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フィデル・カストロ・ルス
(FIDEL CASTRO RUZ)
1926年8月13日
東部オリエンテ州(現オルギン県)
キューバ共産党中央委員会第一書記、同党政治局員、同党書記局員、人民権力全国議会議員
1945年 ベレン中学校卒(サンティアゴ・デ・クーバ)
1950年 ハバナ大学法学部卒業(卒業後はハバナにて弁護士開業)
| 年 | 経歴 |
|---|---|
| 1947年 | ドミニカ共和国トルヒーリョ政権打倒の遠征に参加 |
| 1953年 | モンカダ兵営襲撃失敗、懲役15年の刑を受ける |
| 1955年 | 大赦により釈放、メキシコへ亡命 メキシコにて亡命キューバ人を訓練し革命軍を組織 |
| 1956年 | 革命軍(82人)を指揮して「グランマ号」でキューバ潜入 シエラ・マエストラ山中からゲリラ運動開始 |
| 1959年 | 1月1日、バチスタ政権打倒(キューバ革命) 2月、首相就任 |
| 1965年 | キューバ共産党第一書記就任 |
| 1976年 | 国家評議会議長就任 |
| 2006年 | 7月31日、腸内出血により実弟のラウル・カストロ革命軍事大臣等に暫定的に国家評議会議長、閣僚評議会議長、革命軍最高司令官、共産党中央委員会第一書記の職務につき権限委譲を発表 |
| 2008年 | 2月18日、国民向けのメッセージで国家評議会議長及び最高司令官の職を辞す意向を表明(2月24日、人民権力全国議会はラウル・カストロ国家評議会第一副議長を議長に選出) |
夫人、息子4人、娘1人(娘は海外亡命)
読書、執筆
1995年12月(非公式。中国、ヴェトナム訪問の帰途、立ち寄り訪日。村山総理(当時)、三塚博友好議員連会長等と会談・懇談)及び2003年3月(アジア歴訪の最終訪問地として非公式に訪問。小泉総理、綿貫衆議院議長等と会談・懇談、広島も訪問)
(1)両親はスペイン(ガリシア)系移民で、鉄道人夫から1万ヘクタールの農園主になった立志伝中の人物であるアンヘル・カストロ及びその2番目の妻リーナ・ルス・ゴンサレス(スペイン系)。
(2)ノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスは「カストロ議長の朝食は数百ページにも及ぶ全世界のニュースである」と語っている。また、同前議長は「今度生まれ変わった時には作家になりたい」と語ったことがあり、実際、文才があり、その文体はプロ並みと言われている。
(3)以前は葉巻を一日に半箱吸うほどのヘビースモーカーであったが、禁煙運動の例を国民に示すため現在はやめた由。