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マカオ情勢と日・マカオ関係

平成21年7月

1.一般事情

(1)地理

 中国広東省南部、珠江河口の西南岸に位置し、マカオ半島、タイパ島、コロネア島より構成
 面積:29.2平方キロメートル(2007年)
 人口:約54万9千人(2008年)

(2)歴史

(イ)1513年、ポルトガル人が海路で中国に到達。1557年、マカオでの居住権獲得。中国、日本とヨーロッパとの中継貿易港、キリスト教布教活動の拠点として発展。

(ロ)1845年、ポルトガルはマカオを自由港と宣言。1848年、中国人による総督殺害事件を機に清朝税関等の官吏を追放し、地租の支払いを停止し、マカオの行政権を取得。

(ハ)1888年、ポルトガルは清朝との間で香港からの阿片密輸防止協力する見返りとして「友好通商条約」を締結、ポルトガルのマカオに対する行政権が法的に確立。清朝はポルトガルがマカオを永久に占領し、第三国へ譲渡しないことを承認。

(ニ)1951年、マカオはポルトガルの海外県となるが、1966年、中国文化大革命の影響により左翼系の中国系住民が反ポルトガル闘争を組織。マカオ政府はデモを鎮圧できず、中国政府の影響力を借りることにより事態を収拾し、以後、マカオにおける中国の影響力が拡大したといわれている。

(ホ)1974年4月、ポルトガル革命後、ポルトガルの新社会主義政権は、植民地主義を放棄。1976年、新憲法においてマカオの特別の地位(「ポルトガル海外県」から「ポルトガル行政下にある領域」)を認め、「マカオ組織章程」を制定、立法会も設置。

2.中国への返還までの経緯

(1)中国・ポルトガル外交関係樹立

 1979年2月、中ポ外交関係樹立時、両国は、マカオの主権は本来中国にあり、その将来の問題は適当な時期に解決するとし、1986年より返還交渉を開始。以後、マカオ返還問題は、香港返還問題を後追いする形で進展。激しい中英間の対立があった香港返還と比べ、マカオ返還を巡る中ポ関係は、ポルトガル側の慎重な姿勢もあり、平穏に推移。

(2)中ポ共同声明

 1987年4月、中ポ両国は「中葡共同声明」に仮署名(1988年1月批准)し、マカオは中国の領土であり、ポルトガルは1999年12月19日まで、マカオの行政管理責任を有し、中国は翌20日にマカオに対し主権を回復する旨宣言。

(3)マカオ基本法

 返還後のマカオ特別行政区(SAR:Special Administrative Region)の憲法とも言えるマカオ基本法は、1993年3月、中国全国人民代表大会(全人代、日本の国会に相当)において採択。

(4)中国への返還

 1999年12月20日、マカオは中国に返還され、香港同様「一国二制度」の下で、外交・国防を除き、高度の自治権を有すマカオ特別行政区として、現行の社会制度、生活様式を返還後50年間維持。

3.マカオ特別行政区機構

(1)行政長官

 エドモンド・ホー(エドモンド・ホー)。1999年5月マカオSAR推選委員会により選出、同12月20日就任。2004年8月、次期行政長官に再選し、引き続き同年12月20日に行政長官に就任。任期は2009年12月までの5年間。

(2)行政組織

 行政法務、経済財政、保安、社会文化、運輸・公共事業の5長官。

閣僚名簿
氏名 役職
陳麗敏(Florinda CHAN) 行政法務庁長官
譚伯源(Francis TAM) 経済財政庁長官
張国華(CHEONG Kuoc Va) 保安庁長官
崔世安(Fernando CHUI) 社会文化庁長官
劉仕堯(LAU Si Io) 運輸・公共事業庁長官
白英偉(Jose Proenca BRANCO) 警視総監
何超明(HO Chio Meng) 検事総長
張祐(CHEONG U) 腐敗監督局局長
蔡美莉(Fatima CHOI) 監査局局長

