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平成23年12月
ネパールは、1990年の民主化運動を経て、国王親政体制(パンチャヤート制)から立憲君主制へ移行し、1991年、1994年、1999年には総選挙が実施された。しかし、1996年以降、マオイスト(共産党毛沢東派)が武装闘争を開始し、国内の広い地域を勢力下に収めていった。また、2002年5月に下院が解散されて以降、国王の指名により組閣が行われたものの、党派対立やマオイスト問題への対応の失敗により、いずれの政権も短命に終わった。
2005年2月、国王はデウバ首相を解任し自ら政権を掌握するとともに、緊急事態令を発令し、基本的人権の一部制限、政党指導者等の拘束、報道に対する検閲を実施した。同年10月、国王は民主化へのロードマップとして、地方選挙(2006年2月)及び下院選挙(2007年4月迄)の実施を発表した。対する政党側は、これは国王の一方的な措置であり、国王の政権掌握を正当化するものであるとして非難した。
国王と政党側との溝が深まる一方、政党側はマオイストとの連携を模索し、2005年11月、制憲議会選挙の実施、地方選挙及び下院選挙のボイコットを含む12項目に合意し、国王からの政権奪取を目的として、抗議行動を開始した。しかし、国王側は、2006年2月8日、予定通り選挙を実施した。
2006年4月6日、政党側はマオイストと連携し、全国規模での抗議集会やゼネストを展開した。政府は、関係者の逮捕、外出禁止令の発令などにより取締りを強化したが、反国王支持層は拡大、抗議行動の動員数も増加の一途を辿った。国王は、同年4月24日、国民向けテレビ演説を行い、2002年に解散された下院の復活を宣言、政党側もこれを受け入れて抗議行動を撤回し、事態は収拾した。
2006年4月30日、復活した下院の審議初日に、制憲議会選挙の実施、マオイストとの対話の再開、停戦の表明等が採択され、同年5月2日、コングレス党のG.P.コイララ首相の下、7名の閣僚で新内閣が発足(閣僚数は後に20名に拡大)。同年5月18日、下院宣告を通じ、全ての立法権が議会に属すること、国王の政治や軍事に関する諸権限を廃止すること、王族の継承に関する決定権を議会が持つこと、ヒンドゥー国家から世俗国家に転換することなどが決定され、同宣告に反する如何なる憲法及び法律も無効とされた。また、政府はハイレベル調査委員会を設置し、民主化運動の弾圧を行った者に対する調査を開始した。
2006年5月のコイララ政権によるマオイストのテロ指定解除を契機として、政府とマオイストによる和平交渉が行われ、6月16日には8項目の合意(注1)が成立するなど、和平プロセスは急速な進展を見せた。2006年7月、ネパール政府は8項目合意に基づいて国連に対して支援要請の書簡を発出し、国連が和平プロセスに関与していく方向性が定まった。
同年11月8日、ネパール政府とマオイストは「恒久平和の実現に向けた合意文書」に署名、2007年6月半ばまでの制憲議会選挙の実施、選挙の自由且つ公正な実施のために国連が国軍及びマオイストの武器管理の監視を行うこと等に合意し、11月21日、両者は約10年に及んだ紛争の終結を含む包括的和平合意に署名した(注2)。
2006年12月16日、政党政権およびマオイスト両首脳が暫定憲法に署名、2007年1月15日に公布された(注3)。同日、マオイストを含む暫定議会が発足し(注4)、4月1日には、コイララ首相を長とした、マオイストを含む暫定政府が発足した。
国際社会もこのような政治プロセスを支援するため、2007年1月23日、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)を設立し、日本も、同ミッションに自衛隊員6名を軍事監視要員として、2011年1月15日までのマンデート終了まで派遣した。UNMINはまた、兵営地に登録された32,250名のマオイスト兵士の認証作業を行っていたが、12月27日に作業が終了し、19,692名が認証され、4,008名が失格者(非認証兵士)となった(約8,500名は面接を辞退)。
