資産凍結措置を発動することを決定。
第1593号 2005年3月31日 ダルフールにおける国際人道法・国際人権法の重大な違反の事態を、国際刑事裁判所(ICC)に付託することを決定。
第1651号 2005年12月21日 決議第1591号に基き設置された専門家パネルの任期を2006年3月29日まで延長することを決定。
第1672号 2006年4月25日 4名(スーダン政府1名、アラブ系民兵指導者1名、スーダン解放軍(SLA)1名、改革・開発国家運動(NMRD)1名)を決議第1591号で規定した活動阻止・資産凍結措置の対象者に決定。
第1679号 2006年5月16日 アフリカ連合(AU)スーダン・ミッション(AMIS)の国連オペレーションへの移行準備を促進することを決定。
第1706号 2006年8月31日 スーダン南部に展開中のUNMISのダルフールへの拡大、及びダルフールで展開中の AMISへの支援強化、併せて、右展開に対するスーダン政府の同意を慫慂することを決定。(注:バシール大統領はダルフールにおける国連オペレーションの受入を拒否すると発言しており、右決議後もその立場に変更はなく、UNMISの部隊が即時ダルフールに展開される状況にはない。)
第1769号 2007年7月31日 2004年以来、ダルフールに展開中のAMIS部隊(要員約7千人)を補強するため、約2万6千名規模のPKOミッションとなる「ダルフール国連・AUミッション(UNAMID)」展開を決定。
第1784号 2007年10月31日 UNMISの権限(マンデート)を6ヶ月延長(明年4月30日まで)すると共に、事務総長に対し、CPA下のDDR計画の進捗状況評価等を3ヶ月後の次回報告書に含めること等を要請する決議を全会一致で採択。

2.経済情勢

  • 長年の内戦、主要先進国からの経済援助停止、累積債務等が原因でスーダン経済は疲弊している。
  • 政府は石油開発に経済発展の夢を託しており、各国に投資を促している。現在は中国をはじめとする国が投資を行っており、スーダンの石油輸出国機構(OPEC)加盟も近いとされ、スーダンの平和が定着し、今後南部の治安状況の改善とともに原油生産は更に増加するものと期待されている。
(1)実績

(イ)20年に亘る内戦、西側諸国からの経済援助停止、累積債務等が原因で、スーダン経済は疲弊している。1990年代前半は年率150%に及ぶインフレが進み、生活物資や電力の不足が恒常化していたが、1996年からIMFの経済修復プログラムを受け入れ経済再建に努めている。

(ロ)国内総生産(GDP)は、都市部での建設需要の増大と30万B/Dの生産量と原油価格の上昇による石油収入の増加を主因として6.0%以上の高成長を記録した。国際通貨基金(IMF)は2005年の経済成長率を8.3%と予測、2006年はさらに伸びると予測している。石油収入は2004年国家予算の一般歳入の60.8%を占めている。貿易収支は1990年から1998年にかけて赤字幅が増大をみたが、石油の輸出は2004年の総輸出額の78.3%を占め、貿易収支の改善に貢献している。石油の生産量は、2005年末には50万B/Dに達すると見込まれており、我が国や中国を含むアジア諸国を中心に輸出されている。

(ハ)他方、地方では、水、食糧、電気、保健医療、通信、交通等の基礎インフラが未整備状態であり、国際人道支援活動なしには自活できない地域が大半を占めている。特に、ダルフールでは緊急食糧支援を必要とする状況に変化は見られない。

(2)今後の見通し

 アフリカ最大の国土を有し、原油、鉄、銅、金等の鉱物資源、水資源、更には肥沃な耕地に恵まれており、スーダンの経済的潜在力は高い。かつての農業国で重債務貧困国(HIPC)というイメージも、和平後は、HIPCイニシアティブなどによる債務救済を得て、過去の債務の桎梏から脱却し、石油収入やエジプトや湾岸諸国にいる数百万以上の海外在住スーダン人の送金・投資や技術者などの帰国により、経済環境が大きく変貌する可能性もある。