(3)行政会

 行政長官の諮問機関。行政会委員は長官5名及び立法会議員3名を含む10名。

(4)司法機構

 終審法院、中級法院及び初級法院・行政法院の三審制。

(5)立法会会議

 2005年9月に行われた第3期立法会は議員29名(直接選挙12名、間接選挙10名、行政長官任命7名)。立法会主席は曹其真(Susana CHOU)。副主席はLAU Cheok Va(LAU Cheok Va)。立法会には政策立案のため、規約任期委員会と三つの常設委員会、行政委員会が設置されている。

(6)人民解放軍駐留

 マカオ基本法では、人民解放軍の駐留についての明文規定はないが、1999年6月、全人代常務委員会において、駐留軍経費の中央負担、マカオ内部事務不関与等を規定して駐軍法が成立。12月20日人民解放軍駐マカオSAR部隊が陸路進駐・駐留。

(7)中国との関係

(イ)マカオ基本法に基づき、1999年12月20日、中国外交部駐マカオSAR特派員公署(原_特派員)を設立。

(ロ)2000年1月18日より、新華社マカオ分社が中央人民政府駐マカオSAR連絡弁公室(白志健主任、2001年10月就任)と改称。

(ハ)2000年1月、マカオSAR全国人民代表選挙により代表7名選出。全人代マカオSAR代表は返還前からの4名と合わせ計11名。

4.経済・社会概況

(1)経済概況(1マカオ パカタ=0.13米ドル[2008年平均レート]で換算。)

(イ)主要経済指標(出所:マカオ経済局)

 名目GDP:1,718億6,710万パタカ (約223億米ドル)
 一人あたり名目GDP:33万1,091パタカ (3万9,036米ドル)  

主要経済指標
2003 2004 2005 2006 2007 2008
名目GDP(百万米ドル) 8,264 10,690 11,985 14,782 19,429 22,343
実質経済成長率(%) 14.2 27.3 6.9 16.5 25.3 13.2
消費者物価上昇率(%) -1.55 0.96 4.34 5.31 6.04 9.85
失業率(年度末・%) 5.5 4.2 4 3.5 2.9 3.3
輸出(百万米ドル) 2,691 2,933 2,577 2,660 2,656 2,083
輸入(百万米ドル) 2,873 3,628 4,074 4,749 5,605 5,594
収支(百万米ドル) △182 △695 △1,497 △2,089 △2,949 △3,511

主要貿易相手国・地域(2008 年)
  輸出:(1)米国(39.9%)、(2)香港(19.7%)(3)中国(12.3%)…日本(1.3%)
  輸入:(1)中国(39.3%)、(2)香港(10.1%)(3)日本(8.5%)

(ロ)観光・カジノ産業

 従来より観光及びカジノ産業が大きな地位を占める(GDPの約5割、政府歳入の7割以上)。香港資本等により、1970年代より繊維産業が、1980年代に入り玩具、電気・電子産業が発展した。しかしその後、華南地域のより低廉な労働力との競争により、第2次産業の占めるシェアは低下。

 カジノは返還後も営業・存続。2002年2月マカオSAR政府はカジノ経営権の国際入札結果を発表し、従来より独占経営権を有していたマカオ旅游娯楽有限公司の他、新規企業2 社(ギャラクシー(銀河)及びウィン(永利))が同経営権を獲得した。ギャラクシー及び同社 から経営権の一部貸与を受けたサンズが2004年5月より、ウィンが2006年9月よりカジノ営業を開始。2007年8月にはベネチアンが、同年12月にはMGMが営業を開始した。2008年2月1日現在、マカオでは29ヶ所のカジノが運営されており、カジノ企業間の競争が激化している。2006年にはカジノ産業全体の売上げは約575億パタカ(約72億米ドル)となってラスベガスの売上高を上回ったと報道されており、2007年には約838億パタカ(約105億米ドル)に達している。