当初2007年6月20日に予定されていた制憲議会選挙は、準備の遅れから同年11月22日に延期された。その後も、マオイストは、閣僚が辞任を表明(後に復帰)する等、様々な条件闘争を継続し、またマオイストの下部組織であるヤング・コミュニスト・リーグ(YCL)による暴力行為は収まりを見せず、制憲議会選挙に向けこうしたマオイストの動向も懸念された。
また、民主化・平和構築プロセスは、伝統的な被差別民族層にも自らの権利に対する意識を芽生えさせ、新たな問題を生み出すことになる。歴史的に差別的扱いを受け、和平プロセスからも排除された民族グループのマデシは、2007年1月に交付された暫定憲法にマデシの権利が反映されていないことなどに強い不満を抱き、これが大規模な抗議運動に発展した。このような状況によりタライ地方の治安状況が悪化した。
こうした中、2007年11月の選挙日程についても、マオイストの要求である完全比例代表制による選挙及び選挙前の共和制宣言について、政党間の合意が得られなかったことが主な原因となり、再度延期されることとなった。その後政党間及びマデシとの協議が重ねられ、12月24日、制憲議会初会合における「連邦民主共和制国家」の移行等を含む23項目の合意(注5)に達し、これを受けて同月28日、第三次暫定憲法改正が行われた。また、2008年1月11日の閣議で同4月10日に制憲議会選挙を実施することが決定された。続く2008年2月28日、暫定政府はマデシ側とも自治権要求の受入を含む8項目の合意を成立させ、これによって選挙の予定通りの実施が決定的となり、4月10日、制憲議会選挙は、一部混乱等もみられたが、概ね平和裡に実施された。
選挙の結果、大方の予想に反し、マオイストが単独過半数には届かなかったものの第一党として大躍進を遂げた。2008年5月28日、制憲議会の初会合が開催され、連邦民主共和制への移行が宣言され、約240年続いた王制が廃止されることとなった。
2008年8月15日、制憲議会にてダハール(プラチャンダ)マオイスト党首が首相に選出され、それに続き8月22日、8名の閣僚(国防、外務、情報通信、財務、法務、教育等)が宣誓、更に8月31日には内閣が拡張され、6政党(マオイスト、共産党UML、MPRF、友愛党、ネパール人民戦線、統一共産党)よりなる計24名の内閣が発足した。
2008年11月16日の制憲議会にて、新憲法制定に向けた作業日程が可決され、2010年5月28日までに新憲法を公布する計画が発表された。以来、憲法制定委員会が作業を進めているが、大統領制や連邦制のあり方等をめぐる議論の対立により、作業は遅延している。また、和平プロセスの最大の課題であるマオイスト兵の国軍への統合問題をめぐっても、カトワル陸軍参謀長を長とする国軍及び各政党との間で対立が続き、ダハール首相は2009年5月3日には連立与党内のコンセンサスを得ないまま、カトワル陸軍参謀長を解任。これをきっかけとして連立政権が実質的に崩壊し、同4日のダハール首相の辞任につながった。
2009年5月23日、制憲議会(注6)にて共産党UMLのマダブ・クマール・ネパール上席幹部が無投票で新首相に選出された(対立候補なし)。なお、マオイスト議員は同日の制憲議会冒頭には出席したものの、新たに作られる政府は文民統制を無視したものだとして、首相選出のプロセスをボイコット。その後、22政党よりなる連立政権が発足し、共産党UMLから国防大臣及び財務大臣が、また第二党のコングレス党から外務大臣が選出された(注7)。この結果制憲議会第1党であるマオイストが野党へ下ることとなった。
2009年12月以降、大幅に遅れていた和平プロセスにもいくつかの進展がみられ、2010年1月には、政治的膠着を打開し和平プロセスに関する協議を行うため、マオイストを含む主要政党の幹部からなる枠組み(ハイレベル政治メカニズム)が構築され、政権交代以降事実上活動を中断していた統合問題に関する特別委員会も再開された。また、非認証兵士の除隊作業が開始され、2月8日までに無事完了した。
