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平成22年1月
(イ)ソ連に次ぐ世界で2番目の社会主義国であったモンゴル人民共和国は、旧ソ連・東欧圏の改革に呼応する形で民主化・市場経済化を図り、1990年に複数政党制を導入、1992年には憲法を改正して新生「モンゴル国」が誕生した。
(ロ)新憲法の下では、中央議会として一院制の「国家大会議」(定員76人、任期4年)が設置され、これまで5回行なわれた総選挙では、その結果によって毎回政権交代が行なわれてきた。第1回選挙から第4回までは以下のとおり。
(イ)2008年6月29日、第5回総選挙は全国で一斉に投票が行なわれ、即日開票されたが、人民革命党が議席の過半数を獲得する結果が速報された。人民革命党以外の勢力は投開票に不正があったとして強い不満を表明し、7月1日、野党支持者等がウランババートルでデモを行い、その一部が暴徒化、5人が死亡した他、人民革命党本部が焼失するという大規模な暴動に発展した。この事態を受けて史上初めてとなる非常事態宣言(夜間外出禁止令)が発令される事態となった。
(ロ)中央選挙管理委員会は、その後開票結果を公表したが、公式な結果をも不満とする民主党は、投開票及び暴動収拾の責任者の辞職や76議席全員の確定を要求し抵抗、大統領が招集する特別国会(新議員の宣誓式と首班指名を行なうための初回議事)は1か月以上空転を続けたが、人民革命党と民主党の度重なる協議の結果、8月末になって新メンバーによる議会がようやく開会された。新国会は9月11日に首班指名を行ない、バヤル前首相を再任した。また、2009年10月までに全議席が確定した。
バヤル首相は次回選挙までの4年間の長期安定政権を樹立するために、人民革命党が議席の過半数を獲得していながら、敢えて民主党との大連立内閣を組閣した。また、バヤル首相は同時に省庁再編にも着手、産業・通商省を解体し、同省の貿易・投資・経済協力部局を外務省へ移し「外交・貿易省」を発足させるとともに、鉱物資源部局を燃料・エネルギー省へ(燃料・エネルギー省は『鉱物資源・エネルギー省』と改称)、軽工業部局を食糧・農牧業省へ(食糧・農牧業省は『食糧・農牧業・軽工業省』と改称)にそれぞれ移管した。また、都市計画・建設省、道路・運輸・観光省及び自然環境省の3省を「道路・運輸・建設・都市計画省」及び「自然環境・観光省」の2省に再編した。
2009年5月24日、大統領選挙が行われ、現職のエンフバヤル大統領(人民革命党推薦)とエルベグドルジ元首相(民主党推薦)の一騎打ちとなった結果、当初の予測を覆してエルベグドルジ候補が当選、12年(3期)ぶりの非人民革命党出身の国家元首が誕生することとなった。就任式は6月18日にウランバートルで行われ、日本からは武部勤自民党日本モンゴル友好促進議員連盟会長が特派大使として参列した。
2009年10月26日、バヤル首相が自身の健康上の理由で辞職願を国家大会議に提出し、28日に承認された。人民革命党幹部会は、後任としてバトボルド外交・貿易大臣を指名し、10月29日国家大会議で正式に首班指名された。バトボルド首相はその後、11月12日に新内閣を組閣したが、内閣官房長官と外交・貿易大臣を除く閣僚はバヤル内閣のメンバーをそのまま引き継いだほか、バヤル前首相も人民革命党党首の座に留まることとなった。なお、後任の外交・貿易大臣としては、ザンダンシャタル議員(人民革命党)が就任した。
バトボルド内閣の構成は以下のとおり(下線が新入閣)。
中国・ロシアという二大国に南北をブロックされているという地政学的条件から、1994年に国家大会議で採択された「安全保障基本大綱」及び「外交政策基本大綱」に基づき、両隣国に対してどちらにも偏らないバランスの取れた態度を保持する一方で、「第三の隣国」という概念を掲げ、日本、米国、欧州等との関係強化を目指している。最近は、中東湾岸諸国重視の政策を新たに打ち出し、クウェートに同地域で初めての大使館実館を開設するなどしている。
