アフガニスタンQ&A(FAQ)
各国・地域事情と日本との関係(アフガニスタン)
●アフガニスタンという国について教えて下さい。
西アジアに位置する人口約2000万人の国です(地図)。パキスタン、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国と国境を接しており、外洋に面してない内陸国家です。面積は65万平方キロで、日本の約1.7倍に相当します。パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等からなる多民族国家でもあり、公用語はインド・アーリア語族インド・イラン語派に属するダリー語(ペルシア語)及びパシュトゥー語です。
国民の大多数はイスラム教徒で、スンニ派ハナフィ学派が多数派を構成しています。イスラム教シーア派は人口の約20%を占めます。
19世紀にはアフガニスタンをめぐるイギリス(英領インド)とロシアの勢力争いが展開され、「グレート・ゲーム」と称されました。ソ連の崩壊と旧ソ連諸国の独立後、中央アジアの天然資源が注目されるようになっており、アフガニスタンは中央アジアと外洋を結ぶための有望なルートの一つとして脚光を浴びるようになりました。特に、トルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタンへ供給するためのパイプライン敷設計画が米国の石油会社UNOCAL社などによって描かれたことから、これがアフガニスタンをめぐる新たな「グレート・ゲーム」の幕開けになるとも言われています(但し、昨年8月の米軍によるアフガニスタン国内への攻撃以降、UNOCAL社はこの計画を棚上げにしている旨報じられています。)。
●アフガニスタンの歴史について簡単に教えて下さい。
異民族による支配の後、アフガニスタン(王制)は1747年に建国されましたが、1880年にはイギリスの保護下に入りました。1919年には再度独立を達成します。軍事クーデターによって73年7月に王制から共和制に移行し、78年には再び軍部のクーデターが発生、共産主義の人民民主党が政権を掌握しました。
79年12月、ソ連の軍事介入によりカルマル政権が成立しますが、ムジャヒディーン(「イスラム聖戦士達」の意)が政権及びソ連軍を相手に抵抗を開始します。西側諸国のみならず、周辺国のパキスタンやイランなどがムジャヒディーンの抵抗運動を物心両面で支援しました。86年にはカルマルからナジブラに政権が引き継がれ、88年4月に駐留ソ連軍の撤退を定めたジュネーブ合意が成立しました。翌年2月にはソ連軍撤退が完了、後支えを失ったナジブラ政権は92年4月に崩壊し、ムジャヒディーン各派による連立政権が発足しました。
ところが、ラバニ大統領が当初の任期を過ぎても政権に居座ったことから、ムジャヒディーン同士の主導権争いが激化し、アフガニスタンは群雄割拠の内戦状態に突入しました。イスラム協会(ラバニ派、タジク人中心)、イスラム党(ヘクマティヤル派等、パシュトゥーン人中心)、イスラム統一党(ハリリ派及びアクバリ派、ともにイスラム教シーア派のハザラ人中心)、イスラム国民運動党(ドストム派、ウズベク人中心)が主要な勢力として覇権を競って集合離散を繰り返すことが3年あまり続き、この混乱の中からタリバーン(「神学生達」の意)という新興勢力が台頭したのが94年末のことです。
タリバーンは、内戦に嫌気がさしていたアフガニスタン国民の支持もあり、急速に支配地域を拡大しました。上述の各派がイラン、ロシア、ウズベキスタン等の支援を受けていると言われるのに対し、タリバーンはパキスタン、サウディ・アラビア等から支援を得ていると言われています。タリバーンは、幾度かの首都カブール攻略失敗の後、96年9月にはこれを陥落させました。タリバーンの攻勢に脅威を感じた上述の各派は反タリバーンで結束し(通称「北部同盟」の結成)、紆余曲折はあったものの、98年7月上旬までは勢力図の大きな変化はありませんでした。
ところが、同年7月からの軍事攻勢で、「北部同盟」側の内部統一が十分に得られなかったこともあり、タリバーンはアフガニスタン北部の要衝マザリ・シャリフや中央部のバーミヤン(石仏の遺跡で有名、といった拠点を支配下に組み入れ、現在は同国全土の9割を掌握しているとの見方もあります。
●正式国名は?