3.外交政策

  • スーダンにとっては、湾岸危機以来深刻化している国際社会における孤立状態からの脱却、特に西側主要先進国、近隣諸国との関係改善、人権侵害に対する国際的非難への対応及び制裁措置やICC付託のダルフール情勢に関する安保理決議への対応が今後の外交上の重要課題である。
  • スーダン政府は最近、周辺国(エチオピア、エリトリア、エジプト等)との外交的な関係の改善強化を目指している。
  • 引き続き、中国、イランとの関係の深化が注目される。
(1)基本的外交姿勢

 スーダンは、アラブ・アフリカ諸国との友好的外交関係の維持を外交の基盤とし、非同盟、内政不干渉、アラブ・イスラム諸国との連帯、善隣、相互協力を主要原則としている。

(2)主要外交課題

(イ)スーダン外交は、同国が抱える諸問題の解決を迫る国際社会の圧力の前に、終止劣勢に立たされた。国連人権委員会(当時)でのスーダン人権決議案の審議、ダルフール情勢及び南北包括和平合意(CPA)を巡る累次の安保理決議案の協議において対スーダン制裁決議の回避が最優先課題であった。スーダン政府は、各国政府要人の積極的な受入、サルヴァ・キール第一副大統領及びアコル外相(注:本年10月、同外相は辞任)の外国訪問を通じて、ダルフール問題へのスーダン政府の取組み、和平合意の成果を各国に説明し、国際世論の説得を試みている。

(ロ)近隣諸国との関係改善・強化を目指し、2004年4月、ウガンダとの間で14年振りに合同閣僚会議を開催し、協力関係を確立するとともに、ウガンダ反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」への支援停止を決定した。同年7月にはエジプトとの間で「4つの自由」(移動、居住、所有、職業選択)に関する協定を締結。さらにエチオピアとの国境画定を目的とする合同調査委員会が設置された。また、2005年4月19日には、エジプト、スーダン、エチオピアの3カ国首脳は、エジプトのシャルム・エルシェイフで開催中のNEPADサミットにおいてナイル西岸イニシアティブを通じた3国間協力の具体化に向け、政治(アジスアベバ)、治安(ハルツーム)、経済(エジプト)の3委員会の設置、同西岸地域の紛争、特にソマリア問題の解決の必要性で一致した。

(ハ)他方、エリトリアとの緊張関係は継続し、スーダン政府は、エリトリア政府が東部反政府武装勢力のみならず、ダルフール反政府勢力を支援しているとの非難を繰り返している。

(ニ)一昨年12月に緊張が高まったスーダン・チャド関係は、昨年2月、リビアの仲介で「スーダン・チャド情勢に関するトリポリ宣言」を採択して外交関係の正常化が図られた。同4月、チャド国内のクーデター未遂に際し、スーダン政府が関与したとして、チャドはスーダンとの外交関係断絶を表明し、再度緊張が高まったが、同8月にリビアの仲介により、チャド首都ンジャメナにおいて外交関係再開に合意。

(ホ)その他の諸国との関係で注目されるのは、中国とイランである。スーダンは中国を石油産業最大の取引国であると同時に、国連安保理における非欧米諸国の代表と認識し、引き続き関係強化を図っている。また、イランはスーダンに対する技術協力供与国としての期待を高めている。

II. 最近のスーダン関係

1. 政治関係

(イ)要人往来において、2004年9月には、イスマイール外相(当時)を訪日招聘し、小泉総理大臣(当時)及び川口大臣(当時)から南北和平とダルフール問題解決に向けた具体的行動を早急にとるよう直接働きかけを行った。また、同9月には佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使が国連難民高等弁務官事務所の調査団とともに、ダルフール情勢を視察。同11月には、ケニアで開催されたスーダン情勢に関する安保理ナイロビ会合において、佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使が出席し、ステートメントを行った。さらに12月には、逢沢副大臣(当時)がスーダンを訪問し、スーダン政府要人に対して、安保理決議を着実に実施していくよう働きかけを実施。なお、我が国は、スーダン政府との間にこれまで2001年以降、5度に亘る「政治対話」、3度に亘る「人権対話」を継続。

