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最近のブルガリア情勢と日本・ブルガリア関係

2009年1月

地図

【基本データ】

首都:ソフィア
面積:約11万平方キロメートル(日本の3分の1)
人口:730万人(2007年、国家統計庁)
言語:ブルガリア語
民族:ブルガリア民族(スラブ系)
宗教:ブルガリア正教
政体:議会共和制
GDP:288.98億ユーロ(2007年、中央銀行)
GDP/人:3,773ユーロ(2007年、中央銀行)

  • 14世紀後半から19世紀後半までの500年間トルコの支配下にあった。
  • 19世紀後半、露土戦争の結果トルコから独立。社会主義時代は東欧諸国の中でも随一の親ソ国であった。
  • 1989年、他の東欧諸国とともに民主化・市場経済化を開始。民主化は定着し、マクロ経済は安定したが、国民が実感する生活レベルの向上が課題。
  • 2004年、NATOに加盟。2007年、EUに加盟。

1. ブルガリア情勢

(1)政治情勢

(イ)1989年11月に改革を開始し、1991年7月に東欧諸国では初の民主的な新憲法を採択した。その後新憲法に基づく各種選挙(大統領選挙、議会選挙及び地方選挙)を実施し、政治面における民主化は定着している。
 1989年以降10年間のうちに、政権は、社会党(旧共産党)→民主勢力同盟(非共産党勢力)→社会党→民主勢力同盟へと頻繁に推移した。

(ロ)1996年には経済改革の遅れのため経済状況が急激に悪化し、これに対する国民の不満を背景として、同年11月の大統領選挙では民主勢力同盟のストヤノフ大統領が当選し、また、97年4月の議会繰り上げ総選挙では民主勢力同盟を中心とする連立政権が誕生した。

(ハ)同政権は、急進的な経済改革を推進したが、その結果として貧困と失業者の増大をもたらし、また構造的な汚職により国民の政治不信を招いた。

(ニ)2001年6月、任期満了に伴う国民議会選挙が実施され、「800日以内に経済を抜本的に改革し、国民生活を改善する」との公約を掲げた「シメオン2世国民運動」が第1党となり、トルコ系少数民族政党「権利と自由のための運動」とともに、元国王シメオン2世(シメオン・サクスコブルク)を首班とする連立内閣を樹立した。

(ホ)2001年11月、任期満了に伴う大統領選挙の決選投票が実施され、社会党党首のパルヴァノフ候補が、再選が有力視されていた現職のストヤノフ大統領を破り、02年1月、新大統領に就任した(2006年10月の大統領選挙で再選)。

(ヘ)サクスコブルク政権は、雇用創出・投資誘致・税制改善等の経済改革を実施するとともにNATO加盟実現・EU加盟条約署名といった外交上の成果をあげたものの、生活レベルの改善に関して国民が抱いた大きな期待に応えるほどの成果をあげられず、また、汚職・組織犯罪に関して有効な対策を打ち出せなかったことから、2005年6月の国民議会選挙において、「シメオン2世国民運動」は、社会党を中心とする「ブルガリアのための連合」に敗れた。

(ト)同選挙では単独過半数を獲得した政党がなかったため、連立政権樹立に向けた交渉が開始され、2005年8月、スタニシェフ社会党党首を首班とする「ブルガリアのための連合」、「シメオン2世国民運動」及び「権利と自由のための運動」の3党による大連立内閣が発足した。スタニシェフ内閣は、司法改革、保健制度改革、6-8%の経済成長、所得の増大、組織犯罪・汚職対策等の課題に取り組んでいる。

【2005年6月25日の選挙結果】
会派名 議席数
ブルガリアのための連合(社会党他) 82議席
シメオン2世国民運動 53議席
権利と自由のための運動 34議席
アタッカ 21議席
統一民主勢力 20議席
強いブルガリアのための民主主義者 17議席
ブルガリア国民連合 13議席
240議席

(2)経済情勢

(イ)1989年の体制転換後、市場経済への移行のための経済改革を開始したが、以下の諸要因が重なり改革が遅れた。

(i)輸出入の7~8割を依存していた旧コメコン市場が喪失した。

(ii)国連による対ユーゴ経済制裁によって多大な損害を受けた。

(iii)頻繁な政権交代のために一貫した政策を採り得なかった。

 GDPは1994年にプラス成長に転じたが、96年には経済全体が急激に悪化し、中・東欧諸国の中で最も大きな困難に苦しんだ。

(ロ)このような背景の下で、民主勢力同盟のコストフ内閣はIMF主導の経済改革を推進し、国営企業(一部の公共事業を除く)の民営化を進めた。また、金融面では、1997年7月の通貨委員会設置後、独マルク(現在はユーロ)との固定相場制の導入をはじめとする金融安定化策を採用してからインフレの沈静、金利水準の低下、外貨準備高の増加が見られるようになるなど、マクロ経済は安定した。現在、インフレ率は安定し、経済成長率は年4-5%台を維持している。 なお、2008年秋以降の世界的な経済危機のブルガリア経済への影響は間接的にとどまっている。