92年春以降、ムジャヒディーンのラバニ大統領は「アフガニスタン・イスラム共和国」 THE ISLAMIC STATE OF AFGHANISTAN の名称を使用しています。他方、タリバーンは「アフガニスタン・イスラム首長国」 THE ISLAMIC EMIRATE OF AFGHANISTAN への国名変更(97年)を主張 しています。
●日本とアフガニスタンの関係はどうなっているのですか?
両国の外交関係は、戦前の1930年、修好条約の署名に始まります(翌年発効)。その後、日本は34年に在カブール公使館を、アフガニスタンは33年に在京公使館を設置しました。それぞれの公使館は、55年、56年に大使館に昇格しています。
ところが、79年のアフガン侵攻後は、我が国がアフガニスタンの正統な政府として承認した政権は存在しません。我が国は、タリバーンのみならずムジャヒディーンのラバニ政権をも承認していません(但し、国家としてはアフガニスタンを承認しています。)。従って、両国間においては、通常の外交関係は存在していません。
過去の要人往来については、69年にザーヒル・シャー国王がホマイラ王妃(ともに当時)とともに訪日を果たされています。また、同国王時代の71年には、皇太子・同妃両殿下(現・天皇・皇后両陛下)がアフガニスタンを訪問されたことがあります。
●友好団体はありますか?
友好団体としては、「社団法人 日本・アフガニスタン協会」(理事長: 松浪健四郎衆議院議員)等が存在します。
●アフガニスタンについて書かれた本や雑誌を日本語で読みたいのですが。
例として挙げれば、以下の書物があります。
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『アフガニスタン 褐色の日々』
- 松浪 健四郎 著(講談社、1978)
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『地獄からの証言 -ソ連のアフガン支配の内幕-』
- フランソワ・ニッセン 著(サンケイ出版、1980)
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『誰も書かなかったアフガニスタン』
- 松浪 健四郎 著(サンケイ出版、1980)
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『アフガニスタンの四季』
- 佐々木 徹 著(中公新書、1981)
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『中東現代史1 トルコ・イラン・アフガニスタン』
- 永田 雄三、加賀谷 寛、勝藤 猛 著(世界現代史11・山川出版社、1982)
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『アフガニスタンはいま ソ連軍介入のなかで』
- 飯田 健一 著(日本放送出版協会、1984)
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『危険の道 秘史アフガニスタン侵略』
- モハンマド・ハッサン・カリミ著(読売新聞外報部、1986)
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『戦士たちの貌 アフガニスタン断章』
- 南条 直子 著(径書房、1988)
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『アフガニスタンの風 双書20世紀紀行』
- ドリス・レッシング 著(晶文社、1988)
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『古きアフガニスタンの思い出』
- ポール・セロー 著(心交社、1988)
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『アフガンのムジャヒディン(自由聖戦士)―アフガン・ゲリラ潜入ルポ』
- 鬼川 和 著(泰流社、1989)
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『アフガニスタンの星を見上げて』
- フルグラ・コヒィ 著(小学館、1989)
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『アフガン戦争 1980~1989』
- 鳥居 順 著(パレスチナ選書・第三書館、1991)
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『マスードの戦い』
- 長倉 洋海 著(河出文庫、1992)
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『アフガニスタンの診療所から』
- 中村 哲 著(筑摩プリマーブックス70、筑摩書房、1993)
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『アフガニスタンの美』
- 谷岡 清 著(小学館、1997)
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『イラン―アフガニスタン、対立の行方』
- 田中 浩一郎 著(「世界」、岩波書店、1998年11月号)
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『国連政務官体験記:ミッション・インポッシブル』
- 高橋 博史 著(「外交フォーラム」No.124、都市出版、1998年12月号)
(以上、刊行年順)
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