(ロ)2005年1月の南北包括和平合意の成立を受けて、ケニアで開催された署名式典に、日本政府を代表して河野アフリカ審議官(当時)が出席。また、南北双方の代表者からなる国民統一移行チーム(JNTT)が結成されたのを受けて、2005年4月のスーダン支援国会合には、我が国より逢沢副大臣(当時)及び佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使が出席し、逢沢副大臣(当時)が日本のスーダン支援策についてステートメントを行った。

(ハ)国連スーダン・ミッション(UNMIS)に対して、我が国は、2005年7月29日に四輪駆動車27台、地雷探知装置60機、大型テント20張の物資供与を決定し、また、2005年10月より2年間外務省職員1名をUNMIS本部(ハルツーム)へ派遣した。

(ニ)2006年2月、塩崎副大臣(当時)はスーダンを訪問、アコル外相(当時)と会談したほか、UNICEF関係者と意見交換を行った。また、政府要人としては初めて南部地域(ジュバ)を視察した。

(ホ)同年10月、佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使がスーダンを訪問。同年11月、アコル外務大臣(当時)が訪日して麻生大臣(当時)と会談を行い、ダルフール情勢の改善に向けた意見交換を行った。

<参考:近年の主な要人往来(肩書きはすべて当時)>

我が国要人のスーダン訪問
年月 要人名
1993年12月 黒柳ユニセフ親善大使
1994年1月 猪木参議院議員
2003年7月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2003年8月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2003年9月 矢野外務副大臣
2004年9月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2004年12月 逢沢外務副大臣
2005年5月 岡田民主党党首一行
2005年7月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2005年11月 日AU友好議員連盟北部団
2005年11月 谷合参議院議員
2006年2月 塩崎外務副大臣
2003年8月 犬塚参議院議員
2006年10月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2007年1月 田中財務副大臣
2007年3月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
スーダン要人の訪日
年月 要人名
1994年1月  ミッド司法大臣
1995年8月 ガジ・サラハディーン外務担当国務大臣
1998年10月 アハマド国際協力・投資大臣(TICAD II
2000年2月 モハメッド国際人民友好評議会事務局長
2001年5月 ユーセフ外務省アジア局長
2001年12月 ティージャーニー外務担当国務大臣
2002年12月 アッズベイル科学技術大臣
2003年5月 シッディーク外務次官
2003年9月 スレイマーン大統領経済顧問(TICAD III
2004年3月 アッティジャーニー環境相
2004年3月 スレーフェッディーン人道支援委員会委員長
2004年9月 イスマイール外相(外務省賓客)
2004年11月 サーリフ外国貿易省次官(TICADアジア・アフリカ貿易・投資会議)
2004年11月 ターハ科学技術相(科学技術フォーラム)
2005年3月 国民統一移行チーム(JNTT)
2005年12月 フィデイル国際協力大臣
2006年8月 ターハ科学技術大臣(科学技術フォーラム)
2006年11月 アコル外務大臣(高級実務者招聘)
2006年12月 アガル投資大臣(JETRO投資セミナー)
2007年6月 オスマーン大統領経済顧問(民間招聘)
2007年10月 ショーカイ保健大臣(民間招聘)
ターハ内務大臣(科学技術フォーラム)
ベンジャミン南部政府地域協力大臣(オピニオン・リーダー招聘)

2. 経済関係

(イ)ODAについては、1980年代後半から1990年初頭にかけて国内に著しい人権侵害状況が見られたため、ODA大綱の原則に照らして、1992年10月以降、緊急かつ人道的性格のものを除き、原則として同国に対する援助を停止した経緯がある。それ以降、我が国は国際機関を通じた緊急・人道援助を実施してきたが、それに加え、1999年より草の根・人間の安全保障無償資金協力を同国に導入し、保健医療、難民支援等の活動を行うNGOを通じた支援を行ってきた。2005年1月9日の南北包括和平合意(CPA)締結後は、国際機関経由の支援に加え、二国間支援も拡大している。

(ロ)2005年4月にオスロで開催されたスーダン支援国会合には逢沢副大臣(当時)が出席し、スーダンにおける平和の定着のために当面1億ドルの支援実施を表明し、2007年11月現在、支援実施表明額を超える約1億8千万ドルの支援を実施している。