(イ)2007年2月、エンフバヤル大統領がフランスを公式訪問し、ドルノド県のウラン開発をめぐり、原子力分野における協力関係などで意見交換を行なった。同大統領はこの年、日本、イギリス、韓国、カザフスタン、キルギス、米国、オーストリア、ルクセンブルグ、UAE、クウェート及びカタールをそれぞれ公式訪問するなどきわめて精力的な外遊を行ない注目を集めた。なお、2007年は北朝鮮、クウェート、ブルガリア、ラオスの各国家元首もモンゴルを公式訪問するなど、外交的には非常に活発な年となった。
(ロ)2007年、米国はMCA(ミレニアム挑戦会計)による総額2億8,500万米ドルの対モンゴル支援を決定し、エンフバヤル大統領の訪米時に署名が行なわれた。
(ハ)2008年6月、中国の習近平国家副主席がモンゴルを公式訪問し、エンフバヤル大統領及びバヤル首相とそれぞれ会談したほか、13の協力文書に署名を行なった。
(ニ)国連PKOへの参加を国策として明示的に掲げ、イラク、アフガニスタンやアフリカなどに積極的に派兵しているほか、モンゴル国内にPKO国際演習場を設置し、毎年夏に国際演習を実施している。
(ホ)2009年はノモンハン事件70周年にあたり、3月にプーチン首相、8月にメドベージェフ・ロシア大統領、9月にミロノフ連邦院議長がモンゴルを訪問、両国間で農業、鉄道、ウラン開発に関する協力に合意する等、ロシアがモンゴルに対する積極的な外交を展開した。
(イ)モンゴル経済はここ数年大幅な伸びを見せ、2007年の成長率は前年比プラス9.9%で、1人あたりGDPも3年前の約2倍にまで伸びを見せていた。また、ウランバートル市内には自動車が溢れ、高級集合住宅やオフィスビル等の建設ラッシュを迎え、建設用重機が林立するなど、一見、建築バブルとも言える活況を示していた。
(ロ)しかしながら、モンゴルの主要輸出品は一次産品に依存したままで、製造業の未発達、第二経済の蔓延(海外出稼ぎ者からの送金等)、消費者金融の連鎖破綻に端を発する金融不安、食糧・燃料等の物価上昇などの課題を依然として抱えていたところに、2008年の世界的な金融不安や輸出主要産品である銅価の暴落が直撃し、深刻な経済危機に見舞われることとなった。この年、財政赤字は市場経済移行後ワースト3の数字にまで拡大した。
※ 2008年の主要数値
(ハ)さらに、石油製品及び穀物価格の高騰による輸入インフレと高成長下の放漫財政及び給与水準の大幅上昇による内生インフレにより、インフレ率が預金利率を大きく上回り、市中銀行からの預金引出が急速に行われた結果、資金不足となる銀行が出現。こうした事態に中央銀行による金融引締めが加わり、市中銀行による貸出は制限され(特に建設業に対してはほぼ全面的に融資が停止され各所でビルの建設が中止に)、モンゴル経済は一挙に冷え込むこととなった。現在、銅の価格は再び持ち直しているが、国内金融界の基盤は脆弱であり、膨大な不良債権の存在が秋以降に一気に表面化することが取り沙汰されるなど、依然として不安要素を抱えている。
(ニ)モンゴル経済起死回生のカギとして政府が期待しているのが鉱物資源で、特に「タバン・トルゴイ石炭鉱区」※1及び「オヨー・トルゴイ鉱区」※2の外資による本格的な開発に期待が高まっていたが、資源ナショナリズムの高まりにより、外資との交渉が進捗せず、数年間にわたって宝の持ち腐れ状態が続いていたが、昨年末からようやく交渉が開始された。
※1 良質な石炭鉱区で埋蔵量は51億トン(コークス炭は18億トン)と世界一の規模になると言われている。
※2 銅・金鉱山。銅が約3,600万トン、金が約1,200〜1,300トン)という世界的規模の埋蔵量が見込まれている。