2010年5月28日の制憲議会期限が迫る中、憲法制定作業に対する政府の取り組みが大幅に遅れているとして、マオイストは大規模集会を開催し、5月2日、無期限バンダ(強制ゼネスト)を表明した。しかし、このような強硬手段に対してマオイスト内外から批判が起こり、同8日、マオイストはバンダを中止せざるを得なくなった。その後、与野党間の調整は難航し、同28日23時過ぎに漸く、ネパール首相の早期辞任を含む3項目の合意(注8)にマオイスト、共産党UML、コングレス党が合意するとともに、同日深夜、制憲議会を2011年5月28日まで1年間延長することが決定された。
マオイストはネパール首相の無条件の早期辞任を求め、他方共産党UML・コングレス党は和平プロセス等主要課題に関する与野党間のコンセンサス形成後の辞任を主張して対立が再燃し、マオイストの妨害による予算審議の遅れが直接的な原因となり、同年6月30日にネパール首相が辞表を提出した。
ネパール首相の辞任を受け、2010年7月から同11月まで、計17回の首相選挙が実施されたものの、主要政党間での合意が得られず、首相を選出することができなかった。しかし、2011年1月、首相選挙の手続きに関する議会規則を改訂し、2月より新たな選挙プロセスを開始した。同3日、首相選挙直前に、マオイストが共産党UMLの支持を表明し、ダハール委員長が立候補を取り下げた。同選挙の結果、368票(全601議席)の過半数支持を得て、カナル共産党UML委員長が首相に選出され、2010年6月末以降、半年以上にわたる首相選出プロセスが終了した。
また、内務大臣ポストをめぐる政党間の対立から組閣が遅れていたが、5月4日、第4次内閣拡張が行われ、ヤダブ副首相兼外相をはじめ全ての閣僚が就任した。
カナル新政権が発足したものの、和平プロセスや憲法制定作業の停滞が続いていたところ、憲法制定期日である2011年5月28日、ネパールの制憲議会が開催され、主要3政党(マオイスト、コングレス党、共産党UML)の5項目合意(注9)に基づき、同議会がさらに3カ月延長されることが決定。同合意にはカナル首相の辞任(ただし、具体的時期には言及せず)も含まれており、不安定な政治状況が続いた。
2011年8月14日のカナル首相の辞任表明を受け、ヤダブ大統領は21日までにコンセンサスに基づく内閣形成を要請。当初期限を3日延長したものの内閣が形成されず、28日、制憲議会で首相選挙(過半数により選出)が実施された。結果、バッタライ・マオイスト副委員長(元財務大臣)及びポーデル・コングレス党副総裁の2名が出馬し、第一回投票において、バッタライ候補が4項目合意(注10)に基づく統一マデシ人民戦線(UDMF)等の支持を得て過半数を獲得し(投票総数575票のうち、バッタライ候補は340票、ポーデル候補は235票を獲得)、新首相に選出され、29日、第35代ネパール首相に正式に就任した。なお、首相選挙では、主要3政党のうち、コングレス党・共産党UMLが対マオイストへの共闘態勢を構築し、軍の統合問題が解決されない限り、新憲法制定議論には参加しないと主張した。
また、同29日、制憲議会において、28日にバッタライ新首相が誕生した後、諸政党間に同延長に対する前向きな雰囲気が広がったことを受け、ほぼ全会一致に近い議決により(出席議員541名中、537名が賛成、RPPネパールの4名が反対)、制憲議会の任期が3ヶ月間延長された。
11月1日、ネパールの主要3政党(マオイスト、コングレス党、共産党UML)の間で軍の統合問題に関する7項目合意(注11)が締結された。同合意により、19,000名を超える元マオイスト兵は、国軍への統合を希望する者、社会復帰プログラムを希望する者、退職金の支払いによる自主除隊を選ぶ者の3つのグループに分けられることになった。今後、数ヶ月以内に統合が完了し、早ければ明年5月までに憲法制定作業が完了する可能性もあるが、予断は許さない。
また、同29日、1日の7項目合意の締結を受け、主要3政党及び統一マデシ人民戦線(UDMF)は6項目合意(注12)に署名し、制憲議会において、ほぼ全会一致に近い議決により(出席議員508名中、505名が賛成、RPPネパールの3名が反対)、制憲議会の任期が6ヶ月間延長された。
(注1)8項目の合意のポイント
・国連に対して、軍および武器の管理、モニタリング支援を要請
・国際社会に対して、選挙監視とモニタリングを要請
・暫定憲法の制定