(ハ)平和の定着支援に際しては、各地の状況の推移に即した人道支援から復興・開発への継ぎ目なき支援を通じた地域間格差の是正及び「南北統一を魅力的なオプションとする」、「南部の自立権を尊重する」とのCPAの基本精神の具体化を念頭に置き、スーダン国民が等しく平和の配当を裨益することが重要であるとの考え方に基づき支援を実施している。

(ニ)具体的には、1)紛争被災民・社会再統合支援(地雷対策活動の強化、帰還の促進、帰還民再定着・再統合の促進、武装解除・動員解除・社会復帰(DDR:Disarmament, Demobilization and Reintegration)の促進、ダルフール人道支援等)、2)基礎生活分野(BHN)支援(保健分野支援、水・衛生分野支援、基礎教育/技術教育・職業訓練分野支援、基礎的運輸・交通分野支援等)を重点分野とし、分野横断的課題(ガバナンス、ジェンダー、環境、民主化プロセス支援)にも取り組んでいる

(ホ)ダルフール問題では、深刻な人道状況の改善のため、国連の統一アピールに応え、2004年6月以降、国連機関等を通じ、現在までに約8,500万ドルの人道支援を実施している。また、我が国は国際平和協力法に基づき、2004年10月には、チャドにおけるスーダン難民にテント700張(7000人分)を、本年11月には、UNHCRを通じたダルフール被災民1万人分の物資協力(毛布、スリーピングマット、給水容器、ビニールシート等約4,300万円相当)を実施。併せ、停戦監視の任務にあたるAMISの活動に対しては、和平交渉やAUの人造り事業等を通じて約1,370万ドルの支援を実施済み。

(へ)本年7月、集中的な豪雨による洪水被害を受けたスーダン政府に対し、約1,600万円相当の緊急援助物資(テント、プラスチックシート、毛布、発電機)の供与を決定した。

<参考:我が国の年度別・援助形態別実績>

我が国の年度別・援助形態別実績(単位:億円)
年度 円借款 無償資金協力 技術協力
2001 - 11.48 0.56(0.00)
2002 - 10.49 0.94(0.08)
2003 - 5.22 1.26 (0.52)
2004 - 26.78 0.78 (0.05)
2005 - 60.19 2.03 (1.66)
2006 - 69.46 8.07
累計 105.00 938.08 61.58

注)

  1. 年度の区分は、円借款及び無償資金協力は原則として交換公文ベース、技術協力は予算年度による。
  2. 「金額」は、円借款及び無償資金協力は交換公文ベース、技術協力はJICA経費実績及び各府省庁・各都道府県等の技術協力経費実績ベースによる。
  3. 円借款の累計は債務繰延・債務免除を除く。
  4. 2001〜2005年度の技術協力においては、日本政府全体の技術協力事業の実績であり、( )内はJICAが実施している技術協力事業の実績。なお、2006年度の日本政府全体の実績については集計中であるため、JICA実績のみを示している。

3. 文化・学術交流

(イ)教育・文化面では、文部科学省国費留学生の受入れ(毎年数名)、報道関係者招聘の他、スーダンのテレビ局ヘの広報フィルムの放映働きかけ、スーダンの各大学等を対象とする教育広報、生け花デモンストレーションなどの文化事業等を通じ、文化・広報活動の充実に努めている。

(ロ)南北包括和平合意(CPA)の成立を受けて、2005年3月には、スーダンの将来を担う青年の招聘を実施したほか、2005年5月及び2006年1月には北部及び南部地域双方より、国際協力などに関する実務を担当する行政官を対象として、「国際協力セミナー」を実施した。

(ハ)2005年3月に開催した「愛・地球博」にスーダンより、アフリカ共同館の一つとして出展しており、8月16日にスーダン・ナショナルデーを開催、春日井市によるファッションショーやスーダン民族舞踊団による音楽演奏等により両国の交流の深化に努めた。

(ニ)2005年は外交関係樹立50周年事業の一環として、空手家によるデモンストレーション及び指導、日本映画祭を実施。また、2006年には、和太鼓公演、「凧・独楽」巡回展、「日本の子ども60年」写真巡回展を実施。

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