(ホ)交渉は「オヨー・トルゴイ鉱区」から先に開始され、投資企業(カナダのアイヴァンホー・マインズ社)とモンゴル政府との協議の結果、紆余曲折を経て、モンゴル政府の株式保有率を34%とすること、将来の利益の「前払い金」として2億5,000万米ドルをモンゴル政府に納付すること、などを定めた投資契約が2009年10月6日に署名された。これにより、2013年頃から年間銅約45万トン、金約10トンの採掘が開始される見込みであり、モンゴル経済の大幅な押し上げにつながることが期待されている。
(イ)1990年にモンゴルが民主化・市場経済化への移行を始めてから現在に至るまで、日本はモンゴルの最大援助供与国であり、二国間関係は幅広い分野で着実に発展しており、2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。両国は、「総合的パートナーシップ」の構築を二国間関係の共通目標とすることで合意し、地域・国際場裡における協力も含むさまざまな取り組みを強化している。
(ロ)両国政府は、「大モンゴル建国800周年」に当たる2006年を「日本におけるモンゴル年」、外交関係樹立35周年にあたる2007年を「モンゴルにおける日本年」とし、文化・スポーツを中心とする様々な記念行事などが年間を通じて繰り広げられた。
(ハ)2006年8月10-11日、小泉総理大臣が現職総理として初めて単独訪問を行ない(過去2回の総理訪問はいずれも中国訪問の後にモンゴルを訪問)、エンフボルド首相と、二国間関係から地域情勢、国際場裡での協力まで幅広いテーマでの首脳会談を行なった。なお、2006年の夏は小泉総理をはじめとして、現職閣僚2名と総理経験者3名を含む国会議員約80名というかつてないほど多数の我が国要人がモンゴルを訪問し、「大モンゴル建国800周年」における両国の交流は、その記念すべき年を飾るにふさわしい歴史的な活況を呈した。
(ニ)2007年1月、エンフバヤル大統領と安倍総理が電話会談し、モンゴル側より「モンゴルと日本との多年にわたる特別な友情と信頼の証」として、2008年秋の国連安保理非常任理事国選挙へのモンゴルの立候補取り下げと日本の立候補支持が伝えられた。
(ホ)2007年2月26日-3月2日、モンゴルの国家元首としては3年ぶりにエンフバヤル大統領夫妻を招聘し、天皇皇后両陛下との会見や安倍総理との首脳会談を行った。安倍総理とエンフバヤル大統領は会談の後、共同声明と「今後10年間の日本・モンゴル基本行動計画」を発表した。また、エンフバヤル大統領はモンゴルの要人として初めて国会(参議院議場)において演説を行なった。
(ヘ)2007年7月10-17日、皇太子殿下がエンフバヤル・モンゴル国大統領の御招待により同国を御訪問(我が国皇室からは2002年6月の文仁親王同妃両殿下以来5年ぶり2回目)になり、朝野を挙げての大歓迎を受けられた。殿下は、国家ナーダム(国祭日)の主賓として開会式に御臨席になったほか、ハラホリンの世界遺産などを視察された。
(ト)2008年2月25-29日、参議院の招待によりルンデージャンツァン国家大会議議長が国家大会議議長としては6年ぶりに我が国を公式訪問し、ここ数年良好に推移する議会間交流をさらに推進すべく、江田参議院議長及び河野衆議院議長との会見を始め、議会関係者との幅広い交流を行なった。
(チ)2008年3月2-7日、オヨーン外務大臣が訪日し、円借款案件「新ウランバートル国際空港建設計画」(約288億円、2015年竣工予定)に係る交換公文に署名するとともに、高村大臣と外相会談を行ない、二国間関係のより一層の強化、とくに通商・経済関係の拡大につき意見交換した。オヨーン大臣は、日程中、我が国の経済関係者との面会を精力的に行ない、鉱物資源開発等に対する投資拡大をアピールした。