・人民政府(マオイスト政権)の解体と暫定政府の設置
・下院の解散
(注2)包括的和平合意のポイント
・制憲議会選挙を2007年6月半ば迄に実施。
・2006年11月21日迄にマオイストは兵士と武器を兵営地に収容。
・国軍は兵舎内に留まりマオイストと同数の武器を武器庫に保管する。
・暫定政府を2006年12月1日までに発足。
・暫定憲法を2006年11月21日までに作成、26日までに公布、同日暫定議会を発足
(注3)暫定憲法のポイント
・国王は国政に関与する如何なる権利をも有さない。
・首相は国政及び行政に関する全ての事項に関する決定権を有する。
・閣議は行政決定権、判決の執行状況を監視する権限、大使等の任命権限を有する。
(注4)現在の暫定議会の構成
暫定議会は330議席からなっていたが、主要政党の議席配分は以下のとおり。
コングレス党 133議席(内16名市民社会代表)
共産党UML 83議席(内10名市民社会代表)
マオイスト 84議席(内10名市民社会代表)
(注5)23項目の合意のポイント
・制憲議会の初日の会合で連邦民主共和制へ移行する。
・制憲議会の議席数を601とし、比例代表枠335、小選挙区枠240、閣議指名枠26とする。閣議指名枠には、選出されなかった少数派グループの代表を含める。
・マオイストは略奪した資産を1か月以内に返却し、徴税、強制献金及び脅迫行為を中止する。
・マオイスト兵の統合に関し、暫定憲法に基づき閣僚より構成される特別委員会が作業を開始する。
(注6)主な政党議席数(2011年6月現在。*は連立与党。全601議席。)
マオイスト* 239議席
コングレス党 114議席
共産党UML* 109議席
マデシ人権フォーラム(民主)(MPRF(民主)) 28議席
マデシ人権フォーラム(ネパール)(MPRF(ネパール))* 12議席
タライ・マデシ民主党(TMDP) 21議席
友愛党 9議席
(注7)暫定内閣(2011年12月現在。7政党。閣僚数28名。)
首相 バブラム・バッタライ(マオイスト)
副首相兼内務大臣 ビジャヤ・クマール・ガッチャダール(MPRF(民主))
副首相兼外務大臣 ナラヤン・カジ・シュレスタ(マオイスト)
財務大臣 バルシャ・マン・プン(マオイスト)
(注8)3項目の合意
1.和平プロセスを論理的帰結に導くため、残された任務を与野党のコンセンサスに基づき前進させる。
2.制憲議会の任期を1年間延長。
3.挙国一致内閣を組閣するため、ネパール現首相は速やかに辞任する。
(注9)5項目合意
1.3ヶ月以内に和平プロセス(マオイスト兵の統合及び社会復帰問題)を完了
2.3ヶ月以内に新憲法の第1草案を完成
3.ネパール国軍の改編
4.制憲議会の任期を3ヶ月間延長
5.挙国一致内閣に向け、カナル首相の辞任(ただし、辞任時期は明記なし)
(注10)主な4項目合意(マオイストと統一マデシ人民戦線(UDMF))
1.マオイスト主導政権は、マオイスト兵の統合問題及び憲法制定プロセスの完了に最大の優先度を付与する。また、人権、報道の自由、個人の決定を尊重し、連邦州の自治権を擁護する。
2.ネパール国軍を包含的な治安組織へと改変する。また、政府発足後15日以内に、包含性法案(inclusive bill)を議会に提出する。
3.マオイスト兵に対する社会復帰パッケージ及び武器を保管するコンテナの鍵の引渡しについては、相互合意に基づき処理することとする。右合意内容については、引き続き協議の対象とする。
(注11)軍の統合問題に関する7項目合意
1.元マオイスト兵の新国軍への統合
2.元マオイスト兵の社会復帰パッケージ
3.元マオイスト兵のグループ分け
4.和解委員会等の設置
5.紛争犠牲者に対する救済パッケージ
6.過去の合意の実施と信頼醸成
7.憲法制定及び挙国一致内閣の設置
(注12)6項目合意のポイント
・挙国一致内閣の早急な設置
・7項目合意の全項目実施(12月15日まで)
・憲法制定のための具体的工程表作成(12月6日まで)
近年、SAARC主要国が5%以上の経済成長を達成しているなか、長引く政治的混乱や常態化する長時間の計画停電の影響によって、ネパールの経済成長は3.5%(ネパール中央統計局統計指標、2009/2010年度)に止まっている。
