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平成23年7月
【出典:マレーシア統計局】
(1)2008年3月の総選挙では、2004年3月の総選挙に比較して与党連合(BN)が大幅に議席を減らす(90%→63%)とともに、同日実施の州議会選挙(12州)のうち5州で野党が州政権を奪取した(野党議員の離党で現在は4州)。アブドゥラ首相(当時)は続投を表明し、投票から10日後には新内閣を発表。新閣僚32名のうち、留任は8名のみと大幅な入替えが行われた。
(2)2009年3月に行われた統一マレー国民組織(UMNO)総裁選にアブドゥラ首相(当時)は出馬せずに辞任、ナジブ副首相(当時)に政権を移譲したため、4月3日、ナジブが首相に就任(第6代首相)。ナジブ政権は、行政サービスを向上すべく6つの国家主要目標分野の設定と具体的な業績指標を掲げて行政改革に取り組むほか、「1(one) Malaysia」をスローガンに掲げて「全ての民族への理解と敬意を育み、多様性を力の源と捉える」ことで民族融和を図っている。同時に、市場志向的な「新経済モデル」の提示や2020年までの先進国入りに向けたロードマップに相当する「政府変革プログラム」、「経済改革プログラム」等を発表し、各民族・階層からの与党連合への広汎な支持回復を図っている。
(3)マハティール首相(当時)の路線と対立して1998年に更迭されたアンワル元副首相は、2008年8月の下院補選選挙で当選して以降、野党連合首班として名実ともに野党を牽引する他(ただし、同性愛容疑の公判は高裁で継続中。)ほか、野党連合は次期総選挙を控えて連携を強化している。また、2009年8月には国内治安維持法(ISA)廃止を求める大規模デモが発生したほか、2011年7月には「クリーンで公正な選挙を実現するための連合(Bersih)」が2007年7月以来となる選挙改革を要求する大規模デモを実施し、多数の参加者が警察に拘束される事件が発生している。
ア 1991年にマハティール首相(当時)が2020年までの先進国入りを目標とする「ビジョン2020」を発表。1980年代後半から1997年半ばのアジア経済危機の前までは、年平均8%以上の高い経済成長率を記録。
イ 1997年のアジア経済危機に際しては、当初、IMF型の緊縮財政・金融引締め政策により危機を乗り切ろうとしたが、1998年半ばから政策を大幅に転換し、積極財政・金融緩和による景気刺激策、為替レートの米ドルへの固定(1ドル=3.8リンギ。2005年7月に管理変動相場制に移行。)、短期資本の国外持ち出しの禁止措置を導入し、日本からの大規模な資金援助(総額68億米ドル)等と相まって効果を挙げ、経済は回復に向かった。2008年半ばまで経済はおおむね堅調に推移して5%前後の成長を維持。
ウ 2008年秋以降、世界的な金融危機に伴う輸出急落で2009年の経済成長率は大幅に落ち込むが、2010年は内需の回復及び中国経済に牽引されて通年で7.2%を達成。ただし、外需低迷により2010年後半から減速傾向となり、2011年第1四半期は4.6%にとどまった。2020年までの先進国入りを目指して、今後も6.0%成長の継続を目指す。
【参考】
実質GDP成長率の推移

【出典:中央銀行】
主要貿易相手国(2010年)
【出典:マレーシア国際貿易・産業省】
ア 2009年4月に成立したナジブ政権は、同月にサービス産業27分野のブミプトラ資本規制の即時撤廃及び金融分野の規制緩和措置を発表。
イ 2010年には3月に「新経済モデル(NEM)」、6月に「第10次マレーシア計画」、10月に「経済変革プログラム(ETP)」、12月に「新経済モデル第二部」を相次ぎ発表。また、同年7月及び12月には財政健全化に向けてガソリン、砂糖等への補助金削減を実施。
(ア)「新経済モデル(NEM)」
マレーシアを「中所得国の罠」から脱却させ、2020年先進国入りに向けて、「高所得」、「国民全体の発展」及び「持続可能な発展」の目標を同時に達成し、国民生活の質の向上を図るための方向性を示す。実現のための8つの戦略改革イニシアティブを提示 ( 1)民間セクターの再活性化、2)質の高い人材育成・外国人労働者への依存縮小、3)経済競争力の強化、4)公共セクターの強化、5)透明で市場志向的なアファーマティブ・アクション、6)成長に向けた基礎(知識・インフラ)の強化、7)今後の成長部門の後押し、及び8)持続可能な成長の確保 )。
(イ)「第10次マレーシア計画」
2011-2015年の開発予算(総額2,300億リンギ)、政策方針、具体的な目標等を提示(実質6.0%成長により2015年に一人当たり12,140ドルを達成、民間投資の年率12.8%での増加、政府の財政赤字削減等)。
