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最近のブータン情勢と日・ブータン関係

平成20年12月

1.最近のブータン情勢

(1)内政

 ブータンでは、1998年からワンチュク第4代国王の主導により民主化プロセスが始まった。ワンチュク第4代国王は、ジグメ・ドルジ・ワンチュク第3代国王の急死により1972年に16歳の若さで即位し、第3代国王が布いた近代化政策を踏襲・推進した。国民議会の権限強化等を含む大幅な国政改革を行い、閣議の議長の交代(これまで閣議は国王が主催)や国王に対する信任投票制度を導入し、また、積極的に国内各地を巡幸し、民意の把握に努めつつ国家開発計画の策定にも意欲的に取り組んだ。2001年11月には、最高裁長官、国会議員、政府の代表等39名の委員からなる憲法起草委員会を組織して、憲法策定作業を行い、2007年8月に憲法草案が完成した。

 現在、ブータンは本格的な議会制民主主義への移行の過程にあり、2007年12月に同国初となる上院選挙が、2008年3月に下院選挙が実施された。これを受け、憲法草案に基づき、同4月、下院選挙において勝利したブータン調和党(DPT)のジグミ・ティンレイ党首が国王により首相に任命され、新内閣が発足した。同年5月8日、新国会が召集され、新憲法等の法案審議が開始され、同年7月18日、憲法が施行された。

 ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク現国王(第5代国王)は2006年12月に王位を継承、2008年11月6日に、同国王の戴冠式が行われた。

(2)外交

 1949年、ブータンは、独立したインドとの間でそれまでブータンが英国との間で結んでいた条約を踏襲する条約を締結した。同条約第2条は、「インド政府はブータンへの内政不干渉を約する。ブータン政府は対外関係に関しインド政府の助言に基づき実施することに合意する」旨規定している。

 第3代国王の統治時代当初は、インドとの条約関係もあり二国間関係はインドのみに限定し、その他の対外関係も専らインドを介して処理してきた。しかし、1960年代に入るとこうした対外姿勢にも変化が生まれ、コロンボ・プラン(1962年)及び万国郵便連合(1969年)に加盟する等徐々に国際社会との接触を広げ、1971年には国連加盟を果たした。

 第4代国王即位後は、非同盟諸国会議に加わる等非同盟外交を同国外交の基本方針とする姿勢を鮮明に打ち出すとともに、近隣諸国との関係強化を図りつつ、独立と主権の保全に腐心している。ブータンは1980年代に入るとバングラデシュ、ネパールをはじめとする近隣諸国のほか、西欧、日本等との間で国交を樹立(日本とは1986年に国交樹立)する等対外関係を拡大し、2001年には、豪州、シンガポールと、2003年にはカナダとも国交を樹立した。現在、22カ国及びECとの間で外交関係を有している。(但し、未だ、P5とは外交関係を有していない)。また、ブータンは地域協力機構として1985年12月に発足したSAARC(南アジア地域協力連合)を重視し、その発展のため積極的な対応を行ってきている。また、2004年8月にはBIMSTEC(多面的技術経済協力のためのベンガル湾構想)に加盟。2004年4月にはACD(アジア協力対話)に加盟した。

 2007年2月には第5代国王が訪印し、改定インド・ブータン平和友好条約に署名した。これにより、「ブータン政府は対外政策に関し印政府の助言に従う」とされていた条約第2条の文言が改定され、これに代わり相互協力関係の維持及び拡大を謳う文言に差し替えられた。また、ブータン政府による軍需品の輸入に関する条約第6条の改定の他、現状にそぐわない条約の規定が取り払われ、経済協力、及び、教育、保健、文化、スポーツ及び科学技術の分野での協力関係の促進を謳った新たな規定に差し替えられた。

 ブータンにおける外交上の主要な懸案事項は、ネパール系ブータン難民問題である。1980年代、ブータン政府は、ゾンカ語の普及やブータン式の服(「ゴ」「キラ」とよばれる)の公式の場での着用義務付け等国家のアイデンティティー強化のための施策を進めた。これに反発して、1990年秋、南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され、反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生した。1991年に入り事態は一応沈静化したものの、ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入した。ブータン・ネパール両政府の間で、現在、難民の帰還等が協議されている。

(3)経済

(4)国防

2.日本・ブータン関係

(1)概要

(2)要人の往来

(3)日本の民主化支援

(4)経済関係

(5)人・文化の交流

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