主要産業は農業(GDPの約33.0%、就業人口の約65.7%(2009/2010年度))。
農業以外では観光業と繊維加工業が主力。観光業は重要な外貨獲得手段であり、マオイスト闘争が始まった1996年以前は取得外貨の20%以上を占めたが、観光客減少により2002年度以降は10%以下に減少していた。しかし、治安回復に伴いインドや中国等からの観光客数が増加し、2007年に史上初の年間50万人以上の観光客が訪れ、2009年には50.9万人となった。さらに、2011年をネパール観光年として観光業の再興を図っている。
主要輸出品は工業製品、既製服、カーペット、食品(紅茶、香辛料等)、主要輸出先は印、米、バングラデシュ及び独。主要輸入品は石油製品、工業製品、金・銀、食料品・食料加工品等で、主要輸入先は印、中国、アラブ首長国連邦、インドネシア等。
年々輸入超過が拡大しており、2009/2010年度の貿易赤字は50.8億ドル(GDP比32.0%)に達している。主に海外出稼ぎ労働者からの送金と外国からの贈与で赤字を補填する構造となっている。
貧困割合は2001/2002年度の38%から2003/2004年度の31%に減少。但し、地域、カースト、民族間で格差が見られる。
主な歳出として、教育分野に576億ルピー、運輸分野に283億ルピー、警察分門に192億ルピー、電力分野に167億ルピー、農業分野に131億ルピー、灌漑分野に90億ルピー。
2010/2011年度を「徴税強化年」とし納税者の増加を目指すほか、インフラ開発への優遇税制、IT関連企業に対する税金減額等を掲げている。
(参考)ネパールの予算年度は7月16日~翌年7月15日
伝統的に非同盟中立の立場を掲げている。南北を印中に挟まれており、歴史的文化的に両国との関係が深い。特に、内陸国であることから、インドからの物資輸送への依存度が高く、インドとの友好関係維持は死活的重要性を持つ。
2005年2月の国王による政権掌握などの措置に対して国際社会は非難を表明、印米英はネパールに対する武器弾薬の供給を停止した。また、マオイストによる人権侵害、治安部隊による人権侵害に対して欧米諸国が中心となり強い非難を表明、4月の国連人権委員会において国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の常駐事務所設置が合意された。
2006年4月の民主化運動の際は、主要国の多くが民主化勢力への支持を表明し、国王の譲歩を求めた。2007年5月、コイララ政権の発足を受けて、米国のバウチャー国務次官補、ノルウェーのソルハイム国際開発相、国連のタムラット政務局長特別補佐官、同7月には日本の塩崎外務副大臣がネパールを訪問し、G.P.コイララ首相ほか政府指導者と会談した。
2008年4月の制憲議会選挙、同5月の王制廃止後のマオイスト政権においても、活発な要人の往来が行われた。同7月には、宇野外務大臣政務官がネパールを訪問し、早期の新政権樹立を働きかけ、その後同8月にマオイストを中心とする連立政権が発足した。同10月には潘国連事務総長がネパールを訪問し、ダハール首相との間でUNMINの役割につき幅広い意見交換を行い、同11月にはムカジー印外相が訪問したのに続き、12月に楊中国外相が訪問、米国からは、2009年2月にバウチャー国務次官補が訪問している。一方、ネパール側からは、ダハール首相が2008年8月の北京オリンピックの閉会式出席のため、初の外遊として中国を訪問したほか、9月14日には初の「政治訪問」としてインドを訪問した。更に、国連総会に出席のため、9月20日よりニューヨークを訪問した。
2009年7月のネパール政権成立後は、2009年8月にはネパール首相がインド、コイララ外相が同8月にインド、同9月に中国を訪問した他、ヤダブ大統領は就任後初の外遊として2010年2月にインドを訪問し、近隣諸国との緊密な関係構築が行われている。また、同1月にはクリシュナ印外相がネパールを訪問した他、ムーン米国務次官補代理(南アジア・中央問題担当)がネパールを訪問した際にはハイレベル政治メカニズム設置の進捗、和平プロセス、UNMINの役割と米国の支援及びマオイストをテロリスト名簿からの削除するための条件等につき協議がなされた。