(ウ)「経済変革プログラム(ETP)」
12の経済重点分野を具体的に明示(農業、ビジネスサービス、教育、電気・電子、金融、ヘルスケア、クアラルンプール首都圏の開発、オイル・ガス・エネルギー、パームオイル、通信、観光、流通)。
ウ ナジブ首相は首相就任後から環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉への参加を表明。2010年10月、TPP協定交渉第4回会合(於:ブルネイ)にて、マレーシアは協定交渉への正式参加が認められた。また、各国とのFTA締結を加速化させており、2010年8月にはニュージーランドと締結、同年11月にはAPEC首脳会議に際してチリと署名、2011年6月にはインドと包括的経済連携協定を締結。
ASEAN諸国との連携強化、イスラム諸国との協力強化、非同盟外交、南々協力の推進、対外経済関係の強化が対外政策の基本であり、多角的な外交を積極的に進めている。二国間関係では、東方政策により日本及び韓国との関係の緊密化を図ってきたが、最近では、中国、米国、インド等との実務的な関係強化も積極的に図っている。多国間関係では、PKO活動等国連活動へ意欲的に参加する等、国際場裡での積極的な貢献に努めている。
ASEAN加盟国として域内諸国との連携強化及び域内格差の是正に積極的なイニシアティブを発揮してきている。1990年にマハティール首相(当時)がASEAN諸国及び日本、中国、韓国等が中心となって経済問題について協議する場として東アジア経済協議体(EAEC)を提唱する等、東アジア協力の推進にも早くから積極的であり、2005年12月の第1回東アジア首脳会議の議長国を務めた。
イスラム諸国会議機構(OIC)メンバーとしてイスラム諸国との連帯を強化しつつ、穏健かつ経済的に成功したイスラム教国として存在感を高めている。2003~2008年3月までOIC首脳会合議長国を務め、2003年10月のOIC首脳会合、2006年8月のOIC緊急首脳会議を主催。また、イスラム諸国との要人往来が頻繁に行われている。
マハティール首相(当時)は、欧米の大国主義を批判する一方、小国・途上国の立場・権利の擁護を主張し、非同盟中立を標榜しつつ、南々協力に積極的に取り組む姿勢を見せた。2003~2006年までNAM議長国を務めた。今なお外交方針の一つとして堅持している。
伝統的に大国とは距離を置いてきているが、ナジブ首相は実務的な協力関係の強化を推進している。中国との関係では、ナジブ首相は首相就任後の2009年6月に初のASEAN以外の訪問先として中国を訪問し、同年11月に胡錦涛中国国家主席及び2011年4月に温家宝中国総理がマレーシアを訪問。米国との関係では、ナジブ首相は2010年4月に核セキュリティ・サミットのため、また、同年9月に国連総会出席のために米国を訪問したほか、同年11月にクリントン国務長官がマレーシアを訪問。
両国は、東方政策を提唱したマハティール政権時より、頻繁な要人往来、直接投資や貿易、技術協力等を通じた良好な経済関係、人材育成分野における協力等に支えられ、緊密な友好関係を築いてきている。2006年7月に発効した日・マレーシア経済連携協定(EPA)は、日本としては3つ目に発効したEPAであり、緊密な経済関係の更なる強化に貢献している。また、2010年4月にはナジブ首相が公賓として訪日、共同首脳声明「新たなフロンティアへ向けて強化されたパートナーシップ」及び附属文書として「日・マレーシア環境・エネルギー協力イニシアティブ」を発表した。1)平和と安定、2)競争力強化と持続的成長、3)環境・エネルギー分野での貢献、4)人材育成及び交流促進を4つの柱として協力を強化していくことで一致した。
(マレーシア→日本)
2005年3月、サイド・シラジュディン第12代国王が国賓として訪日した。ナジブ首相は、2010年4月に公賓として訪日したのに続き、2011年5月にも新聞社主催セミナー出席のため訪日した。ムヒディン・ヤシン副首相は、2011年11月にAPEC首脳会議出席のため訪日した。また、マハティール元首相は、1961年の初来日以来、毎年訪日を続けている。
(日本→マレーシア)
天皇皇后両陛下(2006年お立ち寄り)、常陸宮同妃両殿下(2000年)、小泉総理(2002年、2005年)、安倍総理(2007年)、川口外務大臣(2003年)、麻生外務大臣(2006年)等の要人がマレーシアを訪問している。