(ハ)2006年6月時点で国営企業資産の90%が民営化され、今後発電所、地域熱供給会社等の国営企業の民営化が予定されている。貿易赤字幅は依然として大きいが、外国からの投資額は増大傾向にある。所得の増大、失業率の更なる削減、都市と地方の経済格差の縮小等が課題である。2007年より、法人税率がEU内で最低の10%に引き下げられた。

【2007年の経済指標】出典:ブルガリア国家統計局、中央銀行

1人あたりGDP:3,773ユーロ
経済成長率:6.3%
物価上昇率:12.5%
失業率:6.9%

(ニ)貿易赤字は年々増加の一途を辿っており、2007年は73.6億ユーロと1958年以降最大の赤字幅となった。産業構造の転換に時間がかかり主要な輸出産業が育成できておらず、輸出額が小幅な伸びに留まったのに対し、旺盛な国内消費により輸入が大きく拡大し、またエネルギー価格の高騰も手伝い、貿易赤字拡大トレンドは今後も続くと見られる。

(ホ)外国直接投資額は1992年以降、2001年に対前年割れした以外は常に増加しており、特に2003年は前年の9.05億ドルから一気に20.97億ドルにまで増加している。また、2005年においても28.83億ドルと急激な伸びを示している。なお、1992年から2005年末までの投資額累計では、オーストリアを筆頭に以下ギリシャ、ドイツ、オランダ、イタリアが上位を占めており、日本は23番目となっている。

(3)外交政策

(イ)サクスコブルク前内閣は、コストフ内閣の外交方針を引き継ぎ、「欧州への統合」を最大の外交目標に掲げ、特に、NATO及びEUへの加盟を重視した。スタニシェフ内閣も、「欧州への統合」路線を維持している。
 NATOについては、2002年11月、プラハにおけるNATO首脳会議においてブルガリア等7カ国への加盟招請が行われていたが、2004年3月、ブルガリアは他の加盟招請国とともに北大西洋条約批准書を米国に寄託し、NATO加盟国となった。
 また、EUについては、ルーマニアとともに1999年にEU加盟候補国となり必要な改革に取り組んできた結果、2004年12月に加盟交渉を終了し、2005年4月、加盟条約に署名し、2007年1月加盟予定とされた。2006年9月、欧州委員会はブルガリア、ルーマニアの加盟準備状況に関する報告書を発表し、両国は司法、農業基金など複数の分野で更なる改革が必要としつつも、両国の2007年1月1日からのEU加盟を勧告した。その後、欧州議会による議決、加盟条約への各国による批准を経て、2007年1月1日に、ルーマニアとともにEUに加盟した。

(ロ)2001年9月11日の米国同時多発テロ後、ブルガリアは国際テロ対策を外交・安全保障政策上の重要な課題とし、米国を中心とする対アフガニスタン軍事行動及びイラク戦争の際には米軍部隊を受け入れ、出撃拠点を提供した。在欧米軍の再編にあたり、2006年4月、米国との間で防衛協力協定に署名し、ブルガリア国内に米軍の拠点を設置することが合意された。

(ハ)石油及び天然ガスの大半をロシアから輸入している背景もあり、現政権はロシアとの正常で良好な関係の維持を重視している。

(ニ)ブルガリアは、バルカン地域の安定なしにブルガリアの繁栄はないとの立場から、すべての近隣諸国との友好関係の確立に努めている。特に、1996年に「南東欧協力プロセス」を提唱するなど、南東欧地域協力の推進、同地域の安定に積極的に貢献している。

(ホ)ブルガリアは2003年7月より5次にわたってイラクに400-500名の軍部隊を派遣(中南部の治安維持を担当)するなど、19名(うち6名は民間人)の犠牲者を出しつつも、イラクの安定と復興に対する貢献を継続してきたが、2005年12月のイラク国民議会選挙終了後、軍部隊の撤退を完了させた。その後、2006年春より、バグダッドの北60キロメートルにあるアシュラフ・キャンプ警護のため約150名の軍部隊を新たに派遣していたが、2008年12月をもって全部隊を撤収した。