(リ)2009年4月、バトボルド外交・貿易大臣が訪日し、中曽根大臣と外相会談が行われた。7月には、バヤル首相が訪日し、麻生総理との首脳会談において、3月に開催された支援国会合で、金融・財政危機に直面するモンゴルに対して日本がトップドナーとして率先して積極的な支援を発表したことに謝意が表明された。会談終了後、両首脳の立ち会いのもと、「ダルハン市給水施設改善計画」(無償資金協力)の交換公文及び両国関係当局間の「原子力エネルギー及びウラン資源に関する協力覚書」への署名が行われた。また、日本国政府とモンゴル国政府との共同新聞発表を発出した。
(ヌ)2009年12月、11月に就任したばかりのザンダンシャタル外交・貿易大臣が初めての外遊として訪日し、岡田大臣との間で外相会談を行った。会談では、日モンゴル関係を一貫して重視する立場に変更はないことを確認するとともに、EPA締結に関する官民共同研究の立ち上げを検討するため、EPAの日モンゴル両国に対する経済的便益を確認するための政府間の実務レベル協議を開催することで一致した。また、モンゴル側から、2010年4月より日本国民に対する査証免除を検討しているとの発言があり、同措置が実現すれば、両国の人的交流の更なる発展に寄与するのみならず、モンゴル経済にも好影響をもたらすことが期待される。
(イ)日本とモンゴルとの貿易額は、264.96百万ドルであり、うちモンゴルへの輸出は228.90百万ドル(一般機械、自動車、建設・鉱山用機械等)で、モンゴルからの輸入は36.06百万ドル(繊維原料、銅、繊維製品等)となっており、日本側の大幅な出超となっている(数値はいずれも2008年)。
(ロ)日本からの投資は2009年上半期までの投資合計総額1億2,890万米ドルで、これは各国中4位※である。2008年2月現在、駐在事務所開設の日系企業8社、現地法人化した日系企業227社となっているが、そのほとんどは中小・零細な規模である。なお、両国間には日本・モンゴル投資協定が2002年3月から発効している。
※ 第1位中国(17億米ドル)、第2位カナダ(2億5,970万米ドル)、第3位韓国(2億4,000万米ドル)。
(ハ)日・モンゴル間には、貿易・投資促進及び鉱物資源開発に関する官民合同協議会が、2007年から開催されており、2009年12月には、東京で第3回協議会が開催され、二国間の経済関係の諸問題について率直な意見交換が行われた。
(ニ)2008年後半からの世界経済不況や銅価格の下落の影響を大きく受け、深刻な財政危機に陥っているモンゴル政府を支援するためのドナー会合が3月14日にウランバートルで開かれ、日本は他国ドナーに先駆けて2年間で最大5,000万米ドルの財政支援等を表明、モンゴル政府及び国際機関から高く評価された。
(イ)2004年10月に発生した新潟県中越地震に対しモンゴル政府は毛布520枚を支援したほか、義援金募集のための公式銀行口座を開設し、一般市民や企業より約600万円の義援金が寄せられた。なお、1995年の阪神大震災においても、モンゴル政府は毛布2,010枚、手袋500足を支援している。
(ロ)2009年九州場所現在、大相撲では、東西両横綱を筆頭にモンゴル出身力士が合計34名在籍(横綱2、大関1、その他幕内7、十両4、幕下14、三段目4、序二段1、序ノ口1)し、角界の最大勢力のひとつなっている。モンゴル国内ではほとんどすべてのテレビ局が十両以上の全取組を生中継しているため、多くの市民は、モンゴル人であるかどうかに関わらず力士の四股名や決め手を日本語のまま覚えるなどしている。これは、モンゴル人力士が初入門してから17年以上が経過し、モンゴル人力士の活躍だけではなく大相撲そのものに対する高い関心が醸成されていることの表われと言える。