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フィジー諸島共和国概要

平成13年6月28日

1.概観

(1)基本データ(世銀統計資料)

人口 80.1万人(99年)
面積 18,300平方km2(四国とほぼ同じ広さ)
GDP 16,4億米ドル(99年)
GDP/人 2,210米ドル(99年)
政体 共和制
民族 フィジー系約39万人、インド系約34万人、その他、欧州系、中国系、ポリネシア系、その他近隣島嶼国系及びこれらの混血など約4万人


(2)地理

 フィジーは南西太平洋の中央部(メラネシア地域)に位置する。約330の諸島から成り、多くは火山活動又は珊瑚礁の隆起によりできたもの。

(3)気候

 熱帯性気候で、最も暑い2月頃を中心に雨量が多く、首都スヴァの年間降雨量は約3,000mm。最も寒い7月でも気温は18~28℃。

(4)略史

 ヨーロッパ人来航前は、フィジー系住民(メラネシア人とポリネシア人の混血とされる)が各部族ごとに小集団で集落を構成し生活をしており、ヨーロッパ人との接触は、1643年にオランダ人タスマンが、タヴェウニ島を望見したのが最初とされる。1874年に英国植民地となり、インド系住民6万人が1879年から1926年にかけてサトウキビ労働者として導入された。太平洋戦争時には、直接日本軍の攻撃を受けていないが、フィジー系住民の間に義勇軍が組織され、ソロモン戦線に従軍。1970年に英国より独立。

2.内政

(1)フィジー系とインド系が国内を二分する中、独立以来フィジー系政党が政権を担当してきたが、インド系の土地所有が原則禁止される等フィジー系に有利な憲法下にあって、インド系の政治不満は充満していた。こうした中で主に都市労働者層の支持を受けて結成された労働党が87年の総選挙でインド系の国民連合党と組んで勝利し、政権を獲得するに到り、危機感を抱いた軍がクーデターを起こしたが、その後軍は、新憲法制定を条件にカミセセ・マラ(元首相)に政権を委譲した。この間、フィジーは英連邦から脱退し共和制へと移行した(:98年に英連邦に再加入した)。

(2)87年のクーデター以降、フィジー系とインド系の間の確執が顕著となり、労働争議が頻発する事態が生じた。90年にフィジー系の権益を擁護する憲法が施行されたが、その後見直しが進められ、98年に新憲法が発布された。

(3)99年の総選挙で躍進した労働党が単独過半数を獲得し、チョードリーが初のインド系首相となったが、権利が十分尊重されていないとするフィジー系の不満及びフィジー系内の権力闘争を背景として、昨年5月に武装グループによる議会占拠事件が発生し、戒厳令発布、憲法廃止、暫定政権発足と事態が急展開した。その後、憲法廃止を無効とする国内の司法判断を踏まえ、早期の安定化・民主制回復を唱えたガラセ前暫定首相による選挙管理内閣が組織され、本年8月に総選挙が実施される方向である。

3.経済

(1)英国植民地政府が推進した砂糖生産を基幹産業とするモノカルチャー経済が発展したが、生産量の伸び悩みに直面したため、漁業振興と観光開発に力点を置く政策に転換し、経済の向上に努めてきた。この点で、国家経済の維持を先進国からの経済援助に頼らざるを得ない多くの太平洋島嶼国の依存体質とは一線を画する。他方、砂糖生産は国際価格や自然災害等の外的要因の影響を受け易く、経済基盤は盤石とは言い難い状況である。

(2)80年代はサイクロンや干魃による被害に加え、クーデターによるインド系資本や労働力の海外流出により不安定な状況が続いた。政府の優遇税制措置により衣料を中心に製造業が伸長したため、80年代末には景気が大きく回復したが、90年以降は世界的な景気後退の影響により一進一退の状況である。

(3)昨年の議会占拠事件に対する豪、NZ等の経済制裁、及び治安の悪化に伴う観光収入の減少により、2000年はマイナス成長となった。

(4)貨幣経済と伝統的自給自足経済が混在する経済構造を成し、地域間及び民族間の大きな経済格差を生む要因となっている。

4.外交

(1)基本方針

 豪州、ニュー・ジーランド(NZ)及び太平洋島嶼国との協力関係を従来通り重視しているが、近年はASEAN諸国及び日本を含むアジア諸国との関係強化の動きも顕著になってきている。

(2)英国との関係

 1970年に英国から独立した後も英連邦の一員であったが、1987年のクーデターを契機に脱退。その後、英連邦復帰を望む声が国内で強く、差別的であるとされた90年憲法の見直しが完了したことにより、97年9月に正式に英連邦への復帰を果たしたが、昨年の議会占拠事件以来、参加資格を一時停止されている。

(3)豪、NZとの関係

 地理的に近いこともあって極めて関係が深い。各種経済協力や南太平洋地域貿易経済協力協定の適用による経済的優遇措置を受けていたが、昨年の議会占拠事件以来、両国は対フィジー経済制裁を課している。