マハティール首相(当時)が1981年の就任直後に提唱。日本及び韓国に産業技術研修員、大学・高専留学生を派遣し、両国の技術のみならず、労働倫理、経営哲学を学び、マレーシア人の労働倫理の変革を図り、マレーシアの経済発展に役立てることを目的とする。日本は、1982年以降、これまでに13,000名以上の留学生・研修生を受け入れるとともに、予備教育のための教員の派遣や機材の供与等の協力を行ってきている。留学・研修経験者は、在マレーシア日系企業等で活躍しており、マレーシア経済の発展に貢献しているのみならず、両国の相互理解、友好促進にも大きな役割を果たしている。
東方政策の集大成として、マレーシアに日本型の工学系教育を行う大学を設立する構想から出発。マレーシア政府は、2009年5月にマレーシア工科大学傘下にマレーシア日本国際工科院(MJIIT)を設立することを閣議決定し、2011年9月の開校に向けて、両国の協力の下、準備が進められている。我が国からは日本人教員を派遣予定であり、日・マレーシア間の高等教育分野や科学技術分野のプラットフォーム、ASEANにおける工学教育のハブとなることが期待される。
ア 概観
(ア)マレーシアにとって、日本は、第3位の輸出相手であるとともに、第1位の輸入相手となっている(2010年)。日本にとって、マレーシアは、第9位の輸出相手であるとともに、第9位の輸入相手となっている(2010年)。
(イ)特に1980年代後半以降、円高、低廉な労働力、安定した政治状況等を背景に多くの日系企業がマレーシアに進出した。近年では、ビジネスコストの上昇、新しい投資先としての中国の台頭等もあり、日系企業の対マレーシア投資は従前に比して相対的に減少傾向にはあるものの、最近5年間(2006年~2010年)の累計で日本はマレーシアにとって米国に続く第二位の投資国となっている。また、マレーシアに進出する日系企業は1,400社を超えており、我が国にとって重要な海外進出先の一つとなっている。
イ 経済連携協定(EPA)
(ア)協定の発効から10年以内に、実質上全ての鉱工業品及び大部分の農水産品の関税を撤廃する。
(イ)内国民待遇、最恵国待遇並びに投資家及び投資の保護の強化についての約束を通じて、質の高い投資ルールを提供する。
(ウ)サービス貿易に関し、主要分野の自由化を含む約束を更に継続的に改善していくための見直しの仕組みを構築する。
(エ)両国の経済連携の強化に資するべく、農林水産、教育・人材養成、情報通信、科学技術、中小企業育成、観光及び環境の7分野にわたる協力を実施する。
(オ)税関手続、知的財産、反競争的行為の規制、強制規格、任意規格及び適合性評価手続、衛生植物検疫措置並びにビジネス環境整備の分野において、規律の導入、関係当局間の協力、協議メカニズムの設置等を行う。
ウ 在留邦人、日系企業数
(ア)在留邦人数:9,142人(2009年10月現在)
(イ)日系企業数:1,425社(2010年7月現在)
(製造業を中心にクアラルンプール近郊、ペナン州、ジョホール州を中心に各所に点在。)
対日貿易

対マレーシア直接投資(製造業向け)

対マレーシア投資(製造業向け)上位5カ国(2010年)

ア 実績
有償資金協力 約9,693億円(2009年度末現在)
無償資金協力 約138億円(2009年度末現在)
技術協力 約1,096億円(2009年度末現在)
イ 有償資金協力
マレーシアの中進国入りに伴い、1994年以降は、「環境」、「人材育成支援」、「防災・災害対策」、「格差是正支援」に対象分野を絞り込んで実施。さらに、2009年以降、マレーシアの一人あたり所得水準が中進国を超えていることから、今後の円借款による支援のあり方について検討を進めている。
ウ 無償資金協力
マレーシアの経済発展が進む中、1991年度以降、文化無償及び草の根・人間の安全保障、テロ対策等治安無償等を除き一般プロジェクト無償資金協力は「卒業」している。
エ 技術協力
協力分野は、マレーシアの経済発展が進んだ結果、経済の競争力強化のための行政官や産業分野の人材育成支援に加え、環境、福祉等の分野で比較的先進的な協力の割合が高い。
ア 日本を紹介する文化事業に加えて、草の根レベルでの交流も活発に行われている。現地日本人会等が中心となって開催する盆踊り大会は人気を博しており、2009年のペナンでの盆踊り大会ではマレーシア人と在留邦人合わせて6万人以上が参加し大盛況であった。
イ 現在日本で学んでいるマレーシア人留学生数は、中国、韓国、台湾、ベトナムに次ぎ5番目に多い2,465名(2010年12月現在)に上る。このうちマレーシア政府派遣留学生が約1,300名を占めており、日本はマレーシアにとってイギリス、エジプトに次ぎ3番目の政府留学生の派遣先となっている。