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叙勲及び外務大臣表彰

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叙勲者紹介

 2008年には、日本インドネシア友好年に相応しく、両国の友好協力関係の発展に大きな功績を果たした4名が叙勲されました。


ギナンジャール・カルタサスミタ氏(旭日大綬章)

ギナンジャール氏夫妻
 ギナンジャール氏は、昭和35年の日本留学以来一貫して日本とインドネシア国との間の友好関係増進に努めており、まさに「日本・インドネシアの架け橋」として両国間関係の増進と深化に大きな役割を担ってきました。
 昭和38年、同氏はインドネシア元日本留学生協会(プルサダ)の立ち上げに尽力、創設者の1人となるとともに、顧問に就任しました。また、平成18年にはインドネシア・日本友好協会の会長に就任、日本側のカウンターパートである日本インドネシア協会の福田康夫会長とともに、両国間関係の更なる発展に向けて様々な施策を練ることに努力してきました。更に、2008年の「日本インドネシア友好年」開催に向けて、「インドネシア日本国交樹立50周年記念事業実行委員会」の名誉委員長に就任しており、友好年の成功に向け各種準備の陣頭指揮を執りました。
 また、平成5年以降6年に亘り、国家開発企画庁の長官を務めました。国家開発企画庁長官として、我が国のインドネシアに対する援助を効率的、効果的に実践すべく努めました。インドネシアの安定と発展が地域の平和と繁栄に密接に関係していることから、同氏の采配の下で同国に対する援助政策が円滑に進められてきたことは、同国の発展と同国民の幸福を実現するものであるのみならず、日本とインドネシアの間の関係の緊密化を促すことになりました。
 また同氏は、日本留学時代に少林寺拳法を学び、帰国後はインドネシアにおいて少林寺拳法の普及に努めました。少林寺拳法はインドネシアにおいて広く愛されるスポーツの一つとして発展を遂げており、少林寺拳法を通じた日本とインドネシアの間の友好関係の増進は同氏の活動に負うところが大きいと言えます。

ズハール氏(旭日重光章)

ズハール氏(右)と塩尻駐インドネシア大使
 ズハール氏は、賠償留学生の第2期生として、昭和36年から5年間、信州大学工学部、東京電気大学工学部に留学し、電気工学を学びました。帰国後は、バンドン工科大学、インドネシア大学において理工系学生の人材の育成に尽力しました。また、昭和58年から長年にわたり、技術評価応用庁に勤務し、インドネシアの科学技術の発展・振興に貢献しました。平成10年から同11年には研究技術担当国務大臣兼技術評価応用庁長官を務め、同庁の政策立案や実施に指導力を発揮しました。また、我が国を含む先進国の理工系大学にインドネシア人留学生を派遣し、博士号を取得させる高等人材育成開発事業を実施しましたが、特に、我が国への留学を重視し、1,000名を超える留学生が派遣されました。
 その後、平成12年に設立された私立大学アル・アズハル大学の初代学長に就任し、現在も同大学において学生の指導に当たっています。同大学では、日本との関係を重視しており、幹部や教授陣には積極的に元日本留学生を採用しています。また、文学部日本学科を設立し、その育成・発展に努めています。平成18年には、日本研究センターを設立して、日本研究を通じた日本との相互理解の増進に寄与しています。

ウィスバー・ルイス氏(旭日重光章)

右からハッサン外相、ウィスバー・ルイス氏、
ウィスバー・ルイス氏夫人、ハッサン外相夫人
 ウィスバー・ルイス氏は、昭和34年にガジャマダ大学国際関係学科を卒業後、インドネシア外務省に入省し、外交官としてその卓越した交渉能力を生かし、主に国連やASEAN等の多国間機関の分野で活躍し、昭和63年には在ジュネーブ国際機関インドネシア政府代表部大使、平成7年には駐日大使に就任し、日インドネシア友好のために尽力しました。

 同氏は、訪日招聘の機会を得て来日したことをきっかけに親日家となり、外交官時代の様々な場で、我が国のために協力することを惜しみませんでした。この姿勢は一貫して貫かれ、その後、外務省退職後も、ASEAN基金事務局長として我が国との関係を重視し、数多くの我が国主導による対ASEAN支援事業を成功裡に実施しました。また、東京に所在する日本アセアンセンターの改革に、賢人会議議長として貢献し、これらの活動を通じて我が国の国際的地位の向上のために尽力してきました。

ワルディマン・ジョヨネゴロ氏(旭日重光章)

 ワルディマン氏は昭和57年から長年に渡り、技術評価応用庁に勤務し、我が国を含む先進国の理工系大学にインドネシア人留学生を派遣する人材開発事業に創設時から関わり、実施に尽力しました。本事業により今日までに1,000人を超える留学生が我が国に派遣され、両国における学術交流及び人的交流の促進に多大な貢献をしました。
 また、日本とインドネシア両国の科学技術に関する課題等を扱う「日本インドネシア科学技術フォーラム」の発足に関わり、10年以上に渡りインドネシア側の事務局長として、両国の科学者の相互交流、各種共同調査の実施等の活動を展開し、日本とインドネシアの科学技術面での関係強化に貢献しました。
 平成5年には教育文化大臣に就任し、平成9年に東京を中心に開催された「インドネシア・日本友好祭」を中心となって推進し、東京国立博物館で開催された「インドネシア古代王国の至宝」展を始めとして、様々な文化交流行事を実施し、日本・インドネシア両国の相互理解の促進に貢献しました。