(4)地域協力

 太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum:71年に太平洋諸国・地域により設立された国際機関。政治・安全保障から経済分野まで幅広く域内共通関心事項について討議。)や太平洋共同体(Pacific Community:47年に南太平洋に植民地を有する英、米、仏、蘭、豪及びNZにより設立された国際機関。)に参加し、地域協力を積極的に推進している。
 首都スヴァには、PIF事務局の他、南太平洋島嶼諸国が出資して設立した地域的国際高等教育機関である南太平洋大学(USP:University of the South Pacific)がある。

(5)当面の外交上の課題

 安定化・民主制回復のプロセスを進めるに当たって如何に国際社会及び主要ドナー国の信頼を回復し理解と協力を得るか、また具体的に制裁解除及び経済協力の再開を実現させるか、が政府の最重要課題である。

5.我が国との関係

(1)太平洋戦争中は連合国がフィジー軍を創設し、フィジー人から成る部隊がソロモン諸島やニューギニア島で日本軍と戦った。

(2)1970年の独立に際し、我が国は同国を即日承認。また、72年9月、我が国在豪大使が兼任の在フィジー大使として信任状を捧呈、さらに73年3月からスヴァに名誉領事を任命していたが、79年1月に大使館(実館)をスヴァに開設した。

(3)80年5月、マラ首相が公賓として訪日し、大平総理、大来外相等との間で我が国の対フィジー経済援助を中心に二国間関係強化について意見交換を行った。その後フィジー政府は在京大使館の開設を決定し、81年1月に同大使館を開設した。

(4)90年7月、フィジー政府は、関西地域からフィジーへの投資及び観光客の増加を期待し、在大阪名誉領事を任命(98年9月まで)。

(5)要人往来

(イ)90年以降の我が国要人のフィジー訪問
 91年  鈴木外務政務次官
 93年  松永政府代表
 94年  柳沢外務政務次官


(ロ)90年以降のフィジー要人の主な訪日
 90年  ガニラウ大統領夫妻(即位の礼)
 91年  ゴネレヴ第一次産業相(高級実務者招聘)
 94年  ランブカ首相(公式実務賓客)
 95年  カウキモーゼ住宅・都市開発・環境相(高級実務者招聘)
レディー国民連合党党首(オピニオン・リーダー)
 97年  ランブカ首相(日・SPF首脳会議)
 00年  チョードリー首相(太平洋・島サミット)


(6)経済関係

(イ)貿易
 我が国からの輸出品は、自動車、ゴム製品、電気機械等で、輸入品はウッドチップ、砂糖、鮪・鰹である。貿易額は、対フィジー輸出4,835百万円、輸入4,266百万円(99年)であった。
 我が国からの直接投資は、51~99年度までの累計で111件、約132億円。

(ロ)観光
 我が国からのフィジー訪問者数は豪州、NZ、米国、英国に次いで5番目に多く、99年は3.8万人であった。昨年は議会占拠事件の影響で訪問者数が大幅に減少したと見られる。現在、エアー・パシフィック航空はナンディ~成田間を週2便運航している。


(7)経済協力

(イ)有償資金協力
 初の有償資金協力案件として「ナンディ・ラウトカ地域上水道整備計画」
 (98年2月E/N署名、融資総額22.87億円、返済期間25年)を実施中。

(ロ)無償資金協力
 フィジーは1人当たりGNPが高いため、フィジー自体だけでなく周辺諸国にも裨益するような案件を中心に供与。これまでの主な大型案件は次の通り。
  • 看護学校建設計画(84~85年度、約20億円)
  • ラウトカ漁港整備計画(86年度、約13億円)
  • 教育病院建設計画(91~92年度、約21億円)
  • 気象観測予報設備整備計画(95~96年度、約13.3億円)
  • 南太平洋大学海洋研究施設整備計画(96年度、約14億円)
  • 南太平洋大学通信体系改善計画(98年度、約2.98億円)
  • 植民地戦争記念病院新小児科病棟建設計画(98年度、約14.02億円)


 この他、草の根レベルの生活水準向上等を目的とした草の根無償資金協力を、89年度より実施。

(ハ)技術協力
 82年8月に青年海外協力隊派遣取極を締結し、84年にはJICA事務所がスヴァに開設された(青年海外協力隊員派遣数38名(本年4月現在))。
 94年6月にシニアボランティア派遣に係る口上書を交換し、現在8名が活躍している。

(8)文化交流

(イ)政府主導の文化交流が主で、国費留学生が過去70人程我が国に留学したほか、アジア太平洋青年招聘、世界青年の船、国際交流基金、若人交流(98年3月熊本県の高校生がフィジーを訪問)の各種招聘事業等が行われた。

(ロ)また、近年、日本の社会人チームがフィジーからラグビー選手やコーチをスカウトし、彼らが日本のラグビー界で活躍する姿も目立っている。

(ハ)民間では、兵庫県尼崎市の園田学園が毎年南太平洋大学との間で短期の交換留学を実施している。また福岡の「アジア太平洋こども会議」事業では97年3月に我が国の子供達20数名がフィジーを訪れた他、毎年10名弱のフィジーの小学生が訪日している。

(9)在留邦人

(イ)在フィジー邦人数(2000年10月現在) 266名(政府・援助関係者が中心)
(ロ)本邦在留フィジー人(2000年4月現在) 約50名
(ハ)友好協会等
 日本・フィジー友好協会(98年7月設立)


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