2010年6月にネパール首相が退陣を表明した後も、要人往来は継続されており、同10月にヤダブ大統領が中国を訪問し、また、2010年1月、ヤダブ大統領がインドを訪問して和平プロセスの進捗や国境地域の開発をはじめとする経済関係強化等について話し合ったほか、2011年4月、クリシュナ・印外相がネパールを訪問した。2011年10月には、バッタライ首相がインドを訪問した。また、2010年10月及び12月、和平プロセスの現状や進捗に関し、パスコー国連次長がネパールを訪問した。
2006年8月9日、政府及びマオイスト双方より国連に対し、(1)マオイスト軍及びネパール軍のモニタリング、(2)人権モニタリング、並びに(3)停戦行動規範のモニタリング等に関し支援を要請する書簡が提出された。これを受け、ネパール政府とマオイストとの間の包括和平合意に基づく武器及び兵士の管理並びに制憲議会選挙の実施等を支援することを目的として、2007年1月23日、国連安保理は12ヶ月の期限で国連ネパール政治ミッション(UNMIN)を設立する決議第1740号を全会一致で採択した(UNMINの活動期限は2008年1月、7月、2009年1月、7月にそれぞれ6ヶ月間、2010年1月、5月及び9月が最後の期限延長としてそれぞれ4ヶ月間、国連安保理決議により延長された)。日本は同ミッションに対し、2007年3月より、6名の自衛隊員を軍事監視要員として派遣して、国連及びネパール政府より、高い評価を得た。その後、2011年1月15日をもって、UNMINのマンデートを終了する旨の安保理議長声明が発出され、同ミッションに派遣していた自衛官6名も帰国した。
隣国ブータンとの間で、1991年以来ネパール系ブータン難民問題が存在する(ネパール東端に7カ所のキャンプに約11万人の難民を収容)。2007年11月から同難民の第三国定住プログラムを開始。2011年8月までに約50,000名の第三国定住が完了し(受け入れ先は米約42,000名ほか、豪、カナダ、ニュージーランド、ノルウェー、デンマーク、オランダ、及び英の8カ国)、現在のキャンプ内の難民数は約63,000名となっている。当初、難民の中でブータン帰還派と第三国定住派との間で対立が深まった時期があったが、第三国定住の開始以降、キャンプ内は平穏が保たれている。我が国は、ブータン難民支援を含むUNHCRのネパールの活動に対して、2011年度のイヤマークとして7,000万円を拠出。
南アジア地域協力連合(SAARC)の事務局が所在するなど地域協力の推進にも力を入れている。
・王室・皇室関係で築かれた土台もあり、日本との関係は伝統的に良好。
・2006年は日ネパール国交樹立50周年。
・日本はネパールに対する二国間援助の主要ドナー。
※ネパールの民主化・平和構築のための日本の支援については、「対ネパール民主化・平和構築支援」(PDF)
をご参照下さい。
1960年及び1975年に皇太子同妃両殿下(現天皇皇后両陛下)が御訪問、1987年に現皇太子殿下、1997年2月には秋篠宮同妃両殿下が御訪問。ネパールからは、ビレンドラ国王陛下が、1967年の東京大学留学をはじめ、1978年・1983年・1985年に訪日されたほか、2001年4月にディペンドラ皇太子殿下が訪日。ギャネンドラ国王はこれまでに5度訪日。2005年7月にはパラス皇太子が、愛・地球博の賓客として訪日。
1998年11月、コイララ首相が公式実務訪日した。同国からの民選首相の訪日は、国交樹立以来はじめてであり、訪日中、同首相は、天皇陛下謁見、小渕総理とのワーキングランチ、伊藤衆議院議長との会談を行ったほか、広島を訪問し、平和記念資料館を視察した。
2000年8月、森総理は、日本の総理大臣としては初めてネパールを訪問し、コイララ首相と会談したほか、ビレンドラ国王を表敬訪問した。両首脳は、両国間の伝統的友好関係を再確認し、皇室・王室間の往来や国会議員等の往来のみならず、青少年や研究者・芸術家等を含めた交流・招聘のさらなる促進を合意した。
ネパールの民主化後は、国会議員間の交流をはじめ、両国間のハイレベルの人的交流が活発化した。日本ネパール友好議連の活発な活動を受け、1998年にネパール側の議連が発足した。主要な往来は以下のとおり。