(ハ)航空関係

 1995年11月マカオ空港が開港。マカオ航空の他、中国、台湾、シンガポール、マレーシア等の航空各社がマカオ空港に乗り入れており、中国大陸各地や台湾を中心に定期航空路線がある。なお、エア・マカオが、2007年7月26日より行政許可ベースで関西空港に乗り入れ(現在週7便)就航。

(2)治安問題

 1990年代は、地元マフィアによる抗争が激化するなど、治安問題上の問題があったが、返還後は改善。以降、マカオの治安は犯罪発生件数が増加しているものの、殺人等の凶悪犯罪は少なく、比較的安定している。

犯罪発生件数
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008
犯罪発生件数 8,925 8,905 9,088 9,920 9,786 10,538 10,855 12,921 13,864

 マカオ警察では、犯罪増加の要因について、マカオの好景気に伴う観光客の急増、観光客を狙った中国大陸からの犯罪グループの増加を挙げている。

 他方、経済格差、失業、腐敗などの社会問題を巡りデモ等が発生している。2000年5月及び7月に建設業を中心とした失業者が外国人労働者の流入に反対しデモを行い、警官隊と衝突。2007年5月1日、マカオの労働6団体関係者(治安当局発表約2,400人、主催者発表約10,000人)が「失業、低賃金、政府の腐敗問題」に反発し大規模なデモを実施し、治安当局が警告のため発砲する事態に至った。デモ隊と治安当局は激しく衝突し、双方に多数の負傷者が出たほか、デモに参加した男女10名が逮捕された。さらに、同年10月1日には道路交通法に反対する大規模デモが、12月20日には反政府デモが発生しているが、これらは平和裏に行なわれた。

(3)施政方針演説

 2005年11月、何長官は今後残された4年間の施政に向け、施政方針演説を行なった。同演説は、マカオの持続的安定的発展のため、「一国二制度」、「澳人治澳」の下、(1)更なる行政改革、(2)経済発展の確保、(3)対外関係の強化、(4)教育改革を目指すものとなっている。また、同長官は過去1-2年間の急速な経済発展でマカオの各方面に大きな変化が見られたが、同時に発展のアンバランスさや、所得格差などの問題があることを政府は認識しなければいけないと語り、経済発展政策を重視した過去の施政方針演説と比して、民生面を重視した内容となった。

5.日本との関係

(1)在留邦人の動向

 マカオ在留邦人は232名(2007年10月1日現在)で対前年比35%増。好調なマカオ経済を背景に企業関係者(観光業を含む)及び自由業者が増加している。1991年1月にはマカオ日本会が発足。

(2)邦人渡航者の状況等

2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008
渡航者数(万人) 14.5 14.1 14.3 8.6 8.8 16.9 22.0 29.9 37.0

 2005年3月25日より、90日以内の短期滞在について相互査証免除を実施した。

 マカオは、2005年7月に22の歴史的建造物と8つの広場を含む地域が「マカオ歴史市街地区」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。これにカジノ施設の集客力も加わり、日本人のマカオ渡航者は上記のとおりに急増しており、2008年には約37万人となった。

(3)要人往来(肩書きはすべて当時のもの)

(1)往訪
年月 要人名
1999年12月 橋本内閣総理大臣外交最高顧問(元総理)
2007年8月 自民党青年局(萩生田光一議員団長)
(2)来訪
年月 要人名
2000年6月 崔社会文化庁長官
2000年9月 何行政長官
2000年10月-11月 欧運輸・公共事業庁長官
2001年5月 崔社会文化庁長官
2002年3月 欧運輸・公共事業庁長官
2003年11月 張保安庁長官
2006年7月 欧運輸・公共事業庁長官

(4)日本・マカオ経済関係

2003 2004 2005 2006 2007 2008
対日輸出(百万米ドル) 18.0 22.1 20.5 19.1 27.9 25.5
対日輸入(百万米ドル) 238.4 322.1 409.5 365.9 465.0 436.7

1マカオ パカタ=0.13米ドル[2008年平均レート]で換算。

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