(ヘ)1999年、リビア東部のベンガジにおいて約400人の子供を故意にHIV感染させたとして、当時病院に勤務していた5人のブルガリア人看護師と1人のパレスチナ人医師がリビア当局に逮捕され死刑判決が下されていた事件では、多大な賠償金等を要求するリビア側と冤罪と主張する看護師らの解放を訴えるブルガリア政府やEU諸国等との間での話し合いが続いていた。2007年7月、リビア最高裁は死刑判決を確定したものの、その後のプロセスであるリビア司法高等評議会はこれを終身刑に減刑。犯罪人は本国で懲役刑に服することができると定めたブルガリア・リビア間の司法関連の協定により、7月24日、看護師らは、約8年に及ぶリビアでの抑留生活を終え、サルコジ仏大統領夫人及びフェレーロ・ヴァルトナー対外関係・欧州隣国政策担当欧州委員に伴われて、フランス政府の特別機にてブルガリアに帰国した。看護師たちには、パルヴァノフ大統領より、帰国直後に恩赦が与えられている。

2. 日・ブルガリア関係

(1)ブルガリアは社会主義時代から親日的であった。大阪万博出席のために訪日したジフコフ国家評議会議長(元首)は日本の発展に強い印象を受け、その後も自ら2度訪日したほか有力者を次々に訪日させ、「日本ロビー」を形成した。
 1989年の民主化以後、「日本ロビー」は姿を消したが、依然として我が国を「高度な経済・科学技術と豊かな伝統文化を有する国」として強い尊敬の念を有しており、経済協力、投資に関し大きな期待を抱いている。このため、毎年のように閣僚クラスの要人が来日している。
 2007年1月、ブルガリアがEUに加盟した機会をとらえ、麻生外務大臣が日本の外務大臣として24年ぶりにブルガリアを訪問した。また同年11月には、カルフィン副首相兼外相が訪日している。
 2009年は外交関係再開50周年にあたり、「日本・ドナウ交流年」として様々な行事が行われる。

(表1)最近の主な要人往来
日本より ブルガリアより
1970、1978、1985年  
ジフコフ国家評議会議長
1979年 皇太子同妃両殿下  
1983年 安倍外務大臣  
1990年 小此木衆議院友好議員連盟会長 ジェーレフ大統領(即位の礼出席)
ヴァルコフ副首相兼外務大臣
1991年   ヴァシレフ副首相兼教育・科学大臣
1992年 綿貫自民党幹事長
櫻内衆議院議長
プラマタルスキ貿易大臣
1993年 綿貫衆議院友好議員連盟会長 ヨルダノフ国民議会議長(衆議院招待)
カラバシェフ副首相
アレクサンドロフ蔵相
1994年 海部元総理
伊江参議院友好議員連盟会長
綿貫衆議院友好議員連盟会長
マティンチェフ副首相
ズネポルスキ文化大臣
カモフ議会外交委員長
1995年 柳沢外務政務次官 ゲチェフ副首相兼経済開発大臣
1996年 亀井運輸大臣
清子内親王殿下
センドフ国民議会議長(参議院招待)
パパリゾフ貿易・対外経済協力大臣
マラゾフ文化大臣
1997年 堀之内郵政大臣 ソフィヤンスキ前首相
ストヤノフ大統領(国賓)
1999年 中馬衆議院外務委員長 アゴフ議会外交欧州統合委員長
バカルジエフ副首相兼地域開発・公共事業大臣
2000年 綿貫衆議院議長
浅野外務政務次官
ヴァルバノフ農林大臣
ラデフ大蔵大臣
カヴァルジエフ副大統領(小渕前総理 合同葬出席)
2001年   ゲルジコフ国民議会議長(衆議院招待)
2002年 松浪外務大臣政務官
倉田参議院議長
ヴェルチェフ蔵相(アフガン復興支援会議)
ヴァシレフ副首相兼経済大臣
2003年   パシ外相(外務省賓客)
アルセノヴァ環境・水大臣(世界水フ ォーラム出席)
2004年 松宮外務大臣政務官
関谷参議院友好議員連盟会長
川口総理大臣補佐官
サクスコブルク首相(実務訪問賓客)
2005年 常田農林水産副大臣 コヴァチェフ経済大臣(愛・地球博開会式出席)
マーリン副大統領(博覧会賓客)
2006年 角田参議院副議長 ピリンスキ国民議会議長(参議院招待)
エテム副首相兼緊急事態・災害大臣
ガイダルスキ保健大臣
2007年 麻生外務大臣
田中財務副大臣
ヴァルチェフ副首相兼教育大臣
カルフィン副首相兼外務大臣
2008年 マスラロヴァ労働社会政策大臣
ヴァルチェフ副首相兼教育大臣(STSフォーラム出席)