シャルマ蔵相(1997年)、デウバ元首相(1998年、民主化支援招聘)、カルキ上院議長(1998年参議院議長招待)、コイララ首相(1998年公式実務訪問)、ラナバト下院議長(2000年衆議院議長招待)、バストラ外相(2000年小渕前総理葬儀特使)、ディペンドラ皇太子殿下(2001年4月)、ヤダブ下院副議長(2003年3月 民主化支援招聘)、ウパダエ国家権力濫用調査委員会長官(2004年3月民主化支援招待)、アチャリア財務次官(2004年8月民主化支援招待)、マナンダール教育スポーツ大臣(2006年8月、橋本元総理合同葬儀)、ポーデル・コングレス党幹事長(2007年1月)、マハット財務大臣(2007年5月)、プラダン外相(2007年10月)、チャリセ首相顧問(2008年3月、民主化支援招聘)、ガジュレル・マオイスト党幹部(2008年6月)、ネパール共産党UML幹部(2008年8月)、バッタライ財務大臣(2009年2月、民主化支援招聘)、アラム労働大臣(2009年10月)、ポーデル・コングレス党副総裁(2010年3月、民主化・信頼醸成招聘)、バンダリ観光大臣(2010年3月)、プラダナング(シュレスタ)総務大臣(2010年3月)、マハラ・マオイスト外交部長(2010年3月)、ゴータム首相特別顧問(2010年10月及び2011年1月)、チャンド・ネパール国軍少将(2011年1月)、マハト・コングレス党議員(前エネルギー相)(2011年2月)、シェルチャン・マオイスト議員(元副首相)(2011年5月)
海部元総理(1994年)、渡部衆議院副議長(1998年)、松下農林水産政務次官(1999年)、橋本前総理(1999年)、森総理(2000年8月)、橋本元総理(2002年1月)、松下・日ネパール友好議連事務局長(2004年5月)、河井外務大臣政務官(2005年6月)、塩崎外務副大臣(2006年7月)、木村防衛副大臣(2007年7~8月)、宇野外務政務官(2008年7月)、岸防衛政務官(2009年5月)、松本防衛政務官(2011年1月)
ネパールは、現在も紛争からの復興途上にあり、内陸国という地勢的に厳しい条件等により、南アジアで最も所得水準の低い後発開発途上国(LDC)であり、国際的な支援を必要としている。また、インドと中国の緩衝地である同国の安定的発展は地域の安定に資する。日本は、同国の安定的発展、民主主義の定着と平和構築に向けた同国の取組を促進させる観点から支援を実施している。
ネパール政府の開発計画(暫定3か年計画)等を踏まえ、選択と集中の観点から、地方の貧困削減、民主化・平和構築、社会・経済基盤整備を重視した支援を行っている。また、気候変動分野においても支援を実施している。
1.地方の貧困削減(農業・農村開発、基礎教育、保健)
2.民主化・平和構築(民主化プロセス支援、行政制度整備・強化)
3.社会・経済基盤整備(運輸交通、電力、水供給、都市環境)
近年では、無償資金協力により、交通事情の改善、物流の効率化等を目的とした支援(カトマンズ-バクタプール間道路改修計画 )、地域経済の活性化のための支援(シンズリ道路建設計画(第三工区) )や食糧援助等を実施するとともに、農業、教育、水供給、地方行政能力強化などの分野等において技術支援を行っている。
| 年度 | 円借款 | 無償資金協力 | 技術協力 |
|---|---|---|---|
| 2006年 | - | 44.36 | 13.69 |
| 2007年 | - | 24.09 | 10.90 |
| 2008年 | - | 25.69 | 13.71 |
| 2009年 | - | 51.22 | 15.25 |
| 2010年 | - | 39.65 | 14.66 |
| 累計 | 638.89 | 1,867.97 | 597.38 |
(注)
1.円借款は交換公文締結日、無償資金協力及び技術協力は予算年度
2.円借款及び無償資金協力は交換公文ベース、技術協力はJICA経費実績ベース
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