(2)経済関係については2005年、ブルガリアにおける体制転換後、日本とブルガリアの貿易額は激減したが、2007年、日本からブルガリアへの輸出額は154億円(原動機、発電機等)、輸入額は62億円(衣類、医療用品等)。EU加盟を機に加盟国のプレゼンスが高まる中、わが国のプレゼンスは相対的に低くなっているものの、2006年にわが国企業によりソフィアにおいて最先端の医療機器を持つ総合病院が開業し、京都議定書が規定する共同実施プロジェクト促進協力に関する覚書に基づき、カリアクラでJI案件として風力発電プロジェクトが実施されている。またグリーンフィールドへの投資としては2007年に自動車部品産業への投資が行われた。

日本の対ブルガリア貿易
年号 対ブルガリア輸出 対ブルガリア輸入 収支
2004 30.2億円 29.7億円 0.5億円
2005 36億円 43億円 -27億円
2006 96億円 58億円 40億円

(3)我が国は、ブルガリアとの良好な二国間関係、ブルガリアの民主化、市場経済化移行の努力に対する支援、南東欧地域の平和と安定におけるブルガリアの重要な役割重視等の観点から、これまで積極的な経済協力を実施してきており、ブルガリアにとり最大の援助国の一つとなっている。

(表2)我が国の主な対ブルガリア支援(2008年3月現在)
<資金協力>
内容 金額 備考
1.円借款 (1)ソフィアホテル建設計画 48.32億円 1975年度E/N署名
(2)環境案件(2件) 80.36億円 1995年度E/N署名
(3)ブルガス港拡張計画 143.12億円 1997年度E/N署名
(4)ソフィア地下鉄拡張計画 128.94億円 2001年度E/N署名
(5)ヴァルナ湾及びブルガス港コンテナターミナル整備計画 369.32億円 2007年度E/N署名
2.無償資金協力 (1)一般無償 11.17億円 ソフィア市浄水施設建設
(2)ノン・プロジェクト無償 5億円  
(3)草の根・人間の安全保障無償(1998年より対象国) 2.56億円 60件
(4)文化無償(草の根文化無償含2007年度までの累計) 10.48億円 1991年度からほぼ毎年度実施
3.国際協力銀行(JBIC)融資 輸銀アンタイド・ローン 約3.3億ドル 3件
4世界銀行日本特別基金 (1)日本社会開発基金(JSDF) 約201万ドル 3件
(2)開発政策・人材育成基金(PHRD) 約493万ドル 11件
<技術協力>
内容 備考
1.研修員受入れ(1991年からの総数) 842名
2.専門家派遣(1991年からの総数) 243名
3.単独機材供与 16件
4.青年海外協力隊(1993年からの総数) 253名(1993年派遣開始)
5.技術協力プロジェクト (1)省エネルギー・センター 1995年より5年間
(2)醗酵乳製品開発計画 1997年より5年間
(3)重要政策中枢支援「産業政策」 1999年より3年間
(4)ビジネス人材育成センター 2004年より3年間
(5)カザンラク地域振興計画 2004年より3年6ヶ月間
6.開発調査
(現在までに8件実施)
(1)省エネルギー計画調査 1991年より2年間
(2)ソフィア市廃棄物処理計画調査 1992年より2年間
(3)鉄工業再構築及び近代化計画 1993年より2年間
(4)マリッツァ・イースト第1火力発電所再建 1995年より1年間
(5)農業改善計画 1996年より1年間
(6)鉄道経営改善計画 1996年より1年間
(7)マリッツァ川流域環境保全計画 1996年より2年間
(8)全国総合水資源管理計画 2006年より2年間
<緊急援助>
内容 金額 備考
1.乳幼児用粉ミルクの無償資金供与 150万ドル 1990年度に実施
2.食糧等のための無償資金供与 2200万円 1997年2月に実施

(4)両国間の文化交流は活発である。我が国の在ブルガリア大使館は、1990年以降毎年秋に「日本文化月間」を開催し、日本・ブルガリア双方の様々な団体の協力を得て、公演、展示、講演会、映画会など約10件の行事を実施し好評を博している。青年海外協力隊員やNGOが中心になって地方で日本文化紹介行事が開催されることも多い。また、ソフィア国立オペラ劇場、ソフィア少年少女合唱団をはじめ、ブルガリアの劇団や音楽家が日本で公演を行うことも多い。スポーツの分野では、大相撲のブルガリア出身力士「琴欧洲」の活躍が両国国民の関心